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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第八節>遊説者の真贋
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野中の道 #60


「……『野心家』ですか。」

「はい。」


 『紫の驢馬』は手にしたカップから少しずつ茶を喉に流し込みつつ、『導きの賢者』についての自身の所感を、彼らしい冷静な口調で語った。


「確かに、一見耳障りのいい事を言っておりましたな。親を敬え、子を愛せ、友を大切にせよ……しかし、そのどれもが薄っぺらかった。光の女神教の信者が口にする教え、あるいは、ごく一般的に社会で広まっている良識、そういったものを借りてきて寄せ集めた話に過ぎなかった。当たり前の常識で、いわゆる『善行』とされる行動を勧める内容であったが故に、『導きの賢者』の話を聞いていた者達は、すんなりとその考えを受け入れていました。」


「王都の街角で『導きの賢者』の演説を耳にした民衆の中には、その内容が特に目新しくない退屈なものだと感じ、しばらくして立ち去る者も多かったですよ。しかし、何割かは、非常にありがたい説法を聞いているような顔で熱心に耳を傾けていましたな。」


「おそらく、夢中になっていた者達は、『導きの賢者』の『何か良く分からないが、立派な雰囲気』に魅了されていたのでしょう。たしかに、『導きの賢者』には、そういった不思議な雰囲気がありました。『他の人間とは何かが違う』『選ばれた特別な人間だ』……そう思わせる名状しがたい魅力のようなものを感じました。自然と人を引きつけ、人の注目を集める『カリスマ性』とでも言うべきでしょうかな。」


「ただし、それはあくまで『導きの賢者』自身の持っている気配から感じるものであって、彼の語る話の内容からではありませんでした。ごく当たり前の話を、自分の威厳のある気配で味付けして民衆に披露している、そんなところですかな。……例えるなら、同じ皿を売るにしても、いかにもみすぼらしい身なりの人間が売っているよりも、豪華な宝飾品を身につけた立派な身なりの人間が売っている方が、高価な良い皿に見える。それと同じ心理でしょうな。」


 ティオは『紫の驢馬』の言葉を一言も漏らさぬよう、真剣な表情を浮かべて、時にうなずきながら聞き続けた。


「しかし、その人間の心の奥に根づいた思考と言うものは、その者の発する言葉や行動の端々に自ずから滲み出るものです。……そう、『導きの賢者』は口先では綺麗事を並べていましたが、その話の所々に、奴の本質が漏れ出ていました。偏った言葉の選び方、ある特定の話題にのみに表れる口調や語気の強さ、時折僅かに歪む表情……それらを総合すると、『導きの賢者』の真の性格が知れました。」


「そして、私は、奴を『野心家』の『小物』だと判断した訳です。」


「まあ、もう半年以上も前の事ですからな、具体的にどこがどうとはっきり記憶している訳ではありません。私には、残念ながら、ティオ殿のような、一度見聞きしたものを完全に覚えておける程の記憶力はありませんのでね。ここまでいくと、『長年の勘』としか言いようがありませんな。」


「たまに居るのですよ、自分を実際の実力よりも大きく見せようと必死になる類いの人間というものが。いや、本人は、自分の事を、本当にそれだけの実力があると思い込んでいるのかも知れませんな。『導きの賢者』も、おそらくそういうタイプでしょう。だからこそ、自信満々で威厳のある態度がとれる。そして、民衆の何割かは、その自信に満ちた堂々たる態度を見て、奴が優れた人物だと信じ込む。しかし、ごく普通の民衆の中にも、勘の鋭い者はおります。そういった者達は、『導きの賢者』の張りぼての威厳に気づいて、眉をひそめて立ち去る訳です。」

「ご老人も、その立ち去った一人だったという事ですね?」

「ええ。しばらく観察したのち、奴に対する興味が失せたので、その場を去りました。あれは、所詮二流ですよ。一流ではない。本物の『賢人』と呼ぶべき人物ではない。」

「フム。」

「ああいった二流の偽物には、一つ共通の特徴があります。」


「先程も言いましたが、二流の偽物は、自分を一流の本物に見せるための演出をするのですよ。より立派に、より強そうに、より賢そうに、見えるようにとね。『導きの賢者』も、熱心に自分を演出していましたよ。自分を本気で『選ばれた特別な人間』と信じてはいるのでしょうが、一方で、自分でも自覚のない深層心理では、自分が本物ではない事を分かっているのでしょう。だから、必死に隠そうとする。一見自信満々に見えるその態度は、実は自信のなさの表れという訳です。」


「まず、あの見た目からしてうさん臭いではないですか。特徴的な緋色の巻き毛は確かに人目を引きますが、それをわざわざ長く伸ばし、髭もたっぷりと蓄えていた。そして、髪の色と似た派手な赤いローブを着ていた。非常に人目を引き、またいかにも聡明そうな外見に仕上がっていましたな。また、自分の周りに、同じような格好の取り巻きを何人も置くのも、自分の権威づけに他ならないでしょう。弟子か従僕かは知りませんが、十人以上居た取り巻きの男達は、皆『導きの賢者』を心から尊敬している様子で、奴にうやうやしい態度で接していました。全員『導きの賢者』よりも歳は若く、似たようなローブを身に着けてはいましたが、その布の色は薄く、材質も奴より悪いものでした。そういった、明確な差をつける事で、『導きの賢者』は、自分が従僕達よりも優れた人間であると演出していた訳です。そして、彼らが自分にかしずく姿を見せる事で、民衆に自分の事を『何やら立派な人物に違いない』と思い込ませていたのですよ。」


「そういった、自分を演出する手法は、随分堂に入っていましたな。もう随分長い事そうして日常的に過ごしてきたのでしょうな。私の見立てでは、十年、いや、二十年は、奴はずっとあんな感じだったのではないでしょうかね。」


 『紫の驢馬』は、口に運んでいたカップを一旦宙で止めると、向かいの席で話を聞いているティオに視線を向けた。

 色あせたボロボロのマントに身を包み、伸ばしっぱなしのボサボサの黒髪に傷だらけの眼鏡を掛けた、風変わりでみすぼらしいその身なりを、改めて目を細めて見つめ、思わず苦笑する。


「私の経験上、本物の一流の人物というものは、自分を必要以上に大きく見せようなどとはしないものです。」


「なぜならば、その必要がないから。もう十二分に偉大であり、それが本人にとってはごく当たり前の状態なので、『もっと立派に、もっと大きく、もっと強く』という発想がそもそも湧いてこないのでしょうな。」


「対照的に、二流の偽物は、無い物ねだりをして、真の実力以上に他人に良く思われようとする傾向が強いですな。より多くの人間に注目され、尊敬され、褒め称えられたいと渇望する。いわゆる自己顕示欲が強い。『導きの賢者』も、その手の強い欲望を秘めているように私は思いました。」


「それから、もう一つ、奴から顕著に感じられた特徴がありました。」


「それは、『傲慢さ』です。」


 ティオは、『紫の驢馬』の鋭い人間観察に終始感嘆しつつ、その言葉に「ほお」とよりいっそう関心を示した。


「自分の事を『他の者達よりずっと優れた人間』で『選ばれた特別な人間』だと思い込んでいる、そんな印象を受けたと先にも話しましたが、つまりそれは、裏返せば……自分以外の者は『自分より遥かに劣ったつまらない人間』だと思っているという事にもなります。中には、ただ自信過剰なだけで、他人を見下す事のない人間も居るのでしょうが、『導きの賢者』は、高いプライド故に、他者を見下し軽んじるという悪癖を持っているタイプに感じられましたな。」


「表の社会にも裏の社会にも、自分が金を儲けるためには、地位や名誉を得るためには、要するに、自分の欲望を叶えるためには、他人をいくら傷つけ犠牲にしても構わないと考えている、自己中心的で良心や倫理観の欠けた人間は居るものです。その中でも、『導きの賢者』は、自分の成功のために他者を踏みにじる行為に『自分は特別な優れた人間だから』という理由で正当性を持たせる輩ですな。自分の崇高な理想の実現のためには、自分より劣った有象無象の人間は、多少傷つけても仕方ない、それは尊い犠牲だ……といったところですかな。」


「非常に強いエリーティシズム、自己愛、そして、高い自意識。それに由来する、内に秘めた攻撃性。」


「上辺は綺麗事を語っていても、その人間性には、お世辞にも聖人とは呼べない歪んだものを感じましたよ。」


 『紫の驢馬』はカップから離した唇の片端を歪めるように、皮肉な笑みを浮かべた。


「もちろん、生まれ持った性格もあるのでしょうが、ああなるには、今まで余程鬱屈した境遇にあったのやも知れませんな。周囲から自分が優れている事を理解されず、軽んじられ続ける不遇な環境、と言ったところでしょうか。それ故、心の内に随分と不満をかかえて過ごしていた可能性が考えられますな。」


「もちろん、『自分の実力が周りから正しく評価されていない』というのは、『導きの賢者』自身の主観であって、実際どうであったかは分かりません。あくまで、奴の周囲の者達は、奴の力をまっとうに判断し、その裁定にしたがって相応な扱いをしていたのかも知れません。しかし、奴が客観的に現状を把握出来ていなければ、『本来の力を認められず、軽んじられていた』『不当に見下され、蔑まれていた』という奴の中の被害妄想が、奴にとっての真実となる訳です。」


「奴がそういった考えに陥るのは、奴本人の元々の思考に問題があるためでしょう。奴の中には『自分は人より優れた特別な人間であり、それ以外の人間は無能で価値のないもの』という差別的な思考が根深く浸透していると思われます。そして、そういった自分の定規で他人の思考をも計るために……自分の周りの人間はもれなく『自分より優れているか否か』という価値基準でこちらを計ってきており、その判定によって差別的な行動をとってきている……という発想になる訳ですな。」


「例えば、誰かが、奴のちょっとした間違いを親切に指摘したとしましょう。しかし奴は、『ありがたい、助かった』とは思わず、『馬鹿にされた、蔑まれた』と感じてしまう訳です。……まあ、この手のタイプは、思い込みが激しく、高いプライドと差別と偏見で頭の中が凝り固まっているので、なかなか話が通じず非常に厄介ですな。私なら、話し合いで説得するのは早々に諦める事でしょうよ。私も歳を取ったので、老い先短い貴重な人生の時間を無駄に消費したくありませんからな、少々気が短くなりました。……世界観がガラッと変わる程の、余程大きな衝撃を受けるような出来事でもない限り、この手の人間が心を入れ替える事はありますまいよ。」


 ティオは、ソーサーに休めていたカップの取っ手を指先で摘んで持ち上げると、これまでの『紫の驢馬』の話を総括するように短く発した。


「なるほど、現状への不満……それがあの男の『野心』に繋がる訳ですね。」

「然り。さすがティオ殿、話が早い。」


「そう、私の見立てでは、『導きの賢者』は、現在自分の置かれている状況に全くもって満足していない。自分が『特別な優れた人間』だと思い込んでいる彼奴は、そんな自己認識と世間の評価を一致させようと躍起になっている。自分と自分の言葉に対して、もっと広くもっと多くの人間が、知り、賛美し、かしづき、従うべきだと考え、そんな自分にとって都合のいい理想的で完璧な状況を実現させるために、日々熱心に活動している。」


「まあ、こんな田舎の小国に少人数で遊説に来ているのを見るに、まだ奴の野望は全く実現していないようですがね。」


「いや、それでも、一時期王都で噂になったおかげで、王城に呼ばれた事もあったのでしたな。もっとも、王族に取り入るのは失敗したようですが。王城で、国王をはじめとした王族や重臣達の前で得々と語った『導きの賢者』の話に、高貴な方々は特に興味を示さなかったと聞き及んでいます。たった一人真剣に聞いていたのが、今渦中の第二王子で、その縁もあって、『導きの賢者』は現在『月見の塔』に、第二王子のそば近くに居るようですな。」


「なんとか第二王子を説得して降伏させ、この不毛な内戦を収める事で、国王に自分の存在を主張する腹積もりなのでしょう。しかし、それも、内戦が始まってより既に半年以上が経過しています。その間、国王軍の優勢によって休戦にまで持ち込んだ好機を何度もみすみすと逃し、第二王子を説得し切れないままにまたぞろ開戦となっています。ズルズルと泥沼の状況が続いているこの状況では、『導きの賢者』がこのナザール王国の国政における自身の価値を示すのは、望み薄と言わざるを得ませんな。」


「……」

 ティオは、『紫の驢馬』の言葉に口を挟む事はせず、向かいの席で静かに茶を喉に流していた。


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