ウサギのぬいぐるみ #6
(……うーん。ティオには触られても平気なんだけどなー。なんでだろうー?……)
サラは、ボロツが不意打ちで肩を抱こうとしてきた瞬間、ゾワッと拒絶反応と思われる違和感が全身に走った事を思い返していた。
(……ボロツは、なーんかいやらしい気持ちですぐ触ろうとするせいかなぁー? ティオは、全然そういうとこないもんねー。私が裸でも、いやらしい目で見てこなかったしー。そりゃあ、バッチリ見られちゃったのは不満だけどー、でもあれは『不思議な壁』に触った影響がないか調べるためだったから、しょうがないよねー。……)
(……って言うかー、ティオはもうちょっと、私の裸を見てドキドキしても良くないー? こう、なんて言うのかなー、顔を真っ赤にしたりー、あまりの綺麗さにジイッと穴が開く程見つめてきたりー、みたいなー。……)
(…………)
サラは、自分の体を確認していたティオが終始真顔でちっとも嬉しそうではなかった事を思い出し、思わずギリッと下唇を噛んだ。
サラの要望通り真剣に検査してくれたのは感謝しているが、ティオの反応を考えると、どうも「絶世の美少女」である筈の自分の事を全く年頃の女の子として見ていない感じがして、そこが気に入らなかった。
本当は、ティオはサラの裸を見る事に抵抗を感じ、なるべく目を逸らしたり、どうしても見なければいけない時は、必死に心を無にした状態で対峙していたのだが、そういった事情をサラ本人は知る由もなかった。
(……ま、まあね。ティオは、美的センスがないからねー。この私がキラッキラした物凄い美人だって事が、ちょーっと分かってないとこあるのかもねー。……)
(……そ、それとも、もしかしてもしかすると、あれ、かな? やっぱり、む、胸? 私の胸って、あんまり大きい方じゃないから、魅力が足りない、とか?……)
サラは(私の胸はちょっと小さめ)だと自分で自分に言い聞かせていたが、どこからどう見ても、かなり小さかった。
ほぼ平坦で中心部分がほんの少し盛り上がっているだけなので、もはや、あるかないか服の上からではパッと見分からない。
たまに町で見かける大人の女性の、襟ぐりの大きく開いたドレスから零れ落ちそうなたわわな胸とは比べものにならないのは、サラもハッキリと自覚していた。
(……もう! なんで男の人って、大きな胸が好きなのー? バッカじゃないのー!……う、ううん、違うもん! 私だって、本当はもっと胸は大きい筈だもん! なんでこんなに小さいのか、私にも全然分かんないよー! ヤダー! こんなのヤダー!……)
サラは、ふと、『不思議な壁』に触れた時に意識に流れ込んできた脈絡のない記憶の断片の中で、サラの持っているものと良く似た赤い石をペンダントにしてつけていた女性の事を思い出していた。
サラはその女性に意識が重なっていたので、視界としては自分の胸元に垂れているペンダントを見ている状況だった。
『不思議な壁』が送ってきた記憶はあちこち虫食いのように欠落していたため、彼女の全体像やどんな女性かは把握出来なかったが、女性らしい柔らかで優しい雰囲気と、それに見合った体つきだと感じた。
そう、サラと比べてしっかり胸があったのだ。
お腹に子供が居る事もあるのだろうが、美しさを保ちながらも豊かな質量で、まさにサラが思い描いている理想の胸だった。
「クッ!」と、サラは思わず舌打ちして、ドォン! と拳でテーブルを叩いていた。
隣のボロツが「お、おい、サラ、ゴメンって! まだ怒ってんのかよぅ?」とビクッと体を震わせていたが、サラの目には全く入っていなかった。
サラの記憶は、ここ三ヶ月半程の分しかない。
三ヶ月半前、人気のない森の中で一人全裸で倒れていた以前の記憶が全くなく、自分がどこの誰でそれまで何をしていたのかまるで思い出せない、いわゆる記憶喪失と言われる状態だった。
しかし、サラの中には不思議と「自分はこういう人間」という漠然とした自認のようなものがあり、そこから「サラ」という名前、そして、今「十七歳」であるという自分の年齢を導き出した。
森の中で目が覚めた時、朽ち果てた小さな遺跡の壊れた古い泉の水が溢れて出来た池に映った自分の姿を初めて見て、サラは、緩やかなウェーブのかかった長い金色の髪や、宝石のような大きな水色の瞳、整った顔立ち、華奢な白い手足など、自分の体をとても気に入った。
運動神経が非常に優れていて力も強く、腕自慢の大人の男も一捻り出来る所も、絶世の美貌と共に、サラが自慢に思っている部分である。
サラは、心身共に今の自分に自信があり、自己肯定感が非常に高かった。
……ただ一点、胸の大きさをのぞいては。
自分の胸が小さい事だけは、サラの自認と大きく異なる点であり、どうにも受け入れがたい事実だった。
胸の小ささは、サラが見た目十三、四歳のまだあどけなさの残る少女であるという事からすれば、特に不自然ではないのだろう。
しかし、自分の事は「十七歳の妙齢の乙女」だという認識が不思議と心の中にあるサラにとっては、すぐ子供扱いされる幼い容姿と、その象徴たる未発達な胸は、歯ぎしりする程苛立ちを覚えるものだったのだ。
(……もう! なんでよぅ、バカァ! こんなの絶対おかしいからぁ! 何かの間違いだもんねー! 本当の私は、もっと大人っぽくって、色っぽくて、胸も大きいのにー!……)
サラが怒りに任せてバシバシテーブルの天板を両手の手の平で叩いていると、隣に座っていたボロツが青い顔で止めに入った。
「……サ、サラ、俺は、今のままのサラの胸でも最高に魅力的だと思うぜ! ま、まあ、サラは、まだまだこれから成長するんだろうから、そんな焦る事ないって……ヘブシッ!」
サラは、自分の心の中だけで考えていたつもりでどうやらブツブツ呟いていたらしく、それを聞いたボロツが必死にフォローしてきたものの、全くの逆効果だった。
サラに、即座にパアン! と目も合わせないまま裏拳を顔に叩き込まれ、思わず鼻を手で覆ってうつむくボロツ。
「ボロツ、今度変な事したら、本当の本気でグーで殴るからね?」
「え? 今の殴ったんじゃねぇのかよ?……痛てててて!」
「ちょっと叩いただけでしょー? 大袈裟だなぁ、もう!……うん、まあ、でも、ボロツの言う事も一理あるかもねー。今はこんなだけどー、すぐに体も胸も成長して、もっと大人っぽくなるよね、絶対ー。うんうん。……そのためにも、ちゃんと栄養取らなくちゃー! まだちょっと時間あるから、お代わり貰ってこようーっと!」
サラは、前向きな思考でケロッと笑顔になり、空になっていた器を抱えて厨房に続くカウンターへとタタターッと走り寄っていった。
そんなサラの姿を、ボロツは、強烈な裏拳で叩かれて赤くなった鼻をずんぐりむっくりした指でスリスリと撫でながら、恍惚とした表情で見つめていた。
「……へ、へへへ! サラの可愛い手が俺の体に刻んでいったこのひりつくような痛み……最高だぜぇ!……」
サラの事を心配してるのに酷い扱いを受けて一見哀れに思えるボロツだったが、本人はとても嬉しそうだったので問題は特になかった。
□
(……あ! ティオだ! ティオが近くに居る!……)
サラは、こんもり器に盛られた茹でた芋を二杯ペロリと食べた後、団員達に朝の点呼をかけるため、ボロツに伴われて食堂から団員達が寝起きしている四人部屋や六人部屋が続いてる辺りに向かっていた。
ふと、廊下を歩いている途中でピクッと反応する。
果たして、その五秒後、角を曲がった時、廊下の端でチェレンチーと何か話しているティオの姿が目に飛び込んできた。
サラがジッと見ていると、ティオの方もチェレンチーとの話を切り、こちらに笑顔を向けた。
サラの勘だが、おそらくティオも、サラが自分の近くにやって来ている事を察知していたのだろう。
あるいは、サラが勘づくより早かったかもしれない。
しかし、ボロツや他の団長達の前では、他の相手と同様の反応で対応しており、サラも特に「ティオの存在だけ敏感に気づく」という事実を広める気もなかったので、普通に接していた。
「お、サラ! 食堂でちゃんと食べられたか?」
「うん! お芋用意してくれてあったよー! 美味しかったー!」
「そいつは良かったな。……よし、じゃあ、そろそろ時間だ。全員揃ったし、朝の点呼を開始しよう。今日も傭兵団始動だ。」
ティオがパンと手を打ちながら少し声を張ってそう宣言すると、集まっていた幹部達が「おう!」と気合の入った返事を返してきた。
(……ティオは、普通だなぁ。まるで昨日の夜の事が何もなかったみたい。ゼンッゼン普通。いつも通りー。……)
サラは、窓から朝の光が斜めに差し込んでくる傭兵団の宿舎の廊下で、昨日の朝と変わらずキビキビと指示を出しているティオの姿を見つめながら、どこかむず痒いような気持ちを感じていた。
□
「……サラ。……おい、サラ。」
「んん? 何、ティオ?」
「お前、ちゃんと俺の話聞いてたか?」
「うん、バッチリ聞いてたよー。」
「……」
朝の点呼のために廊下で再集合したその三十分程前……
今朝の幹部会議の席でテーブルに両手で頬杖をつきボーッとこちらの方を見ているサラに、ティオは一旦議事進行を止めて話しかけていた。
サラはパッと顔を上げ、ニコッと笑顔で答える。
ティオは、本当はかなり前からサラがボーッと自分の顔を見ている事に気づいたのだが、知らない振りで無視していた。
が、あまりにもサラの態度が変わらないため、仕方なく話を止めて注意したのだった。
(……サラ、お前、単に音を耳で拾ってるっていうのと、話の内容を理解してるってのは全然違うんだぞ? お前の「聞いてる聞いてる」は絶対前者だろう?……)
と、思ったティオだったが、今ここでそれをサラに説明するのは会議の進行を妨げる事になるので、やめた。
そもそもサラが、話の上手いティオをもってしても、この手の事をすんなり理解してくれるとは思えなかった。
サラの席は、傭兵団の団長という事もあり、会議室に設置された長いテーブルの端の一番中央にあり、最も目立つため、ここでボーッとした間抜け面をさらして欲しくないというのが作戦参謀としてのティオの心情だった。
しかし、幹部会議に集まっているボロツやハンス、各小隊の隊長達は、他の団員達より普段からサラとは身近に接しているため、サラがろくすっぽ話を聞かずボーッとしているのはいつもの事ですっかり慣れっこになっており、特に気にしている様子はなかった。
まあ、サラが全てを理解し把握していなくても、ティオやボロツ、隊長達、ティオの補佐のチェレンチー、王国上級兵のハンスなどが頭を使う分野ではしっかり補ってくれているため、問題なく傭兵団は回っていたのだが。
フウッと一つため息を吐いて、ティオも気分を切り替え、サラに構わず会議を続ける事にした。
淡々と議事進行していくティオの事務的な雰囲気で引き締められた顔に、うっすらと諦めの気持ちが滲んでいた。
(……まあ、昨日の今日だからな。気になってジロジロ見んのも分かるけどさ。露骨なんだよ、お前は、サラ。もうちょっと人目とか気にしてくれっての。……)
ティオは、本当は、なぜサラがそこまで自分の事をジイッと見つめているのか分かっていた。
昨日の夜の『精神世界』での一件ののち、自分の感覚が変化している事に、ティオ自身もしっかりと気づいていたためだった。
(……部屋で二人きりで居る時はそんなに意識しなかったが、こうやって他の人間と一緒に居ると、違いが良く分かるな。おそらくサラも、俺と同じような感覚なんだろう。サラは今、その奇妙な感覚が気になってしょうがないって所か。……)
(……そう、サラが『精神世界』の俺の精神領域で、俺と同一存在の『あれ』と一部同化しかけたせいか、あれからやけに……)
(……サラを身近に感じる。……)
(……「自分の体の一部」って程じゃないが、他の人間とは明らかに、何か距離感が違う。……)
(……俺とサラの『存在』が近づいた、のか?……)
ティオは立て板に水で予定していた会議の内容を語りながら、同時に頭の別の部分でサラと自分の身に今現在起こっている事を、そう考察していた。
ティオの推測は概ね合っており、サラは今までにない感覚の中、不思議な気持ちでティオをジッと見つめていたのだったが……
ただ、サラの知能の限界もあって、サラの捉え方はもっとふわふわしたものだった。




