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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第四章 夢に浮かぶ鎖 <前編>何もない夢
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夢に浮かぶ鎖 #1


(……ここ、は……)


 サラは気がつくと、見慣れない場所に居た。


 いや、そこはどこかの「場所」ではなかった。

 なぜなら、そこには何もなかった。

 一見、目の前には真っ暗な空間が広がっているように見えるが、実際は「何も存在していない」のだ。

 空間も、音も、光も、闇さえも、本来はない。

 ただ、サラが「何も存在していない」という状態を知らないので、虚無の空間がどこまでも続いているように見えているのだった。

 しかし、本当は、そこには……何も存在していなかった。

 そして、その事を、サラはなぜか良く知っていた。


(……なんだぁ、夢かぁ。……)


 サラには、時々見る変わった夢があった。

 それがこの「何もない夢」だった。



 他の夢は、現実で体験した記憶が、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚を介して、ぼんやりと頭の中で再構成されている感じだった。

 どこかで見た事のある森の中の景色、食べた事のある木の実の味、聞いた事のある川の音、雨の臭い、髪が濡れた微かな重み……

 そんなものを、サラは、眠った時に夢として見たり感じたりする事が多かった。


 しかし、この「何もない夢」は普段の夢とは全く異なっていた。


 サラの周りに「何も存在していない」のもそうなのだが……

 自分自身の実体もないのだ。

 いつも当たり前のように持ち合わせている「体」あるいは「肉体」を、サラは持っていなかった。


 ただ、自分がなくなった訳ではなく、自分の「意識」は、確かにそこにあった。

 「何もない夢」の中で、唯一「自分の存在」だけはあった。


 しかし、存在だけしかないので、体がない。

 当然、声も出せないし、何も触れない。

 もっとも、手を伸ばして何かに触れる事が出来たとしても、周りには「何もない」のだから、何の意味のないのだが。


 サラは、意識だけの状態で、何もない夢の中に浮いていた。


 こんな何も存在しない場所で、肉体さえも持たずに居たら、いずれ自分自身さえ分からなくなってしまいそうだと、最初は思っていたが……

 意外にもそんな事はなかった。


 肉体を持たなくとも、サラはサラだった。

 間違いなく、他の誰でもなく、自分自身だった。

 それは、永遠普遍に変わる事のないものであるような感覚が、サラの中にあった。


(……相変わらずなーんにもないなぁ。退屈ー。……)


 何もない夢の中で、サラはただぼんやりと浮いているしかなかった。

 何しろ「何もない」ので、する事もない。

 目が覚めれば自動的に夢も終わって、いろいろな物質が存在している現実を知覚する事が出来るのだが、それまでは、ただ待つしかなかった。

 この夢の中では、時さえも「ない」のか、時間の経過も酷く曖昧に感じられた。


 どうしてこんな夢を、自分が時折見るのか?


 その理由を暇にあかせて少し考えてみた事もあったが、元々頭を使う事が苦手なサラは、すぐにやめてしまった。

 とにかく分かっているのは、自分がたまに、この奇妙な「何もない夢」を見るという事だけだった。



(……あれ?……)


 ところが、その日は、何かが違った。


 何もない夢の中に……

 「何か」があった。


(……なんだろう?……)


 サラは、その「何か」に近づいていった。

 もちろん、肉体がないため、歩いたのではなく、サラの意識がそちらにスーッと寄っていく感じだった。


(……これは、何?……)


 サラは、必死に目を凝らした。

 いや、目を凝らすのは肉体に染みついた動作であって、今は実際には、意識をその「何か」に集中させていた。

 やがて、ゆっくりとサラの意識の中に、その「存在」が浮かび上がってくる。


(……これは……鎖だ……)


 見えない、触れない。

 けれど、確かにそこに「存在する」何か。

 その存在を、サラは「鎖」であると認識した。


 鎖……

 それは、何かを縛るためのもの。

 固く、強く、しっかりと、何かを拘束するという役割を持つ存在。


 そう、サラの意識は、夢に浮かぶ「それ」を捉えていた。


(……どうして「鎖」が、私の夢の中にあるんだろう?……)



(……熱っ!……)


 ふと、胸の辺りに強い熱を感じた。

 正確には、自分という存在の、普段は肉体の胸として認識している辺りに、何か熱いものの存在を感じた、という所か。


 自分の中で何かが光っている。

 いや……

 自分のすぐそばで何かが光っている。


 サラは、「それ」がずっと自分のすぐそばに、胸の上に、肌に触れる状態で、存在し続けていた事を思い出した。

 存在を思い出す事によって、この「何もない夢」の中では「存在する」状態になる。

 そういう法則のようだった。


 サラは、自分がずっと身につけていた「それ」を両手で握りしめるように、意識を向けてみた。


(……これ、私のペンダントだ。……)


 それは、サラが、三ヶ月前、森の中でただ一人目を覚ました時に、たった一つ持っていたものだった。



 森の中で目を覚ましたサラに、それ以前の記憶は全くなかった。

 ただ、自分の名前は、何となく「サラ」だと思った。

 また、見た目は、どう見ても十三、四歳なのだが、サラの意識の中ではなぜか「十七歳」だった。

 故に、サラは、自分の事を「名前はサラ、十七歳。」とずっと名乗ってきた。


 そんなサラにとって、森で目を覚ます前の自分を知るただ一つの手がかり、それがペンダントだった。

 倒れていた時、サラが唯一持っていた物。

 その他は、何も、服さえも身につけていなかったというのに、なぜか首にはペンダントが一つ下がっていた。


 それは、どこにでもある革紐を頭からスッポリと被れる長さに結んであり……

 その先には、金属、おそらく鉄で作られた枠にはめ込まれた、くすんだ赤い石がついていた。


 サラは、そのペンダントを、過去の自分へのたった一つの手がかりと考えて、いつも首に下げて大事に身につけていた。

 旅先で良識と見識のありそうな人物に出会うと、そのペンダントを見せて、「これ、何か知らない?」と聞いてみた。

 しかし、皆、困ったような顔で首を横に振るばかりだった。

 「古いガラスかな?」とそれを見た者は、ほとんどの人物がそう言った。


 確かに、革紐につけられた赤い石は、酷く古びてくすんでおり、お世辞にも美しいとは言えない。

 何か、特別な価値のある宝石の類ではない事は、素人目にも一目で分かった。

 こんな、どこかの町の路地の端に落ちていそうな、さえない赤い石を見せたところで、自分の素性を特定する有用な情報が得られるとは、サラ自身もあまり思っていなかった。


 それでも、サラは、そのペンダントを、お守りのように肌身離さず大事に持ち歩いていた。

 そのペンダントしか、自分の失くしてしまった過去を知るものを持っていなかった故に。



(……ひ、光ってる!……)


 そのペンダントが……

 「何もない夢」の中で、ほんのりと赤く発光していた。


 あの、見せた誰もが「古いガラス」と評した、くすんだいびつな赤い石が……

 今は、母岩から削り出されたばかりの真新しい宝石のように……いや、まるで……

 ……生きているかのように……

 内側からあたたかい仄かな光を発していた。

 鼓動や呼吸を思わせる強弱をもって、確かに光っていた。


(……ええ? こ、これ、ただの石じゃないのー? 何か、特別なものなのー?……)


 夢の中のサラの意識は、たちまち疑問でいっぱいになった。


 それと同時に、もう一つの疑問が、みるみる浮かび上がってきた。


(……私のペンダントと、この「鎖」って、何か関係があるのかなー?……)


 何もない夢の中で、確かに今自分の目の前に「存在している」もの……

 自分が「鎖」であると認識したものに、サラは、ペンダントのあたたかな赤い光を近づけるイメージをしてみた。


 すると、鎖に反応するように、ペンダントの光が強くなる感覚があった。


(……やっぱり、何かあるんだ!……この鎖って、一体……)


 ペンダントのあたたかな赤い光で、そこに存在しているであろう「鎖」を照らし続けるていると……

 次第に、何もない闇の中に、その鎖の輪郭がおぼろげながらうっすらと浮かび上がってきて……



「……あ!……目が覚めちゃった!」


 サラは、ハッと気がつくと、傭兵団の兵舎の自分のベッドの上に居た。

 上官用の個室の閉じられた窓の隙間から、もう朝の太陽の光が部屋の中に漏れてきている。

 耳を澄ますと、兵舎の他の部屋や廊下からは、起き出している者も居るらしく、人の声や動く音が聞こえてきていた。

 小柄なサラにはかなり広々とした、成人男性でもゆったりと使えるベッドから、サラは、スルリとシーツと毛布の間を滑り抜けるように起き出した。

 裸足で板の間の床をペタペタと歩き、窓の所に行って、金属の留め金を渡すだけの簡易な鍵を外す。

 観音開きになっている木の窓を大きく外に向かって開いた。

 草と土の匂いと夜露の湿気を含んだ春の早朝の風が、薄い寝間着をまとった体に吹きつけてくる。

 目の前には、だんだんと見慣れてきた、兵舎の連なる景色が広がっていた。

 兵舎のいくつもの屋根の更に向こう、王城の壁を超えて、朝日が白々と窓辺届く。

 寝間着の生地が薄いせいで、サラの小柄で華奢な体は、朝日を浴びる布の下にうっすらと透けていた。


 サラは、ふと、布の下に透けた胸元に垂れているペンダントに目を落とした。

 首に掛けている革紐を引っ張って手繰り寄せ、先端についている赤い石を手の平に乗せてみる。


 それはやはり、いつものように、古ぼけてくすんだ赤いガラスの欠けらのような見た目だった。


(……なんだったんだろう、あの夢?……)


 先程まで見ていた奇妙な夢の内容を必死に思い出そうとするものの……

 目が覚めると、現実の五感に受ける刺激が強くなって、あの、非現実な感覚は、スウッと、文字通り夢のように消えていってしまう。


(……あの夢の中で、あんな変化が起こったのって初めてだった。いつも、なんにもない夢なのに。……どうしてだろう?……)


 少し考えてみたが、やっぱり分からない。

 ただ……あの、何もない退屈でつまらない夢を、もう少し見ていたかったと思ったのは、初めてだった。

 サラの脳裏に、まるで生き物の鼓動のように明滅するペンダントの赤い石の光の残像が、まだ微かに残っていた。


(……ま! もう目が覚めちゃったんだから、しょうがないよねー!……)


 サラは、すぐに気分を切り替えると、指を組んだ手を頭の上に精一杯上げて、爪先立ちでうーんと伸びをした。


「さぁ! 今日も頑張ろうっと!」


 バサッと、思い切りよく寝間着を脱ぎ捨てたサラの白い肌の上に……

 いつもと何も変わらない、ペンダントのくすんだ赤い石が揺れていた。


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