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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第七節>補佐の矜持
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野中の道 #52


(……確か、父親と兄と三人で鍛冶屋をやっているんだったな。鍛冶の腕は悪くない。……)


 質素なシャツを鍛冶で筋肉のついた腕を見せるようにまくり上げて着ている二十代半ば男は、チェレンチーの対面の席にやや背を丸めて座っていた。


 チェレンチーの頭の中に、鍛冶屋街にある男の店の外観と内装と工房、そして男の作った鋼の胸当てが思い浮かぶ。

 男が家族でやっている店は、父親と兄と男の三人が鍛冶師として働いており、母親がたまに店先に商品を並べに来て、他にも姉か妹が居たが、女性達はほとんど店では見かけなかった。

 店頭には、いくつか完成品が並べられているものの、鍛冶師の腕が分かるように見本として置かれている意味合いが強く……

 三人が作成した物の大半は、鍛冶屋街の組合に属するいくつもの鍛冶屋が共同で商品を置いている大きな店舗に納められ、そこから売り上げた分だけ金が入る仕組みになっていた。

 他には、組合に入った注文から割り振られる仕事も重要な収入源となっており、今回の傭兵団との取引も組合を通したものだった。

 多くの武具を短期間に揃えたかった傭兵団では、一つの鍛冶屋では賄い切れなかったため、特別に品質の良さを求める一部の武器をのぞいて、その注文の大半を組合に話を持っていく事になり、その後、組合の方から適宜、鍛冶屋街の鍛冶師に仕事を割り振っていた。

 もちろん、鍛冶師の腕はティオとチェレンチーで吟味して、一定以上の質の武具を造れる者だけを厳選していたが。

 その日、突然チェレンチーを訪ねてきた男も、組合を通して武具を発注した鍛冶師の一人だった。


「……」

 

 チェレンチーは、向かいの席に座った男を改めてジッと見つめた。

 チェレンチーの目には、男の姿にうっすらと霧のような影がまとわりついて見えていた。


(……良くない兆候だなぁ。でも、まだ決定的という訳じゃない。……)


 チェレンチーは気を引き締めて慎重に会話を切り出した。


「明日納品予定の商品と交換でお渡しする代金の金額を引き上げてほしいというお話でしたね。まずは、その理由や具体的な金額等、あなたの方の事情と希望を聞かせて下さい。それを聞いた後に、こちらの対応を示します。」

「……あ、ああ。俺の話を聞いてくれるんだな? アンタは、やっぱりいい人だな! 話が分かる!」


 「いい人だ」とチェレンチーを評した男の様子に、チェレンチーはこちらに媚びようとしている気配を敏感に感じ取っていた。


「……じ、実はさ、アンタ達に約束していた防具だけど、作るのに予想以上に金がかかっちまってさ。簡単に言うと、予算オーバーなんだよ。そりゃ、お客さんにはなるべく安くいい物をってのが職人の心情だけどな、こっちも商売でやってて、生活がかかってるからさ。まあ、そんな訳で、足が出ちまった分を、元の金額に上乗せしてほしいんだよな。」


「そ、そうだな、銀貨五十枚!……って、いうのは、や、やっぱり多過ぎるか? じゃあ、三十! あ、いや、この際二十でもいいや!……とにかくだ、余計に予算がかかっちまった分を、支払ってもらいたいんだよ。出来れば今すぐに! 明日の午後、出来上がった商品を引き渡すのと同時に代金を支払うって約束だけどさ、ちょっとこっちもいろいろ急いで金が必要なんだ。だから、その増えた分だけ、今日の内に、って言うか、今すぐここで払ってくんねぇかなぁ?」


「組合の方には、俺の方から話しとくから心配要らねぇよ。アンタもいろいろ忙しいんだろ? わざわざ城下町まで来てもらうのも手間だろうから、そこら辺は俺がやっとくよ。金だけ今俺に渡してくれればいいぜ。」


 男は、こういった交渉事は慣れていない様子で、額にビッシリ掻いた汗を何度も手の甲でぬぐいながら、せわしない口調で語った。

 チェレンチーは、一通り男が自分の要望を喋って、一息ついたといった様子で水を飲むのを黙って見つめていた。

 そして、男が少し落ち着いた所で、人当たりのいい穏やかな笑顔はそのままに、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

「確認させて下さい。つまりあなたのお話をまとめると……」


「予定してた予算よりお金がかかってしまったので、その分を代金に上乗せしてほしいという事ですね。そして、その金額は、出来れば銀貨五十枚、無理ならば、三十枚か二十枚でもいい。そして、その上乗せ分の代金は、明日ではなく、今日、可能ならば今すぐ欲しい。……といった所でいいでしょうか?」

「そう! その通り! さすが、アンタは頭がいいな!……それで、どれぐらい都合してもらえるんだ? すぐパッと用意出来る分だけでも、今すぐ持って帰りたいんだけどさ!」

「残念ですが……」


「あなたの要望を聞き入れる事は出来ません。今日はこのままお帰り下さい。代金は予定通り、明日発注していた品物の納品と同時にお渡しします。もし、先程のお話のように、制作過程で予定していた予算を大幅にオーバーしてしまったという事でしたら、明日の納品時に改めて組合の担当の方から詳しく事情をうかがって、その状況が妥当と判断した場合、代金を上乗せする事もあるかと思います。ともかくも、全ては明日という事になります。今ここには、組合の交渉窓口となっているいつもの方がおられませんし、こちらも、私の上司にあたる決済の決定権を持つ者が外出中です。私は、上司の指示の元、事務手続きをしているだけの人間です。私の一存では、支払額を増やすという決断はしかねます。上司の方には、彼が戻り次第そちらの事情を伝えておきますので、ご安心下さい。」


「今日は、わざわざ遠い所出向いて下さってお疲れ様でした。気をつけてお帰り下さい。……それでは、私は用事がありますので、これで失礼します。」

「……ちょ、ちょっと! ちょっと待ってくれよ! そ、そんな、そんなのってないだろう!? ここまで来て、手ぶらで帰れってのか?」


 口調も態度も丁寧そのものだが、淡々と答えてさっそく席を立とうとする取りつく島もないチェレンチーに、男はますます冷や汗を顔中に噴き出させて追いすがってきた。

 男に強い握力でギュッと腕を掴まれて、チェレンチーは思わず眉をしかめたが、動揺する事なく、もう一度男に向き直った。


「今回の取引は、鍛冶屋街の組合を通して契約したものです。はじめから組合の担当者の方が一貫して手続きしてくれています。その方を通さず、つまり、組合を通さずに、個人で取引金額変更の話をしようとするのは、契約違反になりますよ。」


「なぜ個人で交渉する事が禁止されているかはお分かりですよね? そんな事をすれば、『アイツだけ高い報酬を貰っている』と、他の鍛冶師の方から不満が出て揉める事になるからです。こういった例外を認めると、他の鍛冶師の方も『それなら自分も』と次々訴えてきて、収集がつかなくなります。ですから、必ず取引に関する交渉は組合を通して行っている訳です。」


「今回の注文は、一度に大量の品物が必要でした。ですから、鍛冶屋街の組合に話を持っていって、組合の方で組合に属している鍛冶師の方々に同じ条件で仕事を斡旋した訳です。それなのに、あなた一人だけ商品の値段を上げたいと組合を無視して勝手に交渉してくるのは、鍛冶屋組合全体の信頼を損なう行為ですよ。また、あなたのこの行動が組合に知られれば、組合でのあなたの立場も悪くなるのではないのですか?」


「どうしても元々の予算では予定の品を制作出来なかった、と言うのでしたら、まずは鍛冶屋組合にその旨を報告して下さい。そうすれば、組合の担当の方があなたの工房での状況を調べてくれるでしょう。そして、その訴えが妥当だと判断すれば、組合の方から金額を上げる旨をこちらに交渉してくれると思います。」


「もう一度言いますが、今回の取引は鍛冶屋組合との間に行われたものです。契約書類も、組合の担当の方が管理しています。個人での支払金や納品期日などの交渉は禁止されています。」


「お引き取り下さい。このままお引き取り下さるようなら、今のあなたのお話は聞かなかった事として処理します。しかし、これ以上無理を通そうとするならば、鍛冶屋組合の方にあなたの行動を連絡させてもらう事になります。」


 チェレンチーは男を刺激するつもりはなく、冷静に道理を説いて納得させたかったのだが……

 男は余程金に困って切羽詰まっていたらしく、チェレンチーの落ち着きはらった様子を見て、かえってカッとなり、ガタンと椅子を蹴って立ち上がると胸ぐらに掴みかかってきた。


「おいっ! こっちが下手に出てりゃあ、偉そうにベラベラ説教しやがって! 何様のつもりだ!」


「傭兵団なんて、ならず者の寄せ集めだろうが! こちとら、お前らみたいなクズには関わり合いたくないってのに、組合の紹介だから、仕方なく仕事を受けてやってんだぞ! なんだったら、俺は手を引いてもいいんだぜ! そうしたら困るのは、お前らじゃねぇのか? あん?」


 傭兵団に所属するとは言っても、元々戦闘は不得手のため訓練にも不参加で、今は専らティオの下で事務仕事を担当しているチェレンチーにとって、鍛冶で腕力を鍛えた男は脅威だった。

 作戦参謀となったティオの補佐をするようになってから、チェレンチーもティオの使いで時折下町の鍛冶屋街に商談に行っており、そこの鍛冶師達と接する機会が出来た。

 そして、噂に聞いていた通り、鍛冶師達は、特に下町の鍛冶屋街の男達は、気性の荒い者が多く、仕事で体が鍛えられている事もあり、乱暴な口調と態度で詰め寄られると、気の弱い者ならすくみ上がってしまう迫力があった。

 この時傭兵団を訪ねてきていた男も、特に上半身に隆々とした筋肉がついており、痩せ気味のチェレンチーに比べて、その体は一回り大きく感じられた。

 チェレンチーよりも年下のようだったが、童顔で大人しい雰囲気のチェレンチーの方が若く見える程だった。


 チェレンチーは、男に両手で胸ぐらを掴まれて、苦痛で顔を歪めながらも、必死に言葉を絞り出した。


「……う、ぐ……あ、あなたは、傭兵団を、嫌っている、のですか?……」

「当たり前だろう! お前らみたいな、社会のゴミを好きな人間なんて居る訳ねぇだろう! この、犯罪者の集まりが! 内戦が始まってから、人手が足りなくて警備が甘くなったからって、王都で好き放題やりやがって! お前らのせいで、俺達がどんだけ迷惑してると思ってんだ! うちの姉ちゃんだってなぁ、買い物に行く途中にゴロツキに絡まれて、慌てて逃げて転んだせいで足をケガしたんだぞ! 嫁入り前だってのに、傷が残るかも知れねぇんだぞ!」

「……」

「そんなお前らの仕事を嫌々受けてやってんだ! 少しは感謝して支払額を上げろってんだよ! これは迷惑料だ!」

「……で、す……」

「はあ? なんだって?」

「……ムダ、です……いくら私を脅しても、ムダです。……きちんとした手続きをしていただかない限り、元々の金額以上の支払いは、一銭たりともいたしません。……」

「こ、こっの、クソ野郎が!!」


 ここまで威嚇しても全く意見を変えようとしないチェレンチーに、男は沸騰したように頭に血を上らせ、思わずガッとチェレンチーの横っ面を拳で殴りつけていた。


「……カハッ!……」


 元々一切抵抗していなかったチェレンチーは、戦闘経験のなさから受け身も取れずに殴り飛ばされ、壁に背中を強打する格好で、ドッと倒れ込んでいた。


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