幻の記憶 #13
「じゃあ、調べるから、しばらくジッとしててくれよ。あ、見えない場所がないように腕と足は開いて。……あー! そんな大きく開かなくっていいから!」
しばらくバタバタしたものの、ティオはなんとか気分を落ち着かせて、全裸で平然と自分の前に立っているサラに向き直った。
ティオの脳内における自分の設定は、診察に来た患者を見る医師であり、故に冷静かつ決してやましい気持ちを患者にいだかないという姿勢で臨んでいた。
「『物質世界』と違って、『精神世界』では、見えたものには全て意味がある。見えたものはそこに存在しており、自分がその存在を捉えたから見えたと、いう事になる。だから、サラが一瞬でも何かが自分の体の上に見えたのだとしたら、良く良く用心した方がいい。」
ティオは、裸のサラを調べる理由を自分自身に言い聞かせるようにそうつぶやいて……
まずは、サラが、自分では目が届かないので代わりに見て欲しいと言っていた背中を調べてみた。
「……うん。何も異常はないな。」
「ホント? 良かったぁ!」
「……」
ティオは、自分で「異常はない」と口にした時、不思議な違和感にさいなまれていた。
『精神世界』では嘘がつけない。
つまり、ティオは本心から「何も異常はない」と思っていた訳なのだが……
そう言葉を発した途端、彼の心の中で、何かが「違う」と反応したため、言葉と心が一致せず、『精神世界』独特の抵抗感、例えるなら胸焼けするような気持ち悪さを感じていた。
(……いや、「異常」は、ある。……『これ』に侵食された形跡があるっていう「異常」じゃないが、それとはまた別の「異常」を感じる。……)
ティオは、サラの白い背中にジッと目を凝らした。
今目の前にあるのは、本物のサラの肉体ではなく精神体ではあるが、素直なサラの性格から言って、『物質世界』における肉体とほぼ同じ形状をしていると思われる。
妙に自己評価が高かったり、逆に低かったりすると、精神体は『物質世界』の肉体とはかけ離れた見た目になる。
極論、本人が「これが自分の姿だ!」と心の底から思い込めるのなら、どんな美人、美男子にもなれるという訳だ。
サラは元々『物質世界』の肉体の方が、サラの野生児のような内面と一致しない程の繊細で可憐な美少女だった。
目鼻立ち、顔や体の各パーツ、髪の色や質感、まつ毛に縁取られたつぶらな瞳……
全てが一分の隙もない美しさで整っていた。
(……顔の造作を含め、体全体が正中線で完全に左右対称になっているように見える。人間の体はどこかしら左右で偏りがあるものだが、サラの体にはそれがない。むしろ、部分的に歪んでいる方が「普通」だ。サラの全く狂いのない整い方は、逆に不自然に、「異常」に、感じられる。……)
(……「異常」と言えば、この肌もどうも引っかかる。……)
(……綺麗な肌だ。一点の曇りもない。とても滑らかで、傷跡も染みもホクロさえも一つもない。まるで誰も触れた事のない積もったばかりの新雪のようだ。「完全なる無垢」とでも言うべきか。……)
(……肌を含む人間の体には、その人間がそれまで過ごしてきた時間と歴史が刻まれる。……木を切ると日が当たっていた南側と当たっていなかった北側で年輪に差が出ているのが分かる。嵐に遭って傷を負う事もあるし、雨水が豊富でみるみる育つ事もある。そうした環境や気候の状況が樹木の成長度合いとして残るように、人間の体にも、それまで生きてきた過程の影響が出るものだ。実際、俺なんか、あっちこっち傷が残ってるからな。……)
(……しかし、サラにはそういった類のものが一切ない。……)
(……サラは、自分は十七歳だと言っていた。ああ、そう言えば、それが嘘なのか本当なのか、『精神世界』で聞いた事がなかったな。まあ、でも、サラが本当に十七歳だろうが、見た目通りの十三、四歳だろうが、今はあまり関係ない。十三、四歳だったとしても、この肌は綺麗過ぎる。……)
(……サラの大雑把な性格から言って、今まで全くケガをしなかった、なんて事はない筈だ。それでも体のどこにもケガをしたような形跡がないのは……サラの異能力である「身体強化」が常時発動しているせいか? サラの体は、見た目に反して、岩のように頑強で簡単に傷がつかないし、たとえ傷が出来てもみるみる治る。普通の人間がコロッと死ぬような猛毒の草を食べて、「うーん、ちょっとお腹が痛いー」で済んじまうようなヤツだからなぁ。免疫力や治癒力が人間離れしていて、それでこんな、ケガの跡が一切無いどころか、生まれたてのような質感の肌をこの歳でも保っている、のか?……その可能性もなくはないが……)
(……なんだろう? サラのこの肌は、もっと次元が違う気がする。ただの俺の勘でしかないが。……生まれたてのような……そう、まさにそれだ。サラの肉体は、肌には、今まで生きてきた筈の時間や歴史を感じさせるものが全く無いんだ。……例えるなら……)
(……つい最近、この世界に生まれ落ちたばかりの肉体のような感じがするんだよな。まるで赤ん坊のような印象だ。……)
ティオは細かい傷が無数について白濁して見える分厚い眼鏡のレンズの奥で、深い緑色の目をいぶかしげに細めていた。
(……うーん、『物質世界』での実際のサラの肉体はどうだったかな? これは精神体だから、いくらサラが素直な性格とはいえ、完全に一致している訳じゃないだろう。サラの顔や体なんて、今までまじまじ見た事がなかったからなぁ。サラのようなまだ子供っぽさの残る女の子をジロジロ見るのは、男としてやっちゃいけない事だ。それ以前に、異性に限らず、許可なく他人の体を観察するのは、人として失礼な行為だしな。……後で、サラに話して、サラがいいって言うなら『物質世界』の方でも調べさせてもらうか?……いや、待て。……)
(……俺は、サラに初めて会った時から、心のどこかで、うっすらと違和感を覚えていた気がする。異能力の事だけじゃなく、サラは、どこかその「存在」そのものが「異質」だ。まるで、この世界のありふれた風景の中から、一人だけズレて浮かび上がっているかのように。俺が自分からサラに声を掛けたのは、それも理由の一つだったのかもしれない。今になってようやく気づいたぜ。……)
(……いくらサラの精神が強靭だとは言っても、俺の精神世界にある『これ』に触れても、元の自分にすんなり戻った事といい……)
(……サラは一体何者なんだ?……)
「ティオー? 何もおかしいとこないんだよねー?」と、サラに声を掛けられて、ティオはハッと我に返った。
サラの華奢な白い背中をジッと見つめながらつい考え込んでしまっていた事で、サラが不審に思ったようだった。
(……まあ、それは今は置いておこう。『これ』の侵食がどこかにまだ残っていないか調べる方が先だ。……)
ティオはフッと短く息を吐いて頭の中を切り替えると、サラを不安がらせないように慎重に言葉を選んで答えた。
「ああ、『これ』による異常は見られないな。」
□
「うーん、これで大体見える所は見たけど、『これ』の影響は感じられなかったな。……でも、まだ、良く見えない場所が残ってるんだが。」
ティオは一通りサラの体を観察した後、チラと下腹部に視線を向けて、すぐにスッと逸らした。
「えー? 私もティオも良く見えない場所ー?」
「い、いや、でも、そこを俺が見るのはさすがに、ちょと。」
「あ! 分かった! お腹の中とかでしょー?」
「あ、そっちか。……ゴホン!……そ、そう言えば、体の内部の事は考えてなかったな。しかし、内臓が侵食されてたとしても、調べようがないぞ。……いや……」
「方法はある。『宝石の鎖』を使おう。」
ティオがそう言うと、今もティオの体を埋め尽くすように巻きついていた『宝石の鎖』の何本かが、ティオの意思を受けてスウッと姿を現した。
サラが視覚的に混乱する事のないように、不可視状態にしてあったものを、必要に応じた分だけ可視状態に切り替えたのだった。
ティオが胸の高さに掲げた手の平の上に、シュルルルルッと『宝石の鎖』が集まってきた。
「俺が『鉱石と親和性が高い』という異能力のおかげで宝石の中に残った記憶を読み取る事が出来るのは、サラも知ってるよな。鉱石……つまり、石全般は周囲の状態を記憶する性質があって、俺はその性質を利用して、石に触れる事でいろいろな情報を収集出来る訳だ。これは『物質世界』でも、大いに役立ってる。ただ、読み取りたい石に俺が実際に触れる、という条件があるけどな。」
「この方法は、この『精神世界』でも同様に使える。……例えば、俺がサラの精神体に直接触れても人として知覚出来る範囲の情報しか得られない。髪がフワフワしてるとか、肌が白いとか、そんな感じだな。だが、石を、この場合宝石だが、これを介する事によって、もっと多くの情報を得る事が出来る。……つまり、まず、宝石がサラの情報を読み取り、その情報を俺を読み取る、って構図だな。」
「ええー?……ティオって確か、あっちこっちの石に触って、いろんな人の秘密をのぞき見してたよねー?」
「情報収集だっての! 人聞きが悪いなぁ!……まあ、有益な秘密は必要に応じて効果的に使わせてもらう事もあるけどな。」
「ほらー! やっぱり人の隠してる秘密をこっそり盗み見してるじゃーん! そういうの、良くないんだからねー!」
「ああ、分かってる分かってる。確かに、サラとは、俺が『宝石怪盗ジェム』だって事を黙っていてもらう代わりに、サラに関する情報は勝手に読まないって約束をしてたもんな。……サラにも、人に知られたくない事とかあるんだな。意外だ。」
「そんなの誰にだってあるに決まってるでしょー! 秘密だらけのティオに言われたくないよー!って言うか、私は花も恥じらう乙女なんだからねー! 女の子の秘密をホイホイ勝手にのぞき見しようなんてしたら、思いっきりグーで殴り飛ばすわよー!」
「ヒィッ!……だから、サラの秘密は見ないってのー! 拳を固めるのをやめろー! いくらここが『精神世界』でサラの身体強化の異能力の効果がないからってなー、お前の意思の強さで思いっきり殴られたら、それなりに痛ぇーんだよー!」
ティオは、自分の目の前で、一糸まとわぬ姿で足を開き腰に手を当てて仁王立しているサラに「花も恥じらう乙女」と主張される矛盾をひしひしと感じながらも、必死に弁明した。
まあ、『精神世界』には嘘がつけないという法則があるため、サラはこれでも自分の事を微塵の迷いもなく「花も恥じらう乙女」だと思っているのだろう。
「今回はサラの心や感情の方は読まない。体に異常がないかを調べるだけだ。と言っても精神体だけどな。……さっき、サラが無茶して身体中ケガだらけになった時も『宝石の鎖』を使ってただろう? こう、ケガをしたり切断したりした場所にグルグル巻きつけて固定して。あの時も俺は、サラの体の破損部位や回復状況だけを見てたんであって、サラの心の中はのぞいてないからな。」
「あ! そう言えば、そうだったー。」
「そもそも俺は、あんまり人の心の中をのぞきたいとは思ってないんだよ。だから、よほど意識的にやらないと読めない。ここ『精神世界』の性質で、やりたくないと思っている事は出来ないってのは、サラも良く知ってるだろう?……『物質世界』だと、石の中に残ってた誰かの強い思いをうっかり読んじまう事はあるが、それ以外は、目的の人物に探りを入れる時ぐらいしか人間の心の中は読まないんだよ。例えば、傭兵団の様子を毎日決まった時間に十分だけ見にきてるドッヘルとかいう参謀様の事とかな。」
「あー、確かに、訓練場の休憩所の石を読んでた事あったねー。」
「そう。ああいうのは普段はほとんどしない。……なんて言うか、人の心の中は、綺麗なものばっかりじゃないからな。とりとめもなくゴチャゴチャした他人の頭の中をのぞくなんてのは、こっちの思考までメチャクチャになるから嫌なんだよ。密かに誰かを憎んでたり、異性に異常に執着してたり、周囲に対する愚痴だらけだったり、なんて、そんなもん毎回読んでたら俺の精神がやられるっての。」
「ふうん。」
「まあ、そんな訳だから、サラの精神体を調べるのに『宝石の鎖』を使ってもいいだろう? サラの心の奥底の方は読んだりしないって誓うから。」
「うーん。そういう事なら、まあいいかなぁ。って言うかー、もうケガした時にグルグル巻きにされちゃってるから、今更だよねー。」
「よし、じゃあ……うっ!」
サラに無事『宝石の鎖』を使う許可を得たティオだったが、その瞬間ビシッ! と衝撃が走り、ガクリと膝をついてうずくまっていた。
「ティ、ティオ? ティオ、どうしたの?」
「うっ、『宝石の鎖』! なんで俺は、サラの体を調べるのに最初から『宝石の鎖』を使わなかったんだ?『宝石の鎖』を使っていれば、こんなに悩まずに済んだのに!ってか、鏡! 鏡を何枚か出せば良かったんじゃないのか? そうすれば、俺が手伝わなくても、サラが一人で確認出来ただろう?……ぐわあぁ! 混乱しててまともな判断が出来なかったぁ! クソッ!」
ドンドンと地面を拳で叩きながら悔しがるティオの姿を、サラは意味が分からないといったキョトンとした顔で眺めていた。
しばらくして、とりあえず慰めた方がいいと思ったのか、うつむいているティオの肩にポンと手を置き、ニッコリと曇りなき笑顔を浮かべたサラだった。
「ティオー、そんな落ち込む事ないってー。誰にでも間違いはあるよー。」
「誰が原因だと思ってんだよ、サラぁー! 全然理解してないくせに、いい笑顔でなんかフワーッと慰めようすんのやめろー!」




