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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第一節>眠り羊亭にて
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野中の道 #2


「えっとー、俺、上がっていっていいですかねー?」

「ええ。下の者達には、あなたがいらっしゃる事は伝えてあります。どうぞ、中にお進み下さい。」

「じゃあ、お邪魔しまーす。」


 ティオと呼ばれた黒髪の青年は、終始ヘラヘラした緊張感のない笑顔を浮かべながら老人と短く会話を交わした後、『羊屋』の中にスタスタ入っていき、二階のテラスの手すりから下をのぞき込んでいた頬傷の男の視界から一旦消えた。


「あれが『金貨一千枚の男』なのかよ。思ってたのと全然ちがうぜ。」

「くれぐれも失礼な態度を取るなよ。招待したのはこっちの方で、忙しい所を無理して来てもらっているんだからな。決してあの方の機嫌を損ねるような事はするなよ。」

「……親父の命令は守りますけど。」


 老人は、頬傷の男の肩をポンと叩いた後、また杖をつきながらテーブルの席に戻っていった。

 頬傷の男は、老人に敬意と忠誠を誓う様子を見せたものの、内心、そんな自分が尊敬する偉大な人物があんな浮ついた若造にそこまで気を遣う理由が分からずにいた。

 老人のペコペコと腰の低い姿を見るにつけ、八つ当たり的に怒りが青年に向いていた。


「今日はお招きありがとうございました。」


 黒髪の青年は、しばらくして、店の一階で客を装いつつ門番の役目をしていたガタイのいい男を後ろにつれて階段をのぼってきた。

 二階のテラスに出ると、ちょうど店の前面である南側からやや湿った風が吹きつけ、青年は額に手をかざして少し目を細めた。

 しばらく晴れていたと思うと、またすぐに色の濃い雲が筋のように空に広がり、その手前の低い位置を、更に色の濃い黒い綿のような雲が千切れながら点々と飛んでゆく。

 風の速さのために、雲の流れは急となり、テラスのテーブル席に合わせて張られていた白い天幕の布がバタバタと音を立ててはためいた。


「風が出てきましたね。ここからだと『月見の塔』が良く見える。まさに風雲急を告げるといった光景ですね。俺達傭兵団が戦場に出る日も、もうすぐそこまで迫っているのを実感します。」


 青年は王都の街並みとその一番外郭にあたる城壁を超えて、一旦穏やかな丘陵の景色を挟んだ向こうにひかえる古代文明の遺跡を見据えながら、老人の座っていた席の近くへと歩いてきた。

 頬傷の男にとってはあまりに見慣れた風景でありなんの感慨もなかったが、確かに傭兵団に属するその青年にとっては、もうすぐ命を賭けて戦う事となる因縁の場所だった。

 荒っぽい風に青年のまとっている色あせた紺色のマントがなびいたためか、上から路地を見ていた時よりもその長身の体はずっと大きく見えた。


「どうぞこちらの席へ。お座り下さい、ティオ様。」

「ありがとうございます。……でも……」


 青年が二階のテラスに現れたのを見て素早く席を立ってこうべを垂れていた老人は、自分の座っていたテーブルの空いている席をうやうやしく彼に勧めた。

 青年は、ためらいなく流れるような動作で椅子に腰を下ろしたが、困ったように苦笑して言った。


「その、ティオ『様』というのはやめてもらえませんか? 今の俺は、昨日の晩のように『黄金の穴蔵』の客ではないのですから。ここにはあなたと対等な立場で話をしたいと思ってやって来ました。」


 そんな青年の言葉を聞いて、頬傷の男はピクッと眉を引きつらせた。


(……親父と対等な立場だと? この若造、何を舐めた事を言ってやがる。親父がどんな人間か分かってねぇのか?……)


 頬傷の男のピリピリとした気配を察したらしい老人が、彼を背中に隠すように前に出て、ティオと呼んだ青年に手を差し出した。

 青年は、老人の手を、これまたなんのためらいもなく、まるで近所の知り合いの手でも取るかのように捉えて握手を交わした。


「では、ティオ殿、改めてよろしくお願いいたします。」

「こちらこそよろしくお願いします。今日のこの再会が有意義なものになる事を期待しています。……ところで、俺はあなたの事をなんと呼んだらいいんでしょうかね?」


「『紫の驢馬』さん、とお呼びするべきですか、ご老人?」

「ハハハ、いやはや、それは確かにこの私めの事でございますが、その名で対面した私を呼ぶ者はすっかり居なくなってしまいましたな。通名と言いますか。私の居ない所ではそんな名であれこれ噂されているようですがね。いざ面と向かってその名を聞くと、少しこそばゆいですな。まあ、ティオ殿のお好きにお呼び下さい。」

「では、昨夜のように『ご老人』と呼ばせていただきます。」

「承知致しました。……ああ、ところでティオ殿、こちらの者をこの場に置いておいても構いませんか? いや、なに、これはまだ世間知らずな若衆ですから、あなたとの話には加えません。ただ、これには私は少々目を掛けておりまして、この場に居る事がこの者にとって良い勉強になるかと思いましたので。」

「ええ、もちろん構いませんよ。……挨拶が遅れました。ナザール王国傭兵団で作戦参謀をしているティオと言います。お会いするのは初めてですよね? 以後お見知りおきを。」


 椅子に腰を下ろしていた青年は、老人に頬傷の男を紹介された事を受け、一旦席を立ち、深々と頭を下げて挨拶をしてきた。

 思いがけない丁寧な態度に、頬傷の男の方が少しうろたえる結果となった。


「お、俺は親父の元で若頭をしている。俺の下には部下が十四人居る。」

「それはそれは、お若いのにご立派ですね。」

「申し訳ありません、ティオ殿。これは口のきき方がなっておりませんで。もう少し教養をつけさせようと思っている所でございます。」


 一通り紹介が終わると、老人はさっそく軽く手を振って頬傷の男を後ろに退がらせた。

 そうして、改めて、老人と黒髪の青年はテーブルに着いた。



「丁度昼時ですし、何か食べながら話をするというのはどうでしょうか、ティオ殿?」

「ああ、それはいいですね。俺もさっきからこの店の料理が気になっていた所です。店構えからして美味しい料理が出てきそうだなぁと思っていました。ご老人が懇意にしている店なら、味の方は間違いなさそうですね。」

「王城で王族が食べているような上品な料理ではありませんが、下町の庶民の料理としてなかなかのものだと自負しておりますよ。ティオ殿のお口に合えば良いのですが。」

「下町の大衆食堂の名店、そういうのが良いのですよ。傭兵団の一員である俺は、毎日ギリギリの予算をやりくりした粗末な食料でなんとか腹を膨らませている身の上ですから、この店の料理は素晴らしいご馳走ですよ。ありがたくいただきます。」

「それはそれは、どうぞお好きなものをいくらでもお食べ下さい。もちろん、ティオ殿をお招きしたのはこちらですので、会計の方は全てこちらで持たせてもらいます。」

「それはお気遣いありがとうございます。あ、メニューを見せて貰えますか?」


 老人と同じテーブルに着いた黒髪の青年は、サッと手を上げてテラスの入り口の所で立っている男に声を掛けていた。

 その男は、黒髪の青年が来た時に後をついてきた者で、そのまま見張りのように立ち尽くしていたのだったが、青年が呼びかけると眉間にシワを寄せてけげんそうな顔になった。


(……ハハッ! この店に、メニューなんて上等なもんがある訳ねぇだろ?……)


 老人の少し後ろに控えていた頬傷の男は、思わず唇の端を持ち上げて笑ったが、老人がパンパンと手を叩いて、重ねて入り口に立っていた男を呼んだ。


「おい、客人にメニューをお持ちしろ。ついでにこれを下げてくれ。」


 そんな老人の言動に、頬傷の男は(え? メニューなんてあったのかよ? 見た事ねぇぞ。)と内心驚いていた。

 老人に呼ばれた男は慌てて駆けつけてきて、テーブルの上に置かれていた書類の山を丁寧にまとめた。


「それから、料理を出したら、私が呼ぶまで誰もこの二階には近づかないようしろ。私は客人と二人きりで話しがしたいんだ。」

「しかし、それでは親父の身が……」

「警護なら、すぐそばにこれが居る。それに、私は、自分の身ぐらい自分で守れる。お前達は一階の方だけ誰も入らぬよう守りを固めておけばいい。分かったな。」

「はい。」


 男は頭を下げて老人の指示を受け入れ、書類を抱えてすみやかに階下へと去っていった。

 その姿は、軍隊において上官の言葉に反射的に従うよう良く鍛え抜かれた兵士のようであった。



「ものものしいですね。」


 男の姿が階段に消えた後、黒髪の青年がフウッと息を吐いて少し困ったように言った。

 慌てて老人が説明する。


「ティオ殿の事を怪しんでいる訳ではないのですよ。ただ私の身に何かあると、この街の裏側のバランスが大きく崩れる事になりますので、部下達はこの老いた身を案じて少々過敏になっているのでしょう。その辺をご理解いただけると嬉しいです。」

「確かに、この街の裏社会の頂点にあるあなたが倒れるような事があれば、王都だけでなく近隣の町や村を含めてこの辺り一帯の勢力図が大きく変わる事でしょうね。そして、急激な変化には衝突や争いがつきものです。多くの血が流れる事になるかもしれません。ご老人のように、日の当たらない社会の裏側とはいえ、秩序を重んじ不要な暴力を嫌う方には、望ましくない事態でしょうね。」

「さすがティオ殿、良く分かっていらっしゃる。いえ、私ももう良い歳なので、引き際というものは常々考えてはおります。しかし、その時は、強固な体制を整えたのち、しっかりと教育を施した後進に、なるべく円滑にこの位置を受け渡したいと思っております。」

「それは素晴らしい考えですね。しかし、この世界の長い歴史を顧みるに、どんなに優れた制度を作り、ひいき目なく能力のある者に地位を与えた国であろうとも、滅びる時は滅びるものです。いかに良き法があったとしても、いかんせんそれを扱うのは人間ですから。その人間が、時間と共に腐敗し、自らの利権のためにのみ動くようになっていけば、どんなに良い制度もただの権力の温床となるだけです。要するに、制度の中にある人間自体が良くならなければいけない。しかし、この世界の歴史が始まって以来、人間がそんな善良な者ばかりになった試しがありません。故に、どんな立派な体制や法を整えた強国であろうとも、何十年何百年と経つ内に、内側から腐り瓦解して滅んでいった訳です。……これは俺個人の意見ですが、どこかで諦めるのが肝要だと思っています。自分が生きている時はともかく、自分の死後まで永遠に理想を貫く事はどだい不可能です。自分の生きている範囲で出来る限りの事をすれば、それで良いのではないでしょうか。それ以上の事を求めるのは、人間のなせる範疇を超え、いらぬ執着と未練を執政者の中に残す事になるだと思っています。」

「……こ、これはこれは、耳の痛い言葉ですな。おっしゃる通り、偉大な国王であっても、むやみやたらと近隣諸国にいらぬ侵略を仕掛けたり、自身の威光を後世に伝えるために民の血税で豪奢な宮殿を建立したりと、晩節を汚した者も多いですな。今のティオ殿の言葉、しかと胸に刻んで、私もあまり強い執着を持たぬよう気をつける事といたしましょう。後の世の事は後の世を生きる者達に任せ、立つ鳥跡を濁さずとありたいものですな。」

「い、いやいや、若輩者の身で、あなたのような方に高説をたれたつもりはありませんでした。思っていたよりこの店の警備が厳重だったので、そんなに俺は警戒されているのかと少し驚いたと言いたかっただけなんですが、話が逸れてしまいましたね、すみません。」


 青年はボサボサの黒髪の頭を横に振ると共に、両手を胸の前でヒラヒラさせて言った。

 その言葉に、老人はムムッと眉間にシワを寄せた。


「そんなに厳重だったでしょうか? 今日来られる客人は平和的な方なので警備は最低限で良いと部下には伝えた筈ですが?」

「え? そうだったんですか? では、これがいつも通りという事なのでしょうかね? いやぁ、王都の裏社会のを仕切る方ともなると大変ですね。」

「……ちなみに、ティオ殿が見た警備の状況を気づいた範囲で教えていただいても良いでしょうか? 私もいろいろと忙しい身でして、最近は警備の方は部下に一任しており、詳しく把握しておりませんでした。」

「そうですねぇ。」


 黒髪の青年はアゴに手を当てて考えるような素ぶりを見せたものの、すぐにスラスラと話し出していた。


「まず、この『眠り羊亭』の一階に六人。入り口付近、左側の席に一人、右側の席に二人。カウンターに一人、左奥の席に一人、そして、ここまで俺を案内してくれた人ですね。現在は、メニューを取りに階下に行っていますが。ああ、料理をしているご主人と配膳をしている女将さんは除いています。それから、この店のはす向かいにある靴屋の職人として一人、路地の脇にテーブルと椅子を置いて盤の上に駒を並べるゲームに興じている老人が二人、民家の中に一人、木の陰に一人、崩れかけた壁の影に、南東と北西に一人ずつ、屋根の上に体を伏せている人間が、北と、西と、南にそれぞれ一人ずつ。そして、この二階のテラスのあなたの後ろに居る方は、数えるまでもありませんよね。これで二十人近い人員がこの『眠り羊亭』を中心として約100mの範囲を隈なく見張っている事になります。しかも、皆さん、良く鍛えられた強者だ。傭兵団の一般の団員達よりもずっと強い事でしょう。特に俺を身体検査した後、ここまで案内してくれた先程の人は、相当腕が立つのではないですか? まあ、さすがに帯刀はしていませんでしたが、懐にナイフを持っていましたよね?」

「え? ティオ殿を身体検査までしたのですか?」


 老人は呆れたようにつぶやき、振り返って自分の後ろに立っている頬傷のある男を無言で睨んだ。

 頬傷の男は、店の警備を少数精鋭で固める方針は老人に伝えていたが、店の外も広範囲に渡り当初の倍以上もの人員を割いて見張らせている事は彼の独断であったので、首をすくめて気まずい表情を浮かべていた。


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