野中の道 #22
(……ティオは、強い。……)
(……私の勘が確かなら、たぶん、かなり強い、筈。今は、そんな気がしてる。……)
サラは初めてティオに会った時、彼を「弱い」人間だと判断した。
それには、このナザール王国の王都の城門を入ったばかりの所で、ティオがゴロツキ達に囲まれカツアゲされている場面に遭遇したという理由もあった。
ティオは確かに背は高いが、猫背に背を丸めていると、ひょろりと細く頼りなく見える。
ボロボロの色あせたマントにボサボサの髪、顔には分厚く大きな丸いレンズの入った眼鏡を掛けている、という奇妙な風体も、とても腕っ節の強い人間には見えないものだった。
そして、何より、ティオはいつもヘラヘラと緊張感のない笑顔を浮かべていた。
一本気で正義感の強いサラは、ティオのその軽佻浮薄な笑顔が嘘臭くて苦手だった。
そんなティオの腹の中の見えない不誠実な雰囲気は、コイツはどうも信用ならない怪しいヤツだと周囲の人間に感じさせるものだった。
サラの今までの経験上、こういう嘘臭くヘラヘラしている者は、誰かを騙そうというやましい心を隠そうとしていたり……
あるいは、自分の弱さを誤魔化すために、自分より強い相手に必死に媚びへつらおうとしている人間だった。
そのため、最初はティオの事を全く信用しておらず、ペラペラ良く喋って口は達者だけれど、弱っちくてうさん臭いヤツだとしか思っていなかった。
しかし、サラは、ティオと近くで接する内、ティオの例のヘラヘラした笑顔は、全く違う意味合いを持っているのではないかと思い始めた。
(……ま、まあ、私も、最初はすっかり騙されてたんだけどねー。だってー、ティオってば、刃物が怖いって、すぐギャーギャー騒ぐしー、ガクガクブルブル震えるしー、物凄ーく情けないんだもんー。……)
ティオは、演技ではなく本当に極度の刃物恐怖症なのだが、それがティオが「弱い」人間だという認識を周囲の人間に助長させる結果となっていた。
ティオの場合、武器全般が持てないどころか、視界に入れるのもダメなため、チラと見せただけで真っ青な顔で怯えるので、その印象は周囲の人間に強烈に焼きついた。
ティオは、入団試験を担当したハンスの部下の兵士が勝手に転んで倒れたおかげで、どさくさにまぎれて傭兵団に入ったものの、その後の訓練ではまるで役に立たず、しばらくは、同じく戦力外通告をされていたチェレンチーと共に隅っこでお茶を引いていた。
サラの中でそんなティオの印象が変わったのは、ティオが王宮の宝物庫に盗みに入ったのを知った日の事だった。
警備の兵士達に追われて逃げてきたティオは、兵舎の端にあるサラの部屋に忍び込んで身を隠していたが、着替えようとしていたサラがくすんだ赤い石のついたペンダントを首から下げているのを見て、「それはずっと俺が探してたヤツー!」と我を忘れて飛び出てきた。
それがきっかけでサラに疑われ、馬乗りに押さえつけられて、身ぐるみ剥がされる羽目になったティオだった。
その時、ティオは、いつもの色あせた紺色のマントや黒い上着を着ておらず、ゴチャゴチャとした荷物も提げていなかったが、代わりに着ていたフードつきのローブをはじめ、シャツやズボンの中から、次々と盗んだ宝石が出てきたのを見て、サラは大きなため息をつくと共にショックでめまいがした。
この時、サラは、ティオのはだけたシャツの下に、自分の持っているのとそっくり同じ見た目の赤い石のはまったペンダントを見つけて驚いたのだったが……
もう一つ、気づいた事があった。
その時は、盗んだ宝石やら、赤い石やら、衝撃的な事が多過ぎて気にかける余裕がなかったけれども、後になって改めて思い出すと……
初めて見たティオの裸の体は、思いの外引き締まっていた。
ボロツのように、元々がたいの良い所に筋肉を隆々と鍛えて、見る者に「いかにも強そうだ」と思わせるのとは全く違う雰囲気だった。
ティオのそれは、良く鍛えられた、過不足のないしなやかな筋肉に覆われた肉体だった。
他人にインパクトを与える見た目の派手さより、見た目は地味でも実用的な体つき……名より実を取ったという印象だった。
また、ティオは、どうやら着痩せする方らしかった。
いつも裾を地面に擦る程長いマントで体を覆い尽くしている事と、185cmを超える長身のせいで、ひょろりと頼りなく痩せて見えていただけだった事を知った。
実際、そのムダなく機能的に鍛え抜かれた体は、厳重な警備網をかい潜って王宮の奥から宝石をゴッソリ盗んできた彼の身体能力の高さを裏づけるものだった。
その事件がきっかけとなって、サラはティオという人間を改めてじっくりと観察するようになった。
そして、ジワジワと、今まで気づかずに見逃していた事実を知る事となる。
□
(……ティオは、傭兵団でイジメられてなかったんだよねー。……)
剣の一つも握れず、木剣を見ただけでヒーヒー言って逃げ出すティオは、傭兵団では「足手まとい」「役立たず」とバカにされる筈の人間だった。
しかも傭兵団に属しているのは、自分の腕っ節と好戦的で荒っぽい性格を武器に、すぐ他人に噛みつく事で周囲に自分の存在を知らしめようとするタイプの元ゴロツキばかりだった。
そうでなくとも、兵士という職業の人間の中では、「度胸がない」「肝っ玉の小さいヤツ」と認定されると、下に見られるのが普通だった。
しかし、ティオは、団員達に時に笑われバカにされながらも、特に陰湿なイジメや攻撃を受けている様子はなかった。
「俺は弱い者イジメとか、そういうのが嫌いだからよ。俺の目が黒い内は、ここではそういうみっともない真似はさせないぜ。」
と、サラが来る前は傭兵団を仕切っていたボロツが言っていた。
見た目の凶悪な犯罪者面に反して、傭兵団でもかなりの常識人かつ人情派で世話焼きのボロツは、イジメのような卑劣な行為を嫌っており、そのため傭兵団内で陰湿なイジメや差別をする者が居なかった、というのもあるだろう。
確かに、戦闘訓練で役に立たない人間に、洗濯や掃除といった面倒な雑用を押しつけるような事は時々あったが、いわれのない暴力を振るったり人間性を踏みにじって追い詰めるような場面は見かけなかった。
それに、ティオの事なので、都合が悪くなると、口先三寸でペラペラまくしたてて誤魔化したり、のらりくらりとしたたかに逃げ回っているのだろうとサラは思っていた。
確かに、そんなサラの想像は間違っておらず、ティオは頭の良さと逃げ足の速さで大体の厄介ごとをかわしている様子だった。
だが、今思うと、ティオが、素行の悪い人間の巣窟である傭兵団で、憂さ晴らしの格好のターゲットにならなかった全く別の理由が見えてくる気がする。
(……良ーく観察すると……実は、ティオには、「本当に弱い人」の雰囲気がないんだよねー。……)
それは、「弱者」が持つ特有の気配、とでも言うべきものだろうか。
人間も動物であるので、自分より体の大きな者、強い者に自然と恐怖を感じる性質がある。
生存本能的に、生命の危機を自分に与える可能性のある者に対峙した時、自然と避けようとする感覚があるのかもしれない。
ボロツに対する周囲の反応がそのいい例で、大柄でいかめしい見た目で、かつ実際に豪腕である彼に対して、大抵の者は心のどこかに怖れの感情を抱きながら接している。
本当はボロツは、無法者とはいえ、誰彼構わず暴力を振るい頭ごなしに押さえつけるような粗暴で傲慢な所はない男なのだが……
彼の放っている「強者」の気配に、周囲の人間は反射的に恐れをなしてしまうのだった。
また、ボロツは、そんな他人を怯えさせる自分の「強者」の気配を隠すような繊細な気遣いはしなかった。
ずっとその恵まれ体躯と腕力を糧に裏社会で生きてきたボロツにとって、相手になめられないよう自分をより強く見せる努力こそすれ、わざわざ「強者」の気配を隠して自分を弱く見せる事に対して、なんの必要性も感じなかったのだろう。
一方でそんな「強者」の気配を持つボロツとは対照的に「弱者」の気配をまとっている者達も居た。
自分より大きな者や強い者を前にすると、人は本能的に脅威を覚えて恐怖を感じる訳だが、その恐怖を感じる対象の数が多く、その感覚により敏感な人間がその特有の気配を持つ傾向があった。
その手のタイプは、他人に対してビクビクおどおどしている事が多かった。
それ以外にも、過去に自分よりも社会的あるいは物理的に強い者から酷い扱いを受けたり、いたぶられたりと、心に傷を負っている者も居た。
そうした過去の経験があって、一般的な人間より「強者」に対してビクビクした態度で接してしまうようになる。
そして、そんな彼らの、すぐに怯えたり震えたりする様子は、他人の嗜虐心を煽る性質があるらしかった。
もちろん、全ての者が彼らを見て何かする訳ではないのだが、世の中には、自分よりも弱い者を虐げる事で愉悦を感じたり、自分より下の者を更に下げる事で自分が偉くなったように錯覚して気分が良くなる性格の者が一定数居るのは間違いなかった。
そんな、いわゆる「イジメっ子」体質の人間にとって、すぐにビクビク怯えてしまう人間の発する「弱者」特有の気配は、まるで誘引剤のような役割を果たしていた。
そういったたちの悪い者達は、「弱者」の気配を持っている者に気づくと、すぐに寄ってきて、彼らにちょっかいを掛けようとしてくるのだった。
そういった「弱者」の気配を持つ人物をサラは傭兵団ではまず見かけなかったが、強いて言うならチェレンチーだろうか。
チェレンチーから聞いた所によると、彼は子供の頃から傭兵団に入るごく最近まで、生家である商人の家で腹違いの兄や父親の正妻に酷い扱いを受けていたらしかった。
家業を手伝って店の下働きとして働いていたため、さすがに衣食住に困る事はなかったようだが、時折兄に理不尽な暴力を振るわれる、正妻に陰湿な陰口を叩かれるなど、兄と正妻はチェレンチーに対して、人間としての尊厳を奪うようなむごい仕打ちを繰り返していたようだった。
そんな過去の辛い経験から、チェレンチーは、他者に痛めつけられる「弱者」の雰囲気をまとっており、傭兵団においても、ちょくちょく彼に自分がやるべき洗濯や掃除といった雑用を押しつける者が居たらしい。
それでも、傭兵団を仕切っているボロツが、入団試験を受けた時のチェレンチー決意の強さを見て、彼の事を買うようになり、一応気に掛けていたため、傭兵団においてはあまり酷い事は起こらなかったようだが。
そんなチェレンチーも、ティオに指名されて作戦参謀補佐となってからは、毎日目の回るような忙しさの中で、少しずつ自信を取り戻していった様子だった。
特に一昨日のドミノ賭博の一件ののちは、吹っ切れたように明るくなったように感じられた。
おそらく、チェレンチーンが今まで他人に対して過度に緊張したり怯えがちだったのは、元々の彼の性格が臆病だった訳ではなく、これまで彼の人間性を抑圧するような環境に居たのが原因だったようだ。
今は、その原因が完全に取り除かれたため、優しく柔和ながらも、真面目でしっかりした彼の元の性格が表にはっきりと出るようになったのだと思われる。
ともかくも、チェレンチーがハキハキと元気になった事をサラは喜んでいた。
(……でも、ティオには、チャッピーのようなビクビクオドオドした雰囲気は全然ないんだよねー。……)
初めてサラがティオに会った時、ティオは街の裏路地でゴロツキ達に囲まれており、ティオ本人も「やめて下さいー!」などと裏返った声で弱い人間のような演技をしていたが……
後からティオに聞いた話によると、逆に、ゴロツキ達に絡まれている内に彼らの財布をスって、その後自慢の逃げ足でスタコラ逃げようと思っていたらしい。
ティオならば、サラが心配して助けに入る必要もなく、無事一人で逃げ切っただろうと、ティオを良く知るようになってからサラも思っていた。
(……ティオって、極度の刃物恐怖症のせいで分かりにくいけどー……)
(……実は、人に対して怯えたり怖がったりって、全然ないんだよねー。一度も見た事ないなぁ。……)
良く思い返してみると、ティオは傭兵団に入った時からボロツに対して特に怖がる様子がなかった。
ボロツが持っている、彼のトレードマークである身の丈を超える大剣「牛おろし」を見た時は、当然真っ青な顔でビクビクしていたが、ボロツ本人に対しては、平然と口をきいたり近寄ったりといった行動をとっていた。
そして、それは、傭兵団の中でも腕っぷしの強い者達が群れているボロツの取り巻き達に対しても同様だった。
長年の研鑽ににより確かな剣の腕持つ王国正規兵のハンスに対しても、若い頃は弓の名手として近隣諸国に名前を轟かせる程だったというジラールに対してもまた、ティオは、年長者への敬意は払いつつも、特に緊張するふうもなく接していた。
はじめは、ティオの見た目や、傭兵団に所属していながら極度の刃物恐怖症で武器が持てないという情けない状況に、彼をバカにして笑っていた者達も……
ティオと共に居る時間が長くなるにつれて、彼の持つ気配の質に気づいていった。
あるいは、ハッキリとは気づいていないものの、無意識下で何かを感じ取っていたのだろう。
そうして、ふと気がつくと、ティオを「弱者」と認識していたぶろうとする者は、傭兵団内に誰も居なくなっていた。
まあ、程なくティオは、サラの全面的な後押しによって、傭兵団において、団長のサラ、副団長のボロツに次ぐ権力を持つ「作戦参謀」の役職に就いたため、団員達は表立って彼に横柄な態度をとれなくなったというのもあるのだが。
(……問題は、ティオがどうして、ボロツやハンスさん達の前でも、いつもみたいにヘラヘラ笑っていられるかって事なんだよねー……)
自分より大きな者や強い者に恐怖の感情を抱くのが、生き物としての人間さがだとすれば……
それを全く感じないという事は……
生存本能からくる危機意識が薄い、勘が鈍い……
という、生き物としての、人としての、何か大事な感覚が欠落している事が考えられたが……
もう一つの可能性を、今のサラは、ティオを目の前にして考えていた。
(……自分の方が相手より強いなら、何も恐怖は感じない。……)
(……つまり、ティオは、ボロツやハンスさんやジラールさんより……)
(……「圧倒的に強い」……って事になるんだよねー。……)




