野中の道 #20
「サラ、何してんだよ?」
「あ、ティオー!」
サラはニッコリと笑って振り返った。
その様子はまるで小さな子供が夢中で泥遊びでもしていたかのように無邪気で、ティオは思わず片方の唇の端を引きつらせていた。
なぜなら、サラの後ろには、ゼイゼイと肩で息を切らした傭兵団の団員達の姿があったからだ。
サラはと言うと、右手に一般的な訓練用の木剣を持ち、左手にはひと回り短い木剣を握りしめていた。
オレンジ色のフードつきのコートは、脱いで訓練場の片隅にある木の枝に掛けており、今は生成りのシャツとキュロットスカートという姿だった。
サラが長さの違う木剣を両手に持っていたのは、元々所持している長剣と短めの片刃の曲刀の二本の剣に合わせて、実戦での感覚のズレがなるべくないようにという配慮からだった。
コートを脱いでいたのは、動きやすさとサラの気合の表れだろう。
一方で、サラの訓練に付き合わされていた傭兵団の団員達は、まだサラの特訓が始まってから十五分と経っていないのに、既に酷い有様だった。
自分の使っている木剣を杖代わりに地面について大きく背中を曲げゼイゼイと息を切らしている者、ティオが来てサラの戦闘態勢が一時休止した事で、緊張の糸が切れたらしく、ドッと地面に崩れ落ちるように座り込んだ者、既に地面にうつ伏せや仰向けで倒れている者……
弓矢の攻撃を想定した石を投げる係の者達はさすがにそこまで消耗していなかったが、この二週間鍛えてきたというのに、脇腹を押さえて汗まみれの顔を歪めていた。
「何してるってー……いつもの特訓だけどー?」
□
確かに、サラの言う通り、傭兵団の訓練場にて行われている午前中の鍛錬は、全員参加での規律訓練、基礎訓練に続いて、現在小隊ごとに分かれてのそれぞれの特別訓練に移っていた。
この時団長であるサラは、本来なら各小隊を回ってそれぞれの小隊で訓練が正しく行われているか確認する必要があるのだが、サラにはそれが出来ないので、その役割は作戦参謀であるティオが代わりに担っていた。
と言っても、ティオは情報収集や資金や資材の調達など諸々の用事で忙しく、訓練の頭から終わりまでついて見ている事は物理的に難しかったため、事前に各小隊長達に訓練方法やその日の訓練メニューを叩き込んでおく方針をとっていた。
それでも、ティオは、少なくとも一日一度は各小隊を見て回るようにしており、訓練方法に間違いや不足があった時は、見回ってきた時に指摘し、順調に伸びている部分は褒めていた。
また、朝と夜に行われる幹部会議で各小隊の訓練の進捗を確認して、次の目標やスケジュールを伝えておき、それをメモしたものをティオの補佐をしているチェレンチーに持たせて、ティオが傭兵団を離れている時も不明な点はすぐに確認出来るようにしてあった。
こうして、ティオは、自分が居なくても傭兵団の訓練が円滑に回るようにはからうと共に、各小隊や各班ごとに自主性と仲間意識を強く持たせるようにしていたのだった。
この小隊ごとの特殊訓練の時間を、サラは、ティオに特別に組んでもらった専用の特訓に当てていた。
何しろサラは、運動能力が規格外過ぎるので、他の団員達の中に入れると、個ではなく班や小隊といった集団で行動する訓練をしている団員達の動きが乱れ、かえって効率を下げしまうのだ。
そのため、ティオは、サラには、逆に集団としてではなく個として、武人としての強さを伸ばす方向で、訓練をさせていた。
傭兵団には元々サラに敵う実力の持ち主はおらず、正面から打ち合っても意味がない。
そこで、敵に囲まれた場合を想定し、複数人の兵士で同時に攻撃させて、それを捌く練習を考案したのだった。
また、サラが経験のない飛び道具への対処として、弓による攻撃を想定して、小石を投げる人員も同時に配した。
剣による攻撃が二人、小石を投げる人間が一人から始めて、サラがしっかり反応出来るようになると、それぞれ人数を増やしていった。
そして、現在、剣による攻撃が五人、小石を投げる攻撃が二人、という所まで増えていた。
サラの特訓の相手となる人間は、最も人数が多い片手剣の部隊から日替わりで選出されていたが、これ以上サラ一人に人員を割く訳にもいかないのと、人員が過密になり過ぎると同士討ちになるという理由で、もう人数は増やす予定はなかった。
代わりに、兵士の疲労を加味し、一時間程で人員を入れ替える事で集中力を高く保たせる方向に変わっていた。
しかし、それでも、サラの当番が回ってきた兵士達が「うわぁ! 俺かよ!」「死ぬ!」と真っ青な顔で嫌がり、ベロベロになるまで疲弊してしまうため、ティオは(しょうがないから三十分交代にするかぁ)と思っている所だった。
(……うん、予想以上に訓練の成果が出て、サラの実力は順調に伸びている。ここまで仕上がれば、まず実戦でも問題ないだろう。……)
と、ティオも満足のいく結果を叩き出したのは、ひとえにサラの持ち前の運動能力の高さと共に、サラが本人が「もっと強くなる」事に貪欲で、誰よりも意欲的に訓練に取り組んできたためだった。
サラは、傭兵団の団長ではあるが、団員に対して戦術的な指導や手ほどきなどは全くしなかった。
しかし、サラの真剣な姿と驚異的な強さを目の当たりにする事で、団員達の士気は間違いなく高まっていた。
サラは、傭兵団の団長ではあったが、指導者ではなく、先導者でもなかった。
指導者として戦術を教える役目はティオが担い、先導者として皆をまとめる役目はボロツが担っていた。
そして、サラは、傭兵団の象徴として、明るく前向きな雰囲気と、その圧倒的な強さで、士気を上げる役目を担っていたのだった。
もっとも、サラ自身はそんな事は何も意識しておらず、日々天真爛漫に元気に生活し、訓練においては、もっと強くなろうと一生懸命頑張っていただけだったのだが。
ティオが作戦参謀となり傭兵団を改革した直後、戦闘面においてティオがサラに与えた課題を、サラは今やほぼ完璧にこなすまでになっていた。
そんなサラの姿に、ボロツや小隊長達をはじめとした団員達も刺激を受けて、皆真剣に訓練に取り組んでいるのは良い状況だった。
ただ、課題をクリアしてしまったサラをこの後どう扱うかという問題で、ティオは少し頭を悩ませていた。
(……まあ、今日からサラや幹部達は新しい訓練が始まるからな。戦場に出るまでの後数日は、それでサラの気分はなんとかまぎれるだろう。……)
□
「特訓するのはいいけどな、サラ、お前、相手をしてくれてる団員を攻撃すんなって言っただろう?」
「お前がしていいのは、みんなの攻撃を防ぐだけだ。攻撃も反撃もダメ。でないと、お前の相手をする団員が痛い思いをするだろう?」
「……私、攻撃なんてしてないもん。」
「本当か?」
「本当だよ!」
「……」
ティオは、サラの周りでの既に疲弊しまくっている団員達に問いかけるように視線を投げると、皆一斉にブンブンと千切れる勢いで首を横に振っていた。
「みんなサラに攻撃されたって言ってるぞ。」
「あー! ティオに告げ口するなんて、みんな酷いよー!」
「やっぱり攻撃してんじゃねぇか!」
「ち、違うもん! あれは攻撃じゃないもん! みんながすぐにサボるからー、ダメだよってチョイチョイってつついて注意しただけだもんー!」
「チョイチョイってつつかれたぐらいじゃ、苦痛で顔を歪めたり冷や汗をダラダラ垂らしたりしねーっつーの! お前のは、注意するとか言って、実際はボッコボコにしてんだよ! お前はバカみたいに怪力なんだから、気をつけろっていっつも言ってんだろうが!」
「わ、私はちゃんと手加減してたもんねー! 軽ーく叩いてるだけだもんねー!」
「ほうら、やっぱり攻撃してんじゃねーかよー!」
「違うもん、違うもんー! あんなの、ゼンッゼン攻撃って言わないもんー!」
ティオは、ここにやって来た時、サラの特訓の相手をしていた団員達にグルリと視線を巡らし、彼らの体のあちこちに、内出血とまではいかないが、赤い打撲痕があるのを確認していた。
サラが手にしていた木剣で「軽くつついた」せいだろう。
要するに、手加減はしていたものの、ボコボコ叩いたために出来たものに違いなかった。
中には、見える場所に痕がない者も居たが、四つん這いになってゲーゲー吐いているのを見ると、鳩尾に拳を叩き込まれたか何かされたに違いない。
なぜこんな事をサラがするかと言うと、本人が言っているように、サラ自身には全く悪意はなく……
ただ、もう彼らの攻撃を軽々と回避あるいは防御する事が出来るため、手持ち無沙汰になってしまい、「ねえ、もっと速く、もっといっぱい攻撃してよー!」「真剣に頑張ってよー!」と、暇にあかせてせっついていたらしい。
もちろん、サラの特訓に付き合っている団員達は特に気を抜いてはおらず、必死にサラに攻撃を仕掛けているのだったが、時折息を整えたり、体勢を立て直したりしているだけで、サラが「サボってる!」と不満を漏らしてくるのだった。
しかも、チラとでも隙見せると、「もっと真面目にやるように軽く注意する」という名目で、バシバシと、手首や足をはじめ頭から背中から、木剣で小突かれるので悲惨な事この上なかった。
剣で叩かれなくてホッとした者も、次の瞬間に、サラの肘鉄が鳩尾に決まって崩れ落ちる有様だった。
「攻撃じゃなくても注意でもなんでも、とにかくみんなに手を挙げるのはやめろ! おかげで、お前の特訓の相手をするのをどれだけみんなが怖がってると思ってんだ! お前の相手を頼むと、嫌がってみんな逃げてくんだぞ! それどころか、精神的に追い詰められて胃がシクシク痛いとか言い出すヤツまで居る始末だ! お前、このままじゃ誰も特訓に付き合ってくれなくなっちまうぞ!」
「えー! そんなのヤダぁー!」
「嫌だったなら、今後一切、特訓の相手をしてくれてる団員を剣で叩くのはやめろ! もちろん、剣を使わずに殴ったり蹴ったりするのも禁止だ! いいな?」
「……わ、分かったよぅ、もう! ティオってば、ホンット細かい事にうるさいんだからー!」
「俺は細かくない! サラが大雑把過ぎるんだよ! お前はもっと繊細になれ!」
普段はティオの事を「血も涙もない冷血漢」「鬼の作戦参謀」と陰口を叩いている団員達も、この時ばかりはティオが救いの神に見えていた。
確かにティオは、怠けたり規則を守らない者が居れば容赦なく処罰を与えるような厳しい態度を一貫してとっており、また彼が組む訓練メニューは、皆が一丸となって必死に努力しなければこなせないような課題が毎日抜かりなく用意されていた。
しかし、常識のあるティオは、サラのような理不尽で話の通じない相手ではなく、きちんと事情を説明して納得が得られれば、こちらの訴えを受け入れてくれた。
それに、厳しいとは言っても、こちらが手を抜かず真剣に取り組む限り、なんとかこなせるような課題を図ったようにいつも用意してきていた。
この傭兵団において、幹部の中でも、サラにはっきりと意見出来るのは、ティオとボロツと、王国正規兵のハンスがせいぜいだった。
そんなティオが、自分達に代わって窮状をサラに的確に伝え、たしなめてくれた事で、サラの理不尽な暴力がなくなると分かって、団員達は涙を滲ませつつ胸を撫で下したのだった。
□
(……ティオかぁ。……)
サラは、ティオに叱られてプウッと頬を膨らませそっぽを向いたものの、チラチラと横目で彼を見ていた。
(……やっぱり、後は、ティオしか残ってないよねー。……)
サラはこの約二週間の特訓の成果で、自身の感覚がより鋭敏になったのを感じていた。
サラの「もっと強くなりたい!」という最も重要な目的は、はじめから一ミリもズレていなかった。
ティオが作戦参謀についた当初、サラは剣術の練習をしたいと訴えていた。
サラは常時「身体強化」の異能力が発動しているおかげもあり、敏捷性、瞬発力、反射神経、視力、腕力など、「肉体」にまつわるおよそ全ての能力が常人の域を遥かに超えていた。
そのため、一応剣を二振り腰に下げて「剣士」(正確には「世界最強の美少女剣士!」)を自称してあちこち旅して回っていたのだが、実はその剣は勘で振り回しているだけで、一度も剣術の手ほどきを受けた事がなかった。
サラの飛び抜けた運動神経なら、両手の剣を適当に振り回してるだけで、王国正規兵のハンスのように何十年と研鑽を積んできた兵士を軽くいなせてしまえるのも事実だった。
しかし、「もっと強くなりたい!」と思っていたサラは、せっかく傭兵団に入ったのだから、剣術の得意な人間からいろいろ学ぼうと考え、ワクワク期待していた。
ところが、傭兵団で一番強いとされていた身の丈を超える大剣を振り回すボロツを、入団試験の直後に倒してしまった。
つまり、サラの「適当に勘で剣を振り回すだけ」という剣術とも言えない代物が、傭兵団においても他を圧倒してしまったのだった。
それでも、サラは諦めず、「もっと強くなる」ために特訓をしたいと、正式な剣術の稽古を作戦参謀となったティオに要求した。
「ダメだ。」
「えー! なんでぇー?」
が、ティオはサラの訴えを取りつく島もなく却下した。
その理由は……
「サラの今の強さは、型にはまらず本能のままに体を動かす事からきている強さだからだ。」
「確かに、ハンスさんのように、きちんと基礎から体の動かし方剣の扱い方を学んでいくのが剣術の正攻法だ。それは、長い歴史の中でたくさんの人間が試行錯誤しながら、ムダを省き最も効率的だと思うやり方を選び抜いて確立した方法だ。つまり、今広まっている剣術の鍛錬形式は、多くの人間にとっての最適解な訳だ。だから、型に沿って段階的に剣術の鍛錬を積めば、才能のない者でもある程度は強くなれる。」
「でも、それは、何年という長い時間、体を鍛え、剣を手に馴染ませ、数え切れない程素振りをして、剣術の型を覚える必要がある。反射的に型通りの動きが出来るようにな。応用に進めば対人戦もあるが、訓練の大半は、気の遠くなるような退屈な単純作業の繰り返しだ。そこには、本人の真剣でひたむきな姿勢と長い時間が必要となってくる。」
「俺がサラに剣術の型を習わない方がいいと言う理由のまず一つ目はそれだ。正式な剣術の技術を身につけるのは、どうしても長い時間がかかる。しかし、今の俺達には、そんな時間はない。」
「もう一つの理由は、型を覚える事によって、今現在直感的に戦っているサラの戦闘スタイルが乱れる事を俺は心配してる。……今のサラの強さは、型にはまらない自由故の強さだ。そういうのは、特に、長い間真面目に剣術の鍛錬をしてきた人間にとっては、予想不可能な動きでなかなかやりにくいものなんだぜ。そして、今のサラは、無茶苦茶ながらも尖った強さを発揮している。ある意味型通りの剣術とは正反対の方向で完成している、とも言える。……そんなサラの自由な剣を正統派の剣術の型にはめようとすれば、サラの自由は縛られる事になり、逆に戦闘力が落ちる可能性がある。」
「まあ、案外上手くいくかもしれないが、俺としてはそんな博打は打ちたくないね。サラはこの傭兵団において、一騎当千の大きな戦力だ。その戦力が落ちる可能性と引き換えに正統派の剣術の型を覚えるよりも、サラは、これから戦場に出るまでの短い期間、今の戦闘スタイルはそのままに、長所を伸ばす方向で調整した方がいいと思うんだ。」
「まあ、その辺のメニューは俺がバッチリ組んでやるから任せとけ!」
そう言ってティオがサラ用に編み出した特訓が、今サラが取り組んでいるものだった。
周囲を取り囲む剣を持った複数人の兵士の攻撃を捌きつつ、別の兵士が投げてくる小石を防御するというものである。
そして、その成果が確かに出ている事を、サラ自身ヒシヒシと感じていた。
(……悔しいけど、さすがティオだよねー。……)
最初は不満タラタラだったサラも、結果が出てしまっては、ティオの方針の正しさを認めざるを得なかった。
ちなみに、サラはそれでも「正統派の剣術も習いたい!」とまだティオに訴えたのだったが、ティオはニッコリ笑って……
「うんうん、その内なー。」
などと返しており、こちらの方はのらりくらりとしたティオの性格からして期待出来そうもなかった。
サラは適当な返事をして誤魔化そうとするティオを、せっかくの美少女が台無しな凶悪な表情で、ギリギリ歯ぎしりをして睨んでいた。
(……ティオと、戦ってみたいな。……)
(……まだ私は、本気のティオと一度も戦ってない。まあ、ティオは刃物恐怖症で武器らしい武器が持てないしー、元々の優し過ぎる性格と過去のトラウマで、人に攻撃出来ないって事も知ってるけどー。でもー……)
(……一度でいいから、本気のティオと戦ってみたいなぁ。……)




