夢中の決闘 #15
「んっとー、ルールはぁー……」
サラは、斜め上を見つめ口元に人差し指を当てて「んー」と考えながら言った。
「私がティオを捕まえたら、私の勝ち。私から逃げ切ったら、ティオの勝ち。」
「お、俺を捕まえるって……俺に近づくな、触るなって、散々言ってるだろう?」
「だったら、私から逃げればいいじゃない。ティオは、ここ、自分の精神領域なら私に勝てると思ってるんでしょう? なら、なんにも問題ないよねー?……その代わり、私が勝ったら、思いっきりティオに近づいてベタベタ触っちゃうけどねー。エヘヘヘヘー。」
「……グッ……」
「あ、時間を決めておかなきゃね!……じゃあ、タイムリミットは、私が次に『物質世界』で目を覚ますまで!」
「……」
「うーん、放っといたら、たぶん私朝まで目が覚めないと思うけどー、まあ、朝までなんてかからないで決着つくんじゃないかなー?……あ! ティオは、私に勝つつもりだったら、私が『物質世界』で起きるまで、頑張って逃げ切ってよねー。」
「この条件でいい、ティオ?」
ティオはしばらく、眉間にシワを寄せた渋い表情で黙り込んでいたが、念を押すように聞いてきた。
「……本当に、この勝負で俺が勝ったのなら、サラは俺の言う通り、今後俺に近づかないんだな? 俺は、別の部屋に移って眠ってもいいんだな?」
「いいよ! そういう約束でしょ。私、約束は守るよ。私の誇りにかけてね。私が嘘つくの大っ嫌いなの、ティオも良く知ってるよね? ……その代わり、ティオも、私が勝ったら、約束守ってよ! 今まで通り私の部屋で寝起きする事! それで、私は眠ったら、このティオの精神領域に来るんだからね!」
「……」
ティオは、再び険しい顔でしばらく考え込んだのち、コクリとうなずいた。
「……分かった、勝負を受ける。俺が勝ったのなら、本当に約束は守れよ、サラ。」
「あれー? もう勝った気でいるんだー? 私の事舐めてると、痛い目見るよー、ティオ。」
サラは、軽く準備運動として、ブラブラと手首を振り、トントンと跳ねながら、ティオに問うた。
「じゃあ、もう始めていい? さっさとケリをつけちゃいたいんだよねー。私、何かを宙ぶらりんのままにしとくのって、なーんかムズムズして苦手なんだー。……それとも、ティオが『開始』の合図をするー?」
「サラのタイミングで『開始』していいぞ。俺はサラに合わせる。」
「よーし! じゃあ、いっくぞー!……よーい……」
サラは、姿勢を低くし、右足を後ろに引いて両手の指先を地面につけ、ググッと力を溜めた。
そして……
「ドン!!」
自分の掛け声と共に、ダン! と力強く地を蹴って、ティオに向かって真っ直ぐに走り出していた。
□
サラは、小柄な体を活かし、ザーッと滑り込み、張りめぐらされていた『宝石の鎖』を潜ると、次の瞬間には、パッと飛んで鎖をかわした。
宙に浮かぶ鎖と鎖の間を器用に飛び込んですり抜けたかと思うと、次はビッと鎖を手で引き下げて飛び越す。
足を止めずにガンガン突き進んでくるサラに対し、しかし、ティオも、ススッと宙に浮いたままその分後退し、空いた空間には、シュルルル、シュルルと、新たに宝石の鎖がみるみる張りめぐらされていった。
(……ティオのヤツ、「勝負を受ける」とは言ったけど、「自分が負けたら大人しく言う事を聞く」とは言わなかったなぁ。まあ、自分が負けるなんて、これっぽっちも思ってないんだろうけどね。……)
サラは、ひょいひょいと、ティオの張った『宝石の鎖』をくぐり抜けて前進を続けながら、ムウッと不満そうに唇を突き出していた。
(……ティオの本心は……「勝負は受ける」けど「私の言う事を聞く気はない」だもんね。『精神世界』では嘘がつけないから、黙ったんだろなぁ。……)
(……つまり、ティオは、私をこの勝負で負かして、早くここから追い出したい。……でも、万が一私が勝ったとしても、私の要望を素直に聞いてはくれないって事だよねー。ティオの事だもん、どうせ、なんだかんだ理由をつけて逃げ回るだろうなぁ。……そう、この勝負、私が勝ったところで、ティオは自分の考えを変える気なんてゼンッゼンないし、私の事をこのまま避け続けるだろうって事。……)
(……だから、私は、この勝負、勝つだけじゃダメだ。……)
(……この勝負の中で、私はティオの考えを根っこから変えなきゃいけない。私がティオのそばに居ても大丈夫なんだって、証明してみせなきゃいけない。……)
(……大丈夫だよ、ティオ! 私は、絶対ティオを捕まえるし、絶対ティオを安心させてあげるから!……そして……)
(……私は、これからも、ティオのそばに居るんだからね!……)
サラは、ダンッ! と大きく踏み切って高く飛ぶと、バッと足を大きく開いて、『宝石の鎖』の束を飛び越した。
□
一進一退……いや、サラが進めばそれだけティオが後退するという、ティオの精神領域における鬼ごっこがしばらく続いていた。
二人の間の距離は、サラの目測では10m程ある状態から、広がる事もなければ縮まる事もない、こう着状態に見えた。
距離や空間に限りのある『物質世界』とは違い、白い光で表現されている虚空が延々と果てなく続くティオの精神領域では、ティオが逃げようと思えばどこまででも逃げる事が可能だった。
ティオがサラを視界に捉えながら、宙に浮いた状態でススーッと音もなく後退すると、ティオの後ろに見えている『不思議な壁』もそれと共に遠ざかっていくように見えた。
そんな状況が、もうかれこれ体感で十分以上は続いていたが、サラは気にも止めず黙々と、自分とティオの間に張られた『宝石の鎖』をかい潜りティオに向かって走り続けていた。
(……うん! 体が軽い! ゼンッゼン疲れない! これなら、いつまででも走り続けられそう!……)
サラは、この十分間で、『物質世界』で体を動かしている時との違いを実感していた。
『物質世界』におけるサラは、常時無意識の内に「身体強化」の異能力が発動している状態にあるので、常人から逸脱した運動神経や腕力を持っているのだが、それでもずっと全力で動き続けていれば、肉体のあちこちに徐々に疲労が蓄積していくのを感じていた。
しかし、ここ『精神世界』では、もう十分以上走り続けていても、全く疲れを感じない。
それどころか、サラは、『物質世界』同様の身体能力を有しており、軽やかに跳躍し、力強く地面を蹴り、俊敏に疾走していた。
さすがに、握りしめた石を片手で軽々粉々にする程の馬鹿力の方はどうなっているのか分からなかったが……
今は必要のない力なので、サラは、自分の意識のほとんどを素早さに集中させて走り続けた。
(……これが、『精神世界』の性質かぁ。今までここではあんまり本格的に体を動かした事なかったから実感なかったなぁ。だって、ティオが、『精神世界』では肉体は鍛えられないって言うんだもーん。あ、これ、体じゃなくって『精神体』だっけー。……)
(……精神体って、私が「こうしたい!」って思った事が、そのまま体の動きになる感じ。でも、これ、たぶん、私が自分の体の動きをイメージ出来てるからやれる事なんだろうなぁ。……)
肉体の力を使って生きている普段の『物質世界』において、「身体強化」の異能力の恩恵を受けているサラの力は非常に強力だった。
しかし、ここ『精神世界』では、サラの『物質世界』由来の肉体に依存したい能力は役に立たない筈だったが……
今まで、体を動かしてきた経験と記憶の蓄積が、今、『精神世界』において、サラの精神体を、まるで『物質世界』で運動するかのごとくに自由自在に動かしていた。
『精神世界』は、精神と意思の世界……つまり、イメージの世界である。
日々の生活や傭兵団での訓練によってサラの意識に刻み込まれた「体を動かす」イメージは、現在、息をするように自然に、サラの精神体を動かす原動力となっていた。
もちろん、「制限」もある。
サラがイメージ出来ない、つまり体験した事がなかったり、身に染みつく程の経験がまだない動きは上手くいかなかった。
例えば、「鳥のように空を飛びたい!」といくら思っても、『物質世界』で実際に鳥になって空を飛んだ事ががないので、飛ぶ事は不可能だった。
また、サラがイメージ通りに動かせるのは、あくまで「自分自身」だけである。
そもそもここは、ティオの精神領域であるので、外部から入ってきたサラが自由に出来るのは自分の精神体のみであり、ティオ本人や、この精神領域にある『宝石の鎖』『不思議な壁』といったものを勝手に動かす事は不可能だった。
ただ、いくらティオの精神領域であるとはいえ、その精神領域は『精神世界』の中にある。
よって、『精神世界』のルールが、このティオの精神領域の中においても適応されている。
『精神世界』は精神と意思の世界である事から、自分の意思に反した態度を取ったり言ったりする事が出来ない、要するに「嘘がつけない」というのもその一つである。
そんな『精神世界』の特性を、サラはティオの精神領域の中を疾走し続けながら、体感し、少しずつ理解を深めていっていた。
□
「サラ! もういい加減諦めろ!」
「ヤダ!」
「俺が本気を出したら、お前は一歩も動けなくなるんだぞ! 今はまだ手加減してる状態だから、そうやって動けてるんだ!」
「へー、そうなんだぁ! じゃあ、早く本気出たらー? 私の事止めてみせてよー、ティオー!」
「……クッ!……」
十分以上走り続けても、まるでティオとの距離が縮まらない現状を前にしても……
サラは、ニカッと笑って自信満々に返事を返した。
逆に、自分の精神領域内で優位な筈のティオの方が、顔をしかめて舌打ちしていた。
(……ティオ、動揺してるなぁ。私が想像してたよりずっとガンガン動いてるから、驚いてるんだろうなぁ。焦ってるのが、思いっきり顔に出てるよ!……)
普段『物質世界』で見ているティオなら、こんな時でも表情にはおくびも出さず、また話術巧みにこちらの混乱を誘ってくるのだろうが……
ここ『精神世界』においては、ティオのそういった、様々な修羅場をくぐり抜けてきた事で身につけた処世術は、全く役に立たなくなっていた。
(……私、もう、分かっちゃったもんねー! ここ『精神世界』では、そういう「動揺」や「焦り」は、動きを鈍らせる事になるってー!……)
サラとティオの距離が、グイッと大きく縮まった。
サラの走る速度は変わっていないが、ティオの意識が揺れた事により、後退する速度が遅くなったのだ。
「チイッ!」
しかし、そんな状況を見て取って、ティオもとっさに対抗策を講じてくる。
ティオが、バッと自分の前方に手をかざすと、ザザザザザッと、辺りに張り巡らされていた『宝石の鎖』がサラの目の前に寄り集まってきて、とても潜り抜けられないような密度で進路を塞いできた。
「わっとっと!」
サラは、驚いて目を見開くも、止まる事なく、そのまま『宝石の鎖』の群れに突っ込んでいった。
立ち止まる事も、後ろに下がる事も、また、大きく迂回する事も可能だったが、サラはそれをしなかった。
サラの頭には、ティオに向かって、ただひたすら真っ直ぐに走る事しかなかった。
いや、サラは敢えて、他の選択肢を自分の思考から外していた。
サラには、ティオのような広く深い知識や様々な技能はなかったので、ただなんとなく「その方がいいような気がする」だけだったが。
一見、立ち止まったり迂回したりした方が、逃げ続けるティオを効率良く追いかけられそうに思えるが、実はそれは悪手だという不思議な感覚があった。
「立ち止まる」「後退する」「迂回して避ける」こういった、「後ろ向き」な思考は、サラの動きを鈍らせる事になる。
いや、それだけでなく、「効率的に追いかけるにはどうしたらいいか?」などという事に考えを割く事さえ、自分の推進力を削ってしまう事を、サラは直感として感じ取っていた。
ここは、ただただ無我夢中で、ティオを追いかける。
自分の頭の中を、ティオに追いつき彼を捕まえる事だけでいっぱいにする。
その微動だにしない思いの強さこそが、心の中に詰まった純粋な思いの大きさこそが……
サラの力となり、力強く前に進ませ、ますます速度を上げる事になるのだった。
「ええい!」
サラは、ティオの張り巡らせた『宝石の鎖』の群れに体当たりする勢いで飛び込むと、両手で手当たり次第に、色とりどりに煌めく鎖を鷲掴み、隙間を押し広げ、強引に毟り取るようにして進んでいった。
その間も、決して、前に向かって繰り出す足を止めようとはしなかった。
「……クソッ! 単純バカが!」
そんなサラを見たティオが、ますます眉間に深いシワを刻んで、思わず口走っていた。




