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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第二節>紫の驢馬
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野中の道 #18


 ティオは一旦言葉を切って、自分の頭上を風に乗って疾走してゆく黒い綿のような雲の群れを見遣ったのち、手元の空になった陶器のカップに目を落として、手持ち無沙汰そうにその縁を指先でそっと辿りながら言った。


「そういった訳で、俺はご老人の生業を否定するつもりは更々ありません。と言っても、先程お話した通り、俺は平和主義者で暴力を嫌う人間なので、全面的に肯定している訳でもありません。……広い世の中にはいろいろな人間が居て、いろいろな信念やいろいろな感情を持って日々を生きています。その一人一人と自分の考えが違うからといって、いちいち『それは違う』と突っかかっていくような面倒な事をしたいとは、俺は思っていません。世の中に数えきれない程たくさん居る人間が、それぞれ違う個性を持って違う思考をしているのは当たり前の事ですし、その方が変化があって楽しいじゃないですか。良く人間は、自分と全く同じ考えを持ち、完全に自分を理解して、全て自分を受け入れてくれる相手を探し求めていますが、実際そんな人間が居たら、かえって気持ち悪くないですか? それが一個人にとどまらず団体や組織に発展している状況も、宗教関連の場所や、人の交流の少ない僻地の小村などで見かける事はありますが、俺は正直彼らとは話しが合う気がしません、怖いので近寄りたくないですね。」


「ともかく、あなたはあなた、俺は俺、お互い自分の中の理念を元に行動して生きている。自分と違うからといって、無理にそれを擦り合わせようとは思いません。迎合する事も排除する事もありません。肯定出来る部分は受け入れ、否定的に感じる部分は拒絶する。ただ、それだけです。……まあ、正面からお互いの利害がぶつかり合うような場合や、自分の安全がおびやかされるような場合には、平和主義者の俺でも、さすがに抵抗はしますよ。相手に剣を向けられたら、こちらは盾を持ち出すか、逃げるか、同じように剣を持ち出すかしかない。そして、剣を持ち出す必要がどうしてもあると言うのなら、そうするまでです。ですが、あくまでそれは最終手段で、穏便に話し合いで解決出来るのなら、俺にとってはそれが理想ですね。」


 ティオの言葉に真剣に耳を傾けていた『紫の驢馬』が、噛みしめるように確認した。


「なるほど。ティオ殿は私や我々の組織には否定的ではないものの、ご自身はもうこちらの方面に戻る意思はないという事ですか?」

「そうですね。先程も言いましたが、自分のしょうに合わないのです。こればっかりは、どうにもなりません。俺自身にもどうする事も出来ないものです。今は、せっかくいろいろなしがらみから解き放たれて一人旅を続けている身の上ですからね、しばらくはこのまま一人きりでいる事の自由を満喫するつもりです。もちろん誰にも頼れない状況というのは不便を感じる事も多々ありますが、その不便と自由を天秤に掛けて、自由が勝っている状況といった所でしょうかね。」

「確かに、『自由』と言うと、『何よりも素晴らしいもの』という認識の者が多いようですが、自由には責任が伴いますからな。組織に属していれば、規則に従わなければならないという不自由の代わりに、自分の居場所を得て、仲間達と助け合えるという物理的精神的な安定を得る事が出来る。しかし、ティオ殿には、その必要はないのかもしれませんな。あなたなら、どんな事でもたった一人で出来てしまいそうだ。それに、あなたが『我々の側の人間ではない』という事は、あなたを見ていて私も思っていた所です。かつて盗賊団に身を置いていたのは、まだ力が弱かった幼さい頃の話であって、厳しい世界を生き抜くために仕方のない事だったのでしょう。しかし、心身の成長と共に充分に力を蓄えた今のあなたにとって、生来の気質に反した場所にわざわざ苦痛や違和感を覚えながら居続ける必要はありますまい。私も、ティオ殿が盗賊団から抜け、裏社会から距離を置いたのは、あなたにとって良い事だったと推察します。」


 『紫の驢馬』はゆったりと茶を口に運びながら、うんうんと穏やかな笑顔で一人小さくうなずいて納得している様子だったが……


「ともかくも、ティオ殿が、私や私の組織に対して害意がないという事は良く分かりました。」


 フッと手元のカップから顔を上げると、向かいの席に座ったティオに視線を投げてきた。

 口元は笑顔の形で弧を描いているものの、麻の帽子のつばの影になった細い目は、鋭利な刃物を喉元に突きつけてくるかのように鋭くティオを見据えている。

 ピリッと肌を刺すような緊張感が醸し出されるその様子に、ティオはにこやかな笑顔を崩す事なく茶を啜りながらも、内心疑問を感じていた。


(……うーん、なーんでこんなに警戒されてるんだ、俺ー?……)


(……なんかさっきから、「私達に敵対する気はないですよね?」ってな事を、表現や口調を変えて延々と念を押されてるような印象なんだけどー? 俺、そんなにこの人をピリピリさせるような事、なんかしたっけかー? してないよなぁ? 昨日の『黄金の穴蔵』での出来事は、問題ないって事でさっき無事丸く収まった筈だしー。……うーん……)


(……そもそも、平和主義者かつ事なかれ主義の俺が、こんなおっかなくて面倒な人を怒らせるような事、わざわざしないっつーの。むしろ、避けて通れるなら出来る限り避けて通るわ。道ですれ違いそうになったら、クルッと背を向けて元来た道を引き返すわ。……まあ、今回はなぁ、『黄金の穴蔵』で稼ぐ以外に短期間でドカンと資金を増やす方法がなかったから、仕方なくだったんだよー。でも『黄金の穴蔵』では、本当のオーナーである『紫の驢馬』の機嫌を損ねないように、充分注意してたよなー?……つーか、俺の態度のどこを見て、ナザール王国の裏社会のドンと事を構えるように見えるんだってのー。喧嘩する気なんか、こっちには全くもってありませんよーってばー。……)


 ティオは、まだひりつくような警戒態勢を解かずにこちらをジッと見つめている『紫の驢馬』に向かって、ニコーッと笑いかけ自分には敵意がない事を必死にアピールした。


 この時ティオは、本当に本心から『紫の驢馬』がこれ程まで自分の事を用心深く見定めようとしている理由を思いつかずにいた。

 ティオは、実は、『黄金の穴蔵』以外の要素で、とうに『紫の驢馬』に対して虎の尾を踏むような真似を思い切りしていたのだったが、ティオにとっては割と印象の薄い軽い事柄だったため、うっかり頭から抜け落ちていたのだった。


 『紫の驢馬』は、今はシャツの袖を下ろしてはいるが、例のロバの刺青を彫り入れている方の腕を、ズイッとテーブルの上に乗せて、少し前のめりに低い声でティオに問うた。


「ならばなぜ、我々の組織の人間を国に売ったのですかな、ティオ殿?」

「え?……ご老人のお仲間を売る? 国と言うと、ナザール王国ですよね? 俺は、そんな事……」


(……あ!!……)

 慌てて否定しようとして、ティオはハッとようやく思い出していた。


(……う、売ったわー! 俺、メチャクチャ売ってたわー! すっかり忘れてたー! ヤッベェ、どうしようー!……)



 そう、それは、ティオが傭兵団の作戦参謀となってしばらく経った頃、資金難の状況をどうにかしようと奔走した事があった。


 元ゴロツキの集まりで各々が勝手気ままにやっており全くまとまりのなかった傭兵団に対して、ティオは、八つの小隊とその中を更に五、六個の班に分けて、それぞれの戦闘における役割を叩き込むと共に、団長であるサラを頂点とした上意下達の命令系統を徹底させた。

 その他にも、食事のルールや共同設備の使い方など傭兵団内の生活における規則を細かく定め、戦闘訓練を含めた一日のスケジュールを起床から消灯まで管理するだけでなく、三食提供される料理の質の向上や、傭兵達の衣類や身の回りの生活用品などを充実させる事も模索していた。

 となると、必然的に、潤沢な運営資金が必要になってくる。

 正直、あれもこれも必要なものは後を絶たず、金はいくらあっても困らない状態だった。


 その中で特に金が必要だったのが、いずれ駆り出される内戦の前線で必ず必要になってくる武器や防具だった。

 新兵の訓練施設だった時の使い古しのものがわずかに倉庫に置かれていたり、王国正規兵団で使われていないものを譲ってもらったりもしたが、補修して使うにしても時間と金がかかる上に、絶対的に数が足りなかった。

 そこで、全くの新品をかなりの量発注しなければならず、特に、今は傭兵となった元ゴロツキ達がまるで持っていなかった、弓矢や槍、盾、甲冑といったものは注文して用意する他なかった。

 王都の鍛冶屋街に声を掛けて回ってどんなに急がせても、大量の武具を作るのには時間がかかる。

 そこで、戦況を鑑みて、重要度の高いもから順になるべく早く発注しようと考えたが、それには、代金全額は出来上がった武具と交換するにしても、鍛冶屋はタダでは動き出さないため、前金、手付金が必要となってきた。


 ティオは、はじめ、傭兵団に入る前に自分が持っていた所持金を使った。

 そのほとんどが、ナザール王都でサラに初めて会った際、ティオに絡んできていたならず者達が持っていた財布をスったものだった。

 ティオは、たまに自分が読みたい古文書を買うぐらいで、ほとんどと言っていい程金に執着がないので、その金を傭兵団の運営資金の補填で使う事に全く抵抗がなかった。

 しかし、当然の事ながら、その金はあっという間に底をついた。

 王国の軍部で経理を扱っている人物や部署に働きかけて、傭兵団の運営資金を、大量の退役者が出て宙に浮いている筈の正規兵用の予算からもぎ取ってくる算段はしていたが、何しろお役人のやる事なので、手続きがどうたらこうたら、上の許可がうんたらかんたらと時間がかかりそうだった。

 だが、そんな融通のきかない官吏の反応を悠長に待っていては、出陣までに武器防具が揃わなくなってしまう。

 ティオは仕方なく、他に自分の持っていたあるものを売る事にした。

 それが、お尋ね者の犯罪者達の情報だったのだ。


 ティオは元々「鉱石に残った記憶を読む」という異能力を持っており、息をするように自分の周囲の情報を集める癖があった。

 その能力を駆使して、特に傭兵団の作戦参謀になってからは、内戦を指揮している第二王子はともかくも、彼と共に月見の塔に立てこもっているという『導きの賢者』と呼ばれる謎の人物を中心に情報を収集しようと王都中を調べ回っていた。

 その過程で、ティオは、目的の『導きの賢者』以外の情報も雑多に知る事となり、その中には、城下町の警備兵の詰め所の前の立て看板に書かれていた凶悪犯のお尋ね者達の隠れ家や潜伏先などもあったのだった。

 犯罪者として手配書の回っている者の中には、王都の裏社会に属する人間ももちろん居た。

 彼らの情報を王国の治安の番人である憲兵に売るような事は、あまり派手にやると裏社会の者達から目をつけられ、恨まれて、お礼参りをされる危険がある事は、ティオも重々分かっていた。

 それでも、その時早急に金を工面する方法を他に思いつかなかったティオは、危ない橋を渡る事は承知で、自分の持っていた情報を王都の警備兵に売った。

 こうして、身を潜めていた犯罪者達は一斉に検挙され、何名かは警備兵達が取り逃がして逃げたものの、かなりの数の人間が牢に入る事となった。

 そして、ティオは、銀貨百枚近い金を賞金首の情報を提供した対価に得たのだった。

 警備隊の詰所前の立て看板には、その数倍以上の懸賞額が提示されていたのだが、それは犯人を捕らえた場合によるものであり、ティオは有力な情報を提供しただけであったので、必要額を稼ぎ出すためにティオはより多くの賞金首の情報を売る事を余儀なくされ、その結果、犯罪者の大量検挙とあいなったのだった。


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