野中の道 #19
(……こっちだったのかあぁー!!……)
ティオは、こちらをジイッと見据えている『紫の驢馬』の前で何事もなかったかのような涼しい笑顔でお茶を啜りながら、心の中で絶叫していた。
(……昨日の今日の呼び出しだったから、てっきり『黄金の穴蔵』の件で何か話があるのかと思ってたんだけど、ああぁ、こっちかぁー! あああぁぁー、確かに、俺、そんな事やってたわー! やらかしまくってたわー!……)
元々情報収集能力に長けている上に、「鉱石に残った周囲の記憶が読み取れる」という異能力を持ち、また、精神世界では二十四時間三百六十五日、無尽蔵な記憶の集合体のごとき『例のもの』と同一存在として暮らしているティオにとって……
常人では頭が混乱して発狂しそうな膨大な量の情報に常に触れている状態は、空気を吸って吐くぐらい自然な事になっていた。
そのため、ティオは、いつしか、自分が有する情報の桁外れの量や多種多様多岐に渡る種類の豊富さにすっかり鈍感になっていた。
ティオとしては、賞金首の情報を王都の警備隊に売ったのは、「自分の持っている情報をほんのちょっぴりを提供した」ぐらいの感覚であり、おかげですっかり忘れていたのだが……
何十人もの犯罪者の一斉検挙は、改めて考えると、裏社会ではさぞ大騒ぎになっていた事だろうと、今更ドッと冷や汗が噴き出してくるティオだった。
(……落ち着け、俺! まずは、冷静に今の状況を整理しよう!……)
(……おそらく、俺が『黄金の穴蔵』を訪れた時点で、『紫の驢馬』は、俺が賞金首の情報を大量に売った人間だと特定していたに違いない。しかし、俺はあの場では、一応「客」だったからな。しばらく様子を見て、ロクでもないヤツなら裏にしょっぴいていって締め上げるつもりだったのかもしれないが、なんと俺は勝ちに勝ちまくった。『黄金の穴蔵』的にも、空前絶後の売り上げを叩き出し、店中の客が熱狂していた。すっかり奇跡の英雄扱いされる事になった俺をあの場で捕まえる事は『黄金の穴蔵』の体面もあって出来なかった。そんな所か。……それなら、店を出た所を狙って俺に話しかけてきたのは納得がいく。……)
(……あの時、『紫の驢馬』は、紫のインクによってロバの印章が押された紙片を見せる事で、自分の正体を俺に明かすと共に、「私の主人が二人きりで話がしたいと言っております。つきましては、翌日『眠り羊亭』にお越し下さい。」と告げてきた。……一応あの場では『紫の驢馬』は『黄金の穴蔵』のオーナーに長年仕えている使用人、という設定で働いていたからな、「私の主人」というのは、『黄金の穴蔵』の真のオーナー、要するに『紫の驢馬』本人を指している。それは、まあ、俺もすぐに気づいた。つまり、あの時の言葉の真意は、「あなたも知っての通り、私が、この賭博場の本当のオーナーである『紫の驢馬』です。場を改めて、あなたと二人きりでじっくり話がしたいと思っています。」といった感じだな。……)
(……問題は、後半の「翌日『眠り羊亭』にお越し下さい」って部分だ。……あの時も俺は、少し違和感を覚えた。……俺が今居る『眠り羊亭』、通称『羊屋』は、一見どこにでもあるような大衆食堂だ。実際王都の下町には、こういった店はたくさんある。下町の道は入り組んでいて、馴染みのない者には迷路のような状態だ。その無秩序に道も建物もゴチャゴチャと込み入っている下町の一角にある、有名でもないなんでもない大衆食堂を、敢えて『紫の驢馬』は待ち合わせの場所として指定してきた。まあ、ここは、昔から『紫の驢馬』と懇意にしている夫婦が家族で営んでいる食堂で、『紫の驢馬』にとって信用出来る安全な場所だったというのもあるんだろうが。……しかし、まだこの王都に来てひと月も経たない人間に、なんの説明もなく店の名前だけ告げてここにたどり着くのはまず無理だろう。しかし、『紫の驢馬』は、あの時俺に何も言わなかった。……)
(……まあ、俺は、実は王都のあちこちで情報収集をしていたから、この店の事は知っていた訳なんだが。さすがに『紫の驢馬』が外部の人間との会談に時々利用していた店だというのは気づかなかったけどな。……そう、『紫の驢馬』は、ナザール王都に来てまだ半月の俺がこの店を知っていると予想していた訳だ。それはなぜか?……この俺が、何十人もの犯罪者達の潜伏場所や隠れ家の情報を王都の警備隊に売った人物だと気づいていたからだ。そんな王都の裏の裏まで知っている人間が、『眠り羊亭』の位置を知らない筈がないと踏んだ訳だ。……)
(……そして、俺は、実際この店の事を知っていて、『紫の驢馬』に「もう一度店の名前を教えて下さい」「その店はどこにあるんですか?」なんて尋ねる事もせず、まんまと呼び出しに応じてホイホイ一人でこの店に来てしまった、と。……ああぁー! あの時やっぱり知らない振りをしておくべきだったよなぁー! なんか演技するのも面倒臭くなって、素で返しちゃったんだよなぁ、もうー!……)
ティオは思い切り自分の頭を掻き毟りたい気持ちをきっちり隠したまま、穏やかに微笑んで塩味の効いたバター茶を喉に流し込んだ。
(……あー、どうすっかなぁー。……最悪ケツまくってダッシュで逃げるとして……まあ、二十人からの警備網は俺の逃げ足があればなんとかなるだろうが、この場はなんとかなっても、一時的なものだよなぁ。ここから逃げ出せば、『紫の驢馬』に敵対したと見なされる可能性が高い。そして、俺は、傭兵団の作戦参謀として今の身分は割れまくっている。逃げるに逃げられない状況だ。……あれ? 俺、割と絶体絶命の状態だったりするー?……)
(……うーんうーん、こんな時はぁ……)
ティオは、しばし沈黙して考えたが、すぐに、チキチキチーン! と答えを弾き出していた。
(……よーし、ここは全力で、そらっとぼけよう! 知らぬ存ぜぬで押し通すぞー! オー!……)
ティオは、素早く腹を決めると……
ここぞとばかりに、今までの人生経験で磨き抜いてきた無害で愛想のいい笑みを満面に輝かせながら言った。
「一体なんの話でしょう? 申し訳ないんですが、俺には何がなんだか……」
「私の部下に調べさせた所によると、街の警備兵の詰め所に賞金首の情報をタレ込んだ人物は……」
「身長185cm前後、年齢十代後半、ボサボサの黒い髪を首の後ろで一つにまとめ、顔には大きな丸い眼鏡を掛けて、全身を覆うような色あせた紺色のマントを身につけていたそうです。」
「ああ、それに、傭兵団の作戦参謀だと名乗っていたとか。街の警備兵の中には、現在傭兵団の監視役をしているハンスという男を知っている者が何人も居たようですな。ハンスという男は、元々は街の警備兵で、その誠実な人柄から仲間達に信頼されていたとの話です。そのハンスの知り合いという事もあって、傭兵団の作戦参謀という人物のタレコミの情報を信じて、警備兵達が早急に動いたとの事でした。」
「ハッハッハッ、この外見的特徴で傭兵団の作戦参謀を名乗る人物は、ティオ殿、あなたの他に居ますまいよ。……昨晩、『黄金の穴蔵』であなたの姿を一目見て、『ああ、この人物だ』とすぐに気づきました。」
「……」
ティオは、笑顔を貼りつけたまま、そうっと手にしていたカップを受け皿に戻した。
(……いやいやいやいや、ダメっぽーい! これ、誤魔化すの絶対無理だってー!……)
「身に覚えがない」で押し通そうとした案がさっそく潰れたティオは、素早く頭を回転させて善後策を模索する羽目になっていた。
(……さあて、どうしたものかな?……おそらく、もう、『紫の驢馬』の中では、「タレコミした人間」=「俺」で確定してる。まあ、実際俺がタレ込んだ訳なんだけどさ。……となると、あまりグダグダ言い訳しても、かえって印象を悪くするだけだろう。……うーん……よし! ここは一つ、男らしく、正々堂々と……)
(……土下座して謝ろう! 平身低頭、地面に額を擦りつけて謝れば、きっと『紫の驢馬』も許してくれる……許して……くれるかなぁ? そんな事でぇ?……)
と、ティオは、ビリッと危険な気配を察知して、反射的にパッと視線を上げた。
ティオの目に、『紫の驢馬』の後ろに控えていた頰傷の男が、ナイフを仕込んだ上着の合わせの下に手を差し入れながら、恐ろしい形相でダッとこちらに走ってきているのが映った。
「……テメェ! テメェだったのか、兄貴を死刑にしやがったヤツはぁ!」




