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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第六節>二色の誘惑
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野中の道 #43


「2ct以上はある、最高品質のアレキサンドライトですね。」


「アレキサンドライトは、昼の太陽の光のもとと夜のランプの光のもとではその色が劇的に変わって見えます。昼は青緑色に、夜は赤紫色に。この多色性がアレキサンドライトの一番の特徴であり、魅力であると言えます。当然、この色合いの変化がはっきりしているものの方が価値が高いのですが、それだけではなく、昼の青緑色、夜の赤紫色、この両方の色が単体でも美しい事が重要です。宝石ですからね、パッと見て美しいのが基本となる訳です。」


「しかし、残念ながら、アレキサンドライトの青緑色と赤紫色の二色は、両方が揃って綺麗に出る事は稀です。青緑色は良く見えるものの、あまり赤紫色に変化しなかったり、変化しても赤褐色のような色合いだったり、逆に、青緑色ではなく、黄色みの強い緑色だったり、といった具合に。色の濃さも大切で、品質の良くないものは、大体色が浅いものが多いですね。逆に濃過ぎてもいけないのですけれども。……また、アレキサンドライトは、大きな結晶がなかなか存在しないため、1ct以下の小粒のものが大半ですが、この石はそう言った意味でも2ct以上あって、非常に素晴らしいです。……更に、インクルージョンと呼ばれる不純物が多いと宝石としての本質である美しさが損なわれるため、透明度も重要になってきます。この石は、内部にほとんどインクルージョンや傷が見られません、ほぼ完璧と言っていいでしょう。……この大きさでこの透明度、色の濃さ、色の美しさ、二色の変化の大きさ、全ての要素が最高の状態です。ここまで品質の良いアレキサンドライトを探すのは、宝石商人でも至難の業でしょう。専門家でもなかなかお目に掛かれない、奇跡の一粒ですよ。……加えて、カットも大変素晴らしい。精緻なカッティングによって、多色性を持つ原石の美しさが余す事なく引き出されていて、煌めきも見事です。研磨職人の腕が一級品である事がうかがえます。……本当に、文句のつけ所のない、素晴らしい一石だと思います。」


 ティオは寄木細工のからくり箱の中に収められていたアレキサンドライトの裸石を親指と人さし指で摘んで、太陽の光にかざしたり、オイルランプの光に照らしたり、目に近づけてのぞき込んだりと、ためつすがめつつくづくとその美しさを堪能しながら……

 同時に、立板に水でこの宝石の巣晴らしを『紫の驢馬』に語っていった。

 ちなみに、ランプの方は「多色性を確かめたい」とティオが『紫の驢馬』に言うと、『紫の驢馬』がドアの外に居る警備の男に声を掛けて階下から急遽持ってこさせたものであった。


 本当は触れずに返すつもりだったのに、気づいたら宝石を手に持ってしまっていたティオは、もはや開き直って『紫の驢馬』の要望にそったていで宝石を解説する他なかった。

 「宝石酔い」で三分の一程意識が朦朧とした状態を、ティオは『紫の驢馬』の前で必死に隠し、丁寧な口調と態度を崩す事はなかったものの……

 やはり、どうしても興奮を抑えきれず、説明がやや上ずった早口になってしまっていたが、その辺は「あまりに素晴らしい宝石に感動している」と理由でなんとか誤魔化せただろうとティオは自分に言い訳していた。


 幸い、「芸術をたしなまない」と言っていた『紫の驢馬』は、宝石にそれ程深い造形はないらしく、「ご教授願いたい」との言葉通り、ティオの説明を、満足げな笑みを穏やかにたたえて興味深げに耳を傾けてくれていた。

 もちろん、『紫の驢馬』が設けた今日の会食の場を見るに、使われている食器やカトラリーなどはセンスの良さが感じられる上等なものばかりで、「芸術をたしなまない」というのは、彼の謙虚な物言いだと分かる。

 正確には、貴族や上流階級の相手をするために「芸術や高級品の知識を身につけている」が「芸術を解し楽しむ感性は持ち合わせていない」といった所だろう。

 『紫の驢馬』にとって、宝石は、ティオのように愛でたり収集したりする対象では全くなく、単に「価値のある物」「高価な物」という認識であるようだった。


 そして、そんなティオの読みは、今触れているアレキサンドライトからティオの異能力によって伝わってくる記憶とも整合性のとれるものだった。


(……アレキサンドライトの中に、『紫の驢馬』の記憶はほとんど残っていない。……)


(……まあ、もっと本気で探ればいくらかは情報を掘り起こせるだろうが、そこまでリスクを冒す必要はないだろう。別に俺は、この老人の秘密を知りたいとか、弱みを握りたいとか、そういうのはないしな。それに、『紫の驢馬』本人の前で変な動きをして不信を買いたくない。……)


 指先で触れた事によって、「鉱石との親和性が高い」という異能力を持つティオの中には、アレキサンドライトが記憶していた周囲の情報が自然と流れ込んできていた。

 まるで、水が高きから低きに流れるように、小さな水滴が大きな水滴に吸収されるように、泉から湧き出た水が小川を作って山を下り、いく筋も合流して次第に川幅を増しながら平原を流れ行っては、最後は大海に注ぐように……

 ティオが触れた宝石は、スッとティオに同調し、ティオの存在に包み込まれていった。


 ティオが指で摘んだ状態で軽く読み取った所によると……

 『紫の驢馬』は、本当にかなり以前にこの宝石をどこかの商人から義理半分で買い取ったようだ。

 それからは、どこか厳重な保管庫のような場所にしまい込まれており、ほぼ日の目を見ていない。

 『紫の驢馬』は、この宝石に対して特に感慨も思い入れも持っておらず、『黄金の穴蔵』を出た所でティオを呼び止め彼を会食に誘った後、ティオへの贈り物としてこの宝石を選んだ。

 そして、いくつか所持していた寄木細工のからくり箱の中からちょうど良い大きさのものの中にしまい込み、信頼を置いているこの『眠り羊亭』の女将に預けていた、といういきさつだった。

 アレキサンドライトの中に残っていた、ごくわずかな『紫の驢馬』の情報には、彼が自分で語った通り、日々質素とも言える生活を送っており、また夜は自分の組織下にあるいくつかの店で従業員に身をやつして勤勉に働いている事がうかがえたぐらいだった。

 『紫の驢馬』の非常にストイックな性格が感じられた。


(……この宝石と『紫の驢馬』の間には、「縁」と呼べる程の結びつきはないな。……)


(……俺は、宝石は好きだが、他の誰かが心から大切にしてる宝石には手を出さないようにしている。親の形見だったり、恋人や伴侶から贈られたものだったり。そういった宝石には、贈り主と持ち主の強い思いや大切な記憶が残っている。俺はそれを、人と人との「縁」になぞられて、宝石と人との間に「縁」が出来ていると考えている。仲の良い人々を強引に離れ離れにするのは、生木を裂くように非情な行為だ。宝石と人もまた同じ。「縁」が築かれている宝石をその持ち主から奪うのは、いくら宝石が好きで集めているとは言っても、絶対に超えてはいけない一線だと思っている。……)


(……が、このアレキサンドライトには、それがない。『紫の驢馬』は、この宝石の形式上の所有者だが、「縁」は築かれておらず、宝石は、ただ財産の一部としてそこにあるだけだ。……)


(……と言う事は、だ。……俺が貰っても、なんの問題もないな! アレキサンドライトも「俺と一緒に来るか?」って聞いたら「うん!」って言ってるしな! これからは、俺の宝石コレクションの一つとして俺が大事に……)


(……って、ダメだってのぉ! このアレキサンドライトは、正直、ホント、マジで、喉から手が出る程欲しいけど、『紫の驢馬』に借りを作る訳にはいかないからー、絶対ー! うわあぁぁーーんん!……)


 ティオは、号泣したい気持ちをググッとこらえて、スッと懐から取り出した宝石を扱う用の柔らかな布で、手にしていたアレキサンドライトの裸石を丹念に拭くと、そっと元のからくり箱の中に戻して蓋を閉めた。


(……ん?……)


 この時ティオは、何か小さな引っ掛かりのようなものを感じ取っていた。


 アレキサンドライトに触れた時、その中にわずかに残っていた『紫の驢馬』についての記憶。

 『紫の驢馬』は、自分のために金銭や高級品、芸術品、美女や美酒などを抱え込むような人間ではなかったが、特に貴族や上流階級向けの交渉カードとして、いつでも相手に合わせて有効的な「贈り物」を用意出来るよう、備えは万全にしてあった。

 今回のアレクサンドライトは、そういった『紫の驢馬』の豊富な手札の中から、ティオ用に用意されたものだった。

 自分の所持する様々な財宝の中で、ティオへの「贈り物」として最も相応しいと『紫の驢馬』が考えて選んだもの……

 それが、普段は全くと言っていい程物欲を見せないティオが、唯一強い執着を持つ、彼の最も好む宝石類だったのはなぜなのか?

 それは、単なる偶然だったのか?

 そこに『紫の驢馬』の老獪な思惑が絡んでいる可能性はないのか?


 普段の人一倍警戒心が強く慎重なティオなら、もっと気にかけて思索を巡らせていた事だろう。

 しかし、この時いつもの冷静さを欠いていたティオは、その微かに感じた違和感を、目の前を飛び過ぎていった小さな羽虫のごとくに、見なかった事にしてやり過ごしてしまったのだった。



「昼と夜で、青緑色から赤紫色へと、まるで別の石であるかのようにその色合いを変えるアレキサンドライト。」


「この宝石は……下町に住むどこにでも居そうな人のいい老人の表の顔と、王都の裏社会を仕切る厳格な首領としての裏の顔、そんな二つの顔を持つ『紫の驢馬』、あなたにとても良く似合う宝石ですね。」


 そんなこ洒落た言葉を添えて、ニッコリと微笑みながら、ティオは今度こそアレキサンドライトの入ったからくり箱を『紫の驢馬』の方へとテーブルの上でスッと押し戻していた。


「とても素晴らしい宝石でした。これからも大切になさって下さい。」

「おや、やはり受け取ってはいただけませんか? ティオ殿は随分と気に入っていたように思ったのですが。」

「気に入る気に入らないという問題ではなく、非常に見事な宝石でしたので良い目の保養になったという話です。」

「私からの好意は、ティオ殿にとって不快なものでしたかな?」

「そう極端な方向に結論を持っていかないで下さい。何も、友好的な感情を持ってくれているご老人の気持ち自体を否定している訳ではありません。先程も言いましたが、ご老人とは、どちらが上でも下でもなく、お互い踏み込み過ぎず干渉し過ぎず、良い距離感を保っていきたいのです。このような高価な宝石をタダで貰ってしまうのは、そんな俺の理想とする平等で貸し借りのない関係の範疇を超えてしまいます。ですから……」


(……ん?……)

 と、この時、『紫の驢馬』の機嫌を損ねないよう必死に丁重に断ろうとしていたティオは、ある事をピーン! と閃いていた。


(……いや、待てよ!……)


(……「タダで貰う」のは、確かに良くない。こんな高級品を受け取ると、俺は『紫の驢馬』に借りを作る事になり、二人の間のパワーバランスを崩す危険性があるからだ。って言うか、ぶっちゃけこれ、俺を懐柔する「賄賂」みたいなもんだしなぁ。なんと言われようと、絶対受け取れないっつーの!……)


(……だが、しかーし!……これが「タダ」でなかったとしたら?……)


 ティオは、思いついたその瞬間に、バッと色あせた紺色のマントをひるがえして、ザッと上着の懐から革の小袋を取り出していた。

 そして、それを、勢い良く、ダーン! とテーブルに置いて叫んでいた。


「買います!!」

「……え?」

「その宝石、いや、アレキサンドライト、『タダ』で貰う事は出来ませんが、代わりに、俺が自分の金で買い取ります!」


「これなら、俺とあなたは、依然として貸し借りなしの対等な関係でいられますよね? それにあなたの好意を無下にして、あなたに不快な思いをさせる事もなくなります。これぞ、一石二鳥、一挙両得の解決法でしょう!……買います! 買わせて下さい! 個人的には、是非その宝石は欲しいので、俺に売って下さい、よろしくお願いしますうぅ!!」


「……ティ、ティオ殿……」

 『紫の驢馬』はティオのあまりに必死な勢いに押されてしばらく呆然と目を見開いていたが、やがて「フフ」と楽しげに笑った。


「ティオ殿は、私が思っていたよりも愉快な方ですね。……フフフ。いや、失礼、悪い意味ではないのですよ。ただ、いつもは完璧無比に聡明で冷静なあなたが、幼い子供のように目を輝かせている姿を見る事が出来て、とても嬉しかったのです。」


「ええ、もちろん、ティオ殿がこの宝石を買い取りたいと言うのなら、喜んで交渉に応じましょう。先程も言いましたが、私のような宝石に特に興味関心のない年寄りが持っていても、宝の持ち腐れですからな。」


 人の良い好々爺の笑みを浮かべて優しい口調で語る『紫の驢馬』の言葉を受けて、ティオは……

「ありがとうございますぅ! 本当に本当に嬉しい限りですぅぅ!」

 と、涙を零さんばかりに喜んで、テーブルの天板に両手をつき、ペコペコ何度も頭を下げていた。


「……そうですか。やはり、あなたでしたか。……」

「……え? 今何か言いましたか?」

「いえ、こちらの話です。ところで、この宝石はかなり高額なものなのですが、ティオ殿の懐は大丈夫ですかな?」

「それは、問題ありません! ちゃんと考えがありますので!」


 『紫の驢馬』が、何かを確信したようにポソリと口走った言葉を、最高品質の希少な宝石が手に入る事で有頂天になっていたティオは、サラリと聞き流してしまっていた。


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