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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第一節>眠り羊亭にて
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野中の道 #3


(……コイツ、俺が配置した仲間の数と位置を全部把握してやがったのか! いや、でも、全く気にしていないような素ぶりでこの店に来やがったぞ。ここが完全に包囲されてるって分かっていて、なんの警戒もせずフラフラ一人でやって来るなんて、どういう神経してやがるんだ? どっか頭のネジが飛んでるんじゃねぇのか?……)


 ヘラヘラとした緊張感の欠けらもない笑顔を浮かべている黒髪の青年に、密かに置いていた警備の人員を余さず言い当てられたどころか、仲間内で最も剣の腕の立つ人間を見抜かれて……

 頬傷の男はドッと全身に気持ちの悪い汗が吹き出すのを感じていた。


「まさかそんな数で監視していたとは。しかも身体検査までさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした、ティオ殿。私が知らなかった事とはいえ、部下の不始末は私の不始末。このお詫びはいかようにも……」

「あー、いえいえ! 俺なら全然平気ですから、どうかお気になさらず! 俺はいつも、自分の持ち物を身につけて持ち歩くようにしているので、ゴチャゴチャいろいろと持っていますからね。護衛の人達が不審に思うのも仕方ありませんよ。……でも、本当に、武器のようなものは何も持っていないんですよ。本とか、筆記用具とか、何かあった時応急処置が出来るように各種薬草や軟膏、包帯など。……俺は長い間一人であちこち回っていたので、旅に必要なものは一通り持ち歩いているんですよ。」


「それに、俺は自分の事を平和主義者だと自称してもいますが、実は極度の刃物恐怖症なんですよ。ですから、元々一切武器は持てないので安心して下さい。もちろん、こちらの警備の方達とやりあう気も、ご老人に危害を加える気も更々ありませんので。」


「まあ、そんな訳ですから、出来ればお二人も、武器を抜かないでいただけるとありがたいです。後ろの方は、上着の下に大きめのナイフを持っていますよね? そして、ご老人は、仕込み杖ですか。渋いですね。」


 黒髪の青年は、眉をしかめてチラと、頬傷の男が専用のベルトに止めたナイフを隠している上着の脇の辺りと、老人がテーブルの端に立てかけていた一見何の変哲もない白木の杖を見た。


(……え? 仕込み杖? そ、そんなのもの知らないぞ!……)


 頬傷の男は内心驚いていたが、老人はむしろ、青年の慧眼に対して素晴らしいとばかりに口元に笑みを湛えていた。


「和やかな会話の席にこのような物騒なものを持ち込んでしまい、大変申し訳ありませんでした、ティオ殿。」

「いえ、ご老人は常にいろいろな相手から命を狙われている立場の方ですからね、用心深くなるのは仕方のない事です。……ただ、俺は刃物が本当に苦手なので、話の間は出来れば鞘に収めたままでいてほしいと願っています。」

「あい分かりました。……おい、これを預かっておいてくれ。」


 老人はテーブルに立てかけていた杖を手に取ると、後ろに控えていた頬傷の男にポイと投げて渡した。

 「これの持っているナイフは護身用に身につけたさせたままにしておいても構いませんか?」と、老人は青年に問い、「もちろんです」と青年が気安い笑顔で答えたため、頬傷の男の方は自分の隠し持っていた武器を手放さずに済んだのだったが。

 元より、頬傷の男は、何かあれば、自分のナイフを駆使するだけなく、自分の身を盾にしても老人を守り抜く覚悟であった。


(……この重さ。本当に中に刃が仕込まれてるっぽいな。マジか。ずっと親父のそばに居たってのに、今の今まで気づかなかったぞ。……)


 老人から受け取った杖に、良く見ると精巧な仕掛けが施されている事に気づき、頬傷の男は愕然としていた。

 もっとも、若い頃は血の気が多く武闘派として知られた老人も、ここ二十年程は部下に守られる事が多くなり、自ら得物を手に戦う機会はパッタリとなくなっていたため、身近に居た頬傷の男が知らないのも無理はなかった。


「あ! メニューが来たようですよ!」


 一方で、黒髪の男の方は、女将が水差しとカップを乗せた盆とメニューを持って現れると、何事もなかったようにケロッとした顔で、こっちこっちと手を振っていた。



「ああ、川魚の香草焼きが美味しそうですね! この魚というのは、季節ごとに変わったりするんですか?……ああ、今の季節は青菜が柔らかくて新鮮で良いですよね、是非食べねば! 海老とのクリーム煮がいいでしょうかねぇ?……チーズはどんな種類があるんですか? 料理に使うだけでなく、そのままでも非常に美味しくて、贅沢な一品ですよね。」


 黒髪の青年は、女将にくったくない笑顔を向け、メニューを指差しながらあれこれ質問した後、遠慮なく何品も料理を選んでいた。


「ナザール王都は、近隣の村々から農作物、畜産品などが豊富に入ってくるのが良いですね。王都が位置する平野には大きな川が流れていて、水産物も多いですし。山地で採れる果樹類は少し産地が遠いので手に入りにくいですが、食材は海産物以外はほぼ網羅していると言っても過言ではないでしょう。特に酪農製品は種類も豊富で素晴らしいですね。」

「存分にご堪能下さい。……ティオ殿、飲み物の方は?」

「ああ、俺は水か、もしくはミルクの方を貰いたいです。俺は酒が全く飲めないので、料理にも使わないでもらえると嬉しいです。火を入れてアルコール分を飛ばしてしまう分には平気だと思うのですが。」

「そう言えば、昨晩も一滴も酒は飲まれていませんでしたな。この店には、特別なお客様用に私のとっておきの酒を密かに蓄えているのですが、味わっていただけないのは残念です。」

「いやあ、こればっかりは生まれつきの体質なので、申し訳ありません。酷い下戸で恥ずかしい限りです。」


 黒髪の青年が飲み物に牛やヤギのミルクを注文しているのを見て、老人の後ろに控えていた頬傷の男は、思わずプッと吹き出していた。

 歳の頃はまだ二十歳前とは言え、185cmを超える長身の青年が、酒が全く飲めないという子供のような事を言うのがおかしかったのだ。

 それに気づいたらしい青年はチラと男の方を見たが、特に気を悪くする様子もなく、ヘラリと掴み所のない笑顔を見せたのみだった。


「それにしても……」


 と、黒髪の青年は、女将がカップに水を注いだのち階段を降りて去っていったのを確認してから、チン、と水差しの腹を軽く指先で爪弾いた。

 カップと揃いで作られたらしい水差しは、取っ手や底面といった要所を細工を施した銀で支えつつ、色つきのガラスが使われており、素朴な木造建築の大衆食堂である『羊屋』には不似合いな高級品だった。

 作りの良さが、青年が指先で軽く弾いたガラス部分の発した音の澄み方からもつくづくと感じられた。

 当然、普段一般の客に出すような食器ではなく、老人が重要な客を招く場面にだけ、大切にしまわれていたものを持ち出して使っているのだろう。


「先程のメニューもそうですが、こういったものがあるという事は、この店には随分身分の高い方もいらっしゃるようですね?」


 青年が笑顔でさらりと口にしたので頬傷の男はその含みに気づかなかったが、確かに、先程まで見ていたメニューは、磨かれた木材を背に上等な紙が挟まれた高級感を感じさせるものだった。

 中に書かれている文字も、装飾を施した華美な飾り文字で、少し読み書きが出来る程度の中流階級の教育レベルではとても読み解けないものであった。

 食器にしろ、メニューにしろ、ずっと以前からこの店に密かに常備されており、黒髪の青年のために急遽あつらえたものではない事が感じられた。

 老人の「良い酒を蓄えている」という発言もそうであるが、要するに、この店は、老人が時折秘密裏な会談に使っている場所であり、その老人がもてなしている相手は、こういったメニューや食器を喜ぶ人間だという事が推察出来る。

 まあ、メニューに関しては読めない部分は老人なり女将なりに聞けば良いのだろうが、大事なのはしっかりとしたメニューがあるという体裁であり、そういった高級感を好む層と老人は付き合いがある訳である。

 王都に住む富裕層……大商人などの富豪、そして、貴族。

 ナザール王都を中心としたこの地方一帯の裏社会を仕切る人物である老人の力が、表の社会で権力を持つ人間にも広く及んでいる事が知れる事象だった。

 

「ハハ。ティオ殿のご想像にお任せいたしますよ。」

「余計な詮索を失礼しました。」


 しかし、老人は、黒髪の青年に王都の上流階級との繋がりをほのめかされても、好々爺とした態度を崩す事なく、悠然と笑い返すのみだった。

 それに対して、青年も特に気にかけた様子もなく、相変わらず飄々とした緊張感のない笑みを浮かべていた。


「この店は、昔私の友人がやっていたものだったのですよ。先程の女将はその娘です。しかし、その友人が早くに亡くなってしまったので、それからは私が父親代わりと言いますか、少しばかりここの家族の面倒を見てきたのです。」

「なるほど、そうだったんですね。」


 裏社会を仕切る老人が、利害だけでなく情を持って長年世話をしてきた人間の営む店ならば、老人にとって信用が置ける。

 そのため、こういった社会の表側に住む人間との会合で使うのに、かっこうの場所となったのだろう。

 黒髪の青年は、すぐに納得して深くうなずいていた。



「ティオ様。」


 ティオが呼び止められたのは、『黄金の穴蔵』でのドミノ勝負を全て終え、ボロツとチェレンチーと共に店を出た後の事だった。

 日が昇るまでどこかで時間を潰そうと、繁華街の道をブラブラと歩いている三人の背中に声が掛かった。

 呼ばれたのはティオだったが、ボロツとチェレンチーも振り返った。

 見ると、小柄な老人が胸に手を当て深々と頭を下げていた。

 『黄金の穴蔵』の従業員の制服を着ており、つい先程まで、『黄金の穴蔵』の最高レートである赤チップ卓周りの雑用を一手に引き受けていた人物だった。


 ティオ達が赤チップ卓に着いてしばらくした所で、めったに店に姿を見せないという噂のいかにも地下賭博場の主人らしい怪しい意匠のマントを身につけたオーナーが現れ、赤チップ卓のそばに専用の豪華な椅子を置いて勝負を観戦し始めた。

 その後、赤チップ卓におけるゲームの終盤、ティオとドゥアルテの一騎打ちとなった際、例外的に1点につき黒チップ1枚という破格の高レートをティオが提案した事で、少々オーナーと問答になったものの、勝負は無事、ティオの当初の想定通り、ドゥアルテの資産のほとんどを巻き上げる形でティオの大勝で終わっていた。


 従業員服を着た小柄な老人は、終始黒子に徹して、両替やチップ交換、飲み物の上げ下げなど赤チップ卓の客のためにプロらしいサービスを提供してくれていた。

 オーナーは『黄金の穴蔵』に現れた時に、その老人の事を、「昔から自分の下で働かせている個人的な使用人」であると説明していた。

 ほとんど顔を出さない代わりに、信用の置ける自分の部下を『黄金の穴蔵』において重要な役目を担う位置に配していたのだろうと、それを聞いた者達は皆思ったに違いない。

 賭博場『黄金の穴蔵』と言えば、ナザール王都の繁華街に立ち入った事のある者で知らぬ者はおらず、また、博打を好む者の中では、近隣の町まで名が知れ渡っている、言わばドミノ賭博の殿堂である。

 当然、『黄金の穴蔵』が稼ぎ出す利益は王都の繁華街でも頭一つ飛び抜けて大きく、そのため『黄金の穴蔵』のオーナーは、王都の裏社会においてもかなりの力を有していると目されていた。

 そんな重要な資金源である『黄金の穴蔵』を、自分が顔を出さない時も腹心の部下にしっかりと見張らせておくのは当然の流れだろうと、その場に居た客達は、オーナーと従業員服姿の小柄な老人の関係を聞いてすんなり納得したのだったが。


「おやおや、これは『黄金の穴蔵』のご老人、先程は随分お世話になりました。何か問題でもありましたか?」


 ティオは、ボロツとチェレンチーに挟まれる形でほぼ横一列で立ち止まっていた所から、ズイッと一歩前に踏み出して、にこやかに従業員服姿の老人に答えた。



 『黄金の穴蔵』を出てしばらくした所で、ティオは彼らを追うように店を出てきた者の存在に気づいていた。

 また、その人物が誰であるかも分かっていたが、ボロツとチェレンチーの前では素知らぬ振りをして、後方をついてくる人間の様子をしばらくうかがっていた。

 ティオとしては出来れば関わりたくなかったのだが、相手は隠れる様子もなく道の真ん中を歩いて追ってきて、三人の背後に迫ると声を掛けてきた。

 こうなると逃げようながないため、仕方なく振り向いて対応に出た。

 ボロツとチェレンチーも、従業員服姿の老人が穏やかな笑みを湛えているのを見て、彼が『黄金の穴蔵』の外までやって来たのを不思議に思ってはいたが、特に警戒はしていなかった。

 二人にとって、『黄金の穴蔵』の制服姿の老人は、赤チップ卓周りで細やかな対応をしてくれた熟練の従業員という認識でしかなかったからだ。


「何か問題があるという事ではございません。ただ、少しばかりティオ様にお伝えしたい事がございまして。」

「おうおう、ティオ、お前、なんか忘れ物でもしたんじゃねぇのか? お前、いっつもやけにゴチャゴチャ持ちあるてるもんなぁ。」

「ティオ君、大丈夫?」

「ボロツ副団長、チェレンチーさん、先に行っていて下さい。すぐに追いつきますので。」


 ティオがボロツとチェレンチーを促すと、二人はなんの疑いもなくうなずいて、その場にティオ一人を残し歩き出していた。

 チェレンチーは、やや気に掛けている様子で、一度チラと振り返ってはいたが、ティオも従業員服姿の老人も終始和やかな雰囲気だったため、安心して立ち去っていった。


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