野中の道 #31
「本当にいいんですか? 俺をなんのお咎めもなしで済ませたら、組織内の不満が収まらないんじゃないですか? さっきの人のように。」
「それを収めるのが組織の頭の私に役目であり、手腕と言うものでしょう。部下達には、ティオ殿には手出し厳禁と固く言っておきましょう。」
「まあ、それでも、無鉄砲な若い輩は、私の怒りを恐れずあなたに何かちょっかいを掛けてくるかもしれませんがね。そこまでの気概のある若い者は、むしろ見所がある。いやいや、ティオ殿にはご迷惑をお掛けしてしまいますな。……それでも、ティオ殿、あなたなら、うちの若いののちょっかいなど、ものともしないのでは?」
「ハハハ、買いかぶり過ぎですよ、ご老人。」
「とは言え、今回の事態は、俺の軽率な行動が招いたものです。……あまり派手に賞金首の情報を王国側の兵士に売れば、裏社会に属する人間に恨みを買う危険は俺も認識していました。普段はこんな事はあまりしないんですけれどもね。俺は割と慎重なんですよ。それに何より、事なかれ主義かつ平和主義者ですから。でも、今回はどうしても早急に金が欲しかったので、いつもは避けるリスクをうっかり取ってしまいました。自分でも勇み足の悪手だったと反省しています。……ですから、大なり小なり自分の身が危険にさらされるのは覚悟していますよ。お気遣いありがとうございます、『紫の驢馬』。」
『紫の驢馬』は、ティオの相変わらず飄々とした表情で語られる答えを聞いて、うんうんとうなずいた。
「それでは、ティオ殿も納得されているという事で、この件は、昨晩の『黄金の穴蔵』の件と同じく、これで手打ちとしましょう。以後お互い蒸し返すのはなしという事で。それで構いませんかな?」
「ご老人がそのおつもりなら、こちらの粗相を不問に処してもらえるのですから、願ったり叶ったりです。」
「では、改めて、一切の遺恨なく和解という事で。」
「はい。」
好々爺の笑みで差し出された『紫の驢馬』の老いた手を、ティオはためらいなく取って、二人はしばししっかりと握手を交わした。
ザザッと、ますます強さを増してきた湿った南東の風が、木綿の帽子を目深に被った『紫の驢馬』のシャツの襟を翻らせ、同時にティオのボサボサの黒髪をいっとき乱して、『眠り羊亭』の二階のテラスを吹き過ぎていった。
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「ところで、これはやはり聞いておきたい所ですが、ティオ殿はあれだけ多くの犯罪者達の情報を一体どこから仕入れたのですかな? この王都の裏を仕切る私の立場としましては、是非ご教授願いたいですな。情報は時に金塊より価値がある。特にティオ殿が持っているような、街の深部にひっそり埋もれている貴重な情報は。」
「情報には金以上の価値がある、全く同感ですね。……しかし、だからこそ、その収集方法は極秘事項でして、おいそれと人に話す訳にはいきません。」
「ハハ、これは一本取られましたな。やはり教えてはいただけませんか。」
「いえ、本当は、そんなもったいぶる程の事ではないのですが。」
「俺は傭兵団の作戦参謀として、王都で情報を集めていました。今回警備兵に流したのは、その中で知り得たものの一部です。俺は昔から情報を集めるのは結構得意な方でして、今回も、これまで培った経験を生かしただけの事です。詳しく説明は出来ませんけれど、俺にしか出来ないちょっと特殊な方法も使っているので、ご老人にお話しした所で、あまり参考にはならないかと思います。」
「フム。……ティオ殿にとっては、いつも通りの事をしていただけ、という訳ですか。ティオ殿にしか出来ない、と言われてしまえば、なるほどと納得する他ありませんな。それにしても、まだこの王都にやって来て日も浅いティオ殿が、私どもが組織を挙げても掴めなかった重犯罪者の居場所や盗賊団の隠れ家を正確に把握していたのは、改めて驚異的と言う他ありませんな。」
「……」
もちろんティオは、傭兵団の買い物のついでに街の人々にさり気なく話を聞いてはいたが、その程度で、息を潜めるように街の地下に潜伏しているお尋ね者や、広い森の奥にある盗賊団のアジトの場所を正確に掴む事は不可能だった。
当然ティオは、自分の異能力を惜しみなく使用し「石に残った記憶を読む」事で、これらの手がかりを得て、その膨大かつ無秩序で断片的な情報の欠けらを、彼の優れた頭脳と突出した情報処理能力により繋ぎ合わせ再構成して、役に立つ状態に整えた上で使用していたのだが……
さすがに、自分の異能力については、余計な厄介事を避けて『紫の驢馬』には明かさずに終えたのだった。
王都の裏社会の頂点にある『紫の驢馬』にとって、ティオが持つ情報収集の能力は咽から手が出る程欲しいものであったに違いない。
しかし、ティオの語り口から、それがティオ以外の人間には成し得ないものだと『紫の驢馬』は素早く察すると、スッと身を引いた。
『紫の驢馬』の聡明さ、判断の速さ、強引に力で自分の欲を追求する事のない理性的な性格が良く現れた反応だった。
「では、ティオ殿の情報源については、これ以上の追求はしないでおきましょう。」
「そうしてもらえると助かります。」
「分かりました。」
『紫の驢馬』は、そこで少しあごに手を当てて考える様子を見せた後、ふと口を開いた。
「その代わりと言ってはなんなのですが、ティオ殿に一つお願いがあります。」
「なんでしょう? 俺に出来る事でしたら、ご老人の意に沿いたいと思いますが。あなたの庭を荒らしてしまったのを不問にしてもらった事もありますし。」
「それでは……」
「ティオ殿の目を、私に見せてもらえませんかな?」
「俺の目、ですか?」
「はい。」
『紫の驢馬』は、キョトンとしているティオに向かって、ゆっくりと深くうなずいたのち、噛んで言い含めるように語った。
「その人間の心は、目に出るものです。」
「『目は口ほどにものを言う』と言うことわざもありますが、私は、今までの人生で多くの人間を見てきた経験から、その人間の目を間近で見ると、その人間の事が大体分かるのですよ。……正直者か嘘つきか、欲が深いか薄いか、感情的か理性的か、聡明か愚鈍か、そして、信頼が置けるか置けないか。また、その人間がそれまで歩んできた人生なども、おおよそ察しがつきます。……もちろん、全てが分かるものではありません。あくまで、私独自の感覚で『勘』として知れるといった感じですな。」
「眉唾な話だと思いますかな?」
「いえ。そういう感覚というものはあるのでしょう。特に、ご老人のように、長年裏社会のひりつくような人間関係の中で観察眼を研ぎ澄まして生き抜いてきたような方には、そういった独自の鋭い『勘』が身につくのも不思議な話ではないと思います。」
「では、ティオ殿。」
「ええ。」
「俺の目で良ければ、存分に見て下さい。」
ティオは、ニッコリと笑って即答した。
『紫の驢馬』は自分から頼み込んでおいて、そんなティオの反応に少し驚いた表情を浮かべた。
目というものは、人間の大きな弱点の一つだ。
それは、目が、目から入ってくる視覚的な情報が、人間にとって周囲の状況を把握するのにいかに重要な役割を占めているかというのに関わっているのだろう。
音や臭い、触り心地、味などのその他の五感も、当然人間は普段当たり前に使用しているが、特に目に由来する視覚情報は、自分より遠く離れた場所や広範囲を観察出来る事もあり、危機察知が最も鋭敏に働く場所だった。
それもあってか、人間は多くの情報が集まってくる、刺激に非情に敏感な目を、本能的に守ろうとする。
目に何かがぶつかったりケガを負ったりすると激しい拒絶反応を示すし、目が危険にさらされる状況下では、とっさにまぶたを閉じ、体をねじって避ける。
眼球そのものに危害が及ばない場合であっても、自分とは別の存在、心を開いていない相手、他人と認識している人間に、間近でジッと目を見つめられると、自然と落ち着かない気持ちになるものだ。
ガラの悪い男達が、街中で「目が合った」の「目を逸らした」のと言って喧嘩になるのも、人間にとっていかに目や視線が重要な意味を持っているかを感じさせる行動だった。
しかし、ティオは、『紫の驢馬』に「あなたの目を見たい」と頼まれると、あっさりと了承した。
その反応は、自分の体の急所を親しくもない人間にさらす事に対して、全く危機感をいだいていないかのようだった。
詳しい説明も受けず、ただ「『眠り羊亭』に来てほしい」と言われて、厳重な包囲網が敷かれているのを知っていながら、たった一人でなんの備えもせずに平然とやって来るようなティオである。
全く緊張感のない能天気な笑顔をヘラヘラと浮かべている事からも、「どこか頭のねじが一本飛んでいて、生物の生存に必要不可欠な危機意識が欠如している」と、思われかねなかったが……
『紫の驢馬』は、ティオがそんな態度を取り続けている理由は、もっと別の所にあると感じていた。
(……些事か。……)
(……彼にとっては、私に間近で目をのぞき込まれる事は、緊張するに値しない瑣末な事なのだろう。……)
(……彼は、本当に何の危機感も感じていない。だから、悩む事なく私の要望を受け入れた。おそらく、この食堂に一人でやって来たのもそうだ。私の部下が上着の下にナイフを仕込んで、いつでも飛びかかれるような場所で待機していようとも、この食堂が二十人近い人員に監視されていようとも、彼は特に「危険だ」とは感じていないのだ。……)
(……彼が警備兵に情報を流した人物だと知って部下が激高し飛びかかった時は、しばらく怯えて震えていたが、あれは奴が手に持っていたナイフが原因だったのだろう。本人が申告した通り、極度の刃物恐怖症だというのは本当のようだ。何か彼が刃物を怖がる原因になった事件が過去にあって、トラウマになっているのだろうな。あれは生理的な反応で、彼本人にもどうする事も出来ない様子だった。……だが、そんな刃物恐怖症の要素をのぞけば、彼は一度も、今のこの状況に恐怖や驚異を覚えていない。……)
(……そう言えば、昨晩の『黄金の穴蔵』でも、「一点につき黒チップ一枚」という破格のレートで行われたドゥアルテとの最後の勝負において、彼は退屈そうにあくびを噛み殺していたのだったな。……)
『紫の驢馬』は、つい先程ティオが、『紫の驢馬』の組織に所属する人間を警備兵に売ってしまった事を詫びるために「自分の命を差し出す」とあまりにも簡単に口にした事を思い出し、目深に被った帽子の下で白い眉を密かにしかめていた。
(……「度胸がある」「肝が据わっている」……と言うよりは、彼にとって「特に危機感を覚える程の事ではない」というのはまだいいとして……)
(……彼には、どうも、自分の命を軽んじているきらいがある。……なんと言うか、どこか無意識下で「早く死にたい」と思っているかのようにさえ感じられる。……その点は、少々問題だな。……)
『紫の驢馬』が胸中に複雑な思いをいだいている前で、ティオは相変わらず能天気な程明るく笑っていた。
「あ、眼鏡! 眼鏡は取った方がいいですか?」
「ええ、出来れば。」
「ですよねー。……いや、実は、この眼鏡、俺にとって凄く大事なものでして、あまり外したくはないんですが……まあ、ほんのちょっとの短い間なら。」
「なるほど、それでそんなに傷だらけの古びたものをずっと使っているのですな。それでは視界がかえって悪くならないのかと不思議に思っておりました。」
「ああ、見え方については特に問題はないんです。ただ、これは他に替えのきかない物でして。これでも一年ぐらい前はピカピカだったんですよ、俺の扱いが悪くって傷だらけになっちゃいましたが。それでも、大事なものなんです。」
『紫の驢馬』は、ティオが身につけているどこか品格を感じさせる所作と、「自分の扱いが悪くて大事な眼鏡を傷だらけにしてしまった」という発言が噛み合わず、少し引っかかったが……
ティオが、「あまり外したくない」と言っていた割にはあっさりと眼鏡を取ったので、すぐにそちらに意識が向いてしまった。
ティオは、顔から、細かい傷が無数についた丸い大きなレンズの眼鏡を外すと、小柄な老人である『紫の驢馬』に合わせて少しかがんだ。
額で風に乱れていた伸ばしっぱなしの黒髪を、手で掻き上げて押さえる。
「どうぞ。お好きにご覧になって下さい。」




