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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十一章 幻の記憶 <前編>虫食いの中
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幻の記憶 #8


 大きな木に背中を預けて眠っていた、仄かに発光しているかのような不思議な銀色の髪をした少年は、目を覚ますと、眉間にシワを寄せて憂鬱そうにため息をついていた。


 サラの見ていた『不思議な壁』が意識に送り込んでくる記憶は、相変わらず虫食い状態であり、少年の容貌は良く分からないままだった。

 ただ、見て取れる部分と、サラの視点となっている梢に止まった小鳥に意識を重ねている二人の人物の会話から、おそらく木立の向こうに何棟か見えているのは、何かの学校であり、ここはその裏庭のようだった。

 辺りに少年以外の人間が居ないのは、現在この学校の生徒達は皆、建物の中で授業を受けているのだろう。

 サラは「学校」「授業」「生徒」についてほとんど知識がなかったが、『不思議な壁』が意識に流し込んでくる情報にはそれらが含まれていたため、ぼんやりとだが、そんなものがこの世界にはあるのだと知れた。


『あ! 目を覚ましたよ!……おっはよー!って、今昼か、アハハハハ。』

『どうするのでしょう? そろそろ昼時ですし、少し早いですが、学校の食堂に行くのでしょうか?』

『いやぁ、どうだろう? こんな人気のない所でサボっているのを見るに、人の多い所は嫌がりそうだよねぇ。』

『それは困りましたね。明日から、弁当を持たせる事にしましょう。』

『弁当!……それ、誰が作るの?』

『もちろん私ですが。』

『えー! いいなぁいいなぁ! ねぇ、だったら僕にも作ってよー!』

『あなたには専属の料理人が居るでしょう? 毎食しっかりと栄養を考えて健康管理をしてくれているのですから、他のものを食べては失礼ですよ。』

『そういうかたっ苦しいの、僕、大っ嫌いなんだよねー! いつも僕のために料理を用意してくれるのはありがたいと思ってるけどさー、たまには、こう、目一杯脂っこいお肉とか、お腹いっぱい食べたいなぁー! 健康なんて、クソ食らえでぇー!』

『却下ですね。我儘はいけませんよ。あなたは、もう少しご自分の立場を弁えて下さい、いつも言っている事ですが。……ん?……』


 土で出来た小鳥を利用して30m程先の木の下に居る少年をこっそりのぞき見しならが喋っていた二人だったが、ふと、真面目な方の人物が少年の異変に気づいた。

 見ると、少年は、背中を丸めて右手を口元に当て、ゴホッ、ゴホッと咳をしていた。

 しばらくして咳は止まったようだったが、まだ口元に手をあてがってジッとしている。

 袖が長く袖口も広い服のため、少年の右側の木の上から彼の様子を観察している小鳥には、少年の顔の下半分が見えない状態となっていた。


『や、やはり体調が良くないのではないですか? あんな人気のない場所で倒れでもしたら、誰にも見つからないままかもしれない!……わ、私が行ってきます!』

『ちょ、ちょっと、落ち着きなってー!……すぐに使いの者を行かせるよ。君が行ったら行ったで騒ぎになるだろうし、あの子も困ると思うよ。』

『ああ、やはり、毎朝私の作った薬湯を飲ませなければ! 彼が嫌がるので、つい折れてしまっていたのが良くなかった!』

『え? 君、あんなクソ不味いものをあの子に飲ませようとしてたの? 可哀想に、それって虐待じゃない?』

『あの薬湯は滋養と強壮にいいんですよ!』

『君の薬草オタクぶりは知ってるけどさぁ、あれじゃ健康になる前に不味過ぎてショック死しゃうよ。僕は寿命を縮めたくないから、絶対飲まないからねー。まったく、薬を作る時は、効能だけじゃなく味の方まできちんと考慮してくれないと困るよ。君の研究論文もそうだ。あまりに難解過ぎて読み解ける者がほとんど居ないじゃないか。もっと注釈をつけるなり、説明を増やすなり、分かりやすく書かないと、せっかくの有用な研究成果が認知されないままになっちゃうよ?』

『良薬口に苦しです! 私の論文を読めない者は、努力が足りないだけです。そんな不心得者には、読んでもらわなくて結構!……そ、そんな事より、早く彼を助けに行かないと!』

『分かってるってば! 今人を呼ぶから!……誰かぁー! 誰か来てぇー! 早くぅー!』


 普段は落ち着いて見えていた真面目そうな方の人物は、少年が口に手を当ててうつむいたままの状態を見て、かなり取り乱していた。

 もう一人の軽薄そうな人物の方が、肝が座っているらしく、混乱する真面目そうな人物の手前、自身の動揺を抑えた態度を取ってはいたが、それでも内心慌てているのが感じられた。


 そんな、小鳥を通して少年の様子をこっそりのぞいていた二人の人物が慌てふためいていたその時……


(……え!?……)


 ……トプン……

 サラは自分の体が水に包まれたのに気づいた。


(……は? え? み、水? 雨なんて、降ってないよね? どこから水が?……)


 サラは水に包まれた小鳥の視点で、慌てて空や周囲に視線を走らせたが、やはり空は青く晴れ渡っており、周囲にも水があるような場所はなかった。

 しかし、小鳥は、その小さな体がちょうどすっぽりと収まる大きさの水で出来た球体に見事に包まれていた。


(……ヤ、ヤダ、溺れちゃう!……って、あ、そっか。これって本物の小鳥じゃなかったんだっけー。それなら、水に入っても平気平気……って、あれー?……)


 サラが小鳥の危機に気づいたのは、体の表面に貼りつけられていた羽がボロッと抜け落ちた時だった。

 そして、その状況に、小鳥を介して少年をのぞいていた人物達もハッとなっていた。

 特に、軽薄な雰囲気の喋り口の人物の反応が早かった。


『しまった! やられた!』

『え?……あ! 小鳥に水が! これはマズイ! 一体どこからこんな水が?』

『だから、あの子にやられたんだよ!……どうやら、あの咳は演技だったようだね。具合の悪い振りをして、口元と左手を自然に隠した。……ハハ、僕達の企みは、とっくにバレていたようだよ、君ぃ。』

『え、ま、まさか……こ、ここから彼までは、かなり距離があります。あの距離からピンポイントで小鳥を狙うのは……』

『それが出来るから、あの歳で二つ名なんかつけられたりするんだよ、あの子は。……ハァ、やれやれ。……』


 二人が話している間にも、水の玉に包まれた小鳥は、ボロボロと羽が抜け落ち、目玉が取れ、クチバシと足が外れて……

 元のただの土塊へと戻っていこうとしていた。

 そう、サラの視点となっていた小鳥は、本物の生きた小鳥ではなかった。

 小鳥に意識を重ねていた二人の人物の会話から知った事だが、それは真面目そうな方の人物が作ったものであり、その素材のほとんどは土だった。

 土で小鳥の形を模し、より小鳥に見えるように、本物の鳥の羽や、木で出来たクチバシや、ガラスの目、草で編んだ足などをつけたものだった。

 問題は、本体部分が土で出来ているという事だ。

 土を水に漬けると、溶けて崩れる。

 それは、今まさに、サラが直面している状況だった。


『ああっ! い、一体どうしたら!……鳥をこっちに戻して……ダメだ!』

『どうにもならないよ。今僕達に出来るのは、あの子が帰ってきた時になんて言って誤魔化すかって、言い訳を考える事ぐらいだよ。ハァァ。』

『……私達の仕業だと、バレているのでしょうか?』

『バレッバレに決まってるじゃない! ハァ、全く、自分より能力の高い人間を指導するのは、骨が折れるよねぇ。』

『あの、ところで、彼が「二つ名」をつけられているいうのは本当ですか? 私は聞いた事がないのですが?』

『えぇ? 今、その話するぅ?……あの子の「二つ名」知らなかったの? まあ、そうだね、君、世間話するような友達居ないもんね。……なんだったっけかな? 確か「白銀」とか「月光」とか? 見た目からつけられたんじゃない? 目立つもんねぇ、あの子。……って、本当に、今はそんな事話してる場合じゃないってば!』


そうこうしている内にも小鳥はドロドロに崩れていき……

やがて、胸に埋め込まれていた鈍銀色の楕円形の金属が、ボロリと、泥水の玉を破って地上へと落ちていった。

(あ!)とサラが慌てるも、その金属は、小鳥だったものの止まっていた木の真下に居た人物によって、パシッと的確に掴み取られていた。


 そこに居たのは、銀色の髪の少年だった。

 いつの間に移動してきていたのか、サラは自分の意識が重なった小鳥が水の球の中で溶けていく事に焦っていたのもあって、全く気づかなかった。


(……目が……光ってる!……)


 それは不思議な光だった。

 夜の闇の中で狼や猪といった獣の目が光っているのはサラは何度も見たが、それは月明かりや人家の明かりが反射して光って見えているだけだった。

 しかし、少年の目は……仄かに不思議な光を宿している彼の白銀の髪に似て、本体そのものが光を生み出しぼうっと発光しているようだった。

 まるで、彼の体の内側で何か未知の燃料が延々と燃え続けており、その光が体内に留まり切らずに溢れ出しているかのごとくに。

 けれど、そんな、普通なら一度見たら忘れられない筈の強烈な印象の彼の姿も、『不思議な壁』から与えられる記憶にあちこち穴が空いているせいで、もやがかかって朦朧としてしまっていた。


 サラの意識は、どうやら、小鳥の胸にはめ込まれていたこのカラクリの肝である金属ではなく、土で作られた偽物の小鳥本体に重なっていたようだった。

 水の球の中で鳥が溶けていくにつれて、サラの意識もみるみる混濁していった。

 そんな中で、サラは、最後に、少年が手にした鈍銀色の金属片に向かって、嫌悪で顔を歪ませながら言葉を吐き捨てたのを聞いた。


「コソコソ人の事のぞいてんじゃねぇよ、クソ野郎が!」


 そして、少年はその金属片を真っ白なローブの側面についていたポケットにポンと適当にしまって、ザッときびすを返すと、どこかへと向かって歩き出していた。


(……うっわ! ガラ悪っ!……見た目は儚げな美少年なのになー。……)


 こっそりのぞかれていた事に腹を立てていたのもあるのだろうが、少年のむき出しのナイフを思わせる棘のある態度と気配に、サラは呆れてしばらくポカンと口を開けていた。

 少年をのぞいていた二人の人物が、彼の事を心配しつつも扱いに困っていたらしい様子を思い出し、なんとなく納得してしまった。


『あー! ちょ、ちょっと待ってー! これ、持っていかないでぇー! 返してー! これ、超大事なものだからぁー!』


 少年を観察していた二人の人物の意識は、サラと同じく土で出来た小鳥の方に重なっていたのだと思っていたが、どうも例の金属片の方が本体だったようだ。

 小鳥が泥水になって崩れ落ちると、二人の意識は小鳥から分離して、今は少年がポケットにしまった金属に重なって感じられた。

 もっとも、それはサラが『不思議な壁』の記憶の中に居るから感じ取れるものであって、少年には彼らの嘆きの叫びは全く聞こえていないらしい。

 まあ、たとえ聞こえたとしても、あの調子では「うるせぇ!」と怒鳴られるのがオチだったろうが。


『ヤダヤダ、待ってー! お願いジ   ー! あのね、これ、ホント大事なものなのー! 古代文明の貴重な遺産で、この国の国宝なのー! 宝物庫から黙って持ち出したヤツだから、気づかれる前に返さなきゃいけないんだってばー! 僕、こっぴどく叱られちゃうよー!』

『え? な、なんですって?……私には、「貸し出しの許可をもらった」って言ってませんでしたか?』

『えー? そうだっけー? ゴメーン、僕、最近物忘れが酷くってー。嫌だなぁー、歳かなぁー?』

『ちょ、ちょっと、   様、いくらあなたでも、国宝の無断持ち出しはシャレになりませんよ!』

『エヘヘヘヘー、テヘペロー。    ってば、超怖ーい! 僕の可愛さに免じて許チテー、お願ーい!……ってか、あの子から早く取り返さないとぉー!』


 二人の、緊張感があるようなないような相変わらずの掛け合いが、少年が遠ざかってゆくにつれてだんだんと聞こえなくなり……

 程なくサラの意識は、かつて小鳥だった泥水と共にどろりと溶けて梢から落ちたのをきっかけに、その場からみるみる遠ざかると共に、二人の騒がしいやりとりも、もう完全に聞こえなくなっていた。



 ……ラ……


 ……サラ……サラ! サラ!……サラー!!……


(…………)


 泥水となって溶けた作り物の小鳥に意識を重ねていたサラは、いつしかその記憶から遠く離れても、まだぼんやりとしていた。

 そんなサラの意識を、急速に現実に呼び戻そうとする声が聞こえる。

 それはまるで、自己の形状を失って無意識の海の中でたゆたい深い眠りに落ちている所を、朝の白い光に射られて強引に叩き起こされるかのごとくに、重鈍な苦痛を伴っていた。

 意識を現実に戻してきちんと自分の姿を保つのが億劫になり、そのままドロドロに溶けて、ずっと、どこかへむかって落ち続け、沈み続けて、眠っていたくなる。

 自分という存在を忘れ、我も彼も、過去も今も未来も、何もかも境目のない、世界の全てが泥の沼のように生ぬるく未分化に溶け合った状態で、漂うという自覚さえもないままに、あてもなくただ漂っていたかった。


 けれど、その声は、そんなサラの、怠惰で原始的な眠りを許してはくれなかった。


「サラ!!」


「バカ野郎、早く目を開けろ! 自分をしっかり持て! ちゃんと自分が誰かを思い出すんだ! サラ!」


 ……ん……んん……だ、れ?……


 ……うるさいなぁ、もう……自分が誰か思い出せって、そんなの出来たら苦労しないよー……私、記憶喪失なんだもんー……


 ……うーん……私って、誰なのかなぁ?……私って、どんな人間だったけ?……


 ……私……私って、自分って、そもそもなんなんだろう?……私が「私」である事に……何か意味があるのかなぁ?……


 ……ああ、もう、いいや……なんか、全部面倒くさいよ……


 …………


 ……あ、でも……


 ……私には、何か、大事なものがあった気が、する……なんだっけ?……ええ、と……


「サラぁーー!!」


 …………オ……


 ……ティ……オ……


 ……ティオ!!……


 サラは、ハッと目を開けた。


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