野中の道 #46
「ご老人は、本当にいろいろな事を知っているんですね。王城の中にもあなたの息の掛かった人間が居るのですか?」
ティオは、『紫の驢馬』に「あなたが『宝石怪盗ジェム』なのでは?」と追求されても、他人事のように涼しげな顔で、香草の香るお茶をのんびりと口に運びながら言った。
「ハハ、そこまで厳しく王城内の状況に目を光られている訳ではありませんよ。まあ、しかし、王城内にも私や私の組織に情報を流してくれる人間はチラホラおります。情報と言っても、世間話程度のものですがね。そういった訳で、王城内の宝物庫に盗みに入った人間が居るという噂も流れてきたのです。」
「これがなかなか興味深い事件だったので、私の組織内でもしばらく騒がれていました。ほら、盗みと言えば私ども裏社会方面の話題でしょう? そこで、このナザール王国一警備の厳しい王宮の宝物庫の財宝を盗めるのはどんな人物なのかという話になりました。この時に『宝石怪盗ジェム』の名前を挙げる者も何人かおりました。」
「『宝石怪盗ジェム』と言えば、ナザール王国では奴が出たという話は今までありませんでしたが、近隣諸国では神出鬼没の怪盗として広く名の知れた人物である事は、ティオ殿も当然ご存知のようですね。あまり詳しく話す必要もないでしょうが、念のために情報を整理しましょう。」
「『宝石怪盗ジェム』が働いたと思われる『盗み』には、いくつか特徴があります。……まず、その名の通り、『宝石』しか盗んでいかない事。……豪華な財宝を盗んでいく事もありますが、それには必ず財宝に見合った立派な宝石があしらわれている。逆に、いくら装飾が芸術的に素晴らしくとも、どんなに価値が高かろうとも、宝石がついていなければ決して盗まない。同じ宝物庫に、黄金で出来た有名な裸婦像があったとしても、ルビーのついた小さなイヤリングだけを盗んでいく、といった感じですな。時には、王笏のような大物から指輪のような小物に至るまで、金や銀で出来た細工の部分を残して、宝石だけごっそり抜き取っていく事もあったとか。また、ジェムが盗みに入った後、奴の痕跡を追っていた兵士達が、その街の質屋で、ジェムに盗まれた宝飾品全て、宝石を綺麗に抜き取られた形で流されていたのを発見した、という出来事もあったと聞き及んでいます。……それらの状況から『宝石怪盗ジェム』は、他でもない『宝石』を手に入れる事を目的に盗みを働いているというのが分かります。首飾りや髪飾りといった宝飾品を盗んでいく事はあっても、それはあくまでもそこにあしらわれている宝石の入手が目的であるので、その場で宝石を抜き取る余裕さえあれば、他の装飾部分は置いていく、といった所なのでしょう。」
「他にも……何重にも警備の敷かれた貴族や富豪の屋敷に悠々と忍び込み、ほとんど人に姿を見られずに立ち去っていく、という話も聞きますな。稀に見かけても、恐ろしく逃げ足が早いため、あっという間に見失ってしまうとか。おかげで、『宝石怪盗ジェム』の正体については、未だほとんど分かっておらず、せいぜい『男だろう』というぐらいの事しか私の耳にも伝わっておりません。……また、堅牢な宝物庫の宝箱の中からも、全く鍵を壊す事なく綺麗に解錠して宝石を盗んでいくとの事です。目的の物を盗んでいく以外にあまりに痕跡を残さないため、その屋敷の人間が盗みに入られた事自体にしばらく気づかず、点検のために宝物庫を開けてはじめて財宝が無くなっている事を知る、などという事もままあるとか。」
「つまり、『宝石怪盗ジェム』という人物は……おそらく男で……宝石にしか興味がなく……鍵開けが上手くて、身軽で、逃げ足が速いという、盗賊として卓越した能力を持っている訳ですな。」
「対照的に、一般的な盗みの手口は、強引に押し入ったのち、力任せに鍵を壊して宝箱をこじ開け、金目の物は種類を問わずごっそりと盗み出す、というものでしょう。そして、忍び込んで盗み出す過程のどこかで警備兵などに見つかって、戦闘になる事もままある。……これに比べると、ジェムがいかにすぐれた技能を持っているかが分かりますな。奴の噂を聞いて、裏社会の人間も『これは凄い』と感嘆する程です。また、ジェムは、宝石という高価な品を求めているために、貧しい人間の所には決してやって来ず、貴族や富豪といった警備の厳しい大きな屋敷ばかり狙うので、上流階級に搾取されているという意識の強い庶民達は、奴の活躍を胸のすく思いで聞いているようですな。脛に傷を持ち裏社会で生きる者達の中にも、表の社会の成功者を嫉む気持ちから、ジェムの事を英雄のように語る人間が居る始末です。……それだけ、『宝石怪盗ジェム』という人間は、その盗みの手口が非常識な程鮮やかで、他の追随を許さない優秀な盗賊という事になりますね。世に盗人は五万と居ても、あのような盗みが出来る人間は、私も、今までジェム以外聞いた事がありません。やっている事は盗みとは言え、すぐれた才能の持ち主でなければ成しえない事です。故に、才能を持たない平々凡々とした人間達が、奴の一挙手一投足に熱狂するのでしょう。」
『紫の驢馬』は、ティオのカップが減っているのを見て、ポットに手を掛け「お茶を足しましょうか?」と聞いてきたが、ティオは自分のカップに蓋をするように手を動かして、「今は要りません」と答えた。
そのため『紫の驢馬』は一人でお茶を飲み、喉を潤してから続けた。
「さて、今まで述べてきたのが『宝石怪盗ジェム』について、巷で広く知られている話ですが、ここからは、少し私の見解を述べさせて下さい。」
「世の人々は、ジェムが警備の厳重な屋敷に楽々と忍び込み、複雑な鍵を開けて財宝を盗んでゆくのを見て、奴の身体能力や技術の高さに注目しがちです。しかし、私が最も驚愕したのは、ジェムの情報収集能力です。」
「ジェムの盗みは、なるべく人に気づかれぬように、人に姿を見られぬように行われています。それを、『運動神経が良く、手先が器用だからだ』と結論づけるのはいささか早計でしょう。ジェムがどうして厳重な警備を掻い潜る事が出来るのか? それは、奴が盗みに入る屋敷やその周辺の情報を綿密に調べ上げているからに他ならないと私は推察しました。」
「おそらくジェムは、屋敷の内部構造や宝物庫の場所だけでなく、警備をしている兵士の位置や動き、使用人の数や状況、そして、どの経路で屋敷に忍び込み、街のどの道をどう走って逃げれば見つからないで済むか、調べ尽くし知り尽くしている。だからこそ、誰にも見つからずに悠々と大きな屋敷に入り込んでは、迷わず財宝を手に掴んで颯爽と逃げ去る事が出来るという訳です。……つまり、ジェムの鮮やかな盗みを可能にしているのは、事前に行われる細やかな情報収集なのです。……まあ、何が起こるか分からないのが世の常ですからな、ジェムがいくら綿密に計画を立てても予想出来ない事態も起こるのでしょう。それが、数少ないジェムの目撃談となっていると思われます。しかし、元々しっかりと危険回避を考え抜いた計画があるので、僅かなアクシデントであるならば、身軽で足の速いジェムは、とっさに逃げおおせる事はたやすいのだと思います。」
「盗みに入る屋敷を事前に下調べしておく……それはごく当たり前の事のように聞こえるかも知れませんね。しかし、ジェムが驚異的なのは、その下調べの時間の短さです。確かに、しばらく屋敷の使用人となって働きつつ内側から調べ抜いた上で盗みに及べば、かなり仕事はたやすくなるでしょう。ですが、ジェムは、一つの盗みに何ヶ月何年と時間をかけるような輩ではありません。一つの街にある貴族や富豪の屋敷を、三日と置かず次々盗みに入る。酷い時は、連日、または、同日に二件も盗みに入る事もあったようですな。ジェムがその街で生まれ育った土地勘のある人間ならば、もしかしたらそんな事も可能かも知れないと考える者も居るでしょうが、おそらく、ジェムは全くのよそ者と思われます。なぜなら、その二月程前、少し離れた街でも似たような事件が起こり、ジェムが街にあった目ぼしい屋敷を盗み回っているからです。……ジェムは、一つの街に着くと、大体一週間から半月、長くてもひと月程街の情報を探ったのち、片っ端からその街の屋敷の宝物庫を荒らしていき、盗む物が無くなると、フラリと次の街へと去る、そういう行動を繰り返しているようですね。」
「たった半月程で一つの街を調べ尽くすなど、普通は考えられない行動です。まして、金にあかせて私設の警備兵を数多く配置している金持ちの屋敷の内部を手に取るように知りえるというのは、もはや、『すぐれた』という言葉では済まされない、『常軌を逸した』情報収集能力と言うべきものでしょう。……私も、ジェムの噂を聞いた時には、まさかそんな事はあり得ないと考えていました。とても人間業とは思えなかった。しかし、一方で、もしも本当にそれが可能ならば、一体どんなふうにその膨大な情報を集めているのかと興味が湧きました。……情報は力であり、時に黄金よりも価値がある。それを、長年このナザール王都の裏社会を仕切ってきた私は、身に染みて良く知っていましたのでね。」
『紫の驢馬』は、飲み干したカップをカチリと折り目正しくソーサーに置き、改めてティオを正面から見据えてきた。
「時に、ティオ殿。あなたは、賞金首達の潜伏場所を王都の警備兵に売った際、その情報は自分一人で集めたものだと言いましたな?」
「一体どうやって? という私の疑問には、答えてもらえずじまいでしたが、その辺りはティオ殿にも事情があるので仕方のない事と諦めましょう。情報には価値がありますからな。その貴重な情報を他の人間よりもより多く取得する方法を秘匿するのは、優位性を保つためにも当然の事でしょう。」
「しかし、この一件で私は、ティオ殿、あなたが、このナザール王都に来て僅か半月足らずで、王都近辺に潜伏している犯罪者の情報を根こそぎ洗い出す程の驚異的な情報収集能力を持っているという事を知りました。」
「まさか、かの有名な『宝石怪盗ジェム』と同じような人間離れした情報収集能力をお持ちとは。あのような能力を持つ人間がこの世にもう一人居るとは、信じられない話ですな。」
「そして、あなたが傭兵団に入団してすぐに、王城の奥にある王宮の宝物庫に泥棒が入る事件が起こった。これはどんな偶然なのでしょうな? そして、不思議な事に、王宮の宝物庫から盗まれた財宝は、翌日全て王城の門扉の前に置かれていたのだとか。わざわざ王宮まで入り込んで盗んだお宝を、なぜ置いていったのかは全くの謎ですが……そのお宝の一部は、細工が施された金銀の土台から、綺麗に宝石が抜き取られていたというのが気になりました。幸い、外された宝石も一つの漏れもなくそこに置かれていて、ただ外されただけだったという事のようですが。なぜ、犯人はそんな妙な事をしたのでしょうね? そう言えば、宝石だけを外すというのは、かの『宝石怪盗ジェム』の特徴の一つでしたね。」
『紫の驢馬』は、グイッと片腕をテーブルの上に乗せて身を乗り出し、ティオに向かって意味あり気にニヤリと笑った。
それまでは上品に礼儀正しい所作で茶を飲んでいた『紫の驢馬』だが、そうして姿勢を崩し、老いた薄い唇を歪めて狡猾な笑みを浮かべている様は、なるほど王都の裏社会を何十年と仕切ってきた首領らしい悪辣な迫力が滲みだしていた。
「ところで、ティオ殿。先程私はあなたに秘蔵の宝石を売った訳ですが、その時のあなたの様子を見るに……随分と宝石がお好きなようですな?」
「……」
ティオは、しばらく唇を引き結んで黙り込んでいた。
表情は相変わらず掴み所のない能天気な笑顔だったが、背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま腕組みをし、片方の手をアゴに当てて、考え込む様子を見せていた。
が、やがて、ゆっくりと口を開いた。
「なるほど、そういった理由でご老人は俺の事を『宝石怪盗ジェム』だと推理したという訳ですね?」
「ええ。」
「私のこの推理にどこか矛盾があるのなら、遠慮なく言って下さい。是非ティオ殿の意見をうかがいたいですな。」




