野中の道 #61
(……『野心』か。……)
『紫の驢馬』言葉を耳に入れ、舌の上では茶を味わいながら、ティオは、フッと、過去の出来事を思い出していた。
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『うわっ!……ジェード、お前、それ、さっさと引っ込めろよ!』
明るい赤茶色の髪に、鮮やかな青色の瞳……いかにも女性に好まれそうな柔らかで華やかな容姿を持つ男は、ティオを見るなりあからさまに嫌そうな表情を作って、もたれていた椅子からガバッと背中を起こすと、シッシッと手を振ってみせた。
年齢は三十代半ばなのだが、人懐こい明るい雰囲気と喜怒哀楽を素直に表す童顔のせいで、未だ二十代半ばと言っても通じそうだった。
『……引っ込めろって、何をですか、エリオットさん?』
『だから、それだよ、それ! その雰囲気!……うっげぇ、威圧感凄い! ビリビリする!……ジェード、お前、最近あんまり顔合わせてなかったけど、俺の言った事ちゃんと守ってるかと思ったのに、ちょっと機嫌が悪くなると、すぐそれかよ!』
『……』
『ハア、三日前の会食の時は割と大人しかったから、安心してたのになぁ。……俺、お前が俺の部署に手伝いに来た初日に言ったよなぁ? お前の雰囲気ってか、「存在感」はうるさ過ぎるから、もっと抑えろってさぁ。普通の人間でもビビり散らすレベルなんだから、「洞察」の異能力持ちの俺にとっては、そばに寄るのも辛いんだよ。』
『……俺に近づかなきゃいいじゃないですか。それか、自分の異能力を抑えておけばいいでしょう?』
『グッ! ホント、可愛くないヤツだな! これでも精一杯抑えてんだよ! 意識すればもっといろいろ分かる。でも、お前の場合は「存在感」が強過ぎて、能力を抑え込んでても気配がガンガン頭の中に勝手に入ってくるんだよ。……ああ、酷い圧迫感! 頭が締めつけられるように痛いー!』
『なんだよ、もう、ラウム様から「ジェードがなんか落ち込んでるから、励ましてあげてほしい」て手紙が来たから、忙しいとこわざわざ時間作ってやって来たってのに!……これ、絶対「落ち込んでる」って感じじゃない!「イライラして苛立ってる」ってヤツ!……くそう、あの腹黒爺さん、この状態のジェードを持てあまして、こっちに振りやがったなぁ!』
『エリオット、ラウム様に対する失礼な物言いは感心しないぞ。不敬だぞ。』
『うるさい、ジャック! お前はいいよな、人間の気配に鈍感だからさぁ! ってか、さっきからボリボリ菓子ばっかり食ってるなよ! ちょっとはお前もジェードの機嫌取るの手伝えよ!』
『でも、これ、たぶんアベラルド皇国の皇族御用達の菓子だぞ。滅多に食べられる代物じゃない。』
『ああ、いつもの友好の贈り物ね。まあ、こういうものが口に入るのは、ここに来る楽しみの一つではあるけどな。俺、お前と違って甘いものってそこまで好きじゃないんだよ。こういう物は、女の子にプレゼントして「わぁ、ありがとう!」って言われる方がいいんだよなぁ。』
ティオが庭園を訪れる前に既にテーブルに着いていたもう一人の男は、真顔で黙々と皿に盛られた焼き菓子をむさぼっていた。
エリオットにジャックと呼ばれた男は、短く刈った土色の髪と、髪よりも一段濃い色の瞳を持った細い目に、彫りの深いいかめしい顔立ちをしていた。
そして、その武骨な面立ちに相応しく、良く鍛えられた大柄な身体には、いつもと同じくダークグレーの軍服をきっちりと身につけていた。
ジャックも三十代半ばだが、こちらは、老け顔と冷静沈着な性格のせいで、肌艶や髪の張りに気がつかねば、十歳は軽く年上に見える事だろう。
無表情で無愛想な固い雰囲気も、彼の隣に座ったエリオットと、見事に「静」と「動」して対照的だった。
しゃれた趣味をしているエリオットの方は、会うたびデザインの違うヒラヒラとしたブラウスを着て、派手な色のスカーフを首に巻き、長く伸ばした髪をまとめた部分にも鮮やかなリボンを結んでいたが、それが彼の華やかな雰囲気に見事に合っていた。
彼以外の人間が真似しても到底似合うとは思えないが、違和感なく着こなしているのが、なんともエリオットらしかった。
ジャックとエリオットの二人は同い年であり、代々競り合ってきた名家の生まれとの事だったが、性格も容姿もあまりにも対極にあった。
仲がいいのか悪いのか、二人並ぶと、特に話が弾むでもなく、気安く笑い合うでもなく、かと言って、本気でお互いを嫌悪している訳ではないようだった。
現在違う分野の仕事を受け持っている事もあって、分かり合えないなりにもそれぞれの個性を認めている様子だったが、これでも同学年だった学生時代は、顔を見ればぶつかり合い、周囲が肝を潰すような激しい喧嘩を頻繁にしていたと有名だった。
それでも、子供の頃からこの歳までずっと切れる事なく付き合いが続いているらしいのは、まさに腐れ縁と言った関係なのだろう。
エリオットとジャックの二人がティオを待っていたのは、ドーム状の空中庭園だった。
周囲は一見何もないように見えるが、実際は透明な半球型の壁に覆われており、内部に雨が降り込む事がないだけでなく、内側から外は見て取れても、外側から中の様子はうかがえないようになっていた。
一年を通して色とりどりの草木と花々が活き活きと生い茂り、蝶が舞い小鳥が囀る、美しくも不可思議なその光景は、まるで夢の中の風景のようだった。
当然のごとく、庭園は限られた人間しか立ち入りが許されておらず、専門の管理人によって守られていた。
今回庭園が解放されたのは、エリオットとジャックの二人を招いたラウムの計らいだった。
庭園の一角には、繊細な造りのテーブルと椅子のセットが置かれ、そのテーブルの上には上等な茶と菓子が用意されていた。
『ジェード、合格おめでとう。これは私からの祝いの品だ。遠慮なく受け取ってくれ。』
ティオが歩み寄ってくると、ジャックが椅子から立ち上がり、テーブルに立て掛けていた2m以上もの長さがある金属の棒を差し出してきた。
『これは君のために特別に作らせていたものだ。耐久性に優れ、適度な重量があり、持った時に手に良く馴染む設計だ。また、杖としても利用する事が出来……』
『要りません。持って帰って下さい。』
『何!? 嬉しくないのか?……これは、あれだぞ、素振りをして身体を鍛える事も出来るのだぞ! 付属の重りを先端につける事で、負荷を変える事も可能だ。君はまだまだ成長途中なのだから、どんなに多忙でも日々鍛練を怠るべきではないと何度も……』
『要りません。不要です。持って帰って、あなたの部下にでもあげて下さい、将軍。』
『……ぐむぅ!……』
受け取りを拒否してさっさと自分用の椅子に座るティオの取りつく島のない態度に、エリオットがついに我慢出来なくなった様子で、プーッと吹き出していた。
『あーあー、だから、そういうのジェードは受け取らないだろうって、俺が散々言ったのになぁ。……あ、ジェード、俺からのお祝いのプレゼントは、未処理の書類の山だから。早めに俺んとこ来てパパッと片づけてくれよな。』
『それも要りません。』
『ハハハ! 冗談だってー。俺はちゃんとお前が気に入るようなプレゼント、用意してあるからー、コイツと違ってー。』
『……』
ティオが無表情のまま自分用に用意されていたティーカップに手を伸ばし茶を飲んでいると、エリオットがスッと小箱を差し出してきた。
上等な布の貼られた化粧箱を手渡す仕草や表情は、何度となく女性達に同じ事をしてきた事が想起される堂に入り方で、キザであるのに苛立たしい程様になっていた。
『就任おめでとう、ジェード。』
『まあ、正式なお広めの式典はまだ先だけどな。何しろ十数年ぶりの国を挙げての大掛かりな式典になるからな、一朝一夕には準備が整わないのさ。安心してくれ、財務の方からも経費は弾んどくよ。ラウム様から思いっきり盛大にやってくれって言われてるしな。』
『……』
ティオは、ニッコリと笑顔で小箱を差し出しているエリオットの方を、真顔のまま黙ってしばらく見つめていたが……
箱の中身を悟ると、シュバッと小箱を無言でぶんどった。
エリオットが「あ!」と言葉を発するよりも前に、パカッと箱を開け中から親指の頭大の金色に輝く宝石を取り出す。
ティオの独特な緑色の瞳が、喜びでパアッと見開かれた。
『見事なゴールデンサファイア!……ありがとうございます、エリオットさん。』
『え、嘘!? ジェードが、俺に「ありがとう」って言った? なになに、これ、明日槍でも降るのか?』
『では、お二人とも用事は済んだと思いますので、早急にお引き取り下さい。俺も自分の部屋に戻ります。じゃあ。』
『あ、これ、いつものジェードだ。……って、待て待て待て! 貰うもんだけ貰って帰ろうとするなっての!』
ティオは、ゴールデンサファイアを抜き取った箱をエリオットにポイッと投げ返すと共に、白いローブの袖口から取り出した布にそのゴールデンサファイアを大事そうに包んで素早く懐にしまった。
そうして、さっさと席を立とうとしたのだったが……
慌ててエリオットが身を乗り出して騒ぎ立て、同時に逆側の席からも、無言ながらジャックが恐ろしい顔で睨みつけてきた。
ティオは、酷い仏頂面でハーッと心底嫌そうに大きなため息をついた後、ドサッと椅子に再び腰をおろし、グイッとティーカップに注がれていたお茶をあおった。
そんなやさぐれた態度を隠そうともしないティオの様子を、エリオットはテーブルに頬杖をついてしみじみと眺めては、「まったく、この野郎」と零しつつ苦笑していた。
『……その宝石はもうお前にやったものだから、恩を着せるつもりはないけどな、一応俺の家に代々伝わる家宝の一つなんだぞ。本来なら、ジュエリーに仕立てて、俺の妻や娘に渡すべきものだ。今回はラウムの爺さんに頼まれたから譲ったけどさ。ホント、大切にしろよ、ジェード。』
『……』
『また、無表情でだんまりだよ。……ハア、先が思いやられるなぁ。頼むから、俺にあんまり迷惑掛けないでくれよな。袖の下に家宝の宝石もやっただろう?……あ、ジャックには好きなだけ迷惑掛けていいぞ、ハハハ。』
エリオットはグイと反らした親指で、また黙々と皿の上の菓子を食べだしたジャックを指し示し、唇の片端を持ち上げて笑った。
自分も一旦ミルクも砂糖も入っていない茶を飲み、カチリとソーサーに戻すと言った。
『それにしても、ジェード、お前本当に「宝石」に適正あったんだなぁ。ラウム様から知らされた時は、正直半信半疑だったよ。三日前の試験でも使ってなかったんだろ? 俺は見る事は出来なかったけど、筆記と実技の結果は一応ラウム様から聞かされてるよ。』
『その、なんだ、悪かったな。俺の異能力ならもっと早く気づかなきゃいけなかったんだろうが、何しろお前の「気配」は強過ぎて、慣れるまでしばらくまともに調べられなかったんだよ。それに「宝石」に適正って、物凄く珍しいからさ。この国始まってから、三人とか四人とか、そういうレベルだろ。正直想定に入れてなかった。』
『いや、言い訳だな。俺のミスだ。俺は自分のやるべき事が出来てなかった。ラウムの爺さんに、お前の事は「くれぐれもよろしく頼む」って言われてたのになぁ。』
『エリオット、確かにお前に落ち度はあった。』
頭部の重さを掛けて頬杖をついているせいで、顔半分の肉が思い切り歪んだ状態になっているエリオットに、ピタッと菓子を食べる手を止めたジャックが言葉を挟んだ。
『しかし、誰にでも過失はあるものだ。』
『特に、お前は、子供の頃からせっかちで、つまらないミスを良くしていた。それはお前が生まれ持った性格だ。自覚を持って注意深い行動を努める必要はあるが、あまり落ち込む必要もないだろう。どうせ今いくら思い悩んでも、お前はきっとまた同じ間違いをするだろうしな。』
『……ジャック、お前ぇ……フォローする気があるのかないのかどっちだ、この石頭!』
『まあ、でも……』
と、エリオットは再びティーカップを手に取り口元に運びながら、鮮やかな青い目を細めてティオを見つめてきた。
『おかげで、ジェード、お前の周りにやけにキラキラした虹色の光が見える理由が分かった気がするよ。これ、「宝石」への適正だったんだな。』
『ああ、お前本人には見えないか。残念だな。……俺の能力で見ると、お前の周りには何重にも色鮮やかな虹が取り巻いてて、凄い綺麗なんだぜ。』
『まあ、鮮やか過ぎて目がチカチカするから、俺もあんまりじっくり見れないんだけどな。ハハハ。』




