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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第五節>白馬に乗った少女
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野中の道 #34


「うわあ、うわあ、うっわあぁぁーー! かっわいいぃぃー!!」


 パッと繋いでいたティオの手を放したサラは、両手を広げてダダーッと駆け出していっていた。

 王城内の兵舎の中でも最も豪華な近衛騎士団の敷地の一角には、専用の厩舎があり、そのそばには訓練用の馬場が併設されていた。

 その厩舎の前に、現在、見慣れた傭兵団の幹部の面々がたむろしていて、そこに何頭かの馬がハミを咬ませた状態で飼育員に手綱を引かれて出てきていた。


「ロバって可愛いぃー!!」

「違う、サラ! あれは馬だ、馬!……後、あんまり騒ぐな。馬は凄く音に敏感な動物なんだよ。基本的に警戒心が強いし繊細だから、馬の前では大きな音を立てたり、ムダに走り回ったりするな。」


 すぐに慌てて追いついてきたティオが、今にも暴走しそうなサラのオレンジ色のコートのフードをむんずと掴んで止めていた。

 サラは、一応ティオの言葉が耳には入っているものの、指をくわえてムウッと膨れっ面になった。


「いいなぁー、いいなぁー、近衛騎士団はロバが居てー。どうして近衛騎士団だけロバが居るのー?」

「ロバじゃなくって、馬な。……まあ、騎士団って言うぐらいだからな。基本一人一頭馬を持ってるんだよ。つっても、近衛騎士団の馬は、国王から授かったものじゃないぞ。自腹だ自腹。自分の家で持ってる馬を連れてくるんだよ。」

「え? う、馬ってみんな持ってるものなのー?」

「だから、近衛騎士団の人間は貴族の子息だけしかなれないんだよ。貴族は、国王から爵位っていう身分といろいろな特権を与えられてるかわりに特殊な義務があって、その一つがこうして国王の戦力となる事なんだ。まあ、戦みたいな事がない平和な時は、こうして王族の住む王城なんかを主に守ってる。今は内戦中だから、近衛騎士団からも反乱軍の立てこもってる『月見の塔』の前線に随分借り出されてるけどな。」

「へー。」

「それから、今厩舎の外に出てきてる馬は、近衛騎士団の馬じゃないぞ。」

「ふーん。」

「うちのだ。傭兵団の馬だ。」

「あっそー。……えっ!?」


 サラはティオの言葉の意味を理解すると、バッと物凄い勢いで振り返った。

 背中に垂らした金色の長い三つ編みが、その動きに合わせて鞭のようにしなったのち、バシッとティオの顔に当たり、ティオは思わず「いてっ!」と漏らしていた。


「……う、うう、うちの? 傭兵団の? 馬?……ど、どういう事、ティオー? 傭兵団に、馬なんて居たのー? 私、ゼンッゼン聞いてないんだけどぉー?」

「居たって言うか、買ったんだよ。それで、昨日連れてきた。傭兵団の兵舎には厩舎がないからな。近衛騎士団の偉い人に頼み込んでここに間借りさせてもらう事になってる。近衛騎士団も、内戦の影響で人数が減ってたから、ちょうど厩舎に余裕があったんだ。」

「か、買ったぁ? 馬を? 昨日連れてきたぁー?」

「ああ。……いや、この話、昨日の夜もしたし、今日の朝もちゃんとしたぞ、幹部会議で。お前は全然聞いてなかったみたいだけどな。」

「……あっ!!」

「どうした?」

「買ったって、ティオ……ひょっとして、そのお金、ギャンブルで稼いだヤツー?……ムグッ!……」

「シーシー!」


 ティオは、慌ててサラの口を押さえると共に、自分の唇の前に指を一本立て声の音量を下げさせた。

 しばらくしてサラが落ち着いた所で、手を放し、ハアッと大きく息を吐く。


「ま、そういう事。」

「じゃ、じゃあ、やっぱり、ギャンブルしに行ったのって、馬を買うお金を稼ぐためだったって訳ー?」

「ああ、まあな。馬は高いんだよ。……軍の予算を管理してる部署にかけ合って傭兵団にも資金を回してもらったけど、それだけじゃ到底馬なんか買えなかったからなぁ。」

「え? 馬って高いの? そんなに?……ど、どれぐらい高いのー?」

「うーん、まあ、ピンキリだけど、それなりに戦闘用に使えるものを買ったから、一頭あたり銀貨三百枚ぐらいだな。馬は高いものになると、銀貨数千枚はするぞ。ここナザール王都にちょっとした家が買える金額だな。」


「だから、今回俺が買った馬は、高いっちゃー高いが、馬としてはそれ程高級な部類じゃない。問題は、十二頭買ったおかげで金額が跳ね上がったって事だ。合計、銀貨約三千六百枚なり。」


「団長のサラ、ボロツ副団長、作戦参謀の俺、作戦参謀補佐のチェレンチーさん、各小隊長八人、計十二人に、一人一頭ずつ馬が行き渡るように用意したんだ。……あ、ハンスさんは、王国正規兵で正確には部署が違うから、申し訳ないけど今回は我慢してもらう事にしたよ。」


「ああ、この馬、一昨日の夜チャッピーんとこの商会から仕入れたヤツか。」

 と、二人に追いついてきて腕組みをしながら話を聞いていたボロツが、納得したようにアゴをさすって言った。


「仕入れたって言うか、ドゥアルテ商会が所持していた馬をゴッソリ買い取ったんですよ、ボロツ副団長。あの商会は商品の運搬用に荷馬車を引かせる馬を多数所持していましたからね。王都で一度に十二頭もの馬を購入するのはなかなか大変なんですよ。」

「それで、馬をたくさん持ってそうなでっかい商会に話を持ちかけたって訳だな。……ヒヒッ、それにしても、ティオ、お前、馬を買ったって言っても、その馬を買う金を、馬の持ち主からドミノ賭博で巻き上げてんじゃねぇかよ。とんでもねぇ事考えやがるよなぁ。まあ、俺は、こんだけの馬が手に入ったんなら、別にいいけどよ。」


 ボロツも、実際の馬を目の当たりにして、ようやく最近ティオが動いていた計画の全貌を知ったようだった。



 ティオは、傭兵団のために馬十二頭を手に入れるため、その資金繰りとしてナザール王都で流行っているドミノ賭博に手を出す事を思いついた。

 軍部の予算を扱っている部署からようやく降りた傭兵団用の資金を持って、ボロツに護衛を頼み、共に行きたいと名乗りを上げたチェレンチーを連れて、王都一の賭博場として名高い『黄金の穴蔵』に向かった。

 そこで、ティオ自身が傭兵団用の資金をタネ銭にドミノで連戦連勝し、一夜にして驚く程金を増やした訳だが、この時ティオが狙っていたのは、それだけではなかった。


 『黄金の穴蔵』の最高レートで勝負が出来るたった一卓しかない常連の客ご用達の赤チップ卓に入るため、ティオは、まず、裸チップ卓、白チップ卓で小金を稼ぎつつ勝ち続けていったが、その際は、他のプレイヤーから恨みを買わないように均等に金を巻き上げていた。

 それが一転、赤チップ卓では、チェレンチーの腹違いの兄であり、大商会の頭取であるドゥアルテ一人に狙いを定めて容赦なく根こそぎ金を吐き出させる戦法に変わった。

 一方で、ティオは、自分が赤チップ卓で勝ち続けると同時に、ボロツに外ウマに賭けさせて、そちらでも金を増やしていった。

 ティオがドゥアルテだけを狙った理由は、チェレンチーを長年いじめ抜いて彼の心を縛りつけていた因縁の相手であったというのもあるが……

 利害だけで言うと、まず、ドゥアルテが「大金持ちで、ドミノの腕がさほど強くないくせにプライドだけは高く、ギャンブル狂でタガが外れている」という、この上なくカモに適した人物だった事が挙げられる。

 次に、経営能力のないドゥアルテが継いだ事によってドゥアルテ商会が傾き出し、『黄金の穴蔵』としてもそろそろ彼を不良債権として考え出していた頃で、ティオが金を根こそぎ毟り取っても、『黄金の穴蔵』側に恨みを買う事がなかったという要因もある。

 更に、ドゥアルテの経営する商会が、多くの馬を商売用に所持していたのが、この計画のポイントだった。


 つまり、ドゥアルテから叩いても埃も出ない程徹底的に金を巻き上げる事で、傭兵団の資金を増やしつつ、ドゥアルテに商会で所持している馬をすんなり手放すように仕向けたのだ。

 本来なら、商売に必要な物品を運ぶ荷馬車用の馬は商売になくてはならない重要なものである。

 ティオが銀貨三千六百枚で商会が持っている十二頭の馬を買い取りたいと申し出た時、商売の事など全く分からないドゥアルテは「金になるならなんでも売ってやる」とすぐに承諾したが……

 彼に付き添っていた大番頭の老人は、「それでは商売が成りゆかなくなります!」と、慌ててドゥアルテを止めてきた。

 大番頭の判断が正しいのは言うまでもないが、ドミノで負け続けて金に困っていたドゥアルテは、これを一蹴し、さっさと契約書にサインしてしまった。


 ティオは、それまでのドゥアルテとのドミノ勝負で、ドゥアルテに銀貨一万五百枚分の借用書を書かせていた。

 しかし、この借金のカタに馬を奪ったのではなく、ティオは、外ウマで儲けた金をはたいて、新たに銀貨三千六百枚でドゥアルテ商会が所持している馬十二頭を買い取る話を持ちかけたのだった。

 借金のカタなら、ドゥアルテは簡単に首を縦に振らなかった事だろう。

 しかし、目の前に大金を積まれて馬を売って欲しいと言われ、散々ドミノで負けて懐が空になりようやく危機感を覚えていたドゥアルテは、渡りに船と飛びついたのだった。

 ティオの提案を受け入れて馬を売れば、この先の商売に大きな支障が出る事も、まだ銀貨一万五百枚分もの法外な借金が丸々残っている事も、目先の事しか考えていないドゥアルテの頭の中にはなかった。

 大番頭は、ティオが最初から商会の馬を狙ってドゥアルテを標的にしていた事に気づいたようだったが、既に後の祭りだった。


 かくして、ティオは、当初の目的通り、傭兵団の資金を増やすと共に、馬十二頭も見事手に入れる結果となった。

 まだドゥアルテからは借用書分の金を取り立てる必要があったが、そちらの方も、実はティオにはある算段があった。

 ドゥアルテから取り立てた金は、傭兵団の必要資金分を差し引いて、残りはチェレンチーに渡す事が決まっていた。



(……改めて考えると、エグイ作戦だよなぁ。……)


(……ティオの野郎に一点集中で狙われたドゥアルテは、哀れとしか言いようがねぇ。……)


 ドゥアルテからすれば、一昨日の晩『黄金の穴蔵』でティオとドミノゲームをしたために、たった一晩で銀貨一万五百枚もの法外な借金を背負わされる羽目になったのだから、とんだ不運に見舞われたように思った事だろう。

 ドゥアルテは、それが、ティオによってはじめから巧妙に仕組まれていたものだとは気づいていない。

 いつものように道を歩いていたら、思いがけない大きな石につまずいて運悪く転んだ、そんな感覚だ。

 しかし、実際は、一昨日のティオとの勝負は、これまでのドゥアルテの華やかな生活の終焉を決定づけるものだった。

 ドゥアルテに付き添っていた若い方の番頭は、勝負の途中で、ドゥアルテを見限って「もう付き合いきれない」という捨てゼリフと共に商会を辞めて去り、残った年かさの大番頭も、ドゥアルテの作った借金の額に震えていた。

 そして、「目利き」の異能力を持ち、誰よりも鋭い観察眼のあったチェレンチーは、一昨日の晩の時点で、腹違いの兄の凋落を確信していた。


 ドゥアルテからすれば、父親が死んで自分が後を継いでから経営不振にあえいでいるドゥアルテ商会だが、まだまだ充分やっていけると思っていた事だろう。

 実際は、ドゥアルテと彼の母親が、先代の死をきっかけにタガが外れたように散財した事で、みるみる資産を食いつぶし、商会では回転資金にも悩まされる状態に陥っていた。

 まず、無能な息子が後を継いだ事で、不安を抱えながら様子見していた大口の顧客が、我先にとドゥアルテ商会から離れつつあった。

 ここ二十年近いドゥアルテ商会の売り上げの大半は、一般客向けの商品の売買で得たものではなく、ナザール王国にその名を轟かせるドゥアルテ商会の看板の信用の元に、大量の商品や高額な商品を大口の顧客相手に扱っていたものだった。

 これが失われるのは、ドゥアルテ商会の屋台骨が無くなるようなものである。

 一方で、一般の顧客も減って各店舗の売り上げが激減し、ドゥアルテが買った不良在庫が倉庫に大量に積まれている状況だった。

 使用人達に給与を払う余裕もなかったため、やがて商会の窮地に気づいた者からバラバラと人が辞めていくのは目に見えていた。

 しかし、ドゥアルテの目には、王都の一等地に自分の大きな屋敷を所有し、大通りには商会の本店を持って、周辺の町にもいくつもの支店を構えているという上辺の状態しか見えていない。

 自分の屋敷の中は豪華な家具調度品で整えられ、商会の店舗にも唸る程大量の商品が積まれている。

 今は、使用人達が仕事をサボっているせいで売り上げが立っていないが、番頭達も居る事だし、彼らに任せておけばその内なんとかなるだろうとタカをくくっていた。

 そうして、自宅に置いていた金が尽きたため、番頭達の目を盗んで商会の回転資金を持ち出し、派手な遊興であっという間に溶かしてしまっていた。


 ティオやチェレンチーの見立てでは、ドゥアルテ商会もドゥアルテ家そのものも、もはや首の皮一枚で繋がっている切羽詰まった窮地にあった。

 ここから巻き返す道は、まるで細い蜘蛛の糸のごとくに残されていたのだが、それにドゥアルテが気づく事はなかった。

 なぜなら、それは、彼の嫌っている腹違いの弟であるチェレンチーを呼び戻し、彼に全権を委ねる事だったからだ。

 事務処理能力が非常に高く、亡き先代のようなカリスマ性はないものの、優秀な商人の資質も持っていたチェレンチーに、ドゥアルテ家の財産管理と共に商会の運営を任せれば、時間はかかってもなんとか建て直していった事だろう。

 また、チェレンチーがドゥアルテ家に戻るなら、今まで彼に作戦参謀補佐として支えてもらっていたティオは、その時点で、ドミノ賭博でドゥアルテから金を巻き上げるのを中断し、傭兵団の資金の調達は別方向からしようと作戦変更を考えていた。

 しかし、ドゥアルテが、心の底から憎み嫌っていた自分より優秀な腹違いの弟であるチェレンチーに、父親が死んでようやく自分の手に入ったドゥアルテ家も商会も、今更委ねる筈がなかった。

 結局、話し合いは決裂し、チェレンチーがドゥアルテ家や商会から完全に縁を切った事で、ティオはドゥアルテから毟れるだけの金を毟り取って終わった。


 今、ドゥアルテの手元には、商会が所持していた十二頭の馬をティオに売って得た銀貨三千六百枚の大金が転がり込んできている。

 しかし、自分の個人資産と商会の経営資金の区別がついていないドゥアルテが、それを、経営が悪化している商会の補填にあてるとは考えにくい。

 おそらく、また派手に豪遊して程なく溶かしてしまう事だろう。

 そもそも、その金は商会になくてはならない荷馬車を引くための馬を売って得たものであり、その後商会の商売がますます立ち行かなくなるのは、火を見るより明らかだった。


 まさに、一昨日のティオとの勝負は、ドゥアルテと彼の商会にとどめを刺した一手だったのだ。

 しかし、その破滅の運命を、そうとは知らず選んだのはドゥアルテ自身であり……

 チェレンチーが提案した、ドゥアルテ家とドゥアルテ商会の全権を彼に委ねるという話を拒んだあの時に、ドゥアルテの命運は尽きたのだった。


(……つっても、全く同情する気にはならねぇけどな! むしろ、商会共々さっさと滅びやがれ、クソ野郎ども! ガーハッハッハッ!……)


 そんなドゥアルテの転落人生を目の当たりにしても、ボロツは特に心は痛まなかった。

 なぜなら、一昨日の『黄金の穴蔵』における、ドゥアルテや番頭達のチェレンチーとのやり取りから、チェレンチーがドゥアルテ家やドゥアルテ商会で、これまでどんな酷い扱いを受けてきたかを知ってしまったからだった。

 人情家で意外にも世話焼きのボロツは、一見おっとりしているようで実は芯の強いチェレンチーの事を気に入っており、仲間としても大事に思っていたため、ドゥアルテや彼に繋がる番頭達のような商会の人間に強い嫌悪感を覚えていた。

 そういった理由から、ドゥアルテや彼の商会が破滅したところで、ザマアミロとしか思わなかったのだった。


(……ま、まあでも、一昨日の一件で、ティオの野郎のおっかなさは身に染みて良く分かったぜ。アイツはゼッテー敵に回したくねぇよなぁ、うんうん。……)


 ボロツは一度ブルッと身震いした後、気を取り直して、傭兵団の幹部達が集まっている厩舎の前へと向かうサラとティオの後を追って歩いていった。


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