野中の道 #36
「お、白馬か?……葦毛、じゃねぇよな? どこもかしこも真っ白だぜ。これは正真正銘の白馬で間違いなさそうだな。」
ティオがたずなを引いて厩舎から連れ出してきた馬を見て、ボロツが思わず驚きの声を発し、小隊長達もそれをなぞって視線を向けた。
「白馬ってのは珍しいって聞きやしたぜ? 見た目がいいからって、大抵お貴族様や王族なんかが持ってるもんだとばっかり。」
「スゲー高いって噂ですよね、ボロツさん?」
「金持ちや貴族にとっては、馬はドレスや首飾りみたいなもんスよね? えーっと、ファ、ファッション? スス、ステステ、ステテコ?」
(ステータス、だね)と、チェレンチーは心の中でボロツの取り巻きの小隊長のセリフを補足した。
(……それにしても、白馬は確かに珍しい。確か、一万頭から二万頭に一頭ぐらいの割合でしか生まれないって話だったような。葦毛の馬が歳をとるにつれてだんだん白っぽくなっていくのは良くある事だけど、葦毛の馬でさえも数が少ないからなぁ。王族や貴族が好んで乗るのは大体綺麗な葦毛の馬だ。これだけ見た目のいい白馬になると、国王に献上されるレベルだと思うんだけど。……)
(……白馬もそうだけど、ボロツ副団長と重鎧隊の隊長用の馬も、なかなか市場ではお目に掛かれないタイプなんじゃないのかな? 農作業や荷運び用の馬とは明らかに体格が違う。一回り大きいだけじゃなく、筋肉質で四肢がしっかりしている。性格も落ち着きがあって堂々としたものだ。……うーん、どう見ても軍用馬なんだけどなぁ。……)
(……ティオ君が連れてきた馬って、一昨日『黄金の穴蔵』でのドミノ賭博の後、兄さんから買い上げたドゥアルテ商会が所有していた馬だよね? ドゥアルテ商会には、商品の運搬用にかなりの数の馬が居たけれど、馬自体を商品として扱ってた訳じゃない。軍用馬や、ましてや白馬なんて、持っていなかったと思うんだけどなぁ? まあ、僕も、商品の事ならともかく、商会が荷運び用に使用していた馬の事までは全て把握していた訳じゃない。……で、でも、白馬と軍用馬っぽいあの二頭は、明らかにドゥアルテ商会が持っていなさそうな馬なんだよねぇ。それに、あの三頭は、他の馬に比べて値段も段違いなんじゃないのかな? とても「一頭あたり銀貨約三百枚」という予算で済むとは思えないよ。その資金の出所も気になる所だよね。……)
(……ティオ君は、一体どこからあの三頭を仕入れてきたんだろう?……)
(後でティオ君に聞いてみようかな?)と、チェレンチーは考えたが、すぐに……
(……うーん、なんとなくだけど、ティオ君は正直に話してくれなそうな気がする。……)
という予感がモクモクと頭の中に浮かんできて、ハハハ、と一人苦笑いを浮かべていた。
一方で、白馬にまつわる事情を一切知らないサラは、無邪気に喜んでいた。
「やったぁー! 私の馬、一番可愛いー! ありがとうー、ティオー!」
「待て、サラ! ステイ、ステイ! 馬は神経質な動物だってさっき言ったばっかだろ! 大声で騒ぐな! 急に近づくな!」
ティオは、今にもサラがダーッと走り寄ってきそうな気配を察して、バッと片手を前に突き出し、サラの行動を制止した。
サラの騒がしさに、ブルルッと少し不機嫌そうに首を振った馬の背を撫でて落ち着かせながら説明する。
「サラは傭兵団の団長だからな。言うなれば、傭兵団の象徴だ。もっと砕けた言い方をすると、アイドルだな。だから、それに合った特別な馬を選んできたんだよ。」
「フッ! ティオ、お前、良く分かってんじゃねぇかよ。サラは、確かに、この傭兵団のアイドルだぜ! サラのぶっ飛んだ可愛さと美しさには、こういう綺麗な白馬がピッタリだぜ!」
ティオの話を聞いたボロツが、後方で腕組みをして、したり顔で大きくうなずいていた。
実際、ティオがたずなを引いてきた白馬は、珍しい白毛の馬というだけでなく、その姿形も美しかった。
馬にもやはり顔立ちや体型の美醜というのはあるもので、(もっともそれは人間が見た場合の話であり、馬同士での印象の程は分からないが)サラ用の白馬は、顔立ちが整っており、体格もバランスが良く、その立ち居振る舞いにはどこか気品のようなものさえ感じられた。
ただ、チェレンチーは、前情報としてティオや厩務員達から馬の性格に難がある事を聞いていたため、慎重な気持ちで様子をうかがっていた。
「まあ、正直、見た目で選んだんだよ。ちゃんと能力的にもすぐれてるんだけどな。やっぱり、サラが乗るなら、見た目が一番大事だと思ってさ。」
「エヘヘー! ティオってば、珍しく気が利くじゃーん! 一番可愛い私には、やっぱり、一番可愛い馬じゃなくっちゃねー!」
「よ、サラ! マイハニー! 今日も世界一可愛いぜ! ヒューヒュー!」
ティオのぶっちゃけた「見た目で選んだ」発言に対しても、サラもボロツも上機嫌で、ボロツの取り巻きの小隊長達まで、ボロツに合わせて、ヒューヒューとサラをはやし立てていた。
(……い、いや、前線で戦うのに、「見た目重視」って。……い、いやいやいや、ティオ君の事だから、きっと何か考えがあると思うんだけども。……)
(……えー? 戦場で白馬に乗ってたら、凄く目立つよねぇ? 元々サラ団長は、傭兵とは思えない小柄で華奢な美少女なのに、更に白馬に乗るなんて、目立つ事この上ないよねぇ?……)
チェレンチーだけが、自分用の栗毛の馬にさっそく丁寧にブラシを掛けながら、サラ達の喧騒を横目に見ては、不安と疑問にさいなまれていた。
(……それに、あの馬、やっぱり、サラ団長の事をバカにしてるっぽいなぁ。ティオ君がたずなを引いてる今の状態では従順な態度に見えるけど、サラ団長が視界に入ったら、あからさまにフンッて横を向いたような。……馬って、人を見て態度を変えたりする所あるもんね。気難しい馬だと、気に入った人間だけしか背に乗せないとか、嫌いな人間に対して威嚇して近寄らせないとか、聞いた事がある。優しい気性の馬だと、人間の小さな子供にも丁寧に接してくれたりもするけど。……サラ団長って、見た目は小柄でか弱そうだもんね。あのプライドの高そうな白馬が、まともに相手にしていないのも分かる気がするよ。……)
(……だ、大丈夫なのかなぁ。サラ団長って、あの感じだと、今までまともに馬に乗った事ないよね? それなのに、いきなりあんな気難しそうな馬をあてがうなんて。……ま、まあ、ティオ君がついててくれるから。いやでも、サラ団長の行動は、突飛で読めない所があるし。……)
白馬の元々も性格なのか、それとも珍しい白毛の馬でかつ美麗な見た目である事から今まで散々チヤホヤされてきたせいか、白馬はかなり気位が高そうな様子に見えた。
一見子供のような見た目に加えて、いかにも馬に嫌われそうなガサツで騒がしい言動のサラを、白馬がすんなりと背中に乗せてくれるとは思えず、チェレンチーは内心ハラハラしていた。
「わーい! じゃあ、さっそく乗って走ってみるねー!」
「バッ! バカッ、サラ! やめっ……」
唐突にダダダダーッと走り込んできたサラに、たずなを持っていた事もあって、さすがのティオも対応出来なかったらしく、うろたえている内に、サラはダンッと地面を蹴って大きくジャンプしていた。
そして、見事、ドーン! と白馬の上にまたがる状態で着地する。
白馬は、当然ビックリして「ヒヒン!?」と両前脚を挙げてのけ反るも、サラは、そんな馬の首にガシイッとしがみついていた。
「アハハッ! お馬さん、可愛い可愛いー!」
「ちょっ、サラ、マジでやめろ! いきなり飛び乗るんじゃない! 馬が驚いてるだろ! 早く降りろ、バカ!」
「ワーイ! ワーイ! お馬さんー! 私のお馬さんー!」
ティオはたずなを引いてなんとかこの混乱した状況を収集しようと必死になっていたが、有頂天になったサラの耳には全くティオの注意は届いていなかった。
白馬はしばらく半狂乱になって首を激しく振っていたものの、ガッチリとその首にしがみついたサラは、小柄で軽い下半身がグルングルンと空中で振り回されればされる程大喜びでキャッキャッと笑っていた。
それどころか、隙を見て、再びドッカと白馬の背にまたがると、その後はぐぐぅっとバカ力で馬の脇腹を両足で挟み込み自分の体を固定して、形だけは馬に乗った状態になった。
が、代わりに両手を放して、ブンブン振り回してはしゃぎ、白馬がドカドカと土を蹴って暴れ、お終いにはダダーッと走り出しても、両手を上に上げたまま「ひゃっほーい!」と終始楽しげなサラだった。
「サラ、このっ、バッカ野郎!!」
馬もサラも手のつけられない暴走状態に皆が呆然とする中、ティオだけが一人マントをひるがえしながら猛然とダッシュして追いつくと、サラの胴体にタックルする勢いで馬から引きずり下ろしていた。
そうして、ティオが、また暴挙に出ないようにサラを拘束している間手が離れてしまった白馬は、ダーッと一直線に駆けて厩舎の自分の馬房に入っていってしまった。
今まで貴重な白馬としてずっと大事に扱われてきていた所に、いきなりサラのような粗野な人間に好き勝手され、大きなショックを受けてしまったらしい。
「あー! 私のお馬さんー、隠れちゃったー!」
「お前がメチャクチャやるからだろうが、アホ! 少しは反省しろ、バカ!」
「……う、うううー……ティオ、ゴメーン……」
さすがのサラも、白馬が逃げていってしまったのを見て、しょんぼりしょげていた。
サラからしてみれば、可愛いお馬さんとじゃれただけなのだろうが、何しろサラは、その小柄で華奢な見た目に反して、驚異的な身体能力と、屈強な男も軽く一捻り出来てしまう程の腕力の持ち主だ。
馬としては、乱暴で礼儀知らずなサラを必死に振り落とそうとしたのだろうが、サラの怪力と運動神経の前ではそれも叶わず、ひたすら怯えて逃げ出す結果となってしまった。
人間だったら、綺麗な白い毛並みの顔が真っ青に変わっていた事だろう。
(……ああぁぁー……サラ団長に全く悪気はないんだけどなぁ。小さな子供みたいに無邪気なだけで。だからこそ、尚更たちが悪いって言うか。……)
サラは自称十七歳だが、見た目は十三、四歳であり、最近は更に、精神年齢はもっと幼いのではないかとチェレンチーは思いはじめていた。
少女らしからぬ意思の強さを見せる時もあるが、一方で世間知らずな天衣無縫ぶりは、十歳程度の小児を連想させる場面も多い。
幼い子供の心と可憐な少女の肉体を持ち、更に、その体には超人的な力が宿っているというアンバランス振りは……
悪い意味で次の瞬間何が飛び出すか分からない巨大なビックリ箱状態であり、ティオの高い知性と柔軟な対応力を持ってしても、しょっちゅう振り回されている様子だった。
とは言え、この傭兵団でティオ以外にサラの暴走を止められる人間が居ないのも、残念ながら、また事実だった。
ボロツでさえも下手に手を出せば、サラの怪力の嵐に巻き込まれて被害をこうむりかねないので、小隊長達と共に遠巻きに見ている事しか出来ない。
チェレンチーもその類に漏れず、(ティオ君、大変そうだなぁ)とティオの身と精神を案じながらも離れた場所からそっと見つめていた。
「私、お馬さん連れ戻しにに行ってくるー!」
「や、やめろやめろ、バカ! サラはダメだ! お前が行ったらろくな事にならない! これ以上事態を悪化させるな、アホ!」
白馬が駆け込んでいってしまった厩舎に向かおうとするサラを、ティオがオレンジ色のコートのフードをむんずと掴んで引き止めていた。
(……ティオ君、サラ団長相手だと、余裕がなくなって「バカ」とか「アホ」とか連呼するなぁ。元の口の悪さが隠しきれてない感じだ。しかも、語彙力まで下がってるよ。……)
ティオが元は戦災孤児だったり、盗賊団に入っていた経緯を知っているチェレンチーは、うっかり飛び出るティオの罵倒に、かつてのティオのすさんだ生活に密かに思いを馳せていた。
と、ティオが、クルッとこちらを向いたので、ちょっとドキリとする。
「すみません、チェレンチーさん、俺はしばらくこっちの方で手が放せないと思うので、他のみんなで先に進めておいてもらえますか? ボロツ副団長も、チェレンチーさんの手助けを頼みます。それぞれ自分の馬に鞍を掛けて乗り降り出来るようになる所まで、指導をお願いします。」
「おう、こっちの事は任せとけ! 俺は何度も馬に乗った事があるから楽勝だぜ。」
「ティ、ティオ君も、気をつけてね。」
ティオは、サラとサラ用の白馬の面倒を自分が一手に引き受けると、他のあまり問題のなさそうな人員をボロツとチェレンチーに任せて、一人足早に厩舎に向かっていった。
「私もー! ティオ、私もお馬さんの所に行くー!」
「だーから、ダメだっつってんだろーがっ! サラ、お前は、厩舎へは立ち入り禁止だ! 一歩も中に入るなよ!」
ターッと後を追いかけようとするサラを、ティオは、すかさずクルッと振り返ると、ガッと片手でその小振りな頭を掴んで止めていた。
そして、ふと思い出したように視線を巡らせた。
「それと、ハンスさんも、そろそろ傭兵団の訓練場の方に戻って下さい。後小一時間はサラやボロツ副団長を含め小隊長の皆さんも団員達の訓練には合流出来ないでしょうから、幹部会議で事前にお伝えしたように、ハンスさんはその間の監督を頼みます。」
「あ、ああ、悪かった、ティオ。すぐに傭兵団の所に戻るとしよう。」
ティオにサボっていた事を指摘されたハンスは、気まずそうに頭を掻きながらきびすを返して傭兵団の兵舎へと向かっていった。




