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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第二節>紫の驢馬
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野中の道 #7


 『紫の驢馬』は、半ばシワに埋もれた目で、向かいの席で悠々と茶を口に運んでいる青年をしばしジッと見つめた後、話しかけた。


「そう言えば、ティオ殿は早くに私の正体に気づいたようでしたな。」


「いや、あの場において、私の腹心の部下以外で、私が『紫の驢馬』だと知っていたのは、あなただけだった事でしょう。」


 『黄金の穴蔵』でのドミノ勝負を終え、店を出た所で、ティオは、従業員に身をやつした小柄な老人であるところの『紫の驢馬』に声を掛けられ、二つ折りにした小さな紙を受け取った。

 開くと、紙には何も書かれておらず、代わりに独特な紫のインクによってロバの絵の印章がポツンと一つ押されていた。

 それを見て、ティオはすぐに、目の前の老人が「自分こそが『紫の驢馬』だ」と名乗ってきたのだと察したが……

 実は、ティオはとうに彼の正体を見抜いていた。

 そのため、動揺もせず、その紙を再び二つ折りにして上着のポケットにしまい込み、今日再び会う約束をして別れたのだった。


 まあ、確かに正面切って名乗ってくるとは予想していなかったので、その点は多少驚きはした。

 王都の夜の闇に溶けるよう用心深く姿を隠している筈の『紫の驢馬』本人が、目の前で深々と頭を下げ、自ら正体を明かして、最大限の敬意を払う丁重な態度でティオに接触してきたのだ。

 また、そこからは、腹の中にどんな策謀が渦巻いているかはともかく、ティオに近づきたいという思惑が読み取れた。

 ティオは、小柄な老人の正体に気づいてはいたが、まさか自分が『紫の驢馬』直々にそのような招待を受けるとは思っていなかった。


「一体いつから、私が『紫の驢馬』だと気づいていたのですかな?」


 『紫の驢馬』は、落ち着いた静かな、しかし、長年磨き上げてきた使い込まれたナイフを思わせる鋭さを持った気配を漂わせながら尋ねてきた。


(……ううーん、ご老人、「私は歳をとった」だの「そろそろ若い後進に道を譲らねば」だの言っていましたけどー、全然衰えてないじゃないですかぁ。後十年は余裕で現役でいられそうですよー。……)


 ティオは苦笑しながら、また一口、濃厚なバターの香る塩辛いお茶を口に運んだ。



 おそらく、従業員の制服に身を包み『黄金の穴蔵』で働いていた『紫の驢馬』が、ティオが自分の正体に気づいているのを知ったのは、オーナーが店に姿を現した時のやり取りだろう。



 ティオが赤チップ卓に着いてゲームを始め、しばらくした所で、オーナーが店に現れた。

 カラスの羽を縫いつけたマントを羽織り、長い巻き毛を油で整えて肩に流し、金の指輪や腕輪や首飾りをジャラジャラと身につけた大柄な男だった。

 店に居合わせた客達は彼を見るとすぐに「オーナーだ」「オーナーが来た」と口にした。

 噂では、地下にある『黄金の穴蔵』には滅多に姿を現さず、その上に建っている建物の上階で暮らしているとの事だったが、そんなごく稀に見かける程度であっても、皆彼を覚えていたのは、大柄で彫りが深いなかなかの美形で目立つ男だったという以上に、その独特で強烈な衣装もあったのだろう。

 オーナーは、店の入り口から、花道を歩むごとく、店の中央を威風堂々と進んで、再奥に設置された赤チップ卓に登ってきた。

 それを受けて、赤チップ卓周りに居た客達は、それぞれオーナーに挨拶をした。


「珍しいですね。どうしてこちらにいらしたのですか?」

「今夜は随分と場が荒れているという報告を受けましてな。赤チップ卓の常連のお客様が、早くも二人もお帰りになったとか。この店の支配人としては、この目で様子を見ておかなければとやって来た次第です。」


 ドゥアルテは、相変わらず「フン」と鼻を鳴らしていたが、他の者は貴族の三男でさえ、オーナーに敬意を払って礼儀正しい態度で声を掛けていた。

 続いてオーナーは、ティオに注目して話しかけてきた。


「こちらが、今夜初めて我が賭博場にいらっしゃったお客様ですね? 随分と店の中が騒がしい様子ですな。まるで大きな嵐がやって来たかのようだと聞きましたが、これはまた、思いの外お若い方なのですな。さしずめ、あなたが、この賭博場に吹き荒れる嵐の中心、渦の目玉といった所ですかな?」

「挨拶が遅くなって、大変申し訳ありません。あなたが、この賭博場のオーナー様でしたか。俺は、ティオと言います。今はナザール王国に雇われた傭兵の一人として、傭兵団に所属しています。一応『作戦参謀』という肩書きで仕事をしております。」


 この時、ティオも、皆にならって、胸に手を当て深々と頭を下げて自己紹介したのだったが……

 それは、カラスの羽を縫いつけた怪しげなマントを纏った男に対してではなく……

 その後ろで静かに控えていた、えんじ色の従業員の制服を着た小柄な老人に向けたものだった。

 オーナーは戸惑ったように呆然とし、赤チップ卓の壇上に居た客達は、ティオのとんでもない勘違いを笑った。


「これは、私の使用人です。」

「ええー!?」

「この者は、もうずっと長い事私に仕えているのですよ。昔は力仕事をさせていましたが、寄る年波には勝てないと言うので、今はこうして賭博場で働かせています。」

「はあ、そうだったんですかー。……なるほどなるほどー。あなたがこの賭博場のオーナー様で、こちらの方は、あなたの使用人、と。そういう事情でしたかー。良く分かりましたー。」


 すぐにオーナーから訂正が入り、ティオも自分の間違いに気づいた様子だったが、なおも、従業員服姿の老人に対して心配そうに話しかけ……


「いやぁ、でも、そのお歳でこんな深夜まで働くのは大変ではないですか?」

「い、いえいえ。夜遅いのには慣れております。……どうか、私の事はお気遣いなく、お客様。」


 老人は、ティオの気遣いに恐縮したかのようにペコペコ頭を下げていた。



 周り者達には、この時のティオと従業員服姿の老人のやり取りは、ただ滑稽なものに見えていた事だろう。

 しかし、ティオは、オーナーを名乗る男から正式に自己紹介され、それを受けて「『黄金の穴蔵』の本当のオーナー」である従業員服姿の老人に対して、丁寧に名乗り返したのだった。

 「これは私の使用人です」とカラスの羽のマントの男が訂正してきたのを、ティオが「そういう事情でしたか」と返したのは……

 「なるほど、それらしい人物を形ばかりのオーナーとして置いて、本当のオーナーであるご老人は彼の使用人というていで従業員の振りをしている訳ですね。了解しました。では、自分もそのような形で対応します。」

 という裏の意味がこめられていた。

 もっとも、この裏の意味を理解して気まずい気持ちになっていたのは、制服姿で従業員に混じって働いていた『紫の驢馬』だけだった。

 表のオーナーである大柄な男は、ティオが老人をこの『黄金の穴蔵』のオーナーと捉えた事でヒヤリとはしたが、ティオの緊張感の欠けらもないヘラヘラした様子を見て、(バカが勘違いしただけか)と胸を撫で下ろしていた。


 そう、この時点で既にティオは従業員姿の老人が、この『黄金の穴蔵』の真のオーナーであり、王都の裏社会を仕切る『紫の驢馬』その人だと見抜いていた。

 そして、このティオの対応から、『紫の驢馬』の方でも、ティオが自分の正体に気づいている事をはっきりと知ったのだった。



 良く観察すれば、わずかながら手掛かりのようなものはあった。


 『黄金の穴蔵』には、大きく分けて三種類の人員が働いていた。

 まず、えんじの制服を着た従業員。

 これは、チップ交換と換金のカウンターや、酒やちょっとしたつまみを売っているカウンター、外ウマのカウンターなどで働く、いわゆる接客の仕事をする人間で、年齢は若い者が多く、大体二十代半ばから三十代半ば、男女比は約三対一といった所だった。

 次に、剣を腰に下げた用心棒。

 普段は壁のそばに立っていたり、部屋の隅の専用の椅子に座っていたりと基本的に目立たないように静かにしているが、ひとたび『黄金の穴蔵』内で揉め事が起こると、腰に履いた剣の柄に手を掛けて飛んでくる。

 問題ありと判断された客を店外に放り出す事もあれば、どこかに引っ張って連れて行く事もあった。

 そして、最後に、チップ交換と換金、入店審査、外ウマなど、主に金や安全が絡んでくる重要な部署の管理者が居た。

 彼らは、決められた制服ではなく、小洒落た私服を身につけており、各部署に属する従業員をまとめ指揮している。

 そのため、制服を着た従業員よりも平均年齢は高く、三十代半ばから四十代半ばぐらいで、また、男性しか居なかった。


 カラスの羽のマントを纏った男は、オーナーという事で置いておくとしても……

 一般の従業員としては、赤チップ卓周りの雑用を一手に引き受けていた小柄な老人は、七十代半ばと一人例外的に高齢だった。

 小柄な老人が赤チップ卓専属の接客係であった事から、(古くからこの店で働いている接客のベテランなのだろう)というのが、客達の認識であった。


 歳と共に役職が上がる人間も居るが、そうでない人間も居る。

 大体は、「上の役職に就ける程の技能や器がない」あるいは「上に行ける人間は元々決まっている」という場合が多い。

 同じ仕事を何年続けていても、要領が悪くて上達しなかったり、または、人の上に立って、部下をまとめたり指導するのに向いていない、というパターン。

 あるいは、入った時から幹部候補の人間が決まっていて、はじめは皆一般的ない仕事から始まるが、幹部候補だけがある程度一般職の経験を積んだのち上の役職に行って、他の人間はずっとそのままというパターンもある。

 そして、まれに、技能の非常に高い人間が、敢えて一般職に留まる例外があった。

 それは、高い技能と豊富な経験が求められる一般職がある場合である。


 『黄金の穴蔵』で言えば、1点につき赤チップ1枚の最高レートの赤チップ卓の壇上は、店を象徴するような特別な場所であり、常連の上顧客だけがゲームをするため、そこでの接客もまた、『黄金の穴蔵』で最高水準のものが求められていた。

 ここでの従業員服姿の小柄な老人の働きは、客のニーズに細やかかつ迅速に応える、まさに痒い所に手の届くもので、そのれにより、誰もが快適にプレーをする事が出来た。

 つまり、管理者としてではなく接客のプロが必要となる場所であったため、小柄な老人は、役職はヒラであっても、重要な仕事を任されている替えのきかないベテランなのだろうと客達は思っていた。

 また、赤チップ卓でのゲームをサポートする肝心要な役目である事から、オーナーの信頼の厚い人間があたっているのだろうと想像された。

 実際オーナーの口から、「これは私が個人的に昔から使っている使用人です」との発言があり、それを聞いた客達は、「やはりオーナーは、自分が店に居ない時も信頼の置ける腹心の部下に監視させていたのだ」と納得する所だった。


 しかし、実際は事実は逆であり、『黄金の穴蔵』のオーナーでもあった『紫の驢馬』は、自分の身を隠す必要もあって、腹心の部下の一人に、いかにも地下賭博場のオーナーらしい怪しく目立つ格好をさせ、自分の代わりにオーナーを名乗らせていた。

 そして、自分自身は、制服に身を包み、一般の従業員の振りをして働きながら、店の状況に目を光らせていた、という訳である。



 ティオは、『黄金の穴蔵』にカラスの羽のマントを纏ったオーナーを名乗る男が現れた時、自分が『黄金の穴蔵』側に目をつけられた事を悟った。

 それはティオが赤チップ卓に着いてしばらくした頃の事で、まだティオはそこまで大勝していなかったが、既に材木問屋の男と地方の地主が負けが込んで去っていた。

 特に地方の地主の方は、あのままでは全財産を失っていたであろう酷い惨状で、ティオが途中で止めたおかげで、かろうじて人並みの生活が送れる程度の傷で済んだのだった。

 高額の賭け金が飛び交う賭博場では、稀に見かける光景だとしても、それが、「初めて『黄金の穴蔵』に来た若い男が、赤チップ卓に飛び入りで入った」という滅多にない状況下で起こっていた。

 異常事態を鋭く察知した誰かが、オーナーに連絡を入れて店に顔を出してほしいと要請したのだろう。

 それは、オーナーがティオに掛けた「あなたが噂の嵐の目玉ですかな?」といったセリフからもうかがえた。


 この、オーナーに連絡を入れた人物こそが、赤チップ卓の壇上で働いていた従業員服姿の小柄な老人……つまり『黄金の穴蔵』の真のオーナーであり、『紫の驢馬』その人だったのだろうと、ティオは踏んでいた。

 ティオが赤チップ卓に入ったのち、彼の様子を間近で見る内に、そのプレーの異常さに気づき、オーナーを呼んだ。

 これから赤チップ卓の勝負が荒れる事を予想して、いざという時に素早く指示を出すための準備だったと推察される。


 『黄金の穴蔵』の最高決定権は、当然オーナーにある。

 何か前例のない事態が起こった時、公平な勝負の場を提供している『黄金の穴蔵』としての見解を明確に客側に示す必要があるが……

 それは、ヒラの従業員は当然として、彼らをまとめる管理者でも判断がつかない難しい問題となると、『黄金の穴蔵』に混乱が起こってしまう。

 つまり、『紫の驢馬』は、この先ここに居る者達だけでは荷が重い決断を迫られる事になると予想していたのだろう。

 そして、そんな時、自分自身が指示を出すために、オーナーの振りをさせている腹心の部下をあらかじめ呼び寄せておいた。

 オーナーの振りをしているカラスの羽のマントをまとった男としては、従業員服姿の老人が穏やかな笑みでいつも通り接客を続けている限り、「このまま進行」の意味であるので、赤チップ卓の壇上に用意された豪華な椅子にもたれて高価なワインと葉巻を嗜みつつ、いかにもこの賭博場の主人といった堂々たる態度で勝負の行方をただ見ていれば良かった。


 ところが、『紫の驢馬』の予想は当たり、初めて来店したうら若い青年は、スルスルと勝ちを重ねていき、次々にテーブルに着いていた常連客を弾き出していった。

 材木問屋、地方の地主に続いて、貴族の令息が入ったが、彼もあっさり負けて抜け、最後に、ドゥアルテの友人であった貴族の三男も自分の旗色の悪さを感じて勝負を降りた。

 そして、ついに、初来店の青年とドゥアルテの二人だけが赤チップ卓に残った。

 『黄金の穴蔵』でも古くから羽振りの良さで有名人だった大富豪のドゥアルテと、「今日初めてドミノ牌を握った」と言っている傭兵団に所属する青年の一騎打ちとあって、店の客達は自分の勝負もそっちのけで盛り上がり、外ウマも開店以来最高額の売り上げを叩き出し始めていた。

 見ているだけで息が詰まるような大舞台の大勝負に、呼び出されていたカラスの羽のマントの男は、内心さぞ冷や汗を掻いた事だろう。

 そう、『紫の驢馬』が予想していた『黄金の穴蔵』の見解を示さねばならない重要な場面が訪れたのだ。


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