表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第一節>眠り羊亭にて
359/443

野中の道 #4


(……フウ、あっぶね! ボロツ副団長はともかく、チェレンチーさんは勘がいいからなぁ。気づかれなくて良かったぜ。まあ、あの人、今までずっと社会の表側で真っ当に生きてきた人だからな。こっちの方面には少し鼻が鈍るっぽいな。……)


(……でも、それでいい。出来れば、チェレンチーさんには、こっちの方面とはあまり関わりを持ってほしくない。あの真っ直ぐで優しい人には、こんな殺伐とした界隈は似合わない。……)


 ティオは、ボロツに肩を組まれて遠ざかっていくチェレンチーの後ろ姿を確認して、内心ホッと胸を撫で下していた。



 チェレンチーは、本人は未だ気づいていなかったが、サラやティオのように異能力を持った人間である。

 サラが「肉体強化」ティオが「鉱石との親和性が高い」という能力だとすると、チェレンチーのそれは「目利き」とでも言うべき性質のものだった。

 子供の頃から将来ドゥアルテ商会を継ぐ兄の片腕となるべく厳しい教育を受けてきたチェレンチーは、父親譲りの優れた商人としての資質を有していた。

 チェレンチーには、父親のような人の上に立ち組織を引っ張っていく求心力や威厳はなかったものの、商品の良し悪しを見極めるいわゆる「目利き」の才については、実は父親を遥かにしのいでいた。

 もっとも、父親に抑圧されていたり、腹違いの兄にいじめられていたせいで、チェレンチーは長い間自分の能力を過小評価しており、そのため異能力も上手く発動しない状態だった。

 しかし、ドゥアルテ家を出て傭兵団に入ってから、ティオと知り合い彼に評価された事がきっかかけとなって、眠っていた能力がみるみる花開いてゆく事となった。


 チェレンチーの「目利き」の能力は、主に店に並んでいる商品や、商品となる可能性のある物資に対して利用可能で、そのものの良し悪しや価値を見極めるというものであった。

 しかし、「ものの価値を測る」という性質が発展応用され、チェレンチーはそれを人間に対しても使用出来るようになっていた。

 伝説的な偉業を成し遂げた辣腕の商人であった亡き父から、「商品は今の価値ではなく将来の価値を見極めよ」「人間の目利きが出来てこそ商人として一人前である」と教わった事が、チェレンチーの感覚に大きな影響を与えていたのだろう。

 チェレンチーは、ティオに対しては、店に置かれた商品が、「良いものは光って見え、悪いものは暗く影を帯びて見える」とのみ語っていたが、ティオはチェレンチーがその能力を人間に対しても発揮出来るのを察していた。

 チェレンチーの「目利き」の能力を使うと、その人間の生来の性質や現在の状況が分かる。

 その人物の生まれついての得意分野や身につけた能力、現在置かれている状況に精神状態の良し悪しなどから更に発展して……

 その人物がこの先歩むであろう未来を予想する事も可能だった。

 つまり、その人物の「未来の価値」を読むと言った所か。


 だた、これは「未来予知」ではなく、あくまで、確度の高い予測であって、その人物が何かのきっかけで心を入れ替えたり、予想されていたものとは大きく異なる行動を取ったりする事によって、チェレンチーが見るその人物の将来の映像は移り変わっていっていた。

 それが、本当の「未来予知」の能力とは大きく異なる点だった。

 ティオは、「先見」と呼ばれる真の「未来予知」の異能力を持つ人間を知っていたが、それは、チェレンチーが「目利き」の能力によりその人間の将来を予測するのとは全く性質の異なるものだった。

 「先見」の異能力を持つ人間の「未来予知」は、見えた未来が決して変わる事がない。

 そして、「先見」の異能力者が見た未来は、必ず実現する。

 これが、「先見」の能力を持つ者が、多種多様な異能力者の中でも、特に注目を浴び畏敬の念を集めるゆえんだった。

 まあ、ティオは、ある事情により「先見」の能力者に良い印象を持っておらず、その「未来予知」に関しても信憑性を疑っていたのだが。

 ともかくも、そんな本当の「先見」の能力と比べると、チェレンチーが「目利き」の能力で見るその人間の未来は、あくまで、チェレンチーがその人物の現状を「目利き」した結果、最も可能性の高い将来像を予測したものという事になるのだろう。

 そのため、チェレンチーが「目利き」で見抜く情報が変化すれば、その者の将来の映像もまた変化するといった訳だった。

 しかし、本当の「未来予知」ではないにしても、その人物の将来をかなりの確度で予測出来る程にチェレンチーの「目利き」の能力は優れていた。


 ティオは、『黄金の穴蔵』の赤チップ卓でゲームをしていた際、チェレンチーがその「目利き」の能力を使おうとする気配を感じて慌てて止めた。

 その「目利き」の対象が、ティオ本人やボロツ、一般客相手なら止めはしなかったのだが、チェレンチーが見ようとしていたのは、『黄金の穴蔵』のオーナーや従業員服姿の老人だった。

 ティオはチェレンチーに「知らない方がいい事もある」と忠告し、彼に裏社会の人間を詮索するのをやめさせた。

 チェレンチーは慎重で良識的な性格であり、また、ティオの事をとても信頼しているため、素直にティオの言を受け入れて、(確かに裏社会の人達には関わらない方がいいだろうな)と判断したらしく、その後オーナーや従業員服姿の老人を「目利き」の能力で見ようとする事はなかった。

 好奇心よりも、自制心と自己防衛を重んじるチェレンチーの性格がまさに己を救った形となった。


 『黄金の穴蔵』を出た所で従業員服姿の老人に声を掛けられたこの時も、ティオは内心ヒヤリとしていた。

 しかし、どうやらチェレンチーは特に怪しむ様子もなく、ティオに言われたままボロツと先に歩いていった。


 チェレンチーは「目利き」の能力を使わずとも、元々人を見る目のある人間である。

 いや、チェレンチーの物や人を見抜く能力が突出していたため、それが「目利き」という異能力の形をとるに至ったと言うべきなのだろう。

 そんなチェレンチーではあるが、賭博場『黄金の穴蔵』のオーナーに不審の目を向ける事はなかった。

 ただ、ティオがドゥアルテとの勝負にあたり「1点につき黒チップ1枚」という破格の高レートを提案した際、「前例がない」「対処の仕方が分からない」「何か問題が起こった時、責任の所在をどこに求めたらいいのか?」と煮え切らない態度で決断をためらった事に引っ掛かりを覚えた様子ではあった。

 近隣の町にまで名を轟かすこの地方一のドミノ賭博場である『黄金の穴蔵』のオーナーであるというのに、その怪しげな見た目に反して、小心で決断力に欠ける所に気づいてしまったようだった。

 が、結局、ティオが詮索するのを止めた事で、それ以上チェレンチーはオーナーの人物像に踏み込む事をしなかった。

 それは、もちろんティオの制止も功を奏していたが、チェレンチーが「裏社会」界隈の人間にほとんど馴染みがなかった事もあるのだろう。

 ドゥアルテ商会をナザール王国屈指の大商会に成長させた彼の亡くなった父親は、幸い裏社会の人間とは付き合いがなかったらしい。

 裏の暴力に頼らず、むしろ貴族や官僚といった表の権力を己の築き上げたその莫大な財力を使って取り込み、ますます商売を発展させていっていたようだ。

 おかげで、チェレンチーは、裏社会やそこに属する人間への知識や見識が、そして圧倒的に経験が足りなかった。

 そのため、ボロツをはじめとした一般客と同じく、巧妙に隠蔽されていた『黄金の穴蔵』の真の人間関係に気づく事なく店を後にしたのだった。


 しかし、ティオは違う。

 元々全般的に勘が異様に鋭い上に、現在若干十八歳であるが、その人生の約三分の一の時間を盗賊団に所属し社会の裏側で生きてきた経験がその身には染みついていた。



(……チッ! 急いで金を稼がなきゃいけないからって、やっぱり派手にやり過ぎたか? いやでも、『黄金の穴蔵』側に不利益を与えないよう最大限気を遣ったつもりだったんだけどなぁ。それでも、結局目をつけられちまったのかよ。……いや、もう、ホントに、俺、二度と『黄金の穴蔵』に来る気はないし、それどころか、この地方の賭場で荒稼ぎする気も更々ないってのになぁ。……)


 ティオは勝負を終え『黄金の穴蔵』から退出する際、「もう来ません」「今夜限りです」とアピールしたつもりだった。

 『黄金の穴蔵』において勝負をする際も、終始「ルールを守る良客」で「『黄金の穴蔵』の害にはならない」という姿勢を貫いていた。

 あくまでティオの中では。

 しかし、ティオは、あまりにその頭脳や技能の優秀さが一般的な範囲から逸脱しているために、いまいち「普通」というものを理解していない所があった。

 そのために、うっかり事態を大きくして対応に頭を悩ませた経験も多く、普段からその点に関しては細心の注意を払っているつもりだったのだが、それでも時折騒動を起こしてしまっていた。


(……いや、まだ大丈夫だ。……)


(……今、この老人が呼び止めたのは、俺一人だった。「お客様」でも「傭兵団の方々」でもない。「ティオ様」と俺を名指ししてきた。……)


(……つまり、目をつけられたのは俺だけだと考えていいだろう。ボロツ副団長とチェレンチーさんには関心がないと思われる。……)


(……それならいい。俺一人に相手の目が向いているのなら、対処しやすい。ボロツ副団長やチェレンチーさん、まして傭兵団自体を巻き込む訳にはいかないからな。……)


(……ここからは、俺一人でなんとかするしかないな。……さて……)


 そんな思索を一瞬で終え、ティオはいつものような飄々とした掴み所のない笑顔を、目の前の従業員服姿の小柄な老人に向けた。


「俺に伝えたい事とはなんでしょうか?」

「実は、ティオ様に、我があるじから伝言を頼まれました。こちらをお持ち下さい。」

「……!……」


 従業員服姿の老人に二つ折りにされた小さな紙片を手渡され、開いて中を見たティオは、思わず一瞬、わずかに頰を引きつらせた。


 そこには、なんの文字も書かれてはいなかった。

 代わりに、ポツンと一つ印章が押されている。

 その印章にも文字はどこにも入っておらず、ただロバらしき動物が描かれていた。

 デザイン的にも特に変わった所のないロバの絵柄だが、その印章を押すのに使われているインクの色が独特だった。

 青でもなく、赤でもない、ちょうど両色の中間の、誰が見ても間違う事のないであろう紛れもない紫。


(……『紫の驢馬』……)


(……まさか、ここまではっきり名乗ってくるとは。……あーあー、完全に目をつけられちまったなぁ。……)


 ティオが内心歯ぎしりしたい思いを噛み締めながら顔だけはにこやかに取り繕っていると、従業員服姿の老人は畳みかけるように言った。


「我があるじがティオ様と二人きりで話がしたいと申しております。『眠り羊亭』にて、お待ちしております。……では、私はこれにて失礼いたします。」

「え? ちょ、ちょっと待って下さい。まだ日時を聞いてないんですが?」


 きびすを返しかける老人にとっさに問うと、老人はいかにも使用人らしいへりくだった態度と控えめな笑みで答えた。


「いつでも構いません。ティオ様のご都合の良い時で。」

「あー、えっと、俺、一応傭兵団で作戦参謀とかしてましてー、こう見えて結構忙しいんですよー。せっかくのお誘いですが、行けるかどうかはちょっと分からないかなーってー。」

「ティオ様がいらっしゃるまで、いつまでもお待ちしております。」

「……」


 胸に手を当て深々と頭を下げる老人を前に、ティオはしばし唇を一文字に引き結んで沈黙した。


(……俺が行くまで待ってるって……逃す気ないってか!……)


(……まあ、こちとら、傭兵団の人間だってバレちまってるしなぁ。かわすのは無理か。……いつもだったらスタコラ逃げるとこだが、傭兵団に居る限り、サラをはじめみんなを放って一人だけどっか行くって訳にもいかねぇもんなぁ。クソッ。……)


 ティオはすぐに腹をくくると、ニコッと笑って言った。


「明日なるべく早くうかがいます。ただ、なにぶん仕事柄急な用事が入るかもしれませんので、いつ頃行くとは約束出来ません。」

「ティオ様のご事情は存じております。お忙しい中わざわざ足を運んで下さる事を大変嬉しく思います。」


 従業員服姿の老人はティオの返事を聞くと、言葉通り嬉しそうに老いた目を細めて微笑んだ。


(……えーっと、どうするかなぁ。……)


 ティオは、ほんのわずかな間に素知らぬ顔で思索を巡らせていた。


(……本来なら、情報が少な過ぎる。……俺が受け取ったのは、紫色のインクによってロバの絵の印章が押された紙一枚。聞いたのは「『眠り羊亭』にて待つ」という事だけ。……)


(……これは、俺が『眠り羊亭』を知ってるって前提で向こうは話してきてるよなぁ。いや、知ってるけどもさ。傭兵団の作戦参謀になってからこの方、情報収集のために王都はくまなく歩き回ったから、もう地理的情報はバッチリ頭に入ってる。ってか、『眠り羊亭』って、あのいい雰囲気の食堂、『紫の驢馬』の息の掛かった店だったのかよ!……まあ、でも、普通に考えたら、この王都にやって来て半月余りで、あのゴチャゴチャした迷路のような下町にある一度も行った事のない店の名前も場所も知ってるってのは、ちょっと変かな?……)


(……俺が『眠り羊亭』の名前を聞き取れなかったらどうするつもりだったんだ? たった一度、さらっと口にしただけだったよな?……まあ、「今なんて言いました?」「もう一度店の名前を教えて下さい」「場所が分からないのですが……」そう口にすれば、すんなり教えてくれるとは思うが……俺への評価は下がるだろうな。いや、下げた方がいいのか? ここはすっとぼけて尋ねておくべきか? 間抜けの振りをした方が無難か? いや、でも、もう『黄金の穴蔵』で散々暴れた後だしなぁ。……うーん……)


(……ああ、もう、面倒臭い! いいや、素のままで!……)


 ティオは、そう心に決めると、いつも通りへラリと掴み所のない笑みを一つ浮かべ、色あせた紺色のマントをゆらりと翻した。

 きびすを返しながら、従業員姿の老人に向かってヒラヒラと手を振る。


「では、また明日お会いしましょう。良い夜を、ご老人。」


 従業員服姿の老人が深々とこうべを垂れる姿をチラと視界の端にかすめたのち、ティオはそのまま老人に背を向け、迷いのない足取りで、繁華街の通りを、先に行ったボロツとチェレンチーの後を追って歩き出していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ