野中の道 #45
(……やったあぁぁーー!! アレキサンドライト、ゲットオォォーー!!……)
(……いや、これ、マジで最高の逸品だぞ! 今までいくつか手に入れてきたアレキサンドライトの中でも一番品質がいい石かも知れない! いやいや、まあ、確かに品質は大事だけどー、もはやそんな事はどうでもいい気分だぜー! んっふふふふふふ、新しい宝石ぃー、新しいアレキサンドライトぉー! よっしゃぁー! 昨日に引き続き、宝石ゲットで超ラッキィー!……)
ティオは、最高品質のアレキサンドライトを手に入れた喜びを噛みし、内心絶叫しながらも、表向きは穏やかな笑みを浮かべた頬をわずかに上気させて、先程アレキサンドライトをしまった上着の内ポケットをそっと服の上から撫でた。
テーブルの向かいに座った『紫の驢馬』も、そんなティオの様子に、満足そうにテーブルの上で指を組んでは微笑みながら言った。
「ティオ殿に喜んでいただけたようで何よりです。」
「ええ、本当に。ご老人にはなんとお礼を言っていいか。」
「いえいえ、私の方こそ。まさか、あなたのような巷を騒がす有名人にこうして実際に会って話をする事が出来るとは思ってもみませんでしたから、夢のようですよ。」
「……え?」
ティオは、まだアレキサンドライトを手に入れた余韻に酔いつつも、ピクリと片方の眉を持ち上げた。
確かにティオの今の肩書きは「傭兵団の作戦参謀」であるし、昨晩、この地方で最も有名な賭博場『黄金の穴蔵』でたった一夜にして莫大な富を築いた『金貨一千枚の男』としても繁華街を中心に騒がれているようだった。
しかし、それをもってしても『紫の驢馬』が口にした「巷を騒がす有名人」という言葉は大袈裟に思えたし、「実際に会って話が出来た」という物言いも違和感あった。
ティオが、伸ばしっぱなしにしているために、額から大きな眼鏡のレンズの半分近くまで被っている前髪の下で、不審そうに眉間にシワを寄せていると、『紫の驢馬』は朗らかに続けた。
「……『宝石怪盗ジェム』……その正体は、あなたなのでしょう? ティオ殿?」
「……」
ティオは、しばらく是とも非とも返事をしなかった。
表情は何も変わらず、上着の内ポケットの中にしまったアレキサンドライトを服の上から撫でていた手をスッと下げただけだった。
ただ、この一瞬に、ティオの心の中で、ダン、ダン、ダン! と大きな音を立てていくつもの扉が厳重に閉ざされ、うっかり宝石を目の前にして緩いんでいた気持ちが、一気に警戒態勢へと引き上げられていた。
それでも、表情には一切出さず、いつものように掴み所のない飄々とした笑顔を浮かべているのは、さすがティオといった所だろう。
そして、さも「自分には全く心当たりがない」「いきなり訳の分からない事を言われて当惑している」といった態度で、落ち着いた口調で答えた。
「……失礼ですが、ご老人の勘違いではありませんか? 」
「当然俺も『宝石怪盗ジェム』というふざけた名前の盗賊の噂は耳にしています。しかし、まさか、それが自分だと思われるとは予想だにしていませんでしたよ。ハハ、『紫の驢馬』でも、こんな面白い冗談を言われるんですね。」
「確かに俺は宝石をそこそこ持っていますが、それは先程言ったように、あくまで気ままな一人旅の邪魔にならないよう持ち物は最小限にしておきたいという考えから、なるべく小さくて資産価値の高いものを選んだまでです。そんな理由もあって、宝石に対する知識も人並み以上にありますが、それだけの要素で、俺をあの『宝石怪盗ジェム』とかいう怪しい輩と判断したのですか? 失礼ですが、少し考えが飛躍し過ぎなのでは?」
ティオは淡々とかつ論理的に『紫の驢馬』の発言を否定したが……
しかし『紫の驢馬』も、彼は彼で、物腰柔らかな悠々とした態度を崩す事なく言葉を紡いできた。
「まず、私が、ティオ殿、あなたを『宝石怪盗ジェム』ではないかと思ったのは、昨晩『黄金の穴蔵』で、ドゥアルテが賭博用の資金にしようと持ち込んだ宝飾品を、あなたが自分の私財をはたいて買うと提案した時の事です。」
「ティオ殿の言動は、一見フワフワと掴み所のない無駄が多いように見えますが、実は理知的に計算し尽くされていて隙がない。うっかり間違ってミスをするのも、負けて悔しそうに嘆くのも、運が良かったと浮かれ騒ぐのも、自分の事をツキだけで勝って調子に乗っている馬鹿な若造だと相手に思い込ませ、油断させるためだった。私の見立てでは、本当のあなたは、恐ろしく頭が切れる上に警戒心が強く容易に他人に心開く事のない人間だ。特に昨晩は、あなたにとって決して失敗の許されない大一番だった。そんな場面で、あなたが気を緩める筈もない。」
「しかし、あのドゥアルテから宝飾品を買い上げる一幕だけは、そんなあなたに若干隙が見えました。その後しばらく浮かれていて、本来はまだ実力を抑えるべき所をうっかり勝ち過ぎしまい、慌てて負け続けて帳尻を合わせたように見えましたよ。ちょうど、例の『一点につき黒チップ一枚』という破格のレートでの最後の勝負が始まる直前の事です。」
「あなたのように頭の切れる警戒心の強い人間は、とにかくつけ入る隙がない。特に、ティオ殿は、完璧と言っていい程理路整然としていて全ての所作に無駄がなかった。」
「しかし、一旦あなたが全て計算ずくで動いていると分かれば、逆に、そうでない部分が自然と浮かび上がってくるものです。完璧で無駄のない言動の中に僅かに混じった綻び、違和感、ブレ……それが、あの、ドゥアルテの宝飾品を買い取った一件だった。」
『紫の驢馬』は自分の手元に置かれている清々しい草花の模様が描かれたカップの取っ手を上品に摘み、一口口に運んでから続けた。
「確かに、あの時、あなたはまだ最後の仕掛けに入っていなかった。昨晩のあなたの計画は、簡単に言うと、ターゲットであるドゥアルテを最初にある程度勝たせて気を大きくさせ、レートを上げて、その非常識に上がったレートの勝負で、今までの負け分が吹き飛ぶ程の大勝をする、というものでしたね。だから、あの時ドゥアルテに勝負を続けさせるために、あなたは私財をはたいても彼の持ち込んだ宝飾品を現金化させる必要があった。まあ、私財をはたいたと言っても、手元には買い取った宝飾品は残る訳ですから、多少手間はかかるものの、それを質屋にも売れば金は戻ってくる訳で、損にはならないように見えます。」
「しかし、あの時、あなたは、かなり強引にドゥアエルテに奴の持ち込んだ宝飾品を売らせた。わざわざ本職の商人を呼んで市場価格を査定させ、その上で銀貨百枚も高い値段で買い取った。いくらドゥアルテがゲームを続ける事があなたの計画に必須の条件だったとは言え、あなたにしてはやり方がやや大雑把だ。そして、その直後、浮かれてうっかり勝ち過ぎたりもしていた。まあ、あなたが気を抜くとあっさり勝ててしまうドゥアルテのドミノの腕にも問題がありますがね。」
「そんな、金でもなく、勝利でもなく……唯一、宝飾品、いや、宝飾品にあしらわれた『宝石』と、ここは言うべきでしょうな……その『宝石』の前で見せたあなたの隙……それを見て、ピンときたのですよ。」
『紫の驢馬』は、カップの上に浮いていた香草の葉を、指先でついと摘んで受け皿の端にのけると、再び一口二口、茶を喉に流し込んだ。
「私は、先程お話しした通り、ティオ殿が『黄金の穴蔵』にお仲間二人と共にやって来た時、既にナザール王都での犯罪者一斉検挙の事件について調べ、ある程度情報を持っていました。」
「警備兵に情報を売ったのは、身長185cm程の若い男で、黒髪に緑色の瞳、色あせた紺色のマントを身に着け、大きな眼鏡を掛けている、という部下から聞いていた外見の特徴だけでも、すぐにあなただと見当がつきました。また、『傭兵団の作戦参謀』を名乗っていた、というのも報告通りでした。」
「ティオ殿は余りご自分の外見は気になさらないのですかな? まあ、自分から『傭兵団の作戦参謀』だと身分を名乗っているぐらいですから、変装して逃げ隠れるつもりもないのかも知れませんが。……これは余計な老婆心でしょうが、ティオ殿の見た目は、あなたが思うよりもずっと目立ちますぞ。ただでさえも、人ごみから頭一つ抜ける程の高身長に加えて、その奇抜な身なりでは、周囲の目を引かない方が難しい。いや、むしろ、髪や眼鏡は、研ぎ澄まされた刀身を思わせるその端正な面立ちを隠すためですかな? ハハ、ここは深くは詮索しないでおきましょう。しかし、勘のいい人間の中には、あなたが普段はその身の内深くに押さえ込んでいる強烈な存在感に気づく者も居るに違いありません。もし、あなたが余り目立ちたくないと考えているのならば、その気配と共に、見た目にももう少し気を配った方が良いと思いますよ。……さて、話がズレましたな。」
「王都近辺の犯罪者達が一斉に検挙された一件から、私は、まだ見ぬあなたに興味を持っていました。何しろ、王都の裏社会を何十年と仕切っているこの私でさえ把握していない犯罪者達の隠れ家や潜伏場所を洗いざらいに知っている人間が居るというのですからね。一体どのような人物なのだろうと興味が湧くのは当然です。また、仲間が何人も捕まった事から、我々の組織に対して敵意があるのかも気になりました。私はさっそく部下に調べさせて、いろいろと情報を集めている所でした。……そして、確かに傭兵団には、現在『作戦参謀』を名乗る若者が居て、その容姿が城下の警備兵の詰め所に現れた人間と酷似している、おそらく同一人物であると思われる、という情報を掴んだのです。……そんなあなたが、堂々と『傭兵団の作戦参謀』を名乗って『黄金の穴蔵』にやって来たのですから、さすがに驚きましたよ。」
「私は、はじめ、犯罪者達の情報を売った人物には、何人もの部下、あるいは仲間が居て、彼らの協力の元、この膨大な量の情報を手に入れたのだと想像していました。……しかし、『黄金の穴蔵』にやって来たあなたを観察している内に、その考えは一転しました。」
「ティオ殿、あなたは、先程『この件には、傭兵団の他の人間には一切関わっていない。自分一人でやった事だ』と言っていましたな。普通なら、あなたに協力した人間をかばうための嘘だろうと考える所ですが、まあ、あなたの場合、本当にたった一人でやったのでしょう。あなたは、ただ正直に事実を語っただけだ。」
「私は、あれはティオ殿の単独行動だったのだと、あなたが『黄金の穴蔵』に連れてきた傭兵団の仲間を見て気づいたのです。……一人は、『牛おろしのボロツ』、なかなかの剛の者だ。もう一人は、このナザール王国が誇る大商会で新しい当主を陰で支えるべく子供の頃から徹底的に教育を施されたドゥアルテの異母弟、チェレンチー殿ですな。チェレンチー殿は、戦闘には不向きのようでしたが、商人としての能力が非常に高いと聞いていました。ああ、傭兵団の人間が『作戦参謀補佐』の肩書きで城下町で武具をはじめとした様々なものを購入しているという情報が私の元に届いていたのですよ。まあ、大半はあなたの指示だったのでしょうが、その人物、つまりチェレンチー殿の取引の様子を聞いて、目利きの確かさと真面目で正確な仕事振り、また、読み書き算盤に精通した事務処理能力の高さを感じました。……そんなボロツ殿とチェレンチー殿は、傭兵団で中核を成す者達なのだと推察しました。確かに、方向性こそ違うものの、あの二人の能力はズバ抜けている。あなたが自分の供として『黄金の穴蔵』に同行したのもうなずけるものです。」
「しかし、ティオ殿、あなたは、そんな二人と比べても、あまりにも異質だった。」
「飛躍的な進化を遂げ、驚異的な能力を手に入れた突然変異個体……それが私のあなたへの印象でした。動物の中にも、ごく稀に、他と比べて恐ろしく頑強なものや体の大きなもの、頭の良いものなどが生まれるでしょう? なんの因子でそうなるのかは分かりませんがね。長年社会の裏側からではありますが、人間という生き物をあまた見てきた私には、ティオ殿は、そういった一般の人間からは隔絶した突然変異に見えましたな。そう、ティオ殿、あなたは、もはや、人という種を超えた、全く別の新しい生き物のようだ。」
「そんなあなたを見て、私は……王都の犯罪者が一斉検挙されるきっかけとなった膨大な情報が、あなたから警備兵に渡っただろう事を確信しました。また、その情報をあなたがたった一人で全て集めただろう事も、素直に納得出来たのですよ。こう、ストンと、胸の中に自然と正解が落ちてくる、そんな感じでしたな。」
『紫の驢馬』はテーブルの中央に置かれていたカップと揃いのデザインのポットに手を伸ばし、飲み干した自分のカップに新たに薄緑色の茶を注いだ。
「その時、ふと思い出しのですよ。」
「大量の犯罪者の情報を警備兵に売った『傭兵団の作戦参謀』を名乗る若者であるティオ殿、あなたを、あなたのその人間離れした優秀さを『黄金の穴蔵』で目の当たりにして……そう、傭兵団……傭兵団と言えば、その兵舎がある王城内で、つい最近奇妙な事件が起こっていたのでしたね?」
「奥の王宮に正体不明の賊が押し入り、警備の厳重な宝物庫から財宝を盗み出すという事件が。」




