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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十一章 幻の記憶 <前編>虫食いの中
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幻の記憶 #4


 サラはその感覚に覚えがあった。


 サラが、二日前に『不思議な壁』に触れて錯乱した時も、ティオは『物質世界』のサラを揺り起こす事で、強制的に『精神世界』の自分の精神領域内から退去させ、サラが触れていた『不思議な壁』との接続を断ち切った。

 もっとも、その時の事は、サラは酷く混乱していて良く覚えていない。

 ただ、後からティオに……

「『精神世界』で、精神体を形成している人間の意識を無理矢理『物質世界』に引き戻すのは、精神的に混乱する恐れがあるから、本当はやらない方がいいんだ。でも、今回は緊急事態で、仕方なくその方法を使った。」

 と、聞かされていた。

 ティオとしては、精神に悪影響を及ぼしかねない行為なので、あまりやりたくはなかったものの、その時は『不思議な壁』の被害の方が甚大だったため、多少のリスクを冒しても、早急に『不思議な壁』から引き離したかった、という事らしかった。

 今回も、ティオは、サラの呼びかけに『不思議な壁』が反応し、このままでは止められないと判断したため、最終手段として、『物質世界』で眠っているサラの肉体を起こす事を決めたのだろう。


 ティオは、『物質世界』で眠りについた時に『精神世界』に意識が移るサラと違って……

 こうして『精神世界』に精神体の状態で意識を保ち、会話をはじめとした様々なやり取りをしている時も、『物質世界』の事もずっと感知していた。

 逆に言えば、『物質世界』で普通に日常生活を営んでいる時も、『精神世界』にずっと意識を残し、『不思議な壁』が意図しない悪影響を周囲に及ぼさないよう、三百六十五日二十四時間、不休の態勢で制御し続けていた。

 つまり、『精神世界』と『物質世界』の完全な二重生活を、この二年間ずっと送っていたという事になる。


 ティオが自分の意識を『精神世界』と『物資世界』で、どのような割合で振り分けているのかは、サラにも良く分からなかったが……

 二年間の試行錯誤により、その時その時の状況に合わせ、自在に比重を変えているらしい事はなんとなく察せられた。


 サラがティオの精神領域に来ている時は、ティオも『物質世界』で肉体が眠っている状態なので、意識のほとんどはこちらに来ている様子だった。

 しかし、時折、『精神世界』でサラと喋りながらも、『物質世界』でサラがベッドから転がり落ちたのを抱き上げて元に戻したりもしていた。

 また、ある時は、『精神世界』で読んでいた本が解読出来たので、「ちょっと読んでくる!」と言って『物質世界』に意識の比重を移していた。

 ティオは『精神世界』の自分の精神領域で、記憶から複製した古文書を読んでいる事が多かったが、読めなかった文字が『精神世界』内で解読出来ても、それを実際に読むのは『物質世界』で本物の古文書を改めて見る必要があるとの事だった。

 『精神世界』と『物質世界』は表裏一体の関係であり、そんな『世界の理』により、『精神世界』のみでは完成されないものがあるらしい。

 ティオは、解読した本を読みにしばらく『物質世界』に意識の比重を傾け、眠っている所から起き上がって、机に向かい本を読んでいたらしいが、その間も、『精神世界』ではサラを相手に簡単な会話をしてはいた。

 いや、頭が良く器用なティオの事なので、パッと見、いつも通りで、話の内容も、態度も、まったく遜色がなかった。

 ただ、その時のティオの様子に、サラは、不思議な感覚を覚えていた。

 そう、そこに居るのは間違いなくいつものティオなのだが……

 どこか、その気配がうっすらとしているのだ。

 存在感が薄くなっていた、と言うべきか。

 一つの意識を『精神世界』から『物質世界』に多く分配したために、「ティオ」という人物の中身が半分程スウッとどこかに遠ざかり、薄くなって透けているような奇妙な感覚だった。



 その時の感覚を、サラははっきりと覚えていた。

 サラは、論理的な思考や計算といったものは苦手だったが、感覚は人一倍鋭く、恐ろしく勘が良かった。

 ティオが、『精神世界』に居る時、何度かサラの前で『物質世界』に意識の比重を移したのを見て、その感覚を記憶しており、今またティオが『物質世界』に意識を移した事にすぐに気づいた。

 『物質世界』で眠っているサラの肉体を揺り起こす事で、この『精神世界』から弾き出そうというティオの意図を察知して、サラは一瞬サアッと青ざめたのだったが……


(……ううん、違う! これは、チャンスだ!……)


 今、ティオの意識は、サラを起こすために『精神世界』に向けていた分も『物質世界』の方へと割かれている。

 今日、このティオの精神領域にサラが来てから、ティオは一度もそんな気配を見せなかった。

 そんなティオの態度が、ここで初めて揺らいだのは、サラにとってピンチでもあったが、同時に大きなチャンスでもあった。


 おそらく、今まで、サラがこの精神領域内に居ても時々『物質世界』に意識の比重を移していたのは、「サラには『宝石の鎖』も例の『これ』も見えてない。存在を感づかれていない。」とティオが思っていたためだろう。

 サラは何も危険な事はしないし出来ない、と思っていたために、油断して『精神世界』の守りを緩めていたのだ。

 しかし今日は、二日前にサラが『不思議な壁』に触れて精神が錯乱した事件があったため、ティオは強く警戒していた。

 『物質世界』では安全な場所で眠っている事もあり、意識のほとんどを『精神世界』に傾け、『宝石の鎖』を駆使しつつ『不思議な壁』の制御に細心の注意を払っている様子だった。


 しかし、サラが『不思議な壁』に接触しようとしている事を知ったティオは、それを阻止するため、今日初めて『物質世界』へと、自分の意識を傾けた。


 傭兵団の私室のベッドでぐっすり熟睡しているであろうサラを揺さぶり起こすのに、どれぐらいの時間がかかるだろうか?

 おそらく、一分とかからないだろう。

 しかし、そのわずかな時間、『精神世界』でのティオの意識は、その分散漫になり……

 そして、『不思議な壁』に四六時中張りついて監視している、『不思議な壁』と同一の存在のティオがそういった状態になるというのは、つまり……


 『不思議な壁』の制御が甘くなる、という事だった。


「『不思議な壁』ぇ! 早く私の所に来ーい!」


 時間的な猶予は少ない。

 警戒心の強いティオがようやくわずかに見せた隙とはいえ、サラが『不思議な壁』に接触する前に『物質世界』でティオに叩き起こされてしまったら、一巻の終わりだ。

 サラが『不思議な壁』を引き寄せるのが先か、ティオが『物質世界』でサラを起こすのが先か。

 ティオもサラの意図に気づいたらしく、「サラ、やめろぉ!」と苛立った声を上げて顔をしかめ、『物質世界』での作業を急いでいるのが察せられた。


 サラは、この最後の、わずか、かつ、大きな好機に、あらん限りの意識を集中して、すぐそこで揺らいでいる巨大な構造物へと腕を伸ばしていた。


「『不思議な壁』ぇー!!」


 有機的でもあり無機的もあり、法則性があるようで全くなさそうな複雑怪奇な文様の刻まれた巨大な壁のごときものが、サラの目の前で、ゴゴゴゴゴ……と、地鳴りのような響きを上げて、蠢き、回転し、上下が逆さになり……


 そして、サラの伸ばした指先が、ツッと、その表面に触れた。



 ……トプン……


 それは、まるで、水面に触れたかのような感触だった。

 サラは、『不思議な壁』のその見た目から、レンガや石造りのごときものを想像していたが、サラの触れた指先は、微かな弾力を感じたのち、スウッと壁の中に吸い込まれていった。


 壁の表面に波紋が広がり、後は、壁の方からサラの方へと音もなく移動してきて、一瞬で、サラの体全てを飲み込んでいった。

 今まで見えていなかった、世界と世界の境目……あちらとこちらの境界線……内と外……白と黒……光と闇……

 その一線を、スルリと、自分の『存在』が通過して、向こうへとゆく。

 その瞬間に、グルリと見えていた景色が逆転する、上下が入れ替わる……外側から内側へ……奥へ、もっと奥へ……

 真っ直ぐに立っていたつもりだったのに、そのままで、どこかへと、深く深く、沈んでゆく……

 自分の意識が、薄れるような、解けるような、拡散するような……

 「自分」はどこにでも居て、どこにも居なくて、目に見えない程細かくて、そして、世界中の隅々まで広がっていくような……

 そんな不可思議な感覚に飲み込まれてゆく……


 ……ラ!……サラ!……サらぁ!……さ……らぁぁぁ……!……


 やまびこにように、サラの頭の中で、悲痛なティオの呼び声が響き渡り、繰り返しながら変質していき……

 ……やがて、聞こえなくなった……



 ……


 …………


 …………ええっと……


 ……サラは、自分が何者かも分からない混濁した意識の中で、必死に思い出していた……

 

 ……思い出さなければいけない、と感じていた……

 ……常に何かを考え続けなければ、いけない……

 ……そうしないと、忘れてしまうから……

 ……忘れてしまう?……何を?……

 ……そう……自分を……自分自身を……


 ……ティオ……


(……ティオ、が……いってたっけ……)


(……ふ……ふふ……『ふしぎなかべ』は、ひとのよくぼうを、ぞうふく、するんだって……)


(……よくぼう……よくぼう……わたしの、よくぼうって……なに?……)


 ……私の欲望……欲望って、「こうしたい!」とか「ああしたい!」とかって事だよねー?……

 ……みんな、自分の「ああしたい」「こうしたい」を叶えるために、一生懸命頑張ってる……毎日頑張って生きてる……

 ……私……私は、どうだろう?……

 ……私のやりたい事って、何?……私は、何のために毎日頑張ってるの?……なんのために、生きてるの?……


 ……ええと……そうだ!……

 ……私は、記憶喪失なんだっけ……冬の森の中で目が覚めるより前の事が、なんにも思い出せない……

 ……思い出したい……自分が、どこの誰で、今までどんなふうに生きてきたのか、知りたい……だから、その手がかりを探すために、ずっと旅をしてた……一人で……


 ……じゃあ、私の欲望って、記憶を取り戻す事?……過去を思い出す事?……私の過去……


 ……『過去』って……そんなに大事かな?……

 ……私……私は……『今』の方が……大事……

 ……みんな……傭兵団の仲間達……ボロツや、チャッピー、ハンスさんに、ジラールさん……それからそれから……

 ……ティオ……

 ……私は、みんなと一緒に頑張って、いい傭兵団を作って……それで、内戦を、早く終わらせて……

 ……この国を、平和にするんだ……この国の人達が、みんな笑って楽しく過ごせるように、したいの……


 ……じゃあ……じゃあ、私の欲望って、「この国の平和」なの?……平和……戦争が終わる事……みんなの笑顔……

 ……それは、確かに、大事、だけど……それが、私が一番に望んでいた事?……私の、一番大事な事?……


 ……ティオ……


 ……そう、ティオがね、大変そうなの……

 ……ずっと一人でね、一人っきりでね、全部かかえ込んでてね……とっても辛そうだった……

 ……私は、それが嫌だったの……ティオが、辛そうなの、嫌だよ……なんとか、したい……なんとかしたいの……

 ……ティオを、助けたい……

 ……ティオ……昔みたいに、笑ってくれないの?……私、に、笑いかけてくれない、の?……

 ……ティオ……私、ティオの事、世界で一番、幸せにしたかった、のに……ティオには、いつも、誰よりも、幸せでいて、ほしかった、の、に……

 ……ティオ、ティオ……どこ?……なんにも見えないよ?……痛い……苦しい……痛い……痛い痛い痛い……どこ?……

 ……ごめんね……ごめんね、ティオ……わ、私、ティオに、いつも何もしてあげられ、なく、て……私、弱く、て……ティオに、助けられてばっかり、で……ティオ、ごめんね……

 ……ティオ……ヤダ……離れるの、嫌だ……もう、ティオと離れるの、嫌だよ……ようやく、会えたのに……

 ……私……私は、ティオと、ずっと一緒に、居るの……約束、だもんね……ティオも、そう言ってくれたもんね……ずっと、一緒だって……

 ……強く……なりたい……私、は、強くなりたい……世界の誰よりも、強くなって……今度は私が、ティオを守るんだ……私が、守るから、もう大丈夫だよ、ティオ……強く……強くなりたいの、私……

 ……ティオ……ティ、オ……てぃ……おぉ……


(……あ! だめ!……しっかりしなきゃ!……『ふしぎなかべ』にひっぱられちゃう!……)


(……わたしは、わたしなんだからね!……わたしは「さら」だもん!……ほかのだれでもないもん!……)


(……てぃおが、いってた……『ふしぎなかべ』は、「まぼろし」をみせるんだって……でも、それは、「まぼろし」だから、わたしのほんとうのきおくじゃないから、きにするなって……そうだ、これは、「まぼろし」なんだ……ひっぱられちゃ、だめだ……これいじょう、かんがえちゃだめ、だめ……だ……め……)


(……「まぼろし」……まぼ……ろ……し……)


(……ぼ……し……)


(……)


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