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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第五節>白馬に乗った少女
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野中の道 #39


「……そうです。まず、左側のあぶみに左足を乗せます。……そうそう、そこで、右手で鞍を掴んで右足で地面を蹴って、体を持ち上げるんです。……右手で体を支えて、右足を馬の尻側を越すように向こう側へ回します。そして、鞍に腰をおろす。……そうしたら、右足も右側のあぶみに乗せましょう。……ええ、いい感じですね。……じゃあ、今度は降りる時の練習をしてみましょうか。……」


 馬の乗り方を小隊長に指導していたチェレンチーの耳に、ティオの声が聞こえてきた。

 厩舎の前の馬場に居る人間全てに注意喚起が届くように声を張ってはいるが、どこかいつもの能天気な雰囲気だった。


「すみませーん! サラが馬に乗って走ってますんで、皆さん気をつけて下さいねー! 巻き込まれないよう、充分距離をとるようにお願いしまーす!」


 思わず気になって、目の前の指導中の馬のたずなを握りしめたまま、チェレンチーは視線を巡らせた。


(……サラ団長、全く馬に乗った事がなかったみたいだけど、もう走れるようになったんだ。凄いな。……)


(……って、えええぇぇ!?……)


 チェレンチーの視線の先には、白馬のたずなを両手で握りしめた状態で、ブランブラン宙に浮いているサラの姿があった。

 驚きでアゴが外れそうになる程口を開けるチェレンチーと、同じ光景を見たと思われるボロツの「サッラあぁぁぁーー!!」という裏返った悲鳴が響き渡る。

 サラは、馬に乗っている……と言うよりも、馬に引きずられている、と言った方がいい状態だった。

 ただ、サラが小柄で体重が軽い事と、馬が猛スピードで走っているせいで、まるで喜劇の演出のように、見事に体が宙に浮いてしまっていた。

 もちろん、軽量とは言っても重さはあるため落ちてはくるものの、馬の体にぶつかってポーンと弾んでは、再び宙に投げ出され、また落ちてきて、ポーンと弾み……を繰り返しているので、ボヨンボヨン、ブラブラと、宙に浮いているように見えるのだった。


「……ど、どういう事? ふ、普通だったら、大事故になってると思うんだけど?……」

「ああ、大丈夫ですよ、チェレンチーさん。サラは、普通の人間の百倍は丈夫ですから。」

「ティ、ティオ君? じょ、丈夫って、そういう問題?」


 いつの間にかチェレンチーのそばに歩み寄っていたティオが、小隊長の一人が乗っていた馬の額を笑顔で撫でながらアッサリと答えた。

 実際、普通の人間があれだけの速度で走る馬に引きずられたら、馬の体に接触するたびに骨の一、二本軽く折ってしまう所だ。

 まあ、その前に大抵の人間は、たずなを放して地面に落ちて終わるのだろうが。

 たまに、馬の背からズリ落ちた状態でありながらたずな等の紐が手や体に引っ掛かったまま取れずに馬に走られると、ああいった状態になり、全身を酷く打撲する羽目になるどころか、打ち所が悪いと最悪な事態に陥る事もありうる。

 チェレンチーやボロツをはじめとした傭兵団の面々は、サラがたずなだけを握りしめて宙に浮いている様子を見て、そんな状況を思い描き青ざめたのだったが……

 良く見ると、サラは、自分から両手でガッシリと馬のたずなを掴んでおり……

 しかも、満面の笑みで「キャハハハハハッ!」と有頂天な笑い声を上げていた。

 全身打撲で痛がっているどころか、子供のようにはしゃいで、とても楽しそうだった。

 普通の人間ならボロボロの大事故になる所を、全く無事な様子でキャッキャとはしゃいでいるサラの姿を見て、それはそれで、別の意味で「ええぇぇ……」と思わずドン引いた声を漏らすチェレンチーだった。


「おーい、サラー、ちゃんと鞍を使えよー! それじゃあ、馬に乗ってるとは言えないぞー!」


 皆が呆然とする中で、ティオだけがのんきにサラに指示を出していた。

 当然、周囲から(何言ってんだ、コイツ?)(嘘だろ?)(助けなくていいのか?)といった非難の視線を浴びていたが……

 相変わらず暴走を続ける白馬にブランブラン揺られているサラからは「分かったー」と明るい声が返ってきた。

 と、思うと、ブワッと一際大きく宙に跳ね上がった次の瞬間、サラは体を柔軟に捻って態勢を変え……

 ジャジャーン! と鞍の上に両足を揃えて直立不動で立った。

 もちろん両手はしっかりとたずなを掴んだままであり、しばらくその状態で鞍の上に立ったまま、金の三つ編みをなびかせて馬を走らせ続けていた。

(……え、えええぇぇー!?……)

 ますます、チェレンチーの頭の中には、疑問符と感嘆符が同時に入り乱れた。


「違う違う、サラ! 鞍の上に立つんじゃない! 座るんだよ! 鞍は座るものだ! 座れ!」

「えー!? 座るの難しいよー、ティオー!」

「お前なら、出来る! 頑張れ! そんなんじゃ、馬を乗りこなしたとは言えないぞ!」

「う、うーん、難しいけど、頑張るー!」


 サラは、バッと鞍を蹴って上空に飛び上がったかと思うと、パッと両足を大きく広げて、そのままターンと鞍の上に座るように見事着地した。

(……おお! さすがはサラ団長!……)

 とチェレンチーが感嘆しホッとするのも束の間、そのままボンボンと大きく弾んで落ち着かない状況がしばらく続き……

 ハッと気がつくと、再び、ジャジャーン! と鞍の上に直立不動で立ち上がった状態に戻っていた。

 それどころか、「わーん、鞍に座るの難しいよー!」と言いながら、鞍に片手を突いて逆立ちした態勢になったり、鞍の上で体をピーンと伸ばしたまま仰向けになったりもしていた。

(……ええぇぇ? な、なんでぇ? どうしてそうなるの? わざと? ひょっとしてわざとやってるの? 曲乗り?……って言うか鞍に普通に座るよりそっちの方がずっと難しいと思うんだけど?……)

 すると、また、ティオのアドバイスが飛ぶ。


「サラ、あぶみだ! あぶみに足を乗せろ!」

「あぶみって何よー、ティオのバカー!」

「あぶみってのは、これだ、これ! これに両方の足を突っ込むんだ!」

「あー、それかー。……分かったー、やってみるー!」


 そう言って、ティオは、そばに立っていた馬のあぶみをサラに指で指し示し、サラも納得したようだったが……

 そのしばらく後に完成したサラの態勢は、左側のあぶみに両足を突っ込んで、右手でたずなを掴み、左手を水平にバーンと大きく広げるというものだった。

(……だ・か・ら! どうしてそうなるんだよ!……)

 チェレンチーは、温和な童顔の眉間に珍しく深いシワを刻み、思わず歯ぎしりしていた。


 その後、サラは、当然のごとく、ティオから、「ちゃんと右側にも足を乗せろ!」と言われて、今度は両足を右側のあぶみだけに乗せるという、とんでもない勘違いの離れ業をやってのけたのち、またティオから注意されて……

 しばらくの間、直立不動で走ったり、ブランブランした状態に戻ったり、なぜか片手で逆立ちしたりといったアクロバティックな動作を交えつつ……

 十五分程格闘した後、ようやくまともに鞍に座って普通に馬に乗った状態に落ち着いていた。

 その頃には、それまで全力でサラを自分の背から振り落とそうと奮闘していた白馬もすっかり力尽きてしまったらしく、スピードが落ち、フーフー、ブルルと、息を切らせて足元もヨロヨロおぼつかない状態になっていた。


「良くやった、サラ! お前の勝ちだ!」

「やったー! 勝ったよー、ティオー! わーいわーい!」


 グッと会心の笑みでサムアップするティオに、サラもたずなを手放し馬上でもろ手を挙げて思いっきり万歳していた。

 すぐに「たずなを放すな!」とティオに注意されて、慌てて掴み直していたが、疲れ切っていた馬はその隙にダッシュするような事もなく無事に済んだ。

 まあ、馬が急発進した所で、サラの怪力が働いている股で挟まれていては、白馬がサラを振り落とす事は叶わなかっただろうが。


(……い、いや、いやいやいや、サラ団長は一体何と戦ってたの?……)


 チェレンチーは、改めてサラとティオの常識外れの超人振りと、それ故の感覚のズレっぷりに呆気にとられていた。

 しかし、サラとティオの二人は、同じぐらいぶっ飛んでいるために、二人の中では妙に息が合っているという事も、またつくずくと思い知らされたチェレンチーだった。



「チェレンチーさん、後でサラに鞍のつけ方や外し方を教えてもらってもいいですか?」

「あ、ティオ君。う、うん、それはもちろんいいけれど。」


 いつの間にかサラがすっかり普通に白馬を乗りこなし、カッポカッポと並足で馬場を歩いている姿を、まるで白昼夢を見ているかのような気分で見つめていたチェレンチーは、ティオに話しかけられてハッとなった。

 とりあえず、指導中だった小隊長が無事に馬への乗り降りの動作まで出来たようだったので、たずなを彼に渡してティオに向き直る。


「ティオ君、サラ団長は大丈夫なの? さっきのあれは一体なんだったの?」

「ああー、あれですかー。……えーと、サラは、まあ見ての通りあんなだしー、あの白馬は白馬でとんでもなく気難しいんですよー。自分の気に入った人間以外は背中に乗せないどころか、嫌いな人間が近づくと、噛もうとしたり蹴ろうとしたりして脅してくるんですー。」

「僕に、あの白馬には近づかないように言ってたのも、そういう訳だったんだね。」

「まあ、チェレンチーさんは平気だとは思うんですけど、少し様子を見ておいて下さい。ただ、本当は賢い馬なんで、本気で人をケガさせるような事はしないでしょう。あくまで脅すだけで。……でも、サラは心底嫌われたっぽくて、ガチで噛まれたり蹴られたりしてましたけど。」

「ええ!? だ、大丈夫だったのかい?」

「はい。サラのあの運動神経と怪力ですからねー、馬が攻撃してきても、素早くかわしたり止めたり、簡単に対処出来ます。もし万が一思いっきり蹴られたところで、サラの丈夫さなら『痛ーい!』で済んじゃいますしねー。アハハハハー。……まぁ、そんな訳で、あの白馬をサラの担当にした訳です。他にも理由はありますが、サラなら、あの白馬にいくら嫌われたとしても、問題なく乗りこなせるだろうと予想してたんです。結果、その通りになって良かったです。」

「……そ、そうだねぇ。」


 チェレンチーは、サラを背に乗せて馬場を歩いている白馬が、どこか諦めきった憔悴したような表情をしている気がして、唇の端をひくつかせながら苦笑いした。

 そこに、更にティオのぶっちゃけた本心が語られた。


「って言うかー、もう正直俺も面倒臭くなっちゃってー。サラのヤツは常識がないしー、人の話は聞かないしー、大人しくなんてしてる筈ないしー、白馬は白馬で、すぐにヘソを曲げて言う事を聞かなくなるしー。なーんで、俺がここまで苦労して一人と一匹の世話をしなきゃいけないのかって思ったら、バカバカしくなっちゃったんですよねー。」

「ティオ君!?」

「俺だって、自分の馬の事もありますからねー。今日も、例に漏れず、他にもいろいろやる事が山積みなんですよー。いつまでもアイツらに時間割いてられないなぁと思いましてー。……じゃあ、アイツらの事はアイツらで解決してもらおうと考えたって訳ですよー。んで、まだ全然馬と馴染んでませんでしたけどー、白馬に鞍だけつけて、サラをポイッと乗せて、後はサラと馬に任せましたー。まあ、サラの事だから、なんとかなるんじゃないかなーって。アハハ。」

「……」

「いやー、期待通りなんとかなって良かったですよー! さすが、サラ!……ほら、良くあるでしょう? 仲の良くなかった二人が、殴り合いの喧嘩をして、その後、なんか打ち解け合うっていうシチュエーション。とことんまで醜い所をさらけ出す事によって、お互いを良く知り、熱い友情が生まれる、的な?『お前、なかなかやるじゃねぇか』『フッ、そういうお前もな』みたいな。……題して『雨降って地固まる作戦』ですー!」

「……そ、それで、サラ団長があんなメチャクチャな状態になってたんだね。サラ団長が『勝ったー!』とか言ってたから、何かと思ったよ。あれは、つまり、白馬との喧嘩に勝ったって事かぁ。」


 うんざりしたような様子ながらもすっかり大人しくなってサラを背中に乗せている白馬の姿を見て、チェレンチーは、ティオが言うように、「喧嘩の後に友情が芽生えた」とはとても思えなかったが、とにかくその「喧嘩」とやらが、サラの勝利で終わったのは間違いないと感じていた。

 ティオも、そんなサラと白馬を少し目を細めて見遣りながら、片手を腰に当て、ふうっと息を吐き出して言った。


「まあ、正直、サラには勝てないでしょう。」


「馬は賢いですからね。特にあの白馬は、馬の中でもかなり賢い。……だから、サラに対して『人柄を気に入る』というのは無理だったとしても、『いくら抵抗してもムダだ』というのは、理解してくれたと思います。サラ相手に抵抗してもムダなので、これ以上ムダに体力や気力を使わないように、大人しく言う事を聞いてるんでしょう。」


「ハハ、なんだか、子守りみたいだね。」

 と、チェレンチーがポロリと零すと、普段からまさに傭兵団におけるサラの子守り担当のようなティオは、思わず苦笑した。


「サラは強い。それは間違いのない所です。でも、サラには知略や思慮が足りない部分がある、それもまた傭兵団の皆がこぞってうなずく所でしょう。」


「だから、サラが乗る馬には、そんなサラの足りない部分を補ってくれる個性が欲しかったんです。戦場では不測の事態が起こる事がままあります。その事態を、いくら強いといってもサラの腕力だけに頼った強引さでいつもどうにか出来るとは限らない。そんな時に、頭の良さで状況を読んだり、危険を回避したり、そんな事を独自にしてくれる馬が望ましかった。……まあ、あの白馬は、サラへの忠誠心はゼロだとしても、白馬自身の身の安全のために、最善の行動をとってくれると思うんですよ。そんな馬の賢さが、猪突猛進なサラを助けてくれる場面もあるかも知れません。」


 そして、ティオは、いたずら好きな少年のような笑顔をチェレンチーに向けながら、最後にこうつけ加えた。


「ま、あの白馬をサラの馬に決めた一番の理由は、やっぱり『見た目の良さ』なんですけどねー。血なまぐさい戦場で、白馬に乗った美少女なんて、これは、もう、間違いなく目立つでしょうー!」


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