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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第四節>泡沫のよすが
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野中の道 #29


「ティオ殿!」


 『紫の驢馬』がティオの発言に驚いてガタッと席を立ったの見て、ティオは更に素早く言葉を継いだ。

 頭の回転の早さと滑舌の良さでペラペラとまくし立てる様は一見軽薄に見えるのだが、そのセリフの内容は相反して重いものだった。


「あっと! 普通その程度じゃ納得いかないですよね? じゃあ……腕……腕一本じゃダメですかね? もしくは、足? それとも、やはりここは、俺の命で償わない事には、皆さんの怒りは収まりませんかね?」

「ティオ殿!」

「そこで、ご老人、一つお願いがあります。まことにもって身勝手な話なのですが、聞いてもらえませんでしょうか?」

「……お願い、ですか?」

「はい。俺のこの身は、『紫の驢馬』、あなたに如何様にも扱ってもらっても構いません。煮るなり焼くなりお好きなようにして下さい。……ただ、それまでしばらくの猶予を……時間をいただきたいのです。」


「ご存知の通り、俺は今傭兵団で『作戦参謀』という任に就ています。俺の今の使命は、もうすぐ前線に送り出される事となる傭兵団を戦で勝たせる事。そして、可能な限り早くこの内戦を終わらせる事。それを、傭兵団の団長をしている人間と約束しました。」


「俺は、こんな半端者ですが、一度交わした約束は守りたいのです。」


「ですから、この内戦が終わって全てのかたがつくまで、いえ、せめて、大勢が決して先の見通しが立つ所までは、傭兵団で自分の役目を果たしたいと思っています。」


「そこで、俺の処罰を、それまでしばらく待ってほしいのです。後半月、ひょっとしたらもっとかかってしまうかもしれませんが、俺の傭兵団での役目が終わり次第、必ずあなたの元に出向きます。その時は、もう何も思い残す事はなくなっているでしょうから、『紫の驢馬』、あなたのお好きなように俺を処罰してもらって構いません。組織の人間達の前での公開処刑でもなんでも、謹んで受ける覚悟です。」


「ですから、どうかもうしばらく、俺のこの身は、命は、永らえさせてもらえないでしょうか? 伏してお願いします。」


 『紫の驢馬』は、自分の都合を有無を言わせぬ早口で捲し立てたのち、再び深々と頭を下げたティオの前にゆっくり歩み寄ると……

 しばらくの間、沈黙したまま、細めた目でジッとティオを見下ろしていた。

 生まれてこの方、何十年という長い年月裏社会で生きてきた老人の老いた眉間に、複雑なシワが寄る。


「……ティオ殿、それは本気で言っているのですかな?……傭兵団を戦で勝利させ、内戦が終われば、この世にもうなんの未練もないと。大人しく私に命を差し出すと。」

「はい。天地神明に誓って嘘はありません。……俺は、戦えない代わりに逃げ足だけは自信がありますが、ここであなたに誓った以上、内戦が終わっても、あるいはその途中でも、決して自分の命可愛さに逃げ出したりはしません。傭兵団での自分の役目が終われば、必ず贖罪のためにあなたの前に戻ってきます。」

「……」

「あ、と言っても、昨日今日会ったばかりのガキの言葉だけでは、どうしても信用出来ないですよね? 誓約書を書きましょうか? いや、ここはやはり指の二、三本も置いていった方が……」

「ティオ殿!」


 『紫の驢馬』は、三度ティオの名前を呼ぶと、片手で顔を覆ってフウーッと大きなため息を吐いた。

 『黄金の穴蔵』のように組織の経営する店で身分をやつして一従業員として接客している時は人当たりのいい笑顔を貼りつけているものの、普段はあまり感情を表に出す事のない『紫の驢馬』が、こんなに困惑した表情を浮かべるのは珍しい事だった。

 『紫の驢馬』は、床に片膝をついてこうべを垂れているティオの前に、自身も膝を着いた。


「ティオ殿、顔を上げて下さい。」

「あ! じゃあ、俺の処罰は、内戦が終わるまで待ってもらえるんですか? 良かった!」

「違いますよ。」

「えぇ?……ダ、ダメなんですか?」

「いえ、そうではなく。」


 『紫の驢馬』は、意味が分からないという顔でキョトンとこちらを見ているティオを、目を細め、なんとも言えない表情で静かに見つめた。


「私はティオ殿を罰する気はありません。」

「え?」

「ええ、本当に、今回あなたが賞金首のお尋ね者の情報を町の警備兵に流した件で、あなたに報復しようなどとは、私は全く思っていませんでした、最初から。」

「……」

「少し脅し過ぎてしまいましたな。あなたにこんなふうに頭を下げさせるつもりはなかったのですよ。申し訳なかった。」


「私はただ、あなたが、私や私の組織に対して害意があったのかどうかが知りたかったのです。そう、あなたの真意が知りたかった。」


「世の中には、『正義』という指針で動いている人間が多く居ます。街の治安を守る警備兵はその最たるものでしょう。いや、むしろしっかりと『市民を守る』という『正義感』を持って任務に当たっていて欲しいものですな、理想としては。……ともかくも、自分の行動が『正しい』『正義に基づいている』と考えて、『正しくない』『正義に反する』要するに『悪』と呼ばれる側の人間を責め立てる者が、この世には多く居ます。……自分は『善』で『正しい』側なのだから、『悪』で『間違っている』側の人間には何をしてもいいと思っている。『悪』と思われる人間を、非難し糾弾し徹底的に社会から排除する、そんな自分の行動を一遍の迷いもなく『善』で『良い行い』だと信じてやまない。……そんな人間が、私達のような社会の裏側で生きる者を忌み嫌い、見下し、排斥するのは良くある事です。」


「しかし、我々も、何も好き好んで日の当たらない人生を歩んでいる訳ではない。……まあ、中には、他人を傷つける事に快楽を見いだすような困った輩もごく稀におりますがね。裏社会に生きる大抵の人間は、表の社会でごく普通に幸福に生きたいと願いながらも、それが叶わなかった者達です。生まれや環境、あるいは本人の資質の問題で、表社会の枠組みから零れ落ちてしまった。ああ、本人の資質というのは、倫理観の欠如というものだけでなく、例えば、人より少し頭が悪かったり、体が弱かったりといったものも含まれますな。表の社会で生きていくための条件が、諸々の理由で整わなかった。いわゆる『一般人』になれなかった、『普通』になれなかった者達です。」


「確かに、表の社会の枠組みの中で生きられなかったのは、本人の問題であり責任でもあるのでしょう。しかし、それを一概に『悪』と見なして忌み嫌い、時にその悪感情の高まりが排斥行為に及ぶのは、あまりに乱暴な思考だと言わざるを得ません。」

「表の社会の枠組みから零れ落ちる人間は、いつの時代にも居る。それは仕方のない事で、だとすれば、零れ落ちてくる人間を放ったまま好き勝手させるのではなく、彼らが生きていけるような受け皿を作って、ある程度の秩序を保つべきだ。それがまた、表社会の平和にも繋がる。……というのが、『紫の驢馬』、あなたの理念でしたね。」

「いかにも。そして、先程、ティオ殿、あなたと語り合って、あなたが私の理念を良く理解してくれているのを実感しました。」


「しかし、あなたは私達の組織に属する者達を、表の社会で生きてゆけない日陰者の者達を、表の法によって生きる人間である街の警備兵に売り渡した。お尋ね者の情報を大量に流した。……その様は、まるで、この世の汚物を一掃せんとするかのように見えたのです。」

「俺は、そんなつもりは……」

「ええ、その事情は先程正直に話して下さいましたな。あなたは、ただ、資金繰りに窮していた傭兵団の金策のためにやったのだと。」

「そうです。」

「しかし、この王都に潜んでいたお尋ね者だけでなく、近隣の町に幅を利かせていた盗賊団まで一斉に検挙されたのですから、我々の界隈では蜂の巣をつついたような大騒ぎになったのですよ。」


「『どこかの正義面した輩が、我々裏社会の人間をゴミを掃除するかのように排除しているのではないか?』とね。」


「私はすぐに部下を方々に走らせて、この事態を全容を解明しようと情報を集めました。そして、王都の警備兵の詰め所にフラリと現れて、矢継ぎ早に犯罪者の潜伏場所や盗賊団の根城などの情報を語った一人の人物に行き着いた。……部下達の調べによると、その男は、まだ二十歳にもならないほんの若者だったそうです。185cmを超える長身で、ボサボサの黒髪に、色あせた紺色のマントを着て、顔には古ぼけた大きな丸い眼鏡を掛けていた、という話でした。……そう、つまり、ティオ殿、あなたの事です。」


「ですが、私はその情報を簡単には信じられずにいました。……うら若いたった一人の青年が、この王都周辺の犯罪者達の情報を網羅しているなどあり得ないと思ったのですよ。何しろ、あなたが警備兵に流した情報の中には、私が組織を挙げて探っても得られなかったものも多く混じっていましたのでね。」


「しかし、昨晩、『黄金の穴蔵』で、初めてティオ殿、あなたを見て、その言動を観察する内に、確信に至りました。」


「警備兵に犯罪者達の情報を売ったのは、この青年で間違いないと。ティオ殿、あなたならば、それが可能だと。」


「おそらくですが、お尋ね者の情報を警備兵に売って金に替える事は、あなたが一人でした事ではないですかな?……昨晩、あなたのそばには傭兵団の人間が二人付き添っていましたが、彼らにはそんな実力はないと感じました。……いや、『牛おろしのボロツ』の通り名で知られる屈強な副団長に、かのドゥアルテ商会において愚鈍な腹違いの兄を陰で支えるべく育てられた、傭兵団では作戦参謀補佐をしているチェレンチー殿でしたかな? どちらの御仁も、それぞれとても優秀な人物です。……しかし、ティオ殿とは、その才能を発揮する分野が違うと言うべきか、あるいは……」


「あなただけが、あまりに逸脱していると言うべきか。」


「ともかくも、ボロツ殿とチェレンチー殿は、『黄金の穴蔵』にはあなたに付き添ってきただけの一般人という事で、私の正体は告げず、一夜の賭博を楽しんだ後そのままお帰りいただいた訳です。」

「……それは、安心しました。ご老人の推察通り、警備兵にお尋ね者の情報を売ったのは俺の独断でした。全て俺が一人でした事です。ボロツ副団長やチェレンチーさんを含め、傭兵団の人間は一切関わっていません。ご老人があの二人をカタギの人間として認識して、そのように扱ってくれていると聞いてホッとしました。」

「ええ、あのお二人には、誓って手は出しませんよ。どうかご安心下さい。しかし……」


「ティオ殿、あなたは、そうはいかない。」


「あなたが犯罪者の情報を大量に警備兵に流した件の人物だと知って、この街の裏社会を仕切る立場の私としては、放っておく訳にはいかなかったのですよ。そこで、こうしてあなたとじっくり話をする場を設けさせてもらった訳です。」


 『紫の驢馬』は、いまだ真剣な表情でこちらをジッと見つめているティオの肩をポンポンと叩いては、安心させる用に好々爺然とした笑みを浮かべてみせた。


「そして、ティオ殿の話を聞いて、あなたの事情を知りました。あなたが安っぽい正義感で犯罪者達をむやみやたらと警備兵に売り渡したのではない事も良く理解出来ました。……ですから、もう顔を上げて下さい、ティオ殿。私に対する謝罪は要りません。」

「しかし、ご老人、俺が金のために彼らを売ったのは事実です。動機はどうあれ、やった事は変わらない。ならば、裏社会のトップであるあなたには、俺に報復する理由はある筈です。」

「フム。……もう少し説明が必要なようですな。しかし……」


「この先は立って話しませんかな、ティオ殿。……年寄りにこの姿勢は少々辛いのですよ。お恥ずかしい話ですが、私も寄る年波には勝てず、ここ近年少々無理をすると膝と腰が痛くなります。これでも体は鍛えていたつもりだったのですがね。……あなたが頭を上げてくれなければ、あなたに頭を下げさせてしまった私も、いつまでもこうしていなければなりません。どうか、もう、顔を上げて下さい。」

「それは申し訳ありませんでした。」


 ティオは『紫の驢馬』の言葉に恐縮して、片膝を着いてしゃがんでいた姿勢からスッと立ち上がった。

 折れていたマントのシワを手で伸ばしたのち背を正したティオの所作は、やはり、自然な中にもどこか品良く感じられた。

 貴族達のようなその界隈特有の礼儀作法とは全くの別物だが、無駄がなく機能的で洗練された印象を受ける。

 『紫の驢馬』は部下達の作法をあまりうるさく言う方ではなかったが、彼らの中にティオのような綺麗な所作をする者は一人も居ない事を思うと、思わず唇の橋に苦笑が浮かんでいた。


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