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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第六節>二色の誘惑
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野中の道 #42


「アレキサンドライト、ですね。」


 ティオは、開けたばかりの寄木細工のからくり箱の中に柔らかな絹を敷いて収められていた一粒の宝石を、その緑色の瞳を細めてジッと見つめながら、静かな声で囁くように言った。

 が、本心では、囁くどころではなかった。


(……ふおおぉぉぉーー!! やっぱりアレキサンドライトだったあぁぁーー!! しかも最高級品だぜえぇぇーー!! ひゃっふうぅぅぅーー!!……)


(……さっすが『紫の驢馬』だな! 宝石のチョイスが渋い上に、超いいもの持ってんじゃねぇかようぅ! 良く分かってんなあぁ! いい趣味してるぜ、マジでぇ!……)


 そう、ティオがこの『眠り羊亭』に足を踏み入れた時に、脳内に浮かぶ不思議な光として感じ取ったのは、このアレキサンドライトだった。


 ティオは「鉱石と親和性が高い」という異能力を持っていたが、特に宝石に関しては、三度の飯よりも好きな事もあり、自分を中心に半径10m以内にあれば感じ取れる程嗅覚が発達していた。

 それは、ティオが宝石を感知出来る距離に近づくと、自動的に、脳内のイメージとして、闇の中にその宝石独特の光が浮かび上がる、というものだった。

 普通の鉱石であっても、ティオは常人よりも遥かに敏感に感知出来たが、一般的に宝石と呼ばれる貴石や半貴石の類いは、珍しい成分が一点に集まり凝縮しているせいか、その在りかや状況が分かりやすかった。


 今回も、『眠り羊亭』内に宝石の存在を検知した時、脳内に浮かぶ光のイメージの特徴から、それが相当高品質なアレキサンドライトだという事もティオには見当がついていた。

 『紫の驢馬』の指示で、女将がお茶と共に寄木細工のからくり箱を持ってきた際にも、アレキサンドライトの反応が一階から階段を経由して二階のテラスに動いている事や、アレキサンドライトがからくり箱の中に密かに収められている事も、はっきりと感じ取っていたのだった。

 女将をはじめ、『紫の驢馬』の手下達は、そもそもこの寄木細工の立方体がからくり箱である事さえ気づいていなかったので、当然その中に希少な宝石が入っている事など知るよしもなかったが。


 ティオは気分を落ち着かせるために、先程女将が新しい茶を入れていったティーカップを口に運んだものの、うっかり一気に飲み干してしまい、内心慌てながら必死にすました顔でソーサーに戻した。


「ティオ殿、どうぞ、お手にとってご覧下さい。」

「え?」


 テーブルを挟んだ向かいの席から、『紫の驢馬』が、知らない人間が見たらただの人のいい老人のような笑顔で語りかけてきて、思わずピクッと頬が引きつる。


「いやいや、こんな高価なものに触れる訳には……」

「いえいえ、ティオ殿に今日の記念に差し上げたいと思っていたのは、その宝石の方だったのですよ。もちろんお気に召したなら、入れ物である寄木細工のからくり箱の方もお土産にご自由にお持ち下さい。」

「……」

「私は宝石にはあまり詳しくないのです。その宝石も、知り合いの宝石商から『大変貴重で価値があるので是非買ってほしい』と頼まれましてね。その時彼は少々商売に困っていたようでして、この宝石を売った金で商いを立て直すつもりだったのです。そこで、私がこの宝石を買い取る事で彼を助けたという訳です。その後、彼は無事商売を軌道に乗せ、私の手元にはこの宝石が残ったのですよ。何かの機会に貴族や国の高官と取引する際にでも役に立つかも知れないとずっと持っておりましたが、結局今まで使う機会のないままでした。……まあ、そんな訳でして、宝石に興味のない私には宝の持ち腐れですので、もし良ければティオ殿に貰っていただけたらと思ったのですよ。」

「……なぜ、俺に?」

「ティオ殿は、昨晩ドゥアルテが持ってきた彼の母親の所持品らしい高価な装飾品の数々を個人的に買い取られておられましたな。その時に、本職の商人顔負けの目利きであっという間に全ての品の値段を判断していました。そんなティオ殿になら、この宝石の本当の価値も分かるかと思ったのです。……それに、ティオ殿は一人で旅を続けているとの事。今はこの国の傭兵団に所属しておられますが、いつかは分かりませんが、内戦が終わった折にはまた旅に出る事もありましょう。その際には、持ち運びしやすく、値段が高く、世界中で普遍的な価値がある宝石類は、非常に利便性が高いのではと考えました。」

「……」

「まあ、ともかく、手に取ってもっと良くご覧下さい。私にはその宝石の価値がいまいち分かっていませんので、ティオ殿にこれを機会にご教授いただけたら嬉しいですな。」


 ティオは、再び悩む事になった。


(……て、手に取ってって……不用心過ぎないか? 例えば、俺が、この宝石を持って逃げるとか、素早くすり替えるとかしたら……って、まあ、しないけどな。このナザール王都の裏社会を仕切ってる『紫の驢馬』の前で、そんな事出来るかっての!……い、いや、頑張れば……って、無理無理無理! このお爺さん、俺が昨日の夜『黄金の穴蔵』でチェレンチーさん達とサインを使ってやり取りしてた事を、あの場に居た人間の中でたった一人見抜いてたんだぞ。人の良さそうな笑顔に騙されたらダメだ。この人の前で、チラッとでも隙を見せたら危険だ。気を引き締めておかないと。……)


(……そ、それにしても、手に取って見ていいのかぁ。そりゃあ、見たいに決まってるけどな、そんなもん!……でも、このアレキサンドライトは受け取れない。こんな危険人物に貸しを作れないってのは、最初から出てる結論だ。だから、いくら魅力的でも、この宝石が俺の手に入る事はない。……だったら、はじめから触らない方がいい。人は触れる事で鉱石と縁が出来るし、その記憶や情報が鉱石の中に残る。特に俺は、「鉱石との親和性が高い」っていう異能力のせいで、一度触った宝石とは他の人間の場合よりも強い縁が出来ちまう。……縁が出来た後で、やっぱり諦めなきゃいけないってのは辛いんだよ! そんなの、絶対後ろ髪引かれちまうだろ! だから、手に入らない宝石には、触らない方がいいんだ。……)


(……あー……あーあーあーあー……で、でも、この機会を逃したら、こんな上等なアレキサンドライト、次にお目に掛かるのはいつになるか分かんねぇよなぁ。……あああぁぁーー……)



 ティオは、この時、酔っぱらったような状態にあった。

 ティオ自身は、アルコールを少量でも口にするとすぐに睡魔に襲われて昏倒するように眠ってしまう体質であり、実際に酒に酔った事はなかったが……

 その代わり、「鉱石と親和性が高い」異能力と無類の宝石好きのために、質の良い宝石に遭うとグラグラと脳が揺れて意識が朦朧としてしまうのだった。

 困った性質といえば困った性質なのだが、宝石に「酔った」状態は、ティオにとって最高の美酒に酔いしれているのと同様で……

 たまらなく甘美で、うっとりと夢心地になり、多幸感に包まれる状態でもあった。

 しかし、同時に、半ば理性が飛んでしまうため、ナイフのように鋭いいつもの冷静沈着な判断が狂ってしまうという、大いなる弱点でもあった。

 しばらく宝石に接していれば、次第に宝石に馴染んでいって、だんだんとその状態も落ち着いてくるのだが……

 新しい宝石を手に入れたばかりの時は、普段は人一倍警戒心の強い筈のティオが、フラフラと隙だらけになり、特に一度に大量の宝石を手にすると、その症状は酷く出る傾向があった。


 昨晩、ドゥアルテが金に替えて賭博に使おうと『黄金の穴蔵』に持ってきた彼の母親の宝飾品類は、確かにかなりの数の宝石があしらわれていた。

 しかし、夫人は見栄えを重視し、宝石の質に強いこだわりがなかったせいで、使われていた宝石は一般的な部類だった。

 デザインや豪華さに重きを置き、宝石はあくまでジュエリーを彩りと高級感を添えるもの、という視点で作られるのが宝飾品としては普通だった。

 逆に、ティオのように、宝石にしか興味がなく、どんなに職人の高い技術による芸術的かつ繊細な装飾が施されていようと、後は不純物、邪魔なものと考えている人間は稀だろう。

 特にティオは、芸術には明るくないため、宝飾品を全体的なデザインの観点で見る事はまずなかった。

 ともかくも、ドゥアルテの母親のジュエリーが、一般的なデザイン重視のものであったので、そこにちりばめられていた宝石は、ティオとしてはまずまずといった質のものであったのだった。

 まあ、それはそれとして、宝石大好きなティオは、ホクホク買い取った訳だが。

 それ程高品質な宝石ではなかったため、ティオはその時はさほど「宝石酔い」に悩まされる事はなく、内心テンションが上がったぐらいで済んだのだった。



 この「宝石に酔った状態」で、ティオはごく最近、ほんの半月程前、酷い失態をしていた。

 そう、ナザール王城の奥の王宮に忍び込み、ごっそりと国宝である宝飾品を盗み出した時である。


 この時のティオは新しく手に入った大量の上質な宝石に酔っぱらった状態にあり、そのせいで、うっかりサラに、巷で『宝石怪盗ジェム』として知られている正体がバレてしまった。

 警備兵から逃げて、傭兵団の宿舎内で人気の少ない少し離れた場所にあるサラの部屋に侵入し、ベッドの下に隠れたまでは、まだギリギリなんとかなっていたが……

 騒ぎに気づいたボロツがサラを起こしに来て、サラは念のためボロツと傭兵団の兵舎内を見回りに行こうと着替えを始めた。

 その時、裸になったサラの胸に、ティオがずっと探し続けていたくすんだ赤い半球型の石がペンダントとして下がっている見た時、ブチッと、大きな音を立てて、ティオの理性は完全に飛んだのだった。

 「宝石酔い」の状態に加えて、目の前に突如として現れたティオの中で最高の重要度を持つ赤い石により、ティオは、身を隠していた事さえ忘れて、すぐさまベッドの下から飛び出し、サラに詰め寄っていた。

 こうして、サラに『宝石怪盗ジェム』としての悪行の数々がバレたティオのその後の展開は、もはや語るまでもない。

 傭兵団の作戦参謀となり、様々に傭兵団を改革し、多大な功績をあげてきたティオだったが、その始まりは、こんなティオの間抜けな失敗だった事は、ティオ本人とサラだけが知っていた。



 ティオの「鉱石と親和性が高い」という異能力は、情報収集の面で驚異的な効果を発揮し、様々に応用の効く非常にすぐれたものである。

 が、その一方で、「宝石酔いで理性が飛んでしまう」という性質は、ティオの二大弱点である「極度の刃物恐怖症」「酒を飲むと昏倒する」と並ぶ大きな問題となっていたのだった。



 そして、今、ティオの目の前にあるのは、数こそ一つではあったが、最高品質の宝石だった。

 ティオが重視するのは、まさに宝石の品質であり、かつ『宝石怪盗ジェム』という本人にとってはありがたくない通り名をつけられる程あまたの宝石を世界各地で盗み回っていたティオでさえ、滅多にお目に掛かる事のない希少な種類の宝石だった。

 まだ手を触れていないものの、間近で直に見るだけで、頭がグワングワンと大きく揺れる感覚があった。

 ワインに例えるなら、注いだワインをグラスの中でゆっくり回しながら立ち上がってくる芳香にうっとりとするような状態である。

 ワインの持ち主からは「差し上げます」「手に取ってご覧下さい」と、そのグラスの中身を賞味する事を許可され、勧められていた。

 一番の好物を好きに飲み干していいと言われて、飲まずにいられようか。


(……って、ダメだダメだダメだダメだ! 絶対にダメだ! やっぱり、ここは、キッパリ断るべし!……)


 ティオは、ギリギリと人知れず奥歯を噛みしめて必死に欲望を押さえ込み……

 蓋を開いた状態の寄木細工のからくり箱を、向かいの席の『紫の驢馬』に返すべく、自分から離すようにテーブルクロスの上で押し返そうと試みた。

 同時に、ティオは、ニッコリと満面の笑みを浮かべて言った。


「では、お言葉に甘えて、少しだけ手に取って見させていただきますね。」


 ティオは、自分の指先に、からくり箱に収められていた筈の宝石が摘まれている光景を見て、自分を思いっきりぶん殴りたい気持ちになっていた。


(……だああぁぁーー!!……何やってんだよ、俺はぁ、もううぅぅーー!!……)


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