野中の道 #13
「いやぁ、それにしても、昨夜はお見事でした。」
「私も賭場での勝負は何十年と見てきましたが、昨晩の最後の勝負にまさる大勝負は他にありませんでした。そして、この先も二度とない事でしょう。まさに空前絶後。そんな歴史的名勝負をこの目で間近に見れた事、老い先短い老人の良い冥途の土産となりました。」
「昨晩の事は、すっかり繁華街でも噂になっておりますよ。実はこの男も、『金貨一千枚の男』をぜひ近くで見てみたいと今日の私の警護を名乗り出たのですよ。……ああ、『金貨一千枚の男』と言うのは、言うまでもなくティオ殿の事です。なにしろたった一晩で金貨一千枚以上の儲けを出したのですからな。一夜にして大金持ちになるというのは、賭場に足繁く通う者達全ての夢と言っても過言ではありませんが、実際にそれを成し遂げた者は、ティオ殿、あなた以外におりますまいよ。」
『紫の驢馬』は自分の後ろに立っている護衛の男を目で示して、彼がティオに会いたがっていたのだと話した。
老人の話に嘘はなく、頰傷の男は、かの『黄金の穴蔵』で一晩で金貨一千枚を稼ぎ出したという男の話を聞き、実際に見てみたいと思っていた。
それと同時に、老人が件の男と二人きりで会うというので、そんな大それた事をしでかすような男に自分が尊敬している頭目が何かされはしないかと心配し、今日の警備の指揮を執って腕利きの部下を二十人近く配置したのだった。
しかし、待ち合わせの『眠り羊亭』にやって来たのは、背ばかりは高いがヒョロリとした見るからに弱そうな男で、実際に「刃物怖い!」と叫んで食事用のナイフを見た途端テーブルの下に隠れてはガタガタ震えだした。
年齢的にも、まだ二十歳にも満たない裏社会では「ひよっ子」や「ガキ」と認識される若さの青年だった。
確かに、頭目相手に頰傷の男には分からない小難しい話をペラペラ喋っているのを見るに、一応頭は良いのだろうが、その緊張感の欠けらもないヘラヘラした笑顔からは、一流の者が持つ迫力といったようなものは全く感じられなかった。
『金貨一千枚の男』は、昨日『黄金の穴蔵』を訪れた時には、二人の供を連れていたという話で、その片方は、この近隣諸国の裏街道でもそれなりに名の知れた「牛おろしのボロツ」であった。
ボロツは大男で、良く鍛えられた体にいかつい顔をしており、加えて、その大柄な体よりも大きな大剣をやすやすを振り回すという事から、頰傷の男をはじめ裏社会の人間は、ボロツがこの王都に来ていると聞いて気に掛けていた所だったが、どうやらヤツは傭兵団に入ってから、それまでの暴れ振りが嘘のように真面目にやっているらしかった。
そんな「牛おろしのボロツ」を、同じ傭兵団という事で護衛に連れ歩いている『金貨一千枚の男』を警戒するのは、頰傷の男の立場として当然だった。
ところが、青年は今日、ボロツも誰も連れず、一人でフラリと待ち合わせ場所の大衆食堂に姿を現した。
確かに頭目は「二人きりで話しがしたい」と伝えたという事だったが、まさか本当に一人で来るとは頰傷の男は思っていなかった。
頰傷の男が敷いた警備の状況を青年が把握していた事には驚いたものの、こんな周りに二十人からの見張りが居ると分かっている敵陣の真ん中に、武器も持たずフラフラ一人でやって来るなど、余程『紫の驢馬』を信用しているのか、あるいは甘く見ているのか、それとも、危機感がなく見通しが甘いのか、単なるバカなのか。
頰傷の男の印象としては、後者二つの可能性が高いと踏んでいた。
ともかくも、もし青年が妙な動きを少しでも見せれば、自分が懐に忍ばせたナイフで簡単に斬り殺す事が出来る状況だと判断し、頰傷の男の緊張は今はかなり緩んでいた。
「いやぁ、随分派手にやってしまい申し訳ありませんでした。『黄金の穴蔵』さんの方にはなるべく迷惑が掛からないようにと最大限気を配ったつもりだったのですが。……ええと、昨晩の売り上げの方は大丈夫でしたか?『黄金の穴蔵』さんに損をさせたりしていませんよね?」
「それはもちろん。昨日の売り上げは『黄金の穴蔵』を開いてからの最高額を叩き出しました。通常の儲けの百倍近かったですな。ええ、特に外ウマの上がりが大きかったですね。ティオ殿もご存知の事と思いますが、外ウマの倍率は、当てた者に金を支払っても必ず胴元であるこちらに儲けが出るような倍率に設定しています。しかし、昨晩のティオ殿とドゥアルテの最後の勝負は、ドゥアルテに賭けた者が圧倒的に多かったので、彼らの金はゴッソリ店の儲けになりました。いやぁ、まさかたった一晩で三ヶ月分もの稼ぎになるとは。」
「ああ、それなら良かったです。俺はドミノ賭博は昨日が初めてだったんですが、以前別の地方で賭場を仕切っている人達の事を全く考えずに大勝ちしてしまった事がありまして、それで後で酷い目に遭ったんですよー。いやぁ、あれは悲惨だったなぁ。逃げても逃げても金を返せと追っかけてきてー、船着き場にあった賭場だったので、結局船に乗って逃げましたけどねー。」
「ハハ、それは大変でしたな。……まあ、しかし、昨晩は大きな儲けが出たと言っても、一時的な事ではあるのですがね。」
「と言うと?」
「『黄金の穴蔵』にやって来る客は、多少の出入りがあったとしても大体顔ぶれが決まっています。メンツが同じという事は、彼らの財布の中身が増えなければ、こちらの収益も増えないという事になります。畑の広さや土の養分が変わらないなら、その収穫高も変わらないのと同じ道理ですな。ですから、昨晩のようにティオ殿の熱気に当てられて散財したとしても、それで財布の中身が減った分、彼らはしばらく掛け金を渋る事でしょう。つまり、長い目で見ると、こちらの儲けはトントンとなります。まあ、こちらとしても、お客様には、一度にたくさん金を賭けてあっという間に潰れてもらうより、きちんと仕事や生活を続けながら、その金で長く遊んでもらう方がトータルとしては儲けられる訳です。広く、薄く、長く、が信条ですな。」
「なるほど、その視点はなかったです。さすがは長く王都一の賭博場を仕切っている方ですね。昨日一晩『黄金の穴蔵』に儲けが出れば良いと思ったいた俺は、浅慮だったと言わざるを得ませんね。かえってご迷惑をお掛けしてしまいました。」
「ハハ、いやいや。ティオ殿のような大立者のお客様はこちらとしても必要ですよ。賭博場は、思うに任せぬ浮世を忘れ一攫千金を求めるうたかたの夢の場所とはいえ、実際に負けてばかりのシケた勝負が続けば、客は夢から覚めてしまいます。お客様には、いつも快適に楽しく遊んでもらいたいとは思ってはいますが、こればっかりはどうにもなりませんからな。そこで、ティオ殿のような、初めて店にやって来た新参者の若者が、赤チップ卓まで昇りつめて、たった一晩で金貨一千枚も稼いだという事になれば、賭場に通う者の夢を膨らます明るい話題になります。……まあ、実際は、ティオ殿のような事が出来る人間はそうおいそれとは居ない訳ですが、ギャンブルに入れ込んでいる人間には、ひょっとしたら自分もあんな風になれるのでは? という希望を与える事になる訳です。特に近頃は、内戦の影響で王都の経済が落ち込んでおりましたからな。その煽りを受けて繁華街の店々は元より『黄金の穴蔵』の上がりも減少傾向でしたので、ティオ殿の打ち上げた花火は、暗い雰囲気を払拭する良い刺激になったと思っておりますよ。」
「それならば良かったです。」
「それに、結局の所、賭博場の儲けを上げるには、先程も述べましたが、金を生む畑を耕す他ありません。つまり、通いの客の懐が潤う事が必須な訳です。客の懐が表の仕事や事業で潤ってくれば、自然と、遊興である賭博に落とす金も増えるというもの。後は、近隣の町々までもっと手を伸ばし畑を広げて客を増やすか。ともかくも、我々の営業努力の問題であって、ティオ殿が案じる事ではありませんよ。とは言え、思いの外長く内戦が続いて、王都の経済がここまで冷え込むと、こちらとしても打つ手がなく、もはや天に祈る他ない状況ですがね。先程ティオ殿が言っていた通り、裏社会とは言え、表の政治情勢の影響は大きく受けるものです。普段は国王の敷いた法に縛られない我々裏社会の人間も、結局は表の支配からは逃れられない運命な訳ですな。全く皮肉なものです。」
「確かに。俺も昔一時期盗賊団に居た事がありましたが、まあ、執政者の定めた法を掻い潜っている立場なので文句を言えた義理ではないのですけれど、戦争ばかりで町の治安が悪くなり飢えた人間が増えると、こちらの上がりもめっきり減るので、もうちょっとまともな政治をしてほしいものだと散々思っていましたよ、ハハハ。……ああ、じゃあ、せっかく『黄金の穴蔵』が囲っていた金を生む畑だったドゥアルテさんを再起不能に追い込んでしまったのはマズかったでしょうかね?」
「いやいや、ドゥアルテに関しては、父親が亡くなって彼が継いだ事業が上手くいっていないのは聞き及んでいました。蓄えた財産にも限りはありますし、あれだけあちこちで豪遊していては、もう先が長くないのは分かりきっていました。……実の所、私が最近頻繁に『黄金の穴蔵』に足を運んでいたのは、部下からドゥアルテの話を聞かされていたので、彼の様子をうかがって処遇を決めようと思っていたのですよ。そこにあなたが現れてバッサリやってくれたので、こちらとしては手間が省けてかえって助かったぐらいです。あなたのおかげでドゥアルテのツケの方もしっかり回収出来ましたしね。ああ、あの後、ドゥアルテは『黄金の穴蔵』をはじめとして、組織の息の掛かった店からは全て出禁にしておきました。もう逆さにして振っても銅貨一枚出そうもない男に、またぞろ不良債権を作られても困りますからな。」
「そうですか。まあ、自業自得、でしょうね。」
ティオはにこやかに『紫の驢馬』との会話を続けながら、心中で彼の意図を慎重に探っていた。
(……昨夜の『黄金の穴蔵』での俺の行動に何か問題があった訳じゃないのか?……)
(……ええと、まず、俺が大勝した事は大丈夫のようだな。『黄金の穴蔵』側に損はさせていない。まあ、純粋に金の問題で言えば、あれは祭りのようなもので、昨日の儲けは店にとっては一時的な臨時収入だった。昨日散財した分、しばらく客の財布の紐は固くなるから、長い目で見ればトントン、か。なるほどね、やはり王都の裏社会のドンともなると、目先の利益に惑わされずに、長期的な展望で考えてるんだなぁ。が、最近の売り上げが落ち込んでいるのはナザール王国の内戦のせいで、こちらも俺に責任はない、と。……)
(……続いて、ドゥアルテさんについても、俺がとどめを刺した事に対して怒っている気配はない。あれだけの富豪であり大商会の頭取とは言っても、さすがに放蕩ぶりがたたってそろそろ古馴染みの『黄金の穴蔵』のツケも焦げつきそうな状態だったしな。まだヤツに金が残っている内にさっさとツケを回収して、切り時を考えていたって所か。まあ、これは俺の読み通り。ドゥアルテさんは、もう『黄金の穴蔵』にとって腐りかけの料理だから、俺が食い散らかしても問題なしと。俺は昨日ドゥアルテさんから金を搾り取りながら、同時に『黄金の穴蔵』へのツケはきっちり返させたしな。その代わり、俺の元には、銀貨千五百枚分の借用書が七枚残った訳だが。……)
『黄金の穴蔵』では、赤チップ卓の上顧客にはツケでチップを貸し出しており、それはその人物の資産に応じて上限が決まっていた。
ドゥアルテは顧客の中でも最高額の赤チップ千五百枚だったが、それでも勝負が続く内にティオにみるみる毟り取られて足りなくなり、次々とチップを借り出す羽目になっていた。
と言っても、『黄金の穴蔵』では前回のツケを返しきるまで、またツケでチップを借りる事は出来ない決まりだ。
そこでティオは、儲けたばかりのチップを換金し、その金をドゥアウルテに貸しつけて一旦ツケを返させてから、また新たにツケでチップを貸し出させたのだった。
これを勝負がつくまでに七回繰り返したため、『黄金の穴蔵』にはドゥアルテのツケは上限の赤チップ千五百枚分、つまり銀貨千五百枚相当しか残っていなかったが、ティオへの借金は銀貨一万五百枚にまで膨れ上がっていた。
金貨で言うと、千飛んで五枚という事で、『金貨一千枚の男』というティオの呼び名はそこから来たものだった。
おそらく、『黄金の穴蔵』に残ったドゥアルテのツケは、彼の資産が本当に底を尽きる前に、『黄金の穴蔵』の真のオーナーである『紫の驢馬』が部下に指示をしてすみやかに回収するに違いない。
その程度は搾り取れると踏んで貸し出しているのだろうから、特に問題はなさそうだった。
問題は、ティオの手元にある銀貨一万五百枚分の借用書である。
銀貨一万五百枚は言うまでもなく大金であるが、換金出来なければただの紙切れだ。
ティオは、借用書を作る時に、抜かりなくナザール王国の法律に即して公的に通用するものを作成していたが、借用主のドゥアルテがのらりくらりと支払い遅らせ逃げ回るとなると、なかなか回収は難しい。
しかも、ドゥアルテが昨晩番頭達に命じて商会の金を掻き集めて『黄金の穴蔵』での賭博の資金にしていた状況を見るに、ドゥアルテにまだ資産はあると言っても、すぐに動かせる金銭ではなく、家屋敷や土地、商会の所有する店や商品などである事が推察された。
ティオとしては、ドゥアルテから搾り取った借用書分の金銭のほとんどは、傭兵団の運営資金用ではなく、「兄を完膚なきまでに潰して欲しい」というチェレンチーの頼みを聞いたものであったので、特段急いで金に変える必要はなかったのだが、しかし、いつまでも放置していては本当にただの紙切れになりかねないため、なるべく早く換金して依頼主であるチェレンチーに渡したい所だった。
実は、それに関して、ティオはある程度目星をつけていた。
借用書の額面通りの金を回収する事は出来ないだろうが、早急に換金する方法はないでもない。
そして、今日の『紫の驢馬』の話し合い次第では、ドゥアルテの借金の回収にはこの老人が関わる可能性も出てきていた。
(……『紫の驢馬』は話が通じる人間だ。彼と友好的な関係が築ければ、あるいは。……)
というのがティオの腹づもりだったが、今はまだその話をすべき場面ではないため、じっくりとタイミングを見極めている状況だった。
(……それにしても、マジで今日はなーんで呼ばれたんだろうなぁ? 俺、本当になんにも変な事してないよなぁ?……うーん? あれー?……)
ティオは未だに『紫の驢馬』の真意を測りかね、内心首をかしげる一方で、表情にはおくびにも出さず、いつも通り飄々とした能天気な笑顔を浮かべていた。




