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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十章 夢中の決闘 <後編>覚悟と決着
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夢中の決闘 #26


(……ティオの刃物恐怖症が、二年前の出来事のせいだったなんて、思いもよらなかったなぁ。……)


(……治せたらいいんだろうけど……ティオの話だと、ティオの心の傷が癒えないとダメって事だよねぇ。まだまだ時間がかかりそうな感じだなぁ。……でもでも! こういうのは焦ったらダメだよね!「早く治しなよ!」なんて、ティオにプレッシャー掛けたら、もっと長引いちゃいそうだもん。のんびり気長に待つようにしようっと。……)


 サラは、二年前にティオの村が襲われた事件が、彼の極度の刃物恐怖症の原因と知って、一人ウンウンと納得していた。

 ティオの話では、殺された人々は、剣を思わせる鋭い刃物のようなもので一刀のもとに袈裟懸けに体を真っ二つにされていたと言う。


(……うーん……つまり、村を襲った『魔獣』は、牙とか爪が「刃物」みたいになってったって事だよねー。……)


 今までサラが見てきた『魔獣』と呼ばれる正体不明の凶暴な獣は、明らかに普通の動物とは見た目や生態がかけ離れていた。

 種類は様々で、いろんな野生動物が居るように、『魔獣』と呼ばれる異常な獣もいろいろな姿をしていた。

 狼に似ているもの、猪に似ているもの、猿、鳥、蛇などなど。

 ただ、必ず「何かの動物に似ている」という共通点があり、その似ている動物と、行動パターンや弱点などはほぼ同じだった。

 『魔獣』と普通の動物との一番の違いは、著しく「凶暴」である事だった。

 普通の動物は、満腹の時は他の動物を襲って食べる事はないのだが、『魔獣』は常に飢餓状態であるかのように延々と他の生物を襲って食らう性質があった。

 そのため、攻撃に特化した方向性で体の一部が変化している場合が多く、良く見かけるのは牙や爪といった部位が大きく発達しているものだった。

 また、体全体が「似ている動物」と比べて、何倍にも巨大化している事もままあった。

 その他に、『魔獣』は、もれなく体が真っ黒で、目は鮮血のように赤い色をしているため、誰でも一目で区別がついた。

 中には、腐敗臭を漂わせていたり、実際に体の一部が腐って崩れかけているものも見かけた。

 そんな状態であるため、当然、『魔獣』を倒しても、人々がその死体を食べる事はなく、「食べると苦しんで死ぬ」とさえ言われていた。

 バッタやミミズもお腹が空いていればためらいなく口に入れる食いしん坊のサラも、『魔獣』には何か野生の本能のようなもので忌避感があり、倒した『魔獣』の肉を口にした事はなかった。

 「食べると苦しんで死ぬ」という噂も、あながち嘘ではないような気がしていた。


 ともかくも、サラは、ティオの刃物恐怖症の原因を、「刃物のような鋭い牙、もしくは爪を持った魔獣の被害に遭ったため」と、自分の中で推理して納得したのだった。



「あのー、ティオー、いくつか聞いていい? 答えたくなかったら、答えなくてもいいけどー。」

「なんだ、サラ?」


 サラは、軽く手を上げて、ティオの話で気になっていた点を尋ねた。

 話の本筋から逸れている事だったので、話が終わった後に、軽く質問するという感じだった。

 ティオは、サラが座っている長椅子の前方1m程の所に出した木製の椅子に足を組んで腰掛けた状態で、割と気軽に答えてくれた。


「えっとー……さっきティオは、そのー、村を襲った魔獣を倒すために、村ごと焼いたって言ってたよねー? でも、その時の記憶があんまりハッキリしてないってー。精神的に辛過ぎて心が壊れそうな状態になると、勝手に記憶がぼやけちゃったりするってー。……それって、本当ー? 『記憶喪失』って、それの酷いヤツなのー?」

「うん? まあ、俺の場合は、当時の記憶が曖昧なのは、心理的な要因だと判明してる。医者の見立てもそうだったし、俺自身もそうだと客観的に判断した。でも、一般的な『記憶喪失』の原因は、それだけじゃない。」

「他にもあるのー?」

「肉体的な要因だな。……例えば、崖から落ちて頭を強く打ったとする。それが原因で、脳がダメージを受けて正常に働かなくなるんだ。記憶の一部、あるいは、全てを忘れてしまう事もあるらしい。自分が誰で、それまでどこで何をしていたか、といった事を全く思い出せなくなるケースも稀にあるみたいだな。……まあ、俺も、書物の中で読んだだけで、実際にそういう状態の人間に会った訳じゃないんだが。本に書かれていた事例によると、大抵は、記憶の一部が抜け落ちるパターンが多いみたいだ。過去の記憶のある期間とか、特定の人物の事とか。……でも、『記憶喪失』と言っても、人と喋ったり、食べたり着替えたりといった生きていくために最低限必要な行動まで抜け落ちる事はあまりない。たまに、言葉が喋れなくなったり、それまで読めていた文字が読めなくなる、という人も居るみたいだけどな。普通の人間と同じように日常生活は送れるけれど、以前の記憶がない、というのが一般的かな。」

「ふ、ふうん。……そ、それってー、『記憶喪失』になっちゃう場合ってー、頭に、こう、すっごい傷が出来てー、血がダラダラ出てるような事故があったって事だよねー?」

「いや、そうとも限らない。外見上はそれ程酷いケガでなくても、頭蓋骨の中の脳が損傷している可能性もある。脳は繊細な臓器だから、ほんのわずかに血管が詰まっただけで、記憶障害が起こったり、腕や足といった体の部位が麻痺して動かなくなる、なんて事もままある。」

「え、ええー?」

「それから、物理的な要因、つまり脳が損傷するという肉体的なダメージが主な原因だとしても、記憶喪失になるのは、それだけが理由とは限らないケースもある。実は、俺のような心理的な要因が絡んでいる場合も多いんだ。……そうだな、例えば、酷い事故で頭を打ったとして、それが直接的な『記憶喪失』の原因ではあるけれど、その事故の記憶が精神的に強いストレスになり、心理的な要因で記憶を失う事もあるって事さ。あるいは、事故が引き金になって、それまでこらえていたストレスが爆発し、ストレスの原因となっていた嫌だったものを忘れてしまうパターンもあるな。特定の人物とか、自分の置かれていた環境とかな。……まあ、人間の脳にしても、心にしても、とても複雑に出来ていて、未だ分かっていない部分や働きが多いんだよ。だから、確実にこれがこうだとは言えないんだ。まあ、俺の知ってる所は、大体こんな感じだな。」

「そ、そっかぁー。簡単には『記憶喪失』になる原因は分からないって事なんだねー。えっと、いろいろありがとうねー、ティオ。」


 サラはティオに礼を言った後、しばらくアゴに手を当ててムムッと考え込んでいた。


 ティオが、過去に住んでいた村が襲われた事件を語った時「『記憶喪失』って程じゃないが、その時の記憶が曖昧なんだ」と言った事が、サラの心に引っかかっていたのだった。

 最近バタバタと忙しくて忘れがちだったが、サラはまぎれもない『記憶喪失』である。

 サラの場合、三ヶ月程前、人気のない冬の森の中で一人目を覚ます以前の記憶がスッポリと何もかも抜け落ちていた。

 これを『記憶喪失』と言わずになんと言うべきか、と思うサラである。

 確かに、ティオの説明の通り、サラは森の中で目を覚ます以前の記憶が全くなかったが、最初から言葉は理解しており、最初に出会った猟師のお爺さんとも、その後訪れた村や町の人々とも、なんの問題もなく意思疎通が出来ていた。

 文字に関しては読めなかったが……これは忘れたと言うよりは、元々文字の知識がなかったような感じだった。

 ナザール王国の王都にやって来て、ティオやチェレンチーといった教養のある頭のいい人物に出会うまで、ほとんどの人間は文字をあまり読めていないようだったので、サラは自分が文字を読めない事をさほど気にかけなかった。

 その他、食べ物を手掴みで食べたり、虫を食べたりといった常識外れと言うべきか野生的と言うべきか、突飛な行動はあるものの、サラはとりあえず人間の集団の中で普通に生活する事が出来ていた。

 服は着るもので、ベッドは寝る場所だと理解していたし、お店ではお金を払って物を買う事も、誰に教えられずとも知っていた。

 ティオが言うように「『記憶喪失』と言っても、過去の記憶が欠けているだけで、日常生活は普通に送れる」という状態であった。

 所々おかしな行動があっても、サラがまだ十三、四歳の少女のような見た目である事もあって、周りの人間からは「世間知らず」という認識で片づけられていた。


(……私が記憶を失ったのは……心理的な要因? それとも肉体的な要因? どっちなんだろう?……)


 サラは、ティオから得た知識を元に、まず自分が記憶を失った、その理由、原因について考えてみた。

 自分の性格からして、ティオのような強烈なトラウマや強いストレスを抱えていて、その元となっている過去の記憶を忘れてしまった……とは考えにくい、と思った。

 自分で言うのもなんだが、(私、そんな繊細な人間じゃないよねー。私は強いもん!)と言うのが、サラの認識である。

 となると、もう一つの肉体的な要因と推察されるが……


(……森の中で目を覚ました時、私、ケガなんてどこにもしてなかったと思うんだけどー? もちろん、頭にもケガはなかったよねー?……あ! でも、一見ケガがないように見えて、頭の中の脳に何かダメージがある場合もあるってティオが言ってたなー。えー? そんなの分かんないよー。……)


(……じゃあ、やっぱり心理的なものなのー? 肉体的なものと心理的なものが混じってたりもするって言うしー。……もう、なんだか頭がこんがらがってきたよー!……)


 自分が『記憶喪失』になった原因の手がかりが得られるかと思ったサラだったが、サッパリ分からないまま、頭の中で見えない糸がグチャグチャに絡んだような気分になっただけだった。


「ねえ、ティオ。ズバリ、『記憶喪失』ってどうやったら治るのー?」

「ああ、さっきも言ったが、俺のような心理的要因の場合は、その心の傷、いわゆる『トラウマ』と呼ばれるものが解消されれば、やがて治る、というのが一般的だ。心の負担になるストレスがなくなれば、自然と元の状態に戻るって訳だな。……肉体的な要因、つまり脳の損傷などが原因の場合は、肉体の自己修復機能によってケガが治って元通りになる、事もあるかもしれないが、不可逆のダメージを負っていて回復不能となると、ずっとそのままという事もありうる。脳は複雑な臓器だって言っただろう? 一度壊れてしまった部位が完全に復元するのは難しいかもしれないな。」

「え!? じゃ、じゃあ、一回『記憶喪失』になったら、一生治らないかもしれないって事ー?」

「だから、その辺はケースバイケースなんだって。心も脳も複雑で繊細だから、一概にこうだとかハッキリとした事は言えないんだよ。そうだな……ある日突然、まるで何事もなかったみたいに治るかもしれないし、逆に、一生治らないかもしれない。そうかと思うと、心身共に健康になるにつれ、徐々に良くなっていく人も居る。本当に、人によるし、どういう経過をたどるかは分からないんだ。」

「……」


 サラは、わずかに見えたと思った希望の光がすぐにまた掻き消えてしまったような気分で、肩を落とし、フウッとため息をついていた。


「どうした、サラ?」

「……あ!……え、ええと……」


 珍しく少し落ち込んでいる様子のサラを、ティオが椅子から少し身を乗り出して顔をのぞき込んできた。


(……私が『記憶喪失』だって相談したら、ティオは、力になってくれそうだよね。……)


 ティオに出会ったばかりの頃のサラは、彼の事を軽薄で嘘つきな信用ならないヤツだと思っていたので、自分の抱えている重大な問題である『記憶喪失』の事をティオに話そうとは思わなかった。

 しかし、短くも濃い時間をティオと共に過ごし、ティオの本質的な性格を知っていく内に、次第に、不信と警戒は信頼と友愛に変わっていった。

 今は、ティオになら自分の秘密を話してもいい、とサラは思っていた。

 けれど……


(……ティオはティオで、『不思議な壁』をどうにか制御しなきゃいけなかったり、過去の出来事がトラウマになってたり、大変そうだしなぁ。私の問題を打ち明ける事で、これ以上ティオに負担を掛けたくないよねぇ。……)


(……って言うか、今はとにかく内戦の事だよ! そう、傭兵団を勝たせて、早くこの国の内戦を終わらせないといけないんだってば! それが、今一番優先すべき事だよね!……)


(……ティオが抱えてるいろいろな問題とか、私の『記憶喪失』を治す事は、内戦が無事終わって平和になってから、少しずつ方法を考えていけばいいよね?……)


 サラは、今はとりあえずティオの負担を軽減する事を考えて、自分の『記憶喪失』の件を彼に説明するのはやめたのだったが……


「なんか、サラ、お前、さっきからやけに『記憶喪失』に関してあれこれ聞いてくるけど……」

「え! あ、う、うん。ちょっと興味があってー。」

「サラの物覚えの悪さとか、酷い方向音痴とか、計算が苦手な事とか……まあ、ザックリ言って、そういうお前のおバカな所は、『記憶喪失』じゃないぞ。元々サラがおバカだってだけで、治るとかそう言う問題じゃな……いてっ!」

「バ、バカッ、ティオ! 私だって、自分がバカな事はちゃんと分かってるもんねー! この、バカー!」

「痛っ! 痛いって、サラ、こら、やめろ! 俺の大事な『宝石の鎖』をなんだと思ってんだよ、お前はぁ!」


 サラは、肝心な所でデリカシーのないティオの発言にカッとなり、手近にあった『宝石の鎖』を片端から引きちぎって、ティオに向かってバシバシ投げつけていた。


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