野中の道 #24
「もう他のみんなは近衛騎士団の兵舎の方に集まってるぞ。」
「え? 近衛騎士団ー? なんでー?」
「それももう何度も説明した。まあ、もう実際行った方が早いだろ。さあ、行こうぜ。」
「う、うん。」
サラは、使っていた木剣は後で片づければいいと言われたため、地面に突き立てたままその場に起きっぱなしにして、近衛騎士団の兵舎へと急いだ。
もうサラとティオ以外の幹部達は全員先に行っているという事なので、サラは皆を待たせるのも悪いと思って慌てた。
どうやら、先程一旦ティオの気配が傭兵団の兵舎の敷地内から出ていったのは、近衛騎士団の方に移動していたらしかった。
木の枝に掛けていたオレンジ色のフードつきコートを、サラは、ピョンと飛び上がって手に取り、パサリと羽織った。
少し子供っぽくも可愛らしいデザインの胸元の赤いリボンをキュッと結ぶと、さっそく大きく手を振って足早に歩き出していた。
「あー! 違う違う、サラ! そっちは食堂! 近衛騎士団の兵舎は真逆の方向だぞ!」
「えー? そうだっけー?」
「相変わらず全然位置が覚えられないみたいだな。まあ、方向音痴はそう簡単に治るもんじゃないか。」
案の定、全くの見当違いの方向に向かいかけたサラは、背の高いティオにコートのフードをひょいと掴んで止められていた。
「集合時間になっても、サラの位置がこの訓練場から動いてないし、全然来る気配がなかったからな。サラの事だからコロッと忘れてるのかと思ったが、まさか、はじめから俺の話をまるで聞いてなかったとはな。マジで迎えにきて良かった。お前、どうせ一人じゃ近衛騎士団の兵舎まで行けないだろう?」
どうやらティオも、昨晩サラが『精神世界』において『不思議な壁』と同化しかけた一件から、以前よりサラの存在をはっきりと感じ取れるようになっているらしかった。
こうしてティオがそばに居るだけで、サラは、なんとなくホッと落ち着くような温かい気持ちになるのを感じていた。
「しょうがないな、迷うといけないから、ほら。」
そう言ってティオが差し出してきた手を、サラは当たり前のようにキュッと握った。
「うわっ!」
「え? 何ー?」
「……何やってんだ、俺は。……」
サラがティオの手を取ると、その瞬間、手を差し出してきたティオの方がバッと慌てて手を引っ込めたので、サラはキョトンとした。
ティオはしばらく、背中を丸め両手に顔を埋めて困惑している様子だった。
ティオが真っ赤になった顔を隠そうとうなだれて両手で押さえている姿は、昨晩『精神世界』では何度も見たが、改めて考えると、サラは『物質世界』でまだ見た事がなかった。
実際、サラ達の周りでそれぞれの訓練に励んでいた団員達は、ティオが耳まで真っ赤になって固まっている様子を見て、まるでお化けでも見たかのように目を見開いて驚いていた。
彼らにとっては、規則を守らないと漏れなく厳しく注意してきて、毎日毎日容赦ない訓練メニューを課してくる「鬼の作戦参謀」であり「冷血漢」である筈のティオが、純情な少年のように顔を赤くして恥ずかしがっているのが信じられなかったのだろう。
サラだけは、昨日散々ティオが真っ赤な顔でオロオロしている姿を見ていたので、(ああ、またかぁ)としか思わなかったが。
サラは、カクッと首を傾けて、両手に顔を埋めているティオの表情をうかがった。
「どうしたのー? ティオー?」
「……な、なんか、俺の中で、サラとの距離感が、おかしい。……」
「あー、それ、私もそうだよー。昨日の『不思議な壁』の影響でしょー? なんか、凄くティオの事身近に感じるんだよねー。これって、ずっとこのままなのかなー?……まあ、特に困ってないからいいけどー。」
「い、いいのかよ!?……お、俺は、困る。……」
「嫌なのー?」
「い、嫌とかそういうんじゃなくって、だな……た、ただ、こんな状態が続くと、周りの人間に誤解されるって言うか、傭兵団にはたくさん人が居るから、いろいろ噂されたりとか、からかわれたりとか……お、俺はともかく、サラはこういう事で噂されるのは良くないんじゃないのか?……ああ、な、何か対策を考えないと……」
「もー、ホント、ティオってそういうとこ面倒臭いよねー。嫌じゃないなら、別にいいじゃーん。……はい。」
「……え?」
「手、繋がないのー?」
「……」
どうという事もないという顔で、今度はサラの方からズイッと差し出された白く華奢な小さな手を、ティオはしばらく黙って呆然と見つめていたが……
やがて、黙ったまま、そっと掴んだ。
ティオと手を繋ぐと、サラは、ふうっと、離れていた自分の一部が戻ってきたような気持ちになり、自然と花のように明るい笑顔を浮かべていた。
「行こ、ティオ!」
「……あ、ああ。」
ティオはサラの手を繋いだものの、まだしばく真っ赤な顔で視線をサラから逸らしていた。
一方でサラは、ティオと繋いだ手をブンブン振り回しながら、元気一杯に上機嫌で鼻歌交じりに歩いていった。
そんな二人の様子を見ていた団員達の囁きが、その後、ヒソヒソと訓練場に満ちたのは言うまでもない。
「……え? あの二人、マジで付き合い出したのか? いや、違うか?……」
「……仲いいよなぁ。……でも、あれって……」
「……ああ、なんか……『保護者とその子供』って感じに見えちまうよなぁ。……」
ティオが長身な上に、サラが小柄で子供っぽい外見なので、親しげに手を繋いで歩いていても、その姿はどうも恋人という雰囲気ではなく……
親兄弟などの身内が、小さい子供がはぐれないように心配して手を握っているように見えてしまっていた。
誰かが口にした「保護者とその子供」という意見に、皆、「うんうん」と激しくうなずいて同意していた。
実際、自由奔放で世間知らずなサラが何か問題を起こさないようにと、常に目を光らせて彼女を気遣っているティオの姿は、サラの保護者と言えなくもないものだった。
□
「あ、こんにちは。」
「まあ、ティオちゃん、今日は女の子と一緒なのねぇ。」
「アハハ、うちの団長ですよ、良くご存知でしょう?」
ティオとサラが手を繋いだ状態で訓練場から渡り廊下へ出ると、通りがかったふくよかな中年女性に、さっそくティオは挨拶をしながら頭を下げていた。
「いい天気ですね」「昼ご飯楽しみにしています」「では、また」などと女性に短く言葉を掛けた後、ティオはサラの手を引いてまた歩み出した。
しかし、しばらく行った所で、二十代後半と思われる痩せぎすの男とすれ違い、会釈しながら再び挨拶をする。
他にも、質素な服装の老人、甲冑を着た兵士、若い女性二人組、といった具合に、すれ違う者皆にティオは挨拶をしていた。
人によっては、こちらから一方的に挨拶して頭を下げるだけで、相手はいちべつしたのちフンと鼻を鳴らして通り過ぎる事もあれば、親しげに軽く会話を交わす事もあった。
そんな違いはあれど、すれ違った人間の誰もが、ティオを見知っていて、彼から声を掛けられ挨拶される事に慣れている様子だった。
いつもはティオは一人の事が多いのだろうが、今日は手を繋いだサラを伴っていた。
そんな状況が気になるのか、サラの方をチラチラ見てくる者や、最初に挨拶を交わした中年女性のように話題にしてくる者も居たが、ティオは平然とした態度を崩さなかった。
「ごく当たり前の事」「何もおかしい所はない」「平常運転」そんな雰囲気で堂々としていると、サラと手を繋いでいるという、このどう見ても奇妙な状況に対しても、人は(そんなものか)と思って、しつこく追求してこないものらしい。
これが、オドオドしていたり、恥ずかしがって真っ赤になっていたりすると、(なんだなんだ?)と思われ、からかわれたり質問されたりしたのだろうが。
サラに対して個人的に声を掛けてくる者は居なかったものの……
こんな男所帯の兵士達の集まりで、ポツンと一人だけ混ざっている少女、しかも、見た目十三、四歳の小柄で可憐な美少女とあっては話題にならない筈もなく、傭兵団だけでなく、王城の北東区域に兵舎を構えている近衛騎士団や王国正規兵団の者達までもほとんどサラを知っている状況だった。
そのため、傭兵団の作戦参謀をしているティオが、団長であるサラを伴っていても、不思議はないと思われていた。
長身のティオが小柄でまだあどけない少女のようなサラと手を繋いでいる状況が、子供の世話をしているように見えるというのも手伝って、すれ違う者達は(んん?)と内心思いながらも、うるさく首を突っ込んできたりしなかったのだった。
「最初にすれ違った人は、傭兵団の食堂で調理をしてくれている女性だよ。サラもカウンターで料理を受け取る時に顔を合わせてるだろう?」
「えー、そんなの覚えてないよー。」
「二番目と三番目に会った二人は、正規兵団で雑用をしている人で、その次が、巡回から帰ってきた兵士、その後の二人組が、正規兵団の厨房で働いている女性達だな。」
ティオは、すれ違った誰に対しても声を掛け頭を下げて挨拶をする一方で、その対応は、また、誰に対しても一様で、特に親しげに話し込んだり、逆に仏頂面でぶっきらぼうになるといった事もなかった。
傭兵団の食堂で料理を作っているせいもあるのだろう、一番気心が知れていそうだったはじめの中年女性に対しても、実はティオは……
「いい天気ですね」……ありふれた世間話。
「昼ご飯楽しみにしています」……相手の仕事を褒める。
「では、また。」……挨拶。
という、割とどうでもいいような内容しか口にしていなかった。
「別にいいんだよ、話の内容はなんでも。相手が不快な気分にならなきゃな。出来れば、ちょっと気分が良くなってくれるのが望ましいかな。」
「えー、なんの意味があるのー、それー?」
「話をするって事自体に意味があるんだよ。ちょっとした短い挨拶でもな。そうする事によって、その人間と自分は『友好的な関係』なんだって相手は認識する。そして、毎日コツコツそういう短い会話や挨拶を積み上げていくと、その『友好的な関係にある』という認識が少しずつ相手の意識に刷り込まれていって、だんだんと良好な人間関係が形作られていくって訳だ。……でも、別に、友達とか仲間になりたい訳じゃないからな。決して深入りはしない。せいぜい、『顔を合わせたら自然と挨拶する』ぐらいの関係を築いておくように心がけてるよ。マメに、コツコツ、そして、軽い会話で終わりにして、深く立ち入らない、これがポイントだな。」
「へー、ティオって、結構周りに気を遣ってるんだねー。そんなに誰にでもニコニコ愛想振りまいてるなんて知らなかったよー。」
サラはそういって、ツンと唇を尖らせた。
(……うさん臭い笑顔ー。……私、ティオのああいうヘラヘラした笑い方、嫌いー!……)
(……それに、ティオに挨拶を返してくる人はいいけどー、バカにしたような目で見たり、偉そうにしたり、無視したりする人も居るじゃんー。そんな人にも、なんでヘラヘラ笑ってられるのー?……って言うかー、ティオが、ヘラヘラ笑ってるからいけないんだよー! あんなふうにいつも笑ってるから、バカで情けないヤツって思われちゃうんだからねー!……)
(……ティオは本当は、凄く優しいし、頭だってメチャクチャいいのにー!……)
ティオがいつも浮かべている緊張感のない能天気な笑みと、腰の低い態度せいで、彼を見下してくる人間が居る事にサラが腹を立てていると、ティオが至極割り切った事務的な口調で言った。
「ま、これが、傭兵団の作戦参謀たる俺の仕事だしな。」
「ヘラヘラ笑ってペコペコ挨拶する事が、作戦参謀の仕事ー?」
「そう言うなよ、サラ。サラは正義感が強から、こういう事は嫌いかも知れないけどな。」
ティオはサラの手を引いて迷いなく回廊を歩み進んでいきながらも、決して穏やかな笑みを絶やす事はなかった。
「傭兵団が周りから厄介者扱いされてるってのは、サラも知ってるだろう? まあ、ここに来るまでは、良くてゴロツキ、悪くて犯罪者をやってた、みたいな連中の集まりだからな、警戒されるのも仕方がない。」
「で、そんな傭兵団の作戦参謀としての俺の主な仕事は、傭兵団を強くする事な訳だが、いくら強くなったって、孤立無援ってのは分が悪いんだよ。もし万が一何かあった時、周りの人達が俺達傭兵団に力を貸してくれるように、いろいろ保険を掛けておくのは、別に悪い事じゃないだろう?」
「人間は社会的な生き物で、社会の中で生きていくのが普通だ。一から十まで一人きりでなんでもこなして生きていける人間はそう居ないし、特に社会や文化の中で何かを成したいと思ったら、一人でやれる事には限界がある。だから、通常、周りの人間との関係は、いいに越した事はない。」
「それは個人から集団になっても同じだ。国と国の関係だって似たようなもんだ。国はたくさんの人間が居る大きな集団だが、同じような大きな集団が、周辺にはいくつもあって、他国とのバランスを取りながら、その中で自国の立ち位置をなるべく良くしようってのが、外交ってヤツな訳だ。いくら強国だからって、周囲の国との関係を悪化させまくった揚げ句、周辺諸国の連合軍と戦争なんてオチ、真っ平ゴメンだろ? 平和が一番だよ。まず大前提として平和である事。そして、その平和の中で、文化や価値観の違う他の国々と良く話し合い、お互いの利害を主張したり時に譲歩したりして、折り合いをつけて上手くやっていく。更には、自国の安定と発展の道を勝ち取っていく。そういうのが、俺の考える理想の外交だな。戦争みたいに、お互い多くの血を流して殺し合った結果どうにかこうにか決着をつける、なんてのは、下の下だな。」
「まあ、要するに、不要な争いは避けて、出来るだけ仲良くしましょうってこった。結局はそれが、こちら側にも相手側にも、利のある事なんだよ。」
「傭兵団は急ごしらえの余所者の集まりで、元々あった王国正規兵団や近衛騎士団の人間には心象が悪い。でも、内戦の状況によっては、彼らと連携して反乱軍と戦う場面も出てくるだろう。そんな場面で王国兵達とムダに揉めて戦略が台無しになる、なんて状況は避けたいんだよ、俺としては。だから、今から少しずつでも印象を良くしておいた方がいいと思って、地道に好感度を上げてるって訳だ。まあ、大きな効果は期待出来ないにしてもさ、小さな事からコツコツと、ってな。」
サラにはやはり、ティオの話は難しい部分があり分からない事も多かったが……
ティオが、傭兵団のために、周りの人間にいろいろ気を遣って愛想を振りまいているという事だけは理解出来た。
サラは、今まで自分や傭兵団が強くなる事だけしか頭になく、周囲が自分達傭兵団をどう思っているかなどほとんど意識してこなかった。
そういったサラの考えの外側で、ティオがずっとあれこれと心を割いてくれていた事、そんな彼の努力に全く気づかずにいた事に、サラは少し申し訳なさを感じて、しばしうつむき下唇をキュッと噛み締めていた。
そんなサラの気持ちを察したのか、ティオがグッと、繋いでいたサラの手をしっかりと握りしめてきた。
「前にも適材適所って言ったろ? 人間、得て不得手があるんだから、こういう事は丸っと俺に任せとけよ。サラは余計な事は気にせず、自分の訓練に集中する方がいい。」
サラが顔を上げてティオ見ると、ティオはサラを安心させるようにニコッと笑った。
それは、外部の人間に向けていた愛想のいい作り笑顔ではなく、ティオの心からの笑みだったので、サラはようやくホッと胸の中が温かくなるのを感じていた。




