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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十一章 幻の記憶 <後編>黒い星
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幻の記憶 #12


「うっわぁーい!」

「……お、おい、サラ。そんないきなり動いていいのか?……おい、おいってば、サラ! 聞けよ、ちょっとは!」


 すっかり元通りになったサラが、ダーッと辺りを走り回ったり、ピョンピョン飛び跳ねたりしているのを、しばらく心配そうに見ていたティオだったが……

 サラがいつもと何も変わりない様子なのを確認して、ようやくホッと大きく息を吐いていた。

 普段の生活でも、サラは自分では「私は十七歳なの!」と言っている割には子供っぽい行動が多い所に、『精神世界』では、本質が出るのか、ますます無邪気な子供のような印象が強まっていた。


「もうー! 大丈夫だって言ってるじゃーん! 体の一部が『不思議な壁』みたいになった時は、ちょっとビックリしてキャーキャー言っちゃったけどー、もうゼンッゼン平気だもんねー!……こんな事だって、出来ちゃうよー……えい!」

「うわあぁ!」


 サラが、ヒョイッと手を伸ばして、不思議な壁にペタッと触ったので、ティオは思わず真っ青な顔で悲鳴を上げたが……

 サラの身には何も起こらず、ケロッとした顔でふっと手を離していた。


「え?……ええ?……サ、サラ、お前、なんともないのか?」

「うん!……さっき、不思議な壁と話をつけたからねー。」


 ティオは、慌てて近寄ってきてサラの手を取ると、確かになんの異変もないのを見て驚いていた。


「いや、だから、話をつけるってなんだよ? 俺だって『コイツ』と話なんかした事ないんだぞ?」

「話って言うかー、『不思議な壁』は話さないから、私が一方的に伝えたって言うかー。」


「えっとー……ティオが言ってたでしょう?『不思議な壁』は別に悪意がある訳じゃなくって、元々こういう性質のものなんだってー。だから、『あー、そっかぁ、そういう存在なんだねー』って納得したって感じー。『不思議な壁』について、『何これ? 何これ?』ってあれこれ考えても、どうせ私には分かんないだろうしー。まあ、だったら、分かんなくってもいいかなーって思ったんだー。……『不思議な壁』は『不思議な壁』で、こういう『存在』で、私が私っていう『存在』なのとおんなじ事だよねー。まあ、広い世の中には、『不思議な壁』みたいな、なんか凄ーい性質を持った存在もあるよねー。……って、そんなふうに私は思ってるって事を、『不思議な壁』に伝えてみたのー。……あ、後ね! 同化されるのは『ヤダ!』って言っておいたー。それから、『私はティオの味方だから、攻撃しないでよ!』っていうのも言っといたー。」

「……」


 ティオは、しばらく拙いサラの言葉を解釈しようとアゴに手を当てて真剣な顔で考え込んでいた。

 予想していた事だったが、サラに関しては、気持ちを言葉にして喋ってきても、心を直接伝えてきても、元々の思考パターンが論理的でないせいで、どちらにしろ詳細な状況は分かりにくいままだった。

 ただ、どちらの手段を取ったにせよ、サラには自分の気持ちを隠そうという気は一切なく、一生懸命伝えようとしている事だけは察せられ、好感は持てるのだったが。


「……要するに、サラは『コイツ』をありのままに受け入れたって事か。」


「いや、サラ、お前は簡単に言ってるけどな、そんな事出来る人間はそうそう居ないぞ。人の頭の中に容赦なく膨大な情報を流し込んでくる訳の分からないものを、『ふーん、そういうものだって言うなら、そういうものなんだねー。まあ、いっかー。』で片づけるのは、たぶんお前ぐらいだぞ。……何も考えてないのか、懐が果てしなく広いのか、判定が難しい所だよなぁ。」


「それから、『拒否』か。『コイツ』がサラを同化しようとしている行為について、サラは明確な意思を持って『拒否した』訳だ。『精神世界』でのやり取りには、『許可』『契約』と言った意思の決定が大きな力を持つって話をさっきしたが、それをサラは行使したって事になるな。」

「そうそう! ティオの話がすっごいいいヒントになったよー!……『嫌だ!』ってちゃんと伝えるのは、大事な事だよねー!」

「……まったく。サラのそういう所は、正直尊敬するよ。俺はついあれこれ頭で考えがちだけど、サラは頭じゃなくって、もっと感覚的に、言うならば心で、いろんなものを読み解いて理解していく能力があるんだな。……まるで、生まれつき全ての答えを知っているかのように見えるよ。」

「エヘヘヘヘ。」


 サラはティオに褒められて、上機嫌でタッタタッと踊るように足踏みしていたが、ふと何か違和感に気づいて、パッと胸の中心を両手で押さえた。

 グイッとシャツの襟ぐりを引っ張って中をのぞき込む。


「え!?」


 一瞬、胸のちょうど中心、赤い石のペンダントが下がっている少し下辺りに、もやもやと動くものが見えた気がした。

 それは、先程までサラの精神体を侵食していた『不思議な壁』のように見えた。

 有機的にも無機的にも見える不思議な質感で、無数に奇妙な模様のごとき溝が走り、それがグラグラと不規則に揺れる。


「あれ? まだこんな所に『不思議な壁』が残ってる?」

「え!? な、なんだって?」

「あ!……消えちゃった?……見間違い、かな?」


 しかし、サラがその『不思議な壁』のようなものを自分の胸に見たのはほんの一瞬の事だった。

 本当にチラと見ただけで、次の瞬間には何事もなかったかのように消え去っており、サラが自分の目を疑うのも不思議はなかった。


「サ、サラ?」

「ん、平気。なんか、勘違いだったー。」

「い、いや、もっとちゃんと確認しろよ! あっさり済ますなよ!」

「もー、ティオって心配性だなぁ。……分かったよぅ。念のため、身体中確認してみるねー。」

「ああ、その方がいい。相手は『これ』だからな。いくら用心してもし過ぎるって事はないだろう。」


 サラと違って慎重な性格のティオは、サラに念入りに確認する事を促し、サラも心配そうなティオの表情を見てとって素直に言う事を聞いたのだったが……


「よいしょっと。」

「ひょえ?」


 サラが、着ていた生成りのシャツをなんのためらいもなくバッと脱ぎ出したので、ティオは思わずしゃっくりのような間抜けな声を上げていた。

 止める間もなく、ほとんど乳房の膨らんでいない未発達なサラの上半身が露わになる。


 普段サラはシャツの下に胸を隠すために布を巻いているのだが、体を締めつけるものが好きではないサラは、実はその布を嫌っていて、夜眠る時のように人目に触れないような場面ではさっさと取り外していた。

 『精神世界』での精神体も、服装は一見普段通りに見えるものの、細かい所にサラのそういった感覚が出るらしく、足をひざ下まで締めつける格好になる革のブーツは履いておらず、いつも素足だった。

 胸元に可愛らしい赤いリボンがついているのがお気に入りのオレンジ色のフードつきのコートも、ティオを捕まえるために運動の邪魔になると思ったのか、今はどこかに消えていた。

 しかし、まさか、シャツの下に巻いている胸を隠すための布まで消えているとは、さすがのティオも想定していなかった。


「……サ、サラ! ちょっと待て、おい! 何も服を脱がなくてもいいんじゃないのか?」

「えー? なんでー? ちゃんと確認しろって言ったのは、ティオでしょー?」

「……そ、そうだけ、ど……いや、でも……」

「あ! 下も脱いだ方がいいよね!」

「へあ!?」


 サラは、ティオが困ったような表情を浮かべて必死に視線を逸らしているのに気づいてはいたが、理由が分からずキョトンしたのみで……

 下半身に身につけていたシャツと共布の生成りのキュロットスカートも、潔い程ズバッと下ろして脱いでいた。

 幸いキュロットスカートの下には下着が身につけられていたが、サラはそれも、全身を確認するのに邪魔だと思ったらしく、さっさと脱ぎ始めた。


「あ、ちょっ!……バ、バカ、サラ! お、おい、や、やめ……ああぁぁー……」


 ティオとしては止めたかったのだが、動揺していてはっきりと制止の意思を伝えられない内に、サラはあっという間に素っ裸になってしまっていた。

 ティオは、消え入りそうな苦悩の叫びを上げた後、その場にヘナヘナとうずくまって自分の両手に顔を埋める事となった。


「うん! 良し! これなら、体中どこでもバッチリ見えるね!……うーん、でも、服を脱いでも、自分では見えにくい所があるなぁ。背中とかー。」


 サラは、一糸まとわぬ姿になると、体をひねって足の裏を見てみたり、太ももの内側や脇の下をのぞき込んでいたりしたが……

 ティオが、かくれんぼの鬼のごとくに背中を丸めてしゃがみこみ両手で顔を覆っているのに気づくと、ムッと不機嫌そうに口をへの字に曲げた。


「ちょっとー! 何やってるのよ、ティオー! ティオも調べるの手伝ってよー! 私だけじゃ見えない所もあるんだってばー!」

「え……て、手伝う?……い、いやいや、ダメだろ、俺は! それはダメだろ! 勘弁してくれよ、サラー!」

「もうー! グダグダ言ってないで、早く手伝ってってばー! ティオばっかりサボってるのズルイー!」

「……うぐぐぐぐ!……」


 ペタペタと近づいてきたサラに、必死に伏せている顔を「上げろ」とばかりに、首の後ろで無造作にまとめた伸ばしっぱなしの黒髪の尻尾を掴まれてグイグイ引っ張られたティオは、仕方なく心を決めた。


(……ま、まあ、確かに、大雑把な性格のサラだけに調べさせるのは、不安が残るよな。『これ』については、この『精神世界』の自分の精神領域に来てから二年来の付き合いのある俺の方が詳しいしな。……)


(……そ、それに、サラの裸自体は、俺にとっては子供のそれを見ているような感覚で、微塵もやましい気持ちにはならないからな。だから、まあ、必要があるから見ろって言われれば、見ないでもないんだが。……いや、でも、倫理的にどうなんだよ、これは? うーん……)


 ティオは、念のため、サラに確認しておいた。


「……本当に、俺が調べてもいいのか? サラ、お前、後で怒ったりしないよな? なあ?」

「ティオが手伝わない方が怒るよー! 私一人に面倒な事押しつけないでよー! それに、『不思議な壁』の事だったら、私よりティオが調べた方がいい筈だよー!」

「……俺の方が確実、か。……ま、まあ、そうだな。分かった。じゃあ、俺もサラの全身を調べるけど、本当に、後になって怒ったりするなよ? 俺は、あくまでも、異常がないか確認する意味で見るだけだからな! それ以上でもそれ以下でもないからな! 間違っても変な気持ちはないからな!」

「怒らないったらー! だから、早く背中の方とか見てよー!」

「……わ、分かった分かった! 見るから見るから!……でも……」


「ちょ、ちょっとその前に、気持ちの準備をさせろ!」


 ティオは両手に顔を埋めてしゃがみ込んだまま、ゆっくりと深呼吸して混乱していた感情を整えようと必死になった。


(……落ち着け! 落ち着け、俺!……そう、今までだって俺は、何度も想像していなかった事態に見舞われてきただろう? 生まれ育った村はあっという間に戦火で焼け落ち、なんとか逃げ延びた隣町も既に戦で焼かれていた。九歳にして人買いに売られ、荷運びのヤツらに買われて劣悪な労働条件でこき使われ、盗みを覚え、その後脱走して盗賊団に入り、盗賊団では当然山程修羅場を潜り抜けてきた。そんな盗賊団から足を洗い、山奥の小さな村でやっと穏やかな生活が出来ると思ったら、半年足らずで村が襲われた。その時のショックで初めて『精神世界』を知覚して、この自分の精神領域に来たが、ここにはなんか訳の分からないものがあった。そう、『これ』だ!……どうなってるんだ、俺の人生! 人生山あり谷ありっつっても、山も谷も多過ぎだろう? てんこ盛りって次元じゃないぞ! 俺はまだたった十八年間しか生きてないんだからな、チクショウ!……)


(……い、いやいや、今はとにかく落ち着かないと! バカみたいにいろんな事があり過ぎた自分の境遇を思い出して、この世界に「運命」ってものがあるのなら、その「運命」とやらを平和主義者のこの俺もさすがに一発殴ってやりたい、とか憤慨してる場合じゃない!……ええと、そ、そうだ! 俺は『精神世界』で過ごす内に、気づいた事があったんだった。この世界は精神と意思が主軸となる世界だ。つまり、ここで安寧かつ堅固な状態を維持したいなら、まず、自分の精神を冷静に保つ事が大事なんだ。要するに、心の乱れが一番いけない。池の水面に石を投げ入れるように、心の乱れは、精神体に、いや、この自分の精神領域全てに、影響を与えて不安定にさせてしまう。特に『これ』を安全な状態で維持するためには、同一存在である俺自身が常に冷静でなくてはならないんだ。俺の精神や肉体の大きな変化は、『これ』にもまた急激な変化を及ぼす危険性がある。つまる所、俺が、誰も居ない静かな所で死んだようにジッとしている状態が、『これ』にとっては一番安定したいい環境って訳だ。まあ、さすがにそれは無理だが、俺も自分に出来る事は精一杯やってきた。そう、精神統一だ! ここに来てからのこの二年間、俺は時々精神体で血反吐を吐いたり、肉体でもぶっ倒れたり、全身をナイフで刺されるような苦痛にさいなまれてのたうち回ったりしながらも、必死に頑張ってきたじゃないか! そのおかげで、どんな時でも、短時間で、気持ちを岩のように微動だにしない状態に持っていけるようになった、と思う。……)


(……ってか、サラー! なんでお前は、そうなんだよー! 人の前であっさり裸になってんじゃねぇぞ、バーカ! 俺の事、なんだと思ってんだ、お前はぁ! 常々思ってたけどなぁ、お前、ちょっと、警戒心とか危機意識がなさ過ぎるぞ! これが俺だったから良かったけどなぁ、広い世の中には、お前みたいにお子ちゃま体型のちんまりした女が好みっていう困った性癖の持ち主もたまに居るんだよ! ボロツ副団長みたいに! あの凶悪犯罪者面の脳筋ロリコン男!……い、いやいや、そもそも、サラと同室で暮らす事になった時には、実際何日か一緒に過ごせば、サラがギャーギャー嫌がって自分から「ティオは早く私の部屋から出てってよー!」とか言うと思ってたんだよ! それなのに、お前、何すっかり俺と同室で暮らす事に慣れちまってんだよ、サラぁ! 女子としてマジでどうなんだ、それは! 恥じらいとかないのか、本当に! 最近では慣れ過ぎて、俺の前で平気で着替えだすし! その精神状態が、ここ『精神世界』ではもろに表れて、なんの抵抗もなく俺の前で素っ裸になりやがったよ! お前、ホントどうかしてるぞ!……い、いやいやいや、サラばかりを責めるのは良くないな。サラが俺と同室で暮らす内にだんだんなあなあになってきてるのに、俺は気づいてた。でも、傭兵団の仕事が忙しかったのもあって、世間知らずで常識のないサラに一々説教するのが正直面倒臭くって、ずっとほったらしてかしてたんだよなぁ。見て見ぬ振りをして、問題を先送りにしてた。その結果がこれだよ! やっぱり、サラにはちゃんと一度、女性としてもっと男に警戒心を持った方がいいって話をしないとダメだよな。いや、でも、いよいよ傭兵団が内戦の最前線に送り出されそうな今の状況下で、そんな話をのんびりしている余裕は……じゃなくって、精神統一! 精神統一するんじゃなかったのか、俺はぁ!)

(……ティオー……なんかまた、ゴチャゴチャ余計な事考えてないー?……)

(……ハッ! サラ!?……お、お前、勝手に俺の思考に入ってくるんじゃねぇよ! 今俺は、必死に精神を落ち着かせてるとこなんだよ!……)

(……だってぇー、ティオの体に触ってると、ティオの考えてる事がふわーっと分かるんだもん。って言うか、今、ティオ、あれこれ一生懸命考えてたでしょー? 細かい内容は分かんなかったけど、なんかこう、辺りにもにゃもにゃそういう雰囲気が漏れてたよー。……)

(……んぐっ!……)


 一度『不思議な壁』と同化しかかった一件で、『精神世界』において、言葉を使わず心で話す事を覚えたサラは、ティオが優秀な頭脳をムダにフル回転させて高速で考えている様子を察したらしかった。


「ティオ、早くぅー! 早く私の体見てよー! 体中隅から隅までしっかり調べてよー!」

「サ、サラ、お前、大いに誤解を招くような言い方すんなよー! だ、だから、もうちょっと待てって言ってるだろー!」


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