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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十一章 幻の記憶 <前編>虫食いの中
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幻の記憶 #5


 それはまるで、焼け焦げた本のようだった。


 本は炎にさらされ焼けただれた後だったが、所々は残存し、なんとか本という形状は分かる状態だった。

 しかし、本の内容は、炎の脅威が去ったとは言え、あちこち煤となって抜け落ちた酷い虫食いの様相を呈しており、肝心な部分が失われてしまっていた。

 残った部分は鮮明に見える一方で、そのすぐそばの焼けた部分は、完全な空白となって、砂粒一つない虚空ばかりが広がっているといった有様だった。


 そんな記憶の中に、サラは居た。

 正確には、サラの意識があった。



 暖炉に薪がくべられている。

 しかし、炎が赤々と燃えている訳ではなかった。

 舌のように揺れる炎はずっと前に収まったのか、あるいは消されたのか……今は薪が黒い炭となって残っているばかりだ。

 けれど、炭は中に熱をいだいて、赤く光っていた。

 外側がゆっくりと燃え尽きると、ホロリと白い灰が落ち、皮膚がめくれたかのように痛々しい程の赤い光が蘇る。

 

 暖炉の前の   に座っていたサラは、肩に掛けていた   を胸の前で搔き集めて押さえながら、少し前かがみになり、暖炉の端に置かれていた鉄の火箸を手に取って、折り重なっていた炭に新鮮な空気が入るよう動かした。

 炭の中の赤い熱が、大きく鮮やかになり、それに伴って、顔に当たる熱と光が強くなる。


 ……私……


 ……違う、「私」じゃない! 私、こんな記憶ない!……


 ……これは……『不思議な壁』が見せている「幻」なの?……


 けれど、その記憶の中で、サラの意識は、暖炉の前に居る誰かにピッタリと重なってしまっているようだった。

 まるで、自分の事のように感じられるが……

 その体は、サラの思い通りにはまったくもって動かない。

 あくまでも「過去の記憶」であり、いや、「記憶の断片」のようなものであり……

 過ぎ去った過去を変える事が出来ないように、サラもまた、自分の意識が重なっている誰かの記憶を追体験するのみだった。

 介入も創造も出来ず、ただ、小さな牢に入れられた囚人のように、檻の中から外の様子をジッと観察していた。


 サラは……正確には、サラの意識が重なっている誰かは、ふと顔を上げて窓の方を見つめた。

 木で出来た窓は固く閉ざされている。

 しかし、わずかな隙間から、女性を守るかのようなしっかりとした造りの木製の窓の外は、深い夜なのだと感じられる。

 どこまでも真っ黒な闇が続き、    の鳴き声が時折、 の奥から聞こえてくる。

 それはいつもの夜だった。

 けれど、彼女にとっては、それもまた大切な夜だった。


(……まるで、木の実のビーズを糸に通して作った首飾りみたいだわ。ビーズはどれも良く似ているけれど、その一粒一粒が、私にとっては、なくてはならないものなの。一粒一粒、当たり前のようでとても大切な毎日が連なって、かけがえのない、世界にたった一つだけの、私の首飾りになるんだわ。……)


 彼女の考えている事が、自分の事のようにスウッとサラの意識の中に入ってきていた。

 室内に灯りはともっていないようだったが、夜の暗さに慣れた目には、暖炉の中の炭が発する仄かな光だけで充分だった。

 弱くも温かな暖炉の熱が、 の深い夜の腹の底で、その小さな部屋を満たしていた。


 女性は、自分の胸元に視線を落とした。

 それは、いつもの習慣のような何気ない動作だった。

   を  で作られた服の胸元には、ペンダントが身につけられていた。

 彼女は、それを手に取って、しばらく、ためつすがめつ眺めていた。


 ……こ、これって!……


 ペンダントには、質素な鉄の枠にはめられた直径数センチ程の半球型の飾りが下がっていた。

 くすんだ赤いそれは、古いガラスのようにみえた。

 女性は、大事そうに、そのペンダントの石をジッと見つめていた。


 ……私のペンダント!……


 ……あ、あれ? なんか違う?……うーん、枠の形が違うような。枠を吊るしている紐も、私は一本の丈夫な革紐だけれど、これは細い革紐を三つ編みにしたものだ。……違う、もの?……


 ……でも、枠にはめられてる石は、そっくりだなぁ!……あれー? これって、ひょっとして、おんなじようなものが幾つかあったりするのかなぁ? 私が持ってるのとティオが持ってるのと、分かってるだけで二つはあるもんねー。……うーん……


 ……それとも……これは、実は私の持っている石と同じ石で、枠と紐だけ交換したのかも?……


 サラは、どうしてこんな見知らぬ誰かの記憶を自分は見ているのだろうと考えていた。

 一見彼女は自分とは全く関係のないような人物に思えたが……

 繋がりがった。

 サラの持っているペンダントの石とそっくりな石を持っていた。


 ……あ! だから、こんな記憶を見てるのかな?……


 ……「『不思議な壁』は人の欲望を増幅する」って話だったよね?……私の欲望、って言うか、願いは、「過去の記憶を取り戻す事」「過去の自分を知る事」……今『不思議な壁』が見せてる記憶は、私の過去を知る手がかりになるもの、だって事ー?……


 ……で、でもぅ……所々穴が空いたみたいに、真っ白で何にも分かんない部分があるんだよねー。……これってー……「幻」を見せてくる『不思議な壁』に惑わされないようにって、私が拒絶してるせいかなぁ。……


 ……幻……そうだよ、これって、ただの幻じゃん! なーんだ、本当にあった事じゃないのかぁ! 私を惑わせるために、『不思議な壁』が作り出した偽物の記憶で、過去に実際にあった出来事じゃないんだよねー?……


 サラは、ウンウンと、心の中でうなずいて納得しかけたが……

 何か、その考えに違和感を覚えた。

 その記憶は、虫が食い散らしていったかのように、あちらこちらポッカリと欠けて抜け落ちていた。

 しかし、残っている部分は、まるで現実のように生々しい存在感があった。

 そんな、妙にリアルな雰囲気の事もあったが……


 ……『精神世界』は、嘘がつけないっていう法則がある。……


 ……『不思議な壁』は『精神世界』に属するものだって、ティオが言ってたよね。確かに、『精神世界』に居る時、あの嘘つきでお喋りなティオでも、なんにも嘘がつけなくなってた。そして、ティオは『不思議な壁』とおんなじ『存在』なんだよね?……


 ……じゃあ、『不思議な壁』が見せてくる記憶も、「嘘じゃない」「本当の記憶」って事になるのー?……


 ……でも、嘘じゃないけど、私の記憶でもなくって、どこかの誰かの記憶で、だから、「幻」なのかなー?……


 今見ている、どこかの誰かの記憶が、自分の願いに反応したものだとしたら、もっと良くこの記憶を探れば、自分の過去に繋がる何かが見つかるのかもしれない、とサラは考えた。

 あいにく、あちこち脈絡なく抜け落ちて、空白だらけになってしまっているが……


 ……残念だなぁ。もっとちゃんと見れたら、何か分かるかもしれないのにー。……


 ……って! ダメダメ! 仮にもし、これが本物の記憶で、過去実際にあった出来事だとしても、今ここで私がこの記憶に意識を集中しちゃったら、それこそ『不思議な壁』の思う壺だよ! 『不思議な壁』に引っ張られて、自分を忘れちゃう!……


 ……今は、諦めよう。……私の過去の記憶を取り戻すのは、後でいい。今じゃなくたっていいんだもんね。……それに、もし過去が分かるんだとしても、『不思議な壁』に頼るのは、ダメだ。それは、しちゃいけない。……ティオは、この『不思議な壁』を封印したがってた。「人間が使うべきものじゃない」って言ってた。……私も、そう思う。それに、ティオの気持ちも尊重したい。……だから、『不思議な壁』を利用しようとか、一切考えないようにしなくっちゃ!……


 ……でないと、私は、『不思議な壁』が私の頭の中に流し込んでくるたくさんの記憶の中で、きっと自分を見失って、迷子になっちゃう。……もう二度と戻れなくなるかもしれない。……だから……


 ……今は、私の過去を取り戻すのは、諦めよう。……



「    」


 誰かの声がすぐそばで聞こえて、サラは……サラの意識が重なっている女性は、驚いて振り返った。

 驚きはしたけれど、最初からそれが誰か知っていたため、振り向いた女性の表情は、自然に笑顔になっていた。


「もう、ビックリさせないで。どうしていつも  が   の?」

「 う    ?」

「そうよ。癖なのは分かってるけど。」

「 も、驚     ほしい   は、   のセリフ  。」

「え? どうして?」

「  覚め 隣  な   ら、  って驚    ?」

「あ、そうね。……ごめんなさい。」

「いい  。  リ な でも   なら。」


「何 し    ? 眠 な     ?」


 記憶の欠落は、見事に、どこからか新たに現れた人物についての描写に集中してしまっていた。

 すぐそばに立っている筈なのに、姿が全く見えない。

 会話は、内容が所々伝わってくるだけで、声の音声としての情報が全て消え去っていた。

 サラには、新たに現れた人物がどんな人間なのか、その人物像がさっぱり掴めなかったが……

 かろうじて、男性だろうという事だけは感じ取れた。

 しかし、ただそれだけで、顔や声、背格好どころか、年齢さえも、全く把握出来ない状態だった。


(……でも……なんだろう?……なんだろう、これ? この気持ち、何?……こんな気持ち、私は、今まで一度も感じた事ない。……)


 女性は、ジッと男性を見つめていた。

 彼を見つめているだけで、女性の心に温かい気持ちが込み上げくる。

 それは、透明な清水が木漏れ日の光を浴びて煌めきながら、こんこんと尽きる事なく湧き続けているかのようだった。

 その感情を、サラはまだ知らなかった。


(……嬉しい、嬉しい……あったかい、熱い……凄く懐かしいような気もする……とってもホッと落ち着く気もする……)


(……でも、どこか、苦しい……胸の奥が、ぎゅうって握りしめられてるみたいに痛い……この人を見てると、苦しい……でも、ずっと見ていたい……ずっと、ずうっと、そばで見ていたい……)


(……嬉しい、嬉しい、嬉しい……苦しい……嬉しい……)


 男性は、どうやら彼女を心配しているようだった。

 後ろからそっと肩に置かれた手に自分の手を重ねると、彼のぬくもりと感触が伝わってきて、頼もしくて、温かくて、嬉しくて、安心して……

 とても幸せな気持ちになっていた。


「私、起こしちゃった?    ? ごめんね。」

「いや、気    。寒か   ? 薪    か?」

「平気よ。それより……少しそばに居て。」

「少 じゃな  、   が     居  。」

「ありがとう。 な 。」


 男性は、女性の希望通り彼女のすぐそばに座り、女性は嬉しそうに彼の胸にもたれた。

 そんな女性の肩を、男性は自然な仕草で包み込むように抱き寄せ、そっと手を握った。

 男性の指が、ゆっくりと優しく女性の髪を撫でた。

 まるで、大切な宝物を、心の底から慈しむような手つきだった。

 女性は、目を閉じて、心地好さそうに髪を撫でられていた。

 そうして身を寄せ合っていると、ますます女性の心の中の嬉しく苦しい不思議な感情が強くなるのをサラは感じた。

 男性は、指先が冷えていると心配し、女性は、いつも心配し過ぎだとからかうように笑った。


 どうやら、そこは寝室のようで、小さな部屋の壁際には質素なベッドが置かれており、二人はそこで共に眠っていたが、女性が一人目を覚まして、暖炉の前に居た所を、それに気がついた男性が心配して歩み寄ってきた、といった状況のようだった。


「ねえ、  、私、さっき夢を見たのよ。」

「   」

「とっても不思議な夢だったわ。」


「私ね、夢の中で、元気一杯な女の子になっていたのよ。私よりも小さな体で、腕も細いのに、凄く強いの。ビックリするぐらい力持ちでね、大人の男の人を、ポーンって投げ飛ばしちゃうのよ。ウフフ、凄いでしょう?」


「いいなぁ、強くって。私も、あんなふうに強くなりたかったわ。その子を見ていて、羨ましくなっちゃった。だって、強くなったら、   の事     もの。」


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