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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第六節>二色の誘惑
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野中の道 #40


「ティオ殿に差し上げたい物がございます。」


 『紫の驢馬』はそう言って、テラスの端の手すり近くから、先程食事をとっていたテーブルへとティオを促した。

 それぞれ、前と同じ椅子に静かに腰を降ろす。


「賞金首に関する件では、少々ティオ殿を脅かしてしまいましたからな、そのお詫びと言いますか。忙しい合間を縫ってわざわざこんな所まで足を運んで下さったお礼と言いますか。あるいは……」


「これを機会に、ティオ殿とは良い関係を保っていきたいと思っておりますので、そのお近づきの印と言いますか。」

「いえいえ、お気遣いは無用ですよ、ご老人。」


 一見好々爺の笑みを絶やさない反面、相変わらず腹の内には何やら厄介な思惑がありそうな『紫の驢馬』の前で、ティオは遠慮した態度を丁寧にとりながらも、ハッキリと言い切った。


「それに、あなたには借りを作りたくないのです。」


「一応今の俺は表の社会で生きている身です。いくら世間に『ならず者の寄せ集め』と言われている傭兵団であっても、その作戦参謀という立場にある俺が、裏社会の首領である『紫の驢馬』と何やら繋がりがあるらしい、などとという噂が立っては体面が悪いのです。」


「あなたと組む気はありません。とは言え、あなたと敵対する気もない。何度も言っていますが、俺は平和主義者ですので。」


「お互いの利害をそこなわないよう気を配りつつも、適切な距離を保って不可侵の関係を続ける、それが俺の理想とする所です。はじめに言った通り、あなたとはあくまで『対等な関係』でいたいのです。」


「このナザール王都の裏社会を仕切るあなたとこうして腹を割って話をする機会を持てたのは、確かに俺にとってとても有意義な事でした。過酷な環境で長く生きてきたあなたの見識や助言は、まだまだ若輩者の自分には、なかなかに得がたい素晴らしいものだったと思っています。……ですが、俺は、これ以上あなたの領分に深入りしたくないのです。あなたからの過剰な援助も受けたいとは思っていません。あなたとは、これからも、『良き隣人』の立ち位置のまま、俺は俺の力で自分の仕事を全うするつもりです。」


 そんなティオの答えに対し、『紫の驢馬』は、機嫌を損ねた様子もなく、むしろ穏やかに会心の笑みを浮かべた。


「さすがはティオ殿、この老いぼれ相手にもなかなか隙を見せてはくれませんな。年寄りにはもう少し優しくなってくれると、こちらとしてはありがたいのですがね。」

「ご老人は確かに俺より相当長く生きておられますが、『老いぼれ』ではないでしょう。老い衰えているようには全く見えませんよ。あなたとこうして対峙していると、気が休まる時がありません。あなたに隙を見せるなど、恐ろしくて、とてもとても。」

「ハハ。これは上手くかわされましたな。……とは言え、ティオ殿のために用意した贈り物です。受け取る受け取らないはともかくとして、一目でも見てもらえるとこちらとしては嬉しいのですがね。ここは私の顔を立てると思って、どうでしょう、見るだけでも。」

「……」


 ティオはこの時、少し逡巡した。

 普通なら、この場面ではやはり「申し訳ありませんが」と相手の機嫌を損ねないように気を配りながらもキッパリと断るべきだろう。

 それはティオにも分かっていたし、普段のティオなら『紫の驢馬』につけ入る隙を見せまいと、即座に決断していた筈だった。

 しかし、この時のティオには、実は珍しく心に迷いがあった。

 なぜなら、『紫の驢馬』が「差し上げたい物がある」と言った時、ピンと頭の片隅に閃くものがあったからだった。


(……もしかして、「あれ」か!?……)


(……もし、『紫の驢馬』が俺に是非とも見せたいと言っている物が、この『眠り羊亭』に入った時に感じ取った「あれ」だとしたら。……)


 ティオは、一瞬眉根を寄せて真剣な面持ちになったが、すぐに、自分の内心を悟られないよう、いつものように能天気な程明るい笑顔を浮かべて言った。


「では、見させていただきます。本当に見るだけですけれども。」

「それは良かった。こちらも苦労して用意したかいがあるというものです。では、すぐに持ってこさせましょう。ついでに、お茶も新しく入れましょう。すっかり冷めてしまいましたので。」


 そう言って、『紫の驢馬』はテーブルの端に置かれていた真鍮の呼び鈴を手にして振った。

 その繊細な唐草文様の装飾に似つかわしい上品な音がチリンチリンと響き、テラスのドアの外で警備にあたっていた男が、ドアを開け一礼して歩み寄ってきた。

 今この『眠り羊亭』の周囲で警備にあたっている者の中で最も剣の腕の立つ人物で、腰には使い込まれたシンプルな片刃の剣を提げていた。


「女将に新しいお茶と、前もって預けてある物を持ってくるように伝えてくれ。そう言えば伝わる筈だ。」

「分かりました、親父。」


 武骨ながらも礼儀正しく返事をして、男はテラスを後にし、階段を下りていった。

 そんな様子を、ティオは内心ソワソワと沸き立つ気持ちをひた隠しにし、素知らぬ顔で眺めていた。

 自分が、海千山千の『紫の驢馬』の術中にはまりかけている事に気づかずに。



(……ん!……)


 ティオが、「それ」の存在に気づいたのは、下町の迷路のごとき細い路地を抜けて『眠り羊亭』にたどり着き、一階正面のドアを開けて、一歩店内に踏み入った時の事だった。


(……ある!……近いぞ!……)


 ティオの脳裏に、コウッと独特な光が浮かび上がっていた。

 ティオがそれらを見る時の特殊な感覚だった。

 ティオの目には、通常通り、下町のありふれた大衆食堂の光景が映っていた。

 そういった肉体の目に頼った視覚とは全く別の部分の、頭の中に浮かび上がるイメージのような感覚で、ティオはもう一つの風景を見ていた。

 例えば、何かの姿を思い描く時、人間はその映像を自身の記憶から抽出し頭の中で具現化する訳だが、ティオの脳裏に自然と浮かんでくる「像」はそれに良く似ていた。


 その光景を、ざっくりと説明するならば、目を閉じた時の暗闇の中に、遠近に点々と光が灯っているような状態だった。

 光は様々な色を帯びている事があり、また大きさや輝き方もそれぞれ個性があった。

 その光は、いつもティオの脳裏に浮かんでいる訳ではなく、それがティオの身近に「ある」時には灯り、「ない」時には灯らず一面闇ばかりとなる。

 稀に、ぼうっと酷く遠くに光っているものを感じる事もあったが、その場合は詳細や場所が分かりにくかった。

 また、パラパラと星くずように小さな瞬きが群れを成しているのを、足元深くを流れる天の川のごとくに感じる事もあった。

 ティオ本人でさえも、その法則性のようなものはまだ完全に把握していなかったが、ただ、今までの経験から……

『自分を中心に半径約10m以内に「それ」らがあれば、ほぼ間違いなく感知出来る』

 という事をティオは知っていた。


 この時も、まさに『眠り羊亭』に踏み入った所で、ティオの脳裏に、突如光が灯った。

 つまり、ティオの感知出来る範囲内に「それ」が入ったという事が推察出来た。


(……こんな強烈な反応は久しぶりだな!……)


(……ってか、なんでこんなものがここにある?……ああ、そうか、ここは『紫の驢馬』が指定してきた会談の場所だったな。となると、『紫の驢馬』の持ち物、という可能性が高い。本人が持っているとは限らない。どこかに隠されているか、他の人物に預けている事もあるだろう。しかし、持ち主は、間違いなく『紫の驢馬』だろうな。こんなもの、普通の人間が持っている筈がない。……)


 ティオは、『眠り羊亭』の中で待っていた『紫の驢馬』の護衛達によって身体検査を受けながら、平然とした顔でさり気なく目だけ動かし、ザッと店内を見回した。

 どうやら今日は一般の客はおらず、この店を経営している厨房に居る夫婦を除いて『紫の驢馬』の手下達が詰めている様子だった。

 おそらく、店のドアの外に掛かっていた蹄が描かれた看板が、「訳あって貸し切り」の合図なのだろう。

 「なぜ蹄なのか」という理由はほとんどの者には分からないのだろうが、ティオのように事情を知る者には『紫の驢馬』を連想させる「ロバの蹄」なのだと想像がつく。

 既に『眠り羊亭』に近づく過程で、この店の周りに包囲網が敷かれている事にもティオは気づいていたが、彼らの身のこなしや気配から言って、『紫の驢馬』を頂点とする組織の中でも、かの秘密多き老人の護衛を専門にしている者達なのだろうと踏んでいた。

 『紫の驢馬』が仕切っているナザール王都を中心とする裏社会の組織の規模は大きく、末端の者達は自分達の頭領の顔も知らぬ者が多いに違いないが、この店に詰めているのは、そうした一般の構成員とは一線を画す、言わば『紫の驢馬』の近衛兵のような戦闘や護衛に特化した人員だとティオは察していた。

 ティオは、彼らの配置や推し量った能力を頭に入れると共に、『眠り羊亭』の構造もすぐに把握した。


 それらの行動は、ティオが、ナザール王都の裏社会の首領である『紫の驢馬』に招かれて、彼の領域深くまで踏み入っている事を特段危険視していたためにした事ではなく……

 ただ、いつも息を吸って吐くようにしている事に過ぎなかった。


 ティオは「鉱石に残った記憶を読む」という異能力のために、物心ついた時から自身の周りにあった石を手に持って、様々な情報を読み取っていた。

 ティオにはその自覚が長らくなかったが、彼が日々当然のごとくに摂取していた情報は、一般的な人間の数十倍から数百倍にも及ぶ量だった。

 慣れない人間が取り込もうとすれば、とりとめもなく溢れてくる膨大な情報を処理出来ず、酷く混乱するか重篤な疲労に襲われる所だが、ティオは元々情報収集と情報処理に適した性質を持っていた。

 ティオは、その非常に高い情報収集能力故に「鉱石に残った記憶を読む」という異能力を遺憾なく発揮する事が可能であり……

 また、一方で、非常に高い情報処理能力故に、異能力によって得た渾沌とした膨大な情報の渦の中でも、日々平然と過ごす事が可能だったのである。

 そんな、普通の人間が常時浴び続けたら気が狂いそうな程の情報の氾濫の中で生きてきたティオだからこそ、今から約二年前に『精神世界』を認識し、自身の精神領域にある『不思議な壁』と身近に接するようになってからも、人格が崩壊する事もなく、なんとかやり過ごす事が出来たのであった。

 もはや、ティオの中で、驚異的な情報収集能力と情報処理能力、そして「鉱石との親和性が高い」という異能力は、不可分に結びついており、そのどちらもがティオにとっては日常茶飯事のレベルでごく自然に常時発揮されている状態となっていた。


 この時も、ティオは「いつものようにごく自然に」……

 『眠り羊亭』の建物の構造や、家具や備品の配置、その中に居る人間のおおまかな見た目や雰囲気、想定される能力から服装、装備品まで、ものの数秒程で全て把握していた。

 そして、それと平行して、脳内の全く別の領域で、闇の中に灯る不思議な光を見ていた。

 その光は、小さくもどこか鋭さを感じさせる煌めきを放ち、青緑と赤紫の色彩が入れ替わり立ち替わり現れ、時に混在するという際立った特徴を持っていた。


(……どこだ? どこにある?……)


(……あー、普段だったら、もっと集中して探すんだけどなぁ。今は状況が状況だ。下手に動けない。……って言うか、たとえ見つけた所で、どうせ『紫の驢馬』の持ち物だろ。おっかなくて手なんか出せないっての。……)


(……はあぁぁー、残念だなぁぁー。……)


 ティオは、内心特大のため息を吐いて、脳内に浮かぶ魅力的な光を諦めた。

 とは言え、いつもの習慣で、「それ」の位置だけは密かに探り続けていたが。

 『紫の驢馬』の警備をしている男による身体検査を終えたのち、階段を上って二階のテラスに移動する事になったティオだったが、だんだんと光の反応が遠くなるのを感じていた。

 一度その光を捉えてしまえば、後は、10m以上離れても、かなり遠くの距離まで光を知覚する事がティオには可能だった。


(……この感じだと、一階にあるな。やっぱり『紫の驢馬』本人が身につけて持ってるって訳じゃなさそうだ。……)


(……こりゃあ、ますますお目に掛かる機会はなさそうだなぁ。はあぁぁー。……)



 そうして感知した光の事を諦め、『紫の驢馬』との会談に臨んでいたティオだったが……

 『紫の驢馬』が「差し上げたい物がございます」と言った時、ピンとこの『眠り羊亭』に入った時に感じたあの光を思い出していた。


(……もしかして、「あれ」か!?……)


(……『紫の驢馬』程の人物だ。こうして個人的にわざわざ席を設けて話をする相手に贈るものとして「あれ」を選ぶというのは、あり得る話だ。……)


(……この腹の底の見えない老獪な人物にタダで物を貰うのは得策じゃない。下手にこの男に借り作って、後になってから「あの時の借りを返して欲しい」と、無理な要求をされでもしたら厄介だ。だから、「贈り物は受け取らない」これが正着だ。ここは、『紫の驢馬』の機嫌を損ねないよう気をつけながら丁寧に断るべきだ。……)


(……で、でも、『紫の驢馬』が言っている俺への贈り物が、もしも「あれ」だとしたら……正直な所……もう、ぶっちゃけ……)


(……物凄ーく欲しいんですけどおぉぉーー!!……)


 ティオは、ほんの一秒にも満たない間にその聡明な頭脳をムダに回転させて、ゴチャゴチャと懊悩した。


(……い、いやいやいや、貰っちゃダメだろう! これ、絶対貰っちゃいけないヤツー! 断固断るべき!……グググググ……いや、分かってる! 分かってるけども! こんな千載一遇の機会を見逃すなんてありえない! 出会いは一期一会なんだぞ! もう二度とないかも知れないのにぃ!……ああぁぁあ!……)


(……み、見るだけ! ちょこっと、ほんのちょこーっと見るだけなら!……そ、それなら……ハァハァ……も、問題は、ない、筈!……ゼェゼェ……手に入れるは無理でも、これだけのブツ、チラッとでいいから、この目で拝んでみたいぃぃー!!……)


 ティオは、必死に自分に言い訳をして、『紫の驢馬』に微笑みかけた。

 

「では、見させていただきます。本当に見るだけですけれども。」


 ティオとしては、『紫の驢馬』に自分の手の内を見せないよう、いつも通りの掴み所のない笑顔を取り繕ったつもりだったが……

 胸の奥に湧き上がる大き過ぎる期待のせいで、その唇の端にはほんの少しばかり本気で嬉しそうな笑みが零れていた。


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