野中の道 #14
「しかし、やはり特筆すべきはティオ殿のドミノ腕前でしょうな。そばで見ていて、驚愕の連続でした。まるで相手の手持ちの牌が全て見えているかのようなあの打ち回しは、とても人間業とは思えませんでしたな。」
「いや、見えていましたよ。だから、俺は、ほとんどの場面でゲームを優位に進める事が出来たんですよ。」
「え?」
「自分の手牌以外の牌が全て裏になっていてなんの牌であるか分からない、だからこそドミノゲームは運の要素が勝敗に大きく影響してくる訳ですが、なんの事はない、相手の手配や山にある牌など、裏になっている全ての牌が見えていれば、ほとんど相手の次の手は予想出来ますし、自分の望む牌を山から引いてくる事も可能です。要するに、運の要素がほとんどなくなって、後は単なる頭脳戦です。」
「……あの、ティオ殿、全ての牌が裏からでも分かっていたというのは一体どういう事なのでしょうか?」
「言葉のままです。俺は裏側からでもなんの数字が書かれている牌か分かっていました。『黄金の穴蔵』のドミノゲームで使用されるドミノ牌は、ダブルシックスと呼ばれる『0』『6』まで二つの数字がダブりのない組み合わせで描かれた全28牌。たったの28個の牌なら、一戦する内に牌の表と裏を覚えられます。」
「い、いや、しかし、ドミノ牌は裏側からはなんの数字が書かれているか分からないように、裏面は画一化されたデザインになっていますよね?」
「確かにその通りです。しかし、人間の手によって作られたものである以上、そっくり同じという訳ではありません。ごくわずかに大きさが違ったり、色の濃淡があったり、表面の磨きに差があったり……と言っても、『黄金の穴蔵』で使われている牌はとても質の良いものでしたから、その差異は非常に微小なものでしたが。」
「……私は長年賭博場で働いてきましたが、一度も牌を裏側から見て区別出来た事はありませんよ。確かに、客の中には、爪で引っ掻いたり、油のついた指で触ったりと、ドミノ牌に目印をつけようと細工を試みる困った輩がおりますが、そういった見分けられるようになってしまったドミノ牌はすぐに交換するようにしていましたし、ティオ殿はドミノ牌に細工をするような不審な動きは一切していませんでしたよね?……本当に、裏側からでもドミノ牌を見分けていたのですか?」
「ええ。一回裏表を確認すれば、覚えられます。」
「……」
「ハハ、タネが分かれば実に簡単でしょう?」
『紫の驢馬』は、もったいぶる事もなくペラペラあっさりと種明かしをしてみせたティオを、麻の帽子のつばの影の掛かる目を細めて、しばらく黙ったままジイッと観察していたが……
嘘をついていないと判断して、飲み込みがたいものを無理やり飲み下すように、ゆっくりとうなずいた。
「……とても信じられない事ですが、ティオ殿がそう言うのでしたら、本当にそうなのでしょうな。」
『紫の驢馬』を含めたほとんどの人間には、精巧に作られ、使い込まれて癖がつく前に交換されるドミノ牌の持つ微小な差異を見分ける事は不可能だった。
しかし、それをティオは「簡単」と言い切った。
実際に、他人がどうであれティオにとっては実に「簡単」な事だったからこそ、出し惜しみもせずタネを明かしたのだった。
何度も言っているように「もう二度と『黄金の穴蔵』には行かないし、ドミノ賭博をする気もない」ので、知られても困らない些細な事と判断しての行動だった。
もちろん、ティオがドミノゲームであそこまで勝ちを重ねたのは、単に全ての牌が裏側からでも判別出来たからだけではなく、高い知能と優れた記憶力、頭の回転の速さによって相手の打ち筋を高い確度で予想出来た事も重要な要素であり、それもまた凡人には真似の出来ない離れ業であったのだが。
加えて、実は、「鉱石に残った記憶を読み取れる」という異能力を、大理石の一枚板で出来た赤チップ卓のテーブルで使用して対戦相手の心理をも読んでいたのだったが、その点はさすがに明かさずにいたティオだった。
「いや、しかし、ちょっと待って下さい、ティオ殿。」
と言って、『紫の驢馬』がアゴに手を当て少し考える様子を見せてからティオに尋ねてきた。
「ティオ殿の話ですと、一度ドミノ牌の表裏を確認出来れば覚えられるとの事でしたが……」
「それでは、ドゥアルテとの一騎打ちとなった最終戦はどうしていたのですかな?……あの勝負は特殊ルールで、『全20戦の内、1戦でもドゥアルテが勝てば彼の勝ち、20戦全てティオ殿が勝てばあなたの勝ち』という、あまりにもあなたにとって不利な条件でした。……つまり、あなたは一度たりとも負けられなかった。」
「しかし、あの勝負が始まる前、『黄金の穴蔵』は、万が一にも不備がないようにと、それまで使用していた牌を片づけて新しいドミノ牌に入れ替えました。それまで使用していた牌の方は、ティオ殿の言を信じれば、もう全て記憶済みだったのでしょうが、新しく入れ替えた牌は、第1戦目で初めて手にした筈です。しかし、その第1戦目でさえも、あなたは必ず勝利しなければならなかった訳ですよね? 一戦すれば牌の裏表を覚えられたとしても、その最初の第1戦だけは、あなたも牌の裏を読む事は出来なかったのではないですかな?」
「その通りです。ですから、新しく入れ替える牌が用意された時、それを使用する前に、第三者に調べてもらうように提言したのですよ。何しろ、俺の勝ちっぷりを見てイカサマを疑う人間が少なからず居ましたからね。わずかな疑惑も残したくはないという事で、牌に何か細工や異常がないか、最終チェックを希望しました。もちろん、あの大舞台で『黄金の穴蔵』が用意するドミノ牌ですから、最高の精緻な仕上がりのドミノ牌であるとは確信していましたが、念には念を入れて、といった所でしょうか。そんな俺の要望は、ごく自然なものだと受け取られ、第三者である『黄金の穴蔵』側の人間が確認を行いました。」
「そう、あの最終戦で使用したドミノ牌を、勝負が始まる直前に確認したのは、ご老人、あなた自身でしたね。」
「そして、俺は、あなたが赤チップ卓の上で一枚一枚牌の両面を確認するのを見ていた。」
「……」
『紫の驢馬』は、ティオの言葉を聞いて、即座に昨晩の記憶を辿っていた。
確かに、最終戦の前に新しく用意したドミノ牌を確認したのは、制服を着て一従業員に身をやつしていた『紫の驢馬』本人だった。
そのきっかけもティオの言うように、彼が「もう一度確認してほしい」と訴えたためだった。
あの場で、新品の牌を最終確認するという重要な行為を任せられるのは、最も信頼が置け、ティオとドゥアルテだけでなく外ウマに賭けて熱狂している店中の客を不要に待たせないように、正確かつ迅速に作業が行える人物だった。
それが、何十年と賭博場を見てきて、赤チップ卓周りの雑用を一手に引き受けていた従業員服姿の小柄な老人、『黄金の穴蔵』の真のオーナーである『紫の驢馬』だったのだ。
従業員服姿の小柄な老人は、箱に詰まっていた真新しいドミノ牌28枚を、衆人環視の中一枚一枚取り出しながら表裏に異常がない事を確認していった。
当然そのテーブルにはドゥアルテと共にティオも居て、彼の言い出した最終確認作業であった事もあり、一応こちらに視線を向けていたが、そこまでじっくり見ている様子ではなかった。
いつものように飄々とした笑みをたたえながら、悠然と構えていただけだった。
やがて、小柄な老人の作業の結果、予想していた通り、何の問題もない非常に出来の良いドミノ牌である事が分かったので、その牌はそのまま最終戦に使用された。
「……私が牌を確認していたあのわずかな時間に、全ての牌の表と裏を記憶した、と?」
「ええ。」
「……いや、むしろ、牌を覚えるために、『何かあっては困るから万全を期したい』と言って、わざと私に確認させたのですね?」
「ご明察の通りです。先程あなたが言ったように、あの勝負、俺は一戦たりとも負ける訳にはいきませんでしたので、どうしても第1戦の前に使用されるドミノ牌を覚える必要があったんです。」
「……なるほど、これは一本取られましたな。まさか気づかぬ内にティオ殿に利用されていたとは。」
「利用だなんて、そんな!……ただ、俺も必死だったんですよ。」
「……」
「必死だった」とティオは言ったが、その口調は「今日はいいお天気ですね」と言うぐらい些細な内容を話すように軽やかな口調だった。
くだんの牌を最終確認していたその場面でも、ティオは全く焦っている様子も、緊張して力んでいる様子も見せていなかった。
いや、ティオが『黄金の穴蔵』で行ったドミノゲームのその全てのプレーにおいて、一貫して彼は掴み所のない能天気な笑顔を絶やす事はなかった。
赤チップ卓でいっとき負けが込んで、まあ、ティオの腕前からするとわざと負けていたのだろうが、自分のチップ箱に赤チップがたった二枚になった時でさえ、ティオは、他のプレイヤーがそうするように冷や汗を垂らして目を血走らせたりはしなかった。
「いやぁ、困ったなぁ。またやっちゃいましたよー」「あ、勝ちました! やったー!」「今夜はついてますー」そんな彼の無邪気な子供のような、かつ緊張感の欠けらもない雰囲気に、周囲の者達は皆、自然と油断し、彼について慎重に洞察する思考力を失っていった。
確かに、焦りや緊張、怒りや恐怖、過剰な力みなどは、ドミノゲームにおいてプレイヤーに冷静さを失わせその腕を鈍らせるため避けるべき状態であったが、しかし、普通の人間は赤チップ卓や、まして「1点につき黒チップ1枚」という驚愕の高レートの勝負を前にして、ティオのように平静でいられる筈もなかった。
(……どれだけ肝が座っているのか。……)
(……まあ、そもそも、肝が座っていなければ、こうして『紫の驢馬』だと名乗った私の呼び出しに応じて一人でフラリとやって来たりはすまいよ。「今日はどちらが上という事ではなく平等な立場で話がしたい」と言い出して、実際私を前にしても、平然と飯を食い、穏やかに笑って歓談している訳だからな。……)
(……この男なら、一歩間違えば奈落の底に落ちる細い綱の上でさえ、悠々と笑って歩く事だろうよ。……)
(……いや、そもそも、この男が、それ程「危険」だと感じる場所が、この世界のどこかにあるのだろうか? この男にとっては、この私、『紫の驢馬』の前でさえも、「危険」な場所ではない。そんなものがもしあるとすれば、長年生きてきた私さえも預かり知らないどこか遠い世界なのだろう。……)
(……そう、この男にとって、私との会談しているこの場はまるで……)
『紫の驢馬』が内心改めてティオの異常さに驚嘆する眼前で、ティオ本人は中央の皿から焼き菓子を取ってはポリポリと齧り、バターの入った濃厚な茶をコクコクと飲み下していた。
□
「あのー、一応お尋ねしますが、その、俺がドミノ牌を裏側からでも見分けられていて、それでゲームを有利に進めていたっていうのはー、まさか……『イカサマ』になったりはしませんよねー?」
「ええ、もちろんですよ、ティオ殿。それはあなたの技能の内なのですからな。『イカサマ』は、ドミノゲームのルールに反する行為であって、簡単に言ってしまえば『ズル』です。お互い金を賭けて勝負をしている訳ですから、一方が『ズル』をしてゲームに勝つというのは公平ではありません。ですから全てのお客様に公平を期すべき『黄金の穴蔵』では、『イカサマ』行為は厳しく取り締まっている訳です。」
「そうですかー。ああ、良かったぁ。」
ティオはホッと息をつき、受け皿に置いていた陶器のカップの取っ手を摘んで口に持っていった。
「俺はまた、かの『紫の驢馬』に個人的に呼び出されたので、『黄金の穴蔵』での俺の行動に何かマズイ事があったんじゃないかって、内心ずっとヒヤヒヤしていたんですよー。あー、でも、俺が『イカサマ』をしてないって認めてもらえているんならー……」
「……」
「……え?……あ、あれ?」
ティオは、テーブルの向かいに座った麻の帽子を被った小柄な老人の気配がピリッと張り詰めたのに気づいて、ピタリと宙でカップを止めていた。
そんなティオを『紫の驢馬』は、帽子のつばが作る影で細い目を鋭利な刃物のように光らせながらジッと見据えて、ゆっくりと口にした。
「ティオ殿は、お仲間達と『通し』を使っていましたよね? それで、外ウマのどの番号に賭けるか指示を出していた。」
「うっ!」とティオは呻いて、気まずそうにボサボサの黒髪が揺れる頭をボリボリと掻いた。
「ア、ハハ……気づかれてたんですねー。困ったなぁ、これはー。アハハハハー。……」
ティオは、言葉通り困惑した表情を浮かべていたが……
しかし、そこには未だ緊張感のようなものは全く感じられず、まるでイタズラを見つけられておどけて誤魔化そうとしている子供のような愛嬌だけが漂っていた。




