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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十一章 幻の記憶 <後編>黒い星
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幻の記憶 #10


 サラは、喋らなくてもどれぐらいティオに自分の気持ちが伝わるのか、簡単に検証してみた。

 今現在も『不思議な壁』に触れた右手は壁から離れないまま肩まで壁と同化し、左手や、頬、右足の脛と、侵食がジワジワ進みつつあったので、ゆっくり時間をかけている訳にはいかなかった。


(……すごーい! ティオとこんなふうにはなせるようになるなんてー! よかったぁー! やったやったー!……)

(……良くねぇよ! サラ、お前、自分が置かれてる状況をもっと深刻に受け止めてくれよ!……)


 もう一人で立っていられない状態のサラを抱きかかえているティオは、サラの能天気さに呆れながらも……

 一方で、精神体が『不思議な壁』と同化していく恐怖に錯乱し絶望していたサラが、いつもの明るさを取り戻した事に、少しだけホッとしていた。

 実際、サラの気持ちが安定したせいか、『不思議な壁』の侵食スピードは著しく低下していた。

 しかし、ジリジリと壁と同化した部分が広がっていく事に変わりはなく、未だ同化を治す方法はティオにさえ雲を掴むような状況だった。



 サラが試してみた所……


 どうやら、ティオに触れていないと心を直接伝える事は出来ないようだった。

 ここは『精神世界』であるので、つまり、お互いの精神体を接触させる必要があるという事になる。


 その他には……

 元々『精神世界』においては「嘘がつけない」という法則があるが、心で会話をすると、それがより顕著になるようだった。

 自分の心を直に相手に触れさせ、こちらも相手の心に直に触れている状態だからだろう。

 しかし、ティオが(細かい所までは分からない)と言っていた通り、確かに、言葉になっていないような、本人の中でも論理的に整理されていないものは上手く伝わらないようだった。

 ただ、ふんわりと、どんな感情を抱いているのかは感じられる。

 例えるなら、その感情の味や匂い、触り心地のようなものだった。

 ザラザラしているとか、固くて苦いとか、フワッと柔らかく温かいとかいった具合だった。

 こういった感覚は、偽る事が出来ない。

 快不快、喜怒哀楽、そういった感情がそのまま流れ込んできていた。


 そして、お互いの精神体を接触させていると、相手の感情が、ふわっと、相手を取り巻く空気を吸い込むように伝わってくる一方で……

 ハッキリとした意思を持って「伝えたい!」と思っている事以外は、上手く伝える事が出来ないという事が分かった。

 触れているだけで心の中全てが筒抜けになる訳ではなく、「伝えたい!」「心の中を見てほしい!」という強い意思表示が必要のようだった。


(……なるほど、そういう『理』か。……)

(……『ことわり』って、せかいのほうそくのこと、だよねー?……)

(……ああ。「許可」「契約」「開示」こういった類のものは、『理』には良くあるんだよ。……)


 ティオはサラの前で努めて冷静に受け答えしていたが、一方で彼の頭脳がせわしなく『不思議な壁』と同化しているサラをなんとか助け出すすべを模索しているのが、彼に触れているサラには感じられていた。


(……例えば、何か自分以外の力を借りる時、「対価」を払い「契約」をする。……『物質世界』の人間社会でも、その辺は概ね同じだろう? 誰かに何かして欲しかったり、他人の持っているもので何か欲しいものがあったら、相手の望む事を代わりにするとか、相手の欲しがってるものを交換で譲るとかするよな? 店で金を払ってパンを買う、っていうのが、一番分かりやすいかな。……『精神世界』でも、その辺の法則は変わらないんだよ。ただ、やり取りするのが、金銭や物といった物質的な「対価」じゃないというだけだ。「何か」を求めれば、それと同価値の「何か」を与えなければならない。「等価交換の法則」ってヤツだな。……)


(……そして、『物質世界』でそうであるように、『精神世界』でも、「対価」を払わず一方的に奪う行為はタブーとされている。……まあ、『物質世界』でも力を振りかざして他人のものを強引に奪っていくヤツは居るけどな。強盗とか、法外な税とかな。……でも、基本的には、相手の「許可」が必要となる。『精神世界』は精神と意思に重きが置かれている世界だから、この「許可」ってのが、『物質世界』よりも強力に行為を拘束している。……)


(……俺が以前、とある男の子をこの『精神世界』の自分の精神領域に入れて、ある処置を施した話をしただろう? あれは、男の子の「許可」を得て行ったから、滞りなく正確に処置をする事が出来たんだ。対照的に、後から勝手に入ってきた招かれざる二人の男達の方は、そういった「許可」や「誓約」なしだったのも、メチャクチャな結果になった要因の一つだろう。……)


(……要するに、サラが、「自分の心に触れていい」と俺に「許可」を与えているから、俺はサラの心が読めるって訳だ。……「許可」がなくても、無理矢理読む事は出来るんだろうが、「許可」がある時に比べて格段に難しくなるし、労力もかかる。……そういう『理』なんだよ。……)

(……ふうん……)


 サラにはやはり、こうして心で直接会話をしてみても、ティオの理知的な考え方を理解するのは難しかったものの、ただ、ティオの言っている事は、感覚として納得するものがあった。

 おそらく、ティオの言うように、ここ『精神世界』は、そういう、意思による「許可」「契約」といった「決定」が、『物質世界』における手枷足枷のように、強い拘束力を発揮するものなのだろう。


(……ティオー……)


 サラは、まだティオに話していなかった、『不思議な壁』に触れた際に体験した出来事を心で伝えてみた。

 サラにとっては自分の見たもの感じたものを正確な言葉にして表現するのは難しい事だったので、一生懸命頭の中にイメージを思い浮かべた。


 ……人が何人も無残に殺されていた光景……

 ……殺された遺体が、あっという間に業火に包まれ灰と化して、熱風に煽られ四散した様子……

 ……炎の中に一瞬見かけた、人らしき黒い影……


 そして……

 ……深夜、暖炉の前で会話を交わしていた夫婦らしき男女について……

 ……女性がサラとそっくりの赤い石のついたペンダントをしており、どうやらお腹に赤ちゃんが居る様子だった事……

 ……更には、彼女は、サラらしき少女になった夢を見ていたと語っていた事など……


 それらのサラのイメージを受け取ったティオは(……大体分かった……)と答えてきたが、詳しくは説明してこなかったので、どの程度伝わっていたのかはサラには分からないままだった。


(……やっぱりな。……)

(……やっぱり? なんのことー?……)

(……)


 ティオがポロリと漏らした心の声にサラが反応して問いかけると、ティオがフッと心を閉ざす気配を感じた。

 先程ティオが説明していたように、ティオ本人がサラに知られるのを拒否している場合、精神体を接触させていてもそれ以上彼の心の中を感じ取る事は出来ないようだった。

 ティオは元々いろいろと秘密があり、それは他人が詳しく知る事で危険な状態に陥りかねない『不思議な壁』に関する事も多いため……

 サラも(またいつものやつかな?)と思って、強引にティオの心を探ろうとはしなかった。

 これも『精神世界』の特性なのか、こうして精神体同士を接触させて心で会話をしていると、本人が立ち入りを拒絶している心の場所には、入ろうという気が自然と起こらなかった。

 そうでなくても、サラは、ティオに不快な思いをさせたくないと考えていた。

 また、ティオは『不思議な壁』によってサラが再び危険な目に遭った現状を嘆いているのか、彼の心に悲しい感情が溢れているのを感じ取ってしまっては、それ以上踏みこめる筈もなかった。


(……サラ、前も言ったけどな、『これ』がサラに見せたのは、サラ自身の記憶じゃない。だから、深く考えなくていい。自分と関係のない事柄にあまりのめり込み過ぎるのは良くない。特に『これ』の前ではな。……)

(……わかった……かんがえないようにする……)


 無数に細かい傷がついているために白く濁って見える分厚い眼鏡のレンズ越しに見るティオの緑色の目は、いつものようにとても優しかったが、苦しそうに細められていて……サラは、大人しくコクリとうなずいた。

 ティオは、自分からも話題を変えようとしているらしく、また、あまりのんびりとも構えていられない状況もあって、サラの気分が上向いたこの機に、今サラが置かれている窮地の本題に切り込んできた。


(……それにしても、困ったな。……ゴメン、サラ、いろいろ対処を考えてるんだが、正直全く解決法が思いつかない。なんでこんな事になったのか。いや、俺が油断のせいだ。俺に責任があるのは分かってる。……)


(……でも、これまでは、今のサラのように『これ』が誰かを侵食するなんて事は起こらなかったんだ。大量の情報を際限なく流し込まれて精神的にダメージを与えるだけで。一昨日サラが『これ』に触れた時もそうだった。なのに、どうして今回は、サラの精神体を侵食するなんて事態になったのか。……)

(……んー……ティオ、それ、わたしちょっとわかるかもー……)

(……え?……)

(……『ふしぎなかべ』は、わたしをこうげきしているわけじゃなくってね、とりこもうとしてるんだとおもう……わたしも、じぶんのからだがこんなになってるのをみて、さいしょはびっくりしちゃったけどねー……でも、こんなふうに『ふしぎなかべ』とくっついてるせいで、なんとなく『ふしぎなかべ』がかんがえてることがわかるきがするんだよねー……)

(……『これ』が考えてる事、だって?……『コイツ』に意思とかそんなものあるのか?……)

(……あー……『ふしぎなかべ』とおんなじ「そんざい」のティオでも、わからないことはあるんだねー……)


(……ティオ、わたしにいったでしょう? ほうせきにもいしはあるって……)


(……わたしね、はじめててぃおのそんなかんがえをきいたとき、「こいつやばい、あたまおかしい」っておもったんだけどー……ごめーん、いまなら、なんとなくわかるきがするんだー……『ふしぎなかべ』にさわって、いろいろなことをたいけんしたせいかもしれないねー……)


(……せかいにそんざいするすべてのものには、きっとみんないしがあるんだよー……)


(……でも「そんざい」がとおすぎる……「そんざい」がちがいすぎる?……そういうもののいしをりかいするのはむずかしいんだとおもうー……ティオは、いのうりょくがあるから、ほうせきのいしならわかるんでしょう?……わたしも、さっきティオとたたかってるときに『ほうせきのくさり』にいっぱいさわったからなのかな? すこしだけ、ほうせきのきもち、みたいなものかんじたよー……)


(……それとおんなじで、いまは『ふしぎなかべ』のきもちをなんとなくかんじてるよー……うーん、にんげんとはぜんぜんちがっててすごくわかりにくいから、ほんのちょっぴりだけだけどねー……)

(……『コイツ』の意思って、一体どんなものなんだ?……)


 ティオのような豊富な知識もなく、深い思索もしないサラが、まるで『世界の理』を良く知っているかのように、スラスラと迷いなく語る内容を、ティオは、驚愕して緑色の目を見開きながら聞いていた。


(……わたしがわかったのは、「ティオをまもろうとしてる」ってことだけー……ほかにもいろいろあるのかもだけどー、そっちはわかんないやー……わたしがティオのちからになりたいっておもってたから、そこだけはこの『ふしぎなかべ』ときもちがいっしょで、だから、よみとれたのかもー……)

(……『コイツ』が、俺を守ろうとしてた?……い、いや、俺、二年前にここに初めて来てから『コイツ』をどうにか制御しようとしてあれこれ試行錯誤してみたけれど、その度に痛い目を見てるんだけど? まあ、あの許可なく入ってきた二人の男みたいな悲惨な状況にはならなかったけどさ。……)

(……だって、ティオは、じぶんとおなじ「そんざい」の『ふしぎなかべ』を、じぶんからきりはなしたいとおもってるんでしょう? それがむりなら、えいえんにふういんしたいっていってたよね?……いやなんじゃない?『ふしぎなかべ』は、ティオからきりはなされるのも、ふういんされるのも、いやでていこうしてるんじゃない?……)

(……ええ?……嫌とか言われても……俺だって、『コイツ』のせいでいろいろ大変な思いをしているから、どうにかしたいって考えるのは当然だろう?……)

(……うーん……てぃおがそうかんがえるのもわかるけどー……『ふしぎなかべ』には『ふしぎなかべ』のかんがえっていうかー……こうしたい、こうしなきゃ、それがじぶんがここにあるいみ、みたいな?……えっと、しめい? とかいうようななにかがあるのかもしれないよー……)

(……し、使命?……)

(……ティオもいってたじゃない?……『これ』はさわったにんげんのいしきにどばどばいろんなじょうほうをながしこんでくるけど、とくにあくいはなくって……『これ』はただ、そういう「そんざい」なんだって……)


(……『ふしぎなかべ』は、じぶんの「そんざい」のままにうごいているだけだとおもうよ……)


(……えっとね、わたしでいうなら……いつもどんなときも、わたしはわたしってこと……)


(……わたしは、なにがあっても、わたしらしくいたいっておもってるよ……たぶん、『ふしぎなかべ』もおんなじだよ……『ふしぎなかべ』は『ふしぎなかべ』らしくしてるだけ……)


 サラは、自分を支えてくれているティオの腕の中でそっと目を閉じた。

 サラの、一点の曇りもない白い陶器のように滑らかな、それでいて赤子のようにふわりと柔らかな感触の頰に、『不思議な壁』特有の質感と奇妙な文様が刻まれ、蠢いていた。

 サラは、再び瞼を開くと、その水色のつぶらな瞳でジイッとティオを見つめてきた。


(……『ふしぎなかべ』の「そんざい」のなかに、「ティオをまもる」っていうしめいがあるんだよ、きっと……わたしがいつもわたしらしくいたいっておもっているように、それは『ふしぎなかべ』にとって、すごくあたりまえでしぜんなことなんだよ……)

(……ま、まあ、俺は『これ』と同一の「存在」だからな。自分を守るってのは、言われてみれば普通の事だよな。……)

(……だから、『ふしぎなかべ』は、ティオのことをきずつけたりはしてないでしょう? いっぱいじょうほうをながしこんじゃうのは、『ふしぎなかべ』がそういうせいしつのものだから、しかたのないことなんだよ……わたしも、ティオにたいしてきがいをくわえようとかぜんぜんおもってなかったから、『ふしぎなかべ』にさわっても、こうげきはされなかったよ……)


(……でも、かってにはいってきたおことのひとたちは、ティオをつかまえようとしてたから、『ふしぎなかべ』はちょっとこらしめたんだとおもうよ……もし、もっときけんなひとがきたら、たとえばティオをころそうとしてるようなひとがやってきたら、『ふしぎなかべ』は、そのひとをころしちゃうかもしれない……)

(……こ、殺す?……そ、そんな事、俺は望んでない!……)

(……しってるよ……ティオはやさしいから、やさしすぎるから、だれもきずつけられないんだよね……でも、きっと、『ふしぎなかべ』はちがう……ティオをきずつけるにんげんにたいして、ようしゃしない……ティオをまもるために、ぜんりょくでこうげきする……)

(……)


 複雑な表情で黙り込んだティオを励ますように、サラは笑顔を浮かべ、それと同時に『不思議な壁』に侵食された頰が、グラグラと揺らめいていた。


(……『ふしぎなかべ』が、わたしをとりこもうとしてるのも、それがりゆうだよ、たぶん……)


(……わたしが、ティオのたすけになりたいって、こころのそこからおもってたから、『ふしぎなかべ』の「そんざい」のなかにある「ティオをまもる」っていうしめいときょうめいしたんだよ……)


(……『ふしぎなかべ』は、わたしをとりこめば、もっとティオをちゃんとまもれるようになるって、おもったんじゃないのかな?……)


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