野中の道 #28
「でも、親父、兄貴はコイツが警備兵にタレ込んだせいで捕まって処刑されちまったんだぜ! 俺は許せねぇ! 兄貴はこの世界での生き方を俺に教えてくれだ恩人だ! あんなにいい人を殺すなんて! 親父、どうかお願いだから、俺に兄貴の仇を討たせてくれ!」
「黙れ。ティオ殿は私の大事な客人だと何度も言っているだろう。お前はもういい。頭に血の上った人間にまともな警護など出来ん。一階に戻って他の部下達と大人しくしていろ。呼ぶまでここに戻ってくるな。話の邪魔だ。」
「親父!」
「いい加減にしろ!」
『紫の驢馬』はしつこく言い募る頬傷の男を、半ば皺に埋もれた細い目でギロリと睨み据えながら、ドン! とテーブルを拳で叩いた。
『紫の驢馬』は知的で静謐な雰囲気の小柄な老人であり、あまり自分の感情をあらわにする事はない。
そんな彼が、テーブルを拳で叩くという行動に出た事で、頬傷の男は『紫の驢馬』苛立ちを察し、ビクッと体をこわばらせていた。
そんな頬傷の男に、『紫の驢馬』は、老いた人差し指を一本立て、言い含めるように低い声で語った。
「いいか、良く聞け。前にもお前には話したがな、あの男は、私もそろそろなんとかしなければと思っていた所だったのだ。」
「お前にとって、あの男は確かにいい兄貴分だったのだろう。しかし、それはあの男の一面でしかない。……お前も将来幹部としてこの組織を支えていきたいと思うなら、もっと視野を広く持ち、冷静に客観的に物事を考える癖をつけろ。自分の感情だけで判断するな。……あの男は、酒に酔うと手がつけられず、組織内でもアイツに殴られて酷い怪我を負った人間が何人も居たのは、お前も良く知っているだろう? それだけじゃない、ここ近年では自分の中の凶暴性を抑えきれなくなって、強盗殺人を何件も起こしていた。金品を強奪するのはもはや建前で、押し込んだ家の人間を残虐に殺し、特に女は犯して殺していた。最近の一件では、その被害は十歳にも満たない子供にまで及んでいたんだぞ。……あれはもう駄目だった。酒に溺れていたのもあるが、完全にタガが外れてしまっていた。……裏社会に生きている人間とは言え、人として決して超えてはいけない一線というものがある。それをあの男は超えてしまったんだ。私も、組織として、あの男は早急に処分しようと思案していた所だったのだ。」
「……で、でも、兄貴は、今まで組織のためにずっと頑張ってきたんですぜ! 汚れ仕事だってたくさんしてきたんだ!」
「だからと言って、なんの咎もない一般人を、自分の欲望を満たすためだけに残虐に殺していい筈がないだろう。組織にとっても、社会にとっても、もうあの男は害にしかならなかった。私はそう判断していた。この組織の法は私だ。私が駄目だと言ったら絶対に駄目なのだ。……お前は、その私の判断に、あえて異を唱えると言うのか?」
「……そ、それは……」
「……」
頬傷の男が唇を噛んで黙り込むと、『紫の驢馬』は、そんな彼の胸をポンと手の甲で叩いて言った。
「退がっていろ。頭を冷やせ。」
「……はい。……」
頬傷の男は、上着の下に仕込んだナイフを抜きながらティオに向かって駆け寄る際放り出してしまった『紫の驢馬』から預かっていていた仕込み杖を床から拾い上げると、大事そうに両手に持ち、自分の主に一礼して立ち去っていった。
ティオの横を通った時に……
「……覚えてろよ、クソガキ。……」
とつぶやいていったが、ティオは聞こえなかった振りで、真っ直ぐ前を向いたままテーブルの上で指を組み合わせて微笑んでいた。
『紫の驢馬』はしっかり気づいていたらしく、「失礼な態度で本当に申し訳ない」と頬傷の男の代わりに謝っていた。
こうして頬傷の男は二階のテラスを去り、彼が階段に出ると同時にドアが閉じられた。
続いて、男の足が苛立ちを感じさせる乱暴さで階段を踏み鳴らし降りてゆく音が、階下へと遠ざかっていった。
まだ閉じられたドアの向こうに見張りらしい人間の気配が一つあったが、ドアが閉ざされ、テーブルからの距離もあり、これで完全に『紫の驢馬』とティオの話を聞く者は居なくなったのだった。
□
「話が途切れてしまいましたな。……心から部下の非礼をお詫びしすま。ティオ殿、ご気分はいかがですかな?」
「お気になさらず。ナイフを突きつけられた時はさすがに驚きましたが、もう大丈夫です。」
ティオが何事もなかったようにニコッと能天気な程明るい笑顔を見せると、『紫の驢馬』は、フウッと一つゆっくりと息を吐いたのち、改めてジッと向かいに座ったティオを見据えてきた。
その目には、王都の闇に巣食う大蛇が真贋を見極めんとする鋭さがギラリと宿っていた。
「では、改めてお聞きしますが、ティオ殿、街の警備兵に賞金首の情報を売ったのは、あなたで間違いありませんな?」
「はい。」
警備兵の詰め所に現れて何十人もの犯罪者の情報を教えた人物の人相風体は、もう『紫の驢馬』の耳に入っている様子だったので、ティオはムダな言い逃れをやめて、素直にコクリとうなずいた。
おそらく、王都に潜伏していた犯罪者が一斉に大量検挙された事態に驚いた『紫の驢馬』は、すぐに手下に事情を調べさせたのだろう。
その中に警備兵に情報を流したティオの情報も入っていただろう事は容易に想像がついた。
「先程は、揉め事を嫌って、つい誤魔化そうとしてしまいました。嘘をついてすみませんでした。」
というティオの謝罪を『紫の驢馬』がどう思ったのかは定かではないが、少しばかり苦い笑みを浮かべていた。
「理由を聞いても構いませんかな?」
「もちろんです。俺のした事は、王都周辺の裏社会を仕切っているあなたに弓を引く行為だと思われても仕方のない事ですからね。」
「……その口ぶりでは、私や私の組織に対して害意はなかったように聞こえますが?」
「はい、全くありませんでした。」
「では、一体なぜ?」
「いやぁ、それが、お恥ずかしい話なんですが……端的に言うと、金が目当てでした。ご存知の通り、街の警備兵の詰め所前の看板にお尋ね者として張り出されるような犯罪者は、漏れなくその首に賞金が懸かっています。俺はその賞金が欲しかったんです。」
「それは、ティオ殿が今作戦参謀をしている傭兵団のためですかな?」
「その通りです。昨晩『黄金の穴蔵』に行ったのも、傭兵団の資金を増やすためでしたが、警備兵に賞金首の情報を売ったのも、同様の理由です。」
「ほお。」
「少し、傭兵団の台所事情を話しても構いませんか?」
『紫の驢馬』がうなずくのを見て、ティオはスラスラと立て板に水で語っていった。
「俺が『作戦参謀』という役職に就いた時、傭兵団には全く金が無い状態でした。……まあ、『作戦参謀』というのも、俺が勝手に名乗っている役職で、国が定めた正式なものではありません。俺が来る前は、傭兵団は街の噂通り、ゴロツキや食い詰めたあぶれ者をただ寄せ集めただけの集団で、軍隊としての体をまるでなしていませんでした。そこで、このままではいずれ前線に送られた所で無駄死にするだけだと考えて、短い期間で少しでも軍隊としての形を整えようとしたのです。俺が『作戦参謀』と名乗っているのも、傭兵団の組織化を図るための一端です。」
「幸い人材には恵まれていたので、少し訓練をすれば軍隊として機能する見込みはありました。ただ、一つ大きな問題があって、それが『金』だった訳です。」
「なるほど、戦争には金がかかる。武器防具を揃えるだけでなく、兵士も衣食住が満たされていなければ充分な力を発揮出来ない事でしょう。良好な健康状態を保つためにも、一定の資金は必要ですな。」
「まさにそれです。……武器防具は戦闘力に直結するものですが、傭兵団ではそれぞれ手持ちのものを使うように言われていて、国からはなんの用意もありませんでした。衣食住については、古びた兵舎をあてがわれて、一応三食料理は提供されていましたが、寝る所も食事もどちらも最低限あればいいという状態でした。衣服や靴、毛布といった、身の回りの必需品の支給もありません。傭兵になると、一週間に一度給与が支給されますが、それもたった大銅貨四枚きり。貯蓄する余裕がないどころか、商売道具である武器の一つも買えません。大抵の者は、食事の際に有料の料理や酒を買って使い果たしてしまっていましたね。」
「そんな傭兵団で作戦参謀となった俺の一番の急務は、金を集める事でした。もちろん、軍隊としての訓練も行うようにしましたが、それだけではどうにもならないのは火を見るより明らかでした。とりあえず、俺個人の手持ちの金を注ぎ込んだのですけれぉ、その程度では焼け石に水で根本的な解決には程遠かったのは言うまでもありません。そこで、俺は、軍部の予算を扱っている部署に掛け合って、傭兵団用に国から資金を出してもらう事を考えました。幸か不幸か、傭兵団が設けられる原因となった一件で、本来は正規兵に回る筈だった予算が浮いているのは分かっていましたからね。」
「長引く内戦の影響で、兵士の数が減っているという話は聞きました。それに、兵士達の間でも、王都で流行している流行り病で倒れる者が多く出て、退役や休養を余儀なくされた者も少なくなかったとか。そうした戦力の低下を補うために、王国がなりふり構わず人員を集めたのが傭兵団でしたな。」
「はい。その減った分の兵士用に準備されていた金を傭兵団の方に融通してもらえないかと、俺は官吏に訴えた訳です。まあ、骨の折れる仕事でしたが、なんとか俺の嘆願が通って軍部から予算を割いてもらえる事になりました。……で、そのようやく支給された傭兵団用の資金を全て持って『黄金の穴蔵』に行った訳です。」
「ハハハ、虎の子の資金を全額賭博に注ぎ込むとは、ティオ殿でなければ思いつかない大胆不敵な策ですな。また、ティオ殿のドミノの腕があったればこその作戦と言えましょう。」
「まあ、その顛末は、昨晩の『黄金の穴蔵』でご老人自身が目にした通りですよ。」
ティオは、思わず唇の端を歪めて笑った『紫の驢馬』に合わせて、気恥ずかしげに頬を掻きながら苦笑いした。
「しかしですね、実は、軍部から予算が下りるまで、しばらく時間がかかったのです。なんとか約束は取りつけたのものの、相手はお役人なので、やれ審査がどうの、上に話を通す必要がどうの、書類やらサインがどうのと、手続きがとにかく面倒でして。そうこうしている内にも、武器や防具の発注期限が迫ってくるわ、食料品や備品の補充が必要になるわで、俺が補填しておいた資金がゴリゴリと目減りしていっていて、早い話が、切羽詰まっていたんです。」
「そこで俺は、俺が売れるものを売って金を稼ぐ事を考えました。」
「あくまで、傭兵団の資金が軍部から支給されるまでの繋ぎのつもりでした。資金が入りさえすれば、それを種銭にして賭場で荒稼ぎする算段でしたから。『支給された予算でドミノ賭博をする』というのが俺の考えた資金調達の本筋でしたが、それまでの間なんとかやり繰りするだけの金が早急に欲しかったんです。」
『紫の驢馬』は納得がいったというように、深くうなずいたのちに言った。
「それで、ティオ殿が売れるもの……つまり『情報』を売った訳ですな。既に私財を投じてしまっていて、他に売るものがなかったと。」
「その通りです。」
「これが、俺が警備兵に賞金首の情報を売った理由です。」
ティオはしっかりとした口調でそう断言すると、ザッと、座っていた椅子から立ち上がり、テーブルの脇に片膝を着いてしゃがんだ。
握りしめた拳の片方は胸に添え、もう片方は床に押し当てて、『紫の驢馬』に向かって深くこうべを垂れる。
「俺の浅慮な行いで、あなたには大変ご迷惑をお掛けしました、『紫の驢馬』。心からお詫びします。」
「……ティオ殿……」
『紫の驢馬』はそんなティオの潔い程の全面的な謝罪を、しばらく呆気にとられたように老いた目を見開いて見つめていた。
社会の闇で数多の修羅場を潜り抜けてきた事により、いっそう虚実を見極める鋭さを増したその瞳は、地に膝を着き頭を下げる青年の姿に、一分の偽りもない事を感じ取っていた。
とても若干十八歳とは思えない深謀遠慮と如才なさで、常に策謀を巡らせているかに見えるティオであったが、こうした場面では『紫の驢馬』の予想に反して、驚く程真っ直ぐな反応を見せていた。
知略に富み、豊富な知識と肝の座った図太さを武器に、自分と同等に会話を繰り広げるティオの事を、「腹の底の見えない油断ならない相手」と『紫の驢馬』は認識していた。
しかし、こうして素直に頭を下げている姿を目の前で見ると、叱られた子供が素直に「ごめんなさい」と謝ってきたかのような印象を覚えて、思わず戸惑ってしまう。
一転して、ティオの人物像が、裏表のない誠実な好青年に変わっていた。
そんな、思いがけないティオの真摯さに驚くと共に、改めて、彼がまだうら若い青年である事を実感し……
『紫の驢馬』は、今まで経てきた長い年月を感じさせるシワの奥で蛇のように光るその目を、動揺でわずかに揺らしていた。
が、ティオは、やがてパッと顔を上げると、いつもの掴みどころのない緊張感のない笑顔でアハハと笑いながら、ガシガシと自分のボサボサの頭を掻いて言った。
「なーんて、謝っても許されるもんじゃないですよねー。アハハー、困ったなぁ、これはー。」
「俺を処罰しない事には、頭目としてのあなたの面子が立ちませんよね?……えーと、指の二、三本だったら、今すぐ切って差し出しますが、とりあえずは、しばらくそれで我慢してもらえませんかね?」