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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第七節>補佐の矜持
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野中の道 #54


「……俺は、いつも、親父と兄貴に叱られてばっかりだった。お前の鍛冶の腕はまだまだだって。お前の作るもんは、胸を張って売れるような代物じゃないって。俺は早く親父や兄貴に追いつきたくて必死に頑張ってるのに、二人にはちっとも褒めてもらえない。俺はただ、良くやってるなって、頑張ってるなって、ほんのちょっとでも親父と兄貴に言ってもらえたら、それで良かったんだよ。二人に鍛冶師として認めてもらいたい、ただその一心で、毎日鎚を振るってきたんだ。それなのに、いつまでたっても全然二人に追いつけない。……」


 鍛冶師の男は、目を覆うように片手を顔に押し当てて涙を零しながら、とつとつと語った。

 チェレンチーは一旦は退出しようと立ち上がった所から、再び椅子を引いて座り、真剣に男の話に耳を傾けた。


 男はどうやら、同じ鍛冶師として働く自分の父親と兄に劣等感を抱いていたようだ。

 男は、父親が歳をとってから産まれた子供で、兄とは十以上も歳が離れており、まだ二十代半ばである。

 父親は既に六十近い歳、兄も三十代後半と、二人との年齢差を考えれば、男が鍛冶師として経験の浅さから未熟に見えるのはごく自然の事のように思えるのだが、子供の頃から父と兄を見て、二人に叱られながら育った男は、すっかり自信を失ってしまったらしかった。

 そして、「俺には鍛冶の才能がなかったんだ」と思い詰め、酒場で一人やけ酒をあおっていたところ、居合わせた男達と話をする内に親しくなり、彼らに誘われるままに賭博に手を出すようになったとの事だった。

 最初は本当に面白いように勝ち続け、金もみるみる増えていった。

 男は、「俺には賭博の才能があったんだな!」と思い込んで、ますます賭博にのめり込むようになると共に、「すぐに賭博で稼げる」という考えから、金遣いも荒くなっていった。

 ところが、そう上手くはいかず、やがて男はなかなか賭博で勝てなくなって、賭博に誘ってきた友人から金を借りて打つようになった。

 しかし、必死になればなるほど負けが込んでいき、友人達への借金がかさんでいってしまった。

 借金を返すために金を借りて賭博をし、結局賭博で負けて借金が増えるという寸法だ。

 そして、「これ以上金は貸せない。金を返さないなら、お前の家に乗り込んで親父さん達に話をする」と友人らに言われ、青ざめた男は、なんとか金を作ろうと、ちょうど賭博場で噂になっていた傭兵団の所へと乗り込んできたという訳だった。


(……ああ、悪い人間に引っ掛かっちゃったのかぁ。これ、最初からカモにするつもりで酒場で声を掛けてきたんじゃないかな? 最初は勝たせて気分を良くさせて、のめり込んだ所で、寄ってたかってコテンパンにし、金を巻き上げる。たぶん、友人達はグルで、イカサマもしている可能性がある。彼だけじゃなく、同じ手口で何人も金を毟られてると思うなぁ。……)


(……でも、今は酷く落ち込んでいるから、その部分は言わないでおこう。……)


 チェレンチーは、男を励ます方向で、男の鍛冶の腕は決して悪くなく、むしろ世間一般ではかなりいい部類である事を真面目な口調で強調した。


「お父さんとお兄さんがあなたに厳しくするのは、きっとあなたに期待しているからなのだと思いますよ。決してあなたを嫌っている訳でも、見限っている訳でもない。その証拠に、二人の指導の元ずっと頑張ってきたあなたの鍛冶の腕は、素晴らしいものになっているじゃないですか。二人に敵わないのは、ひとえに鍛冶にかけてきた時間の差だと思います。二人の方があなたよりずっと歳が上なのですから、こればかりはどうにもなりません。でも、あなたがお父さんやお兄さんの歳になったら、きっと二人のように、いやそれ以上に、良い鍛冶師になっているに違いありませんよ。」

「……ああ、本当は俺も分かってるんだ。親父も兄貴も鍛冶一筋のぶっきらぼうな人間で、口下手なだけなんだって。でも、ちょうど仕事で壁にぶち当たって落ち込んでる時に、いつものように叱られて、ついカッとなっちまったんだよ。……ああ、なんで賭博になんて手を出しちまったんだろう、俺のバカ野郎!」

「そうですね、賭博は、もうやらない方がいいでしょうね。賭博だけで食べていけるのは、ほんの一握りの人間でしょう。あなたはこんなにも良い鍛冶の腕を持っているのですから、これからは鍛冶の仕事を真面目にしていった方がいいと思いますよ。」

「ああ、もう二度と賭博になんて手を出さねぇ。今まで以上に鍛冶の仕事を頑張るつもりだよ。」


「でも、借金はどうしたらいいんだ。親父と兄貴に知られたら、それこそ幻滅されちまう。家を追い出されるかも知れない。……ううっ……」


 チェレンチーは、無事男が賭博をやめる決意を固めたようでホッとしたが、一方で、男が悪い友人達に作ってしまった借金の問題は残ったままだった。


(……おそらく、正直にお父さんとお兄さんに事情を話せば、借金を立て替えてくれると思うんだけどなぁ。立て替えた分は、少しずつ働きながら返していけばいい。悪い友人達にいつまでも借金をしていると、高い利子をふっかけてくるかも知れないから、とっとと完済してしまう方がいい。それに、借金があると、いつまでも悪い友人達と縁が切れずに、また何かの機会にトラブルに巻き込まれる可能性もある。……)


(……まあ、でも、お父さんとお兄さんへのコンプレックスが原因で作ってしまった借金の肩代わりを、その二人に頼むっていうのは、なかなか言い出しにくいよねぇ。うーん。……)


 チェレンチーは、「少し待っていて下さい」と言って、一旦席を外し、しばらくして素焼きの水差しを手に戻ってきた。

 男がほとんど飲んでしまっていた水を新たに器に注いで飲むように促すと、男は言われた通りゆっくりと口に運んで、少し落ち着いた様子を見せた。

 そこで、チェレンチーは、ズボンのポケットから小さな布の袋をとり出し、男の前に置いた。

 それは、一旦退出した際に、食堂で水差しを借りてくると共に、自分の部屋に寄って取ってきた、普段はベッドの下に密かに隠しているものだった。


「これをどうぞ。お持ち下さい。」

「これは?……え? か、金?」

「私の個人的な持ち物です。あなたにお貸しします。……と言っても、銀貨八枚とわずかなので、あなたが借金を返し切るには全く足りていないとは思いますが。少しでも足しになればと思って。返却はいつでも構いません。余裕のある時に返してもらえれば、それで充分です。もちろん、利子などは取りませんので、安心して下さい。」

「……お、俺に金を貸す、だって? 傭兵団の金じゃなくって、アンタの金を?……」

「そうです。傭兵団の運営資金は、私一人のものではありませんから、私の一存で扱う事は出来ません。でも、自分の所持金なら、好きなように使っても問題ありませんので。……傭兵団で一週間働くと、国から大銅貨が二枚給与として渡されます。事情があって、少し増えはしましたが、基本はその給与を貯めたものなので、大した額にはなっていないんです。後少し端数が残っていますが、私が持っている銀貨はそれで全部です。」

「……一週間で、たったの大銅貨二枚? 危ない戦場に行って戦うってのにか?……」

「まあ、この傭兵団は、元々そういう所ですから。ああ、でも、一応寝食は保証されているので、ここに居る限りお金を持っていなくても特に困らないんです。それに、上司が頑張ってくれたおかげで、ここでの食生活や衛生面がだいぶ改善されて、当初よりずっと快適になりました。そのお金は、特に使い道が思いつかずに貯めていただけのものでしたから、こうしてあなたの役に立って良かったです。」

「……で、でも、これはアンタの全財産なんだろう? そんな金を、会ったばっかりの赤の他人の俺にくれちまっていいのかよ?」


 思いがけない善意に触れ、当惑する男に、チェレンチーはニッコリと柔らかな笑顔を見せて言った。


「あげる訳ではなく、貸すのです。譲渡と貸借は違います。商売をされるなら、そこの所は是非しっかり区別しておいて下さい。お金の管理はとても大切なものですからね。」

「あ、ああ、金の扱いは気をつけるよ。もう二度と賭博にも手は出さない。……だ、だけどよ、貸すにしたって、俺に金を貸しても、アンタはいい事なんか何もないだろう?」

「そんな事はありませんよ。私はあなたの鍛冶師としての腕を高く評価しています。今回の一件で、あなたが鍛冶をやめる事になるのは、もったいないと考えました。この先もあなたが鍛冶の仕事を続けるなら、ますます腕は磨かれ、良い物を作れるようになる事でしょう。」


「私は、そんなあなたの将来性に、未来に、投資したのです。」


「この街で生きていれば、いえ、たとえこの街やこの国でなくとも、この世界のどこかでお互い生きていれば、またこうして何か関わる事もあるでしょう。一緒に仕事をして、あなたの作った商品を私が買うというような機会もあるかも知れません。その時、あなたが今よりももっと鍛冶の腕を上げていて、良い商品を提供してくれるならば、私にとっても益のある事となります。」


「あなたの将来に期待しています。」


 チェレンチーの優しくも力強い言葉を聞いて、男は渡された小さな袋を両手で強く握りしめ、「ああ、ありがとう、ありがとう!」と繰り返しながら、先程までとは別の意味で、熱い涙を零していた。



「あ! チェレンチーさん! 俺の居ない間に、見慣れない若い鍛冶師が来ていたという話を聞きましたが、何かありましたか?……その顔、大丈夫ですか?」

「ティオ君、お帰り。……アハハ、ちょっと揉めちゃってね。でも、無事解決したから、問題ないよ。顔の方も平気だよ。今は腫れているけど、大したケガじゃないから、すぐに治るよ。」


 鍛冶師の男が帰った後、しばらくして戦場の偵察を終え傭兵団の兵舎に戻ってきたティオは、殴られた跡の残るチェレンチーの顔を見て心配していたが、チェレンチーは明るく笑い飛ばして、この一件の顛末を語った。



 鍛冶師の男は結局、チェレンチーとの会話の後、別人のように大人しくなった。

 おそらく、荒っぽい態度は悪い友人達の影響もあり心が荒んでいたせいで、こちらの方が男の元々の性格なのだろうとチェレンチーは思った。

 そして……

「アンタはなんていい人なんだ! 俺の鍛冶の腕を認めてくれるだけじゃなく、金まで貸してくれるなんて! つい殴っちまって悪かったよ!」

「アンタに会えて良かった! おかげで俺は道を踏み外さずに済んだ。これからは心を入れ替えて、鍛冶に精を出すよ。アンタは俺の恩人だ。」

「金は必ずなるべく早く返すからな! 本当にありがとうな!」

 などなど、男は信頼と感謝の気持ちのこもった眼差しで、チェレンチーをジッと見つめて、熱く語った。

 チェレンチーは、今なら素直に忠告を聞いてくれそうだと思い、最後にもう一つ助言をしておいた。


「隠し事はいずれバレます。こじれる前に、自分の口から、お父さんとお兄さんに事情を説明して謝った方が良いと思いますよ。あなたが本心から反省して、二度と賭博に手を出さないと約束すれば、きっと二人は許してくれると思いますよ。」

「あ、ああ、そうだな。……正直気は重いが、いつかは話さなきゃいけねぇ事だもんな。だったら早い方がいいよな。……分かったよ! 帰ったら、親父と兄貴にちゃんと話す!」


 男は、笑顔でチェレンチーにそう約束してくれた。


(……たぶん、これで、借金の問題は大丈夫だろう。彼が父親と兄に事情を話せば、彼を心配している二人は、借金を肩代わりしてくれる。悪友達への借金がなくなったなら、これ以上彼らに利用される心配も要らない。……)


 男が帰り際にチェレンチーに握手を求めてきたので、チェレンチーが応えると、痛い程しっかりと握り返された。

 長年鍛冶に専心してきた事を感じさせる、皮膚の固くなったガッチリとした手の平だった。


「そう言えば、アンタの名前をまだ聞いてなかったな。教えてくれよ!」

「チェレンチーと言います。名字はありません、ただのチェレンチーです。」

「そうか、チェレンチーか。覚えたぜ。……本当にいろいろありがとうな、チェレンチー!」



 ティオは、チェレンチーの話を聞き終えると、腕組みをして言った。


「ああ、あの店の下の息子が最近良くない友人達とつるんで賭場に出入りしているという噂は聞いていましたが、そういう事情でしたか。俺の方からも、それとなく、彼が付き合っていた男達が、不慣れな素人をカモにしてイカサマ賭博で金を巻き上げている悪名高いグループだという注意喚起を鍛冶屋街の方に流しておきますね。これでもう、その彼が食い物にされる事はないでしょう。」


 ティオの話しぶりから、ティオが、武具を発注した鍛冶師達だけでなく、鍛冶屋街の全ての人間の情報を把握しているだろう事をチェレンチーは察した。

 驚くべき事ではあるが、ティオに関してはこれがいつもの状態なので、妙に納得してしまう。

 ともかくも、ティオがこの事態を知り、動いてくれる事が確定した時点で、チェレンチーの不安は微塵も残さず払拭されたのだった。


「でも、良かったんですか、チェレンチーさん? 自分のお金を彼に渡してしまって。」

「ああ、それは本当にいいんだ。必ず返してくれると言っていたし、まあ、あのお金が返ってこなかったとしても、それはそれで、別に構わないと思っているから。それに……」


 チェレンチーは、自分への礼を何度も口にしながら頭を下げていた鍛冶師の男の姿を脳裏に思い描いて、嬉しそうに微笑んだ。

 あの時、チェレンチーの目には、男が淡く光って見えていた。

 傭兵団を訪れた時には霧のようにまとわりついていた影が、もはや完全に消え去って、代わりに、チェレンチーが「目利き」の異能力を使って「良い商品」を見た時に見える明るい光が、男の姿を包んでいた。


「彼は、きっと、良い鍛冶師になると思うよ。」


「腕のいい職人さんは、大事にしたいんだ。社会にとって、彼らは、経済的にも文化的にも、とても重要な存在だと思うから。」


 そんなチェレンチーの言葉を聞いて、ティオは納得したように笑顔でうなずいていた。


「チェレンチーさんがそう言うのなら。……あ! でも、その顔の手当てはきちんとして下さいね。」


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