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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十二章 ウサギのぬいぐるみ
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ウサギのぬいぐるみ #4


「サラ、ところで、どこか体に異常はないか?」


 五分程サラに『ウサギのぬいぐるみ』よろしく、ベタベタくっつかれて、匂いを嗅がれ、ギューギュー抱きしめられたのち、ようやくサラが満足したらしかったので、ティオは素早くベッドから抜け出していた。

 ベッドの置かれているのとは逆側の壁際にゆき、杭に掛かっていた自分の上着やら荷物やらを手に取ると、素早く身につける。

 裾が足首付近まである黒の上着を着て、ポーチや小袋などがズラリと下がっている革のベルトを巻き、丈夫な布で出来た大きなバッグを袈裟懸けにする。

 そして、いつもの色あせた紺色のマントをバサリと羽織って、右肩の辺りに留め具をカチリとつけた。


 すっかり普段の服装に戻ったティオが振り向くと、サラはまだ寝間着のままベッドの縁に腰掛けて眠そうに目をこすっていた。

 ティオは、昨晩『精神世界』における彼の精神領域において、サラが『不思議な壁』に侵食されていた事を気に掛けていたのだが、サラの様子だけ見ていると、まるで何事もなかったかのように普段と変わらなかった。

 サラは、ベッドの縁に座ったまま、「うーん」と言いながら手と足が直角になる形で体をグーッと伸ばしていた。


「私の体の調子ー? えー? いつも通り元気いっぱいだよー?」

「胸の中心は? 昨日黒い星型の模様が出た場所は見たか? 俺が勝手に調べる訳にもいかないからさ。」

「あ、そっか! そんな事あったね!……えーっと……」


 サラは、グイッと寝間着の首元を引っ張って中をのぞき込み、胸の中心の辺りを観察していたが、再び顔を上げて、ティオを見つめながらカクンと首をかしげた。


「なんにもないと思うけどー。良く見えないから分かんないやー。」

「まあ、その位置はちょっと自分では見にくいかな。……俺が確認した方がいいのかもしれないが、さすがに、精神体じゃなく肉体の方を俺に見られるのは嫌だろう?」

「うん、嫌ー!」

「ハッキリ言うなぁ。」

「うーん、でも、念のためにティオに見てもらった方がいいっていうのは、私も思うー。……ムムムゥ……」


 サラは、酸っぱいものでも口に含んだかのようにクシャクシャに顔をしかめた。

 そんなサラに気を遣って、「俺が目視して調べるのは、サラが何か異常を感じたらでいいんじゃないかな?」と、ティオがこの話題を切り上げようとする前に……

 サラが動いていた。


「やっぱり、ティオに調べてもらうー! まあ、いいや。昨日も私の裸、ティオにジロジロ見られちゃったしねー。」


 サラの顔から悩んでいる表情がスッと一瞬で消え失せたかと思うと、サラはスパーッと潔く寝間着を脱いでいた。

 サラの決断は早く、かつ思い切りが良く、一度こうと決めると全くためらいがなかった。

 「あっ!」と言って、サラが服を脱ぐのを止めようとしたティオだったが、昨晩に続いて、またもや声を掛ける前に既にサラが服を脱ぎ捨てていて……

 「あー……」とため息をもらしながら、眉間を親指と人差し指で摘んでうつむく事になった。



 早朝の室内は青く染まっていた。

 夜の闇の黒色は去ったものの、昼の光はまだ弱く、夜と昼のあわいで闇と光が混ざり合い、辺りの空気は、濃くしかし透き通った青色で満たされる。

 その中に背筋を正して立ったサラの体は、いつも以上に小さく華奢に見えた。

 ティオは『精神世界』においても精神体のサラの全裸を見ていたが、やはり『物質世界』で見る肉体の存在感は圧倒的だった。

 一点の曇りもない白い肌は、一面の青い空間の中で、うっすらと発光しているかのようだった。

 精神体の姿でも思ったが、サラの肉体は、生きている人間らしからぬ程完璧な美しさを持っている。

 まだ、未熟で硬い印象を強く残しながらも、隅々までわずかな狂いもない完全無比な左右対称に保たれていた。

 顔から体から、サラを構成する全てのパーツは、どれも余す事なく名工の手によって丹念にしつらえられた芸術品としての極地を感じさせた。

 誰も触れた事のない、無垢で純粋な白い体。


 しかし、ティオにとっては、どんなに美しくとも、その幼い印象と汚れを知らない純白さは、自分が触れる事に強い忌避感を感じさせるものだった。

 特に、自己評価の低いティオは、サラの美しさを前にするとひるまずにはいられなかった。

 ティオの中に(自分のような汚い人間が見たり触れたりしてはいけないもの)(汚す事は絶対に許されないもの)という感覚があった。

 もちろんティオが元々サラの事を異性として全く見ていないのもあったが、こんなふうにお構いなしに目の前で裸になられると、困り果てて必死に目を逸らしてしまう。


「……あー、えーと、サラ。ま、まあ、こうなったら一応見るけどな。たぶん、昨日の夜黒い模様が浮かんでいた所以外は大丈夫だと思うから、他の所は隠してくれていいぞ。……」

「他の所?」


 身につけていた寝間着を脱ぎ、腰に手をあてがって仁王立ちしていたサラは、「んー?」とまた首をかしげていた。

 『精神世界』では全裸だったサラも、今は一応下の下着は身につけていた。

 胸に巻く布の方は、眠る時は元々つけていなかったため、脱ぐ必要はなかったようだ。

 しばらくしてようやくティオの言葉の意味を理解したサラは、慌ててパッと、両方の手でそれぞれの側の乳房を押さえて隠した。

 サラの手は小さく指も細かったが、わずかに膨らんだ胸は、幸か不幸かそれでも充分隠す事が出来てしまっていた。


「じゃあ、ちょっと見させてもらうぞ。軽く触ってもいいか?」

「う、うん。いいよ。」


 ティオはサラが乳房を隠すと、フウッと一つ息を吐いて気持ちを整え、改めてサラに向き直った。

 サラは、自分の胸に顔を近づけてきたティオをジッと観察していたが、ティオの表情にも動作にも、全くサラに対するよこしまな感情は感じられず……

 ホッとしたような、拍子抜けしたような、どこか少しがっかりしたような、複雑な表情を浮かべていた。


「……うん。模様は全く見られないな。特に異常はなさそうだ。」


 ティオは、胸の中心にそっと触れて確かめたのち、すぐに手を離し、「もう服を着ていいぞ」と言いながら、二、三歩後ずさった。


「でも、『精神世界』でも言ったが、『あれ』との接触で起こった事だ。細心の注意を払った方がいい。もし何か気になる事があったら、すぐに俺に言ってくれよな、サラ。」

「分かった。ありがとう、ティオ。」


 用事が済むとクルリと背を向けたティオに礼を言って、サラは服を手に取った。

 ちょうど着替えようと思っていた所だったので、枕元に畳んで置いてあった、胸に巻く布といつもの生成りのシャツとキュロットスカートを身につける。

 ちなみにサラが脱ぎ散らかしたそれらの服を畳んで置いておいたのはティオであり、ティオは今も、サラの着替えを見ないように背を向けながら、サラが先程脱いだ寝間着を床から拾い上げて畳んでいた。


「……悪かったな、サラ。」


 ティオがポツリと言った言葉に、サラは、色あせた紺色のマントをまとったティオの背中を見つめた。


「私の裸を見た事ー? いいよ、あんまり気にしてないからー。あ、でも、今回は仕方なかっただけだからねー。この私の裸をいつもこんなふうにジロジロ見れるって思わないでよねー。」

「いや、そういう事じゃなくって……」


「サラが『あれ』に侵食されたのは、俺のせいだ。すまなかった。」

「えー? 私が勝手に触ったんだよー? それに、あれは『不思議な壁』がやった事で、ティオは何も悪くないでしょー?」

「でも、俺は『あれ』と同一の存在だからな。つまり、俺の責任だ。」

「……」


 サラは、こちらからだと表情は見えないが、自分を責めているらしいティオの様子に、フウッと思わず大きなため息を吐いた。


「もう! ホント、ティオって、ゴチャゴチャ考え過ぎ!」

「お、俺は、事態を悪い方向に持っていかないために、出来る限りいろんな状況を想定をして、それらの可能性を一つ一つ検証……」

「だーから、私は、大丈夫だって言ってるのー!『精神世界』では、確かにちょっとだけ『不思議な壁』に取り憑かれたりしたけどー、今はもう、ゼンッゼン平気だよー。精神体も最後は綺麗に治ってたじゃないー。あの、変な黒い星型の模様も消えちゃったしー。ほら、見て、体だっていつも通り元気いっぱいでしょー?」

「……それはそうだけど、でも……痛っ!」


 サラは、バチーンと一発、少しすくめているティオの背を平手で叩くと、バサッとオレンジ色のフードつきのコートを羽織り、チャームポイントの胸元の赤いリボンをキュッと結んだ。


「何かある前からあれこれ悩んだって、疲れるだけだよー。困った事が起こったら、その時に考えればいいよー。」

「またお前はそういう適当な事を……」

「おかしいなって思う事があったら、ちゃんとすぐにティオに言うよ。約束する。それに……」


「私にはティオがついててくれるんでしょー? 頼りにしてるよ、うちの作戦参謀!」


 ようやく振り返ったティオに、サラはニカッと太陽のような明るい笑顔を向け、ティオも引きずられるように苦笑していた。


「じゃあ、朝の会議に行こっかー。」

「ああ。」


 そうして、サラは、部屋のドアの鍵を外して廊下に出て、意気揚々と歩き始めたが……

 すぐに、ティオにグイッとコートのフードを掴まれていた。


「だーから、逆逆! そっちに行ってどうする。まったく、本当にお前は全然道を覚えないよなぁ、サラ。」

 


「よ! サラ!」


 会議室を出た所で、サラはボロツに声を掛けられ、長い金色の三つ編みを揺らしながら振り返った。


「何ー、ボロツ?」

「どこ行くんだ?」

「朝の点呼までちょっと時間があるから、食堂に行こうと思ってー。」

「なら、俺も一緒に行くぜ。」


 ボロツの後ろには、元々ボロツの取り巻きであった隊長達が二人について行くものかどうか様子をうかがっていたが、ボロツがその気配に気づいて一度立ち止まり、ギロリと睨んでシッシッと手を振っていた。

 そのため、隊長達はボロツがサラと二人きりになりたいのだと察して、三々五々どこかへと散っていった。


「で、サラ。今日の機嫌はどうなんだ?」

「もう、ボロツ、それ何回聞くのー? 私の事、一度怒ったら死ぬまで怒ってるような人間だとでも思ってるー? 私、そんなに嫌な事長く覚えてられないからねー。」


 サラは、狭い傭兵団の廊下を配慮して少し後ろをついてくるボロツと共に食堂に向かって歩きながら会話を交わした。



 すっかり傭兵団の定例となった朝の幹部会議は滞りなく終わり、それどころか少し予定より早めに時間を余らせて終わったので、サラは手持ち無沙汰になっていた。

 この後、再びティオやボロツ、隊長達といった幹部会議のメンバーで団員達を起こして回る朝の点呼があるのだが、それまでにまだ十五分程ある。

 議事録をまとめると言って会議室に残ったチェレンチー以外、他の幹部達は大体出払ったようだった。


 サラは「強くなる」事以外、これといった強い関心や趣味がないので、こういう中途半端に余った時間を潰すのは大の苦手だった。

 一般的な少女のように誰かと他愛ない世間話をするのが特に好きな訳でもなく、ティオのように本を読む事も、ボロツのようにポケットから小さなナイフを取り出して木片に彫刻するような楽しみもない。

 しいて言うなら、剣の素振りをするぐらいだが、今から訓練場に行って帰ってくるとそれだけで時間がかかるのでやめた。

 サラが一人で訓練場に行くと、必ずと言っていい程途中で迷うため、十五分の間に戻ってこられるかも怪しかった。

 仕方なく、皆が再び揃うまで、ちょっと会議室の窓から外に出て柔軟体操でもしていようかと思っていると、それを察したらしいティオに止められた。


「サラ、腹が減ってるなら、食堂に行って何か軽く食べてこいよ。俺の方から食堂の人達には話を通してあるから。」

「分かった! そうする! ありがとう、ティオー!」


 ティオは、サラがぼーっとした状態になると、(口寂しいなぁ)(小腹が減ったなぁ)という気持ちから、無意識の内に自分の視界に入った食べられそうなものを口に入れる癖を知り尽くしていた事から、先手を打っていたのだった。

 本音としては、自分の目の届かない所でバッタやら芋虫やらを食べられては困る、というものだった。

 実は今朝の幹部会議でも、ティオは……

 「異例だが、サラには持ち歩きやすい食料を携帯させ、いつでも好きな時に食べられるようにしたい。」

 という話を幹部達に提案し承認を取りつけていた。

 理由は……

 「サラはまだ成長期で、充分な栄養が必要だから。」

 と言うものだったが、半分は本当で、半分はサラに例の悪食をやめさせるためだった。

 幹部達も、おそらく傭兵団の団員達も皆、サラの食いっぷりの良さは知っており、サラが小柄な少女である事も分かっていたため、この例外はすんなりと承諾された。

 特にサラにベタ惚れのボロツが……

「おお、そうだな! 確かに、サラは、まだまだいろんな所が大きくならなきゃいけねぇもんな! まあ、俺は、このままのサラでも最高にイケてると思うが、サラの健康は大事だぜ! 悪かったなぁ、サラ、今まで気遣ってやれなくってよ!」

 と、大きくうなずいて真っ先に賛同したので、ティオが作戦参謀となった新体制下でもボロツの取り巻きだった隊長達の勢力が大きい幹部会議では、あっさりと提案は通された。

 ジラールやハンスといった年長者達も、自分の息子や娘を持った経験から親目線でサラの事は気に掛けており、特に異論はなかった。


 ティオは、一昨日の夜の城下町での賭博によって傭兵団の資金が潤沢になった事を受け、既に「団長特別枠」として予算を組んで食堂で働く料理人達にも話をつけていて、サラが来たら予算内で好きに食べ物を与えるように整えてあった。

 まず食べ物が余る事はない想定だったが、万が一余っても傭兵団内ならいくらあっても他の者に譲ればあっという間に片づくだろう事から、ムダになる懸念はなかった。

 こちらの「団長特別枠」での料理の提供も、先程の幹部会議で無事通された。

 これが、資金難で悩んでいる所にサラだけ多めに食事を取っていたら不満の声も上がるのだろうが、今は団員全員が満腹になる程食べられる状況であり、誰も異を唱えてこなかった。

 もちろんティオは、そんな反応を見越して、このタイミングで「団長特別枠」の予算を組んだのだった。


「えーっと、それでよ、サラ。ティオのヤツはどうなんだ?」

「え? ティオは、会議が終わった時、『ちょっと用事がある』って言って出ていったよー。この後すぐまた朝の点呼だから、それまでには戻ってくると思うけどー。アイツ、時間には正確だしねー。」

「いや、そうじゃなくってよ。」


 ボロツは言い出しにくそうに、ボリボリとスキンヘッドの頭を掻いていた。


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