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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十章 夢中の決闘 <中編>壁の呪縛
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夢中の決闘 #14


(……ティオ……)


 サラは、ティオと『不思議な壁』が同一の存在である事を、その雰囲気からずっと感じ取っていたが、ティオ本人の口から聞くと、改めて胸がズキリと痛んだ。


 ティオが二年前にその事実を知った時には、どんな心境だった事だろうか。


 ティオは『不思議な壁』を自分の意思で動かせる、といった内容の話をしていた。

 サラをこれ以上『不思議な壁』に近づけてくないために、詳しくは語ってくれなかったが。

 ティオと『不思議な壁』が同じ存在であるとすると、ティオが『不思議な壁』を動かせるのも納得がいく話だった。

 もっとも、おそらくそれは限られたごく一部分であって、ほとんどはティオ本人にも制御が不可能なのだろう。

 何しろ、ティオ本人でさえ、『不思議な壁』の持つ「膨大な情報を意識の中に送り込む」という性質の影響で苦しんだ経験が数え切れない程あるようだった。

 しかし、ティオの言うように『不思議な壁』自体に、ティオを害するといった意図はなく、ただそういう性質を持った存在であるがために起こる自然現象のようなものなのだろう。

 例えるなら、ティオは、自分の身の内に、逆巻く怒涛の奔流を秘めているような状態だった。

 それは、ひとたび解放されれば、堤防を越えて田畑や人家を荒らすどころか、巨大な街をも飲み込み、多くの人々や土地に被害を及ぼす、「天災」や「災厄」とよばれる類のものだ。

 それが、大河である事に変わりはなくとも、穏やかな流れを保ち、人々の生活に静かに寄り添っている今の状況は……

 ひとえにティオが、『不思議な壁』を常に見張り、その力をかろうじて抑え込んでいるからに他ならない。


 ティオの話からも、サラの感覚的にも、『不思議な壁』には、人間のような気まぐれで自由奔放な意思はないようだった。

 ティオが言うように、火や水といった自然現象に近い性質を持ち、ただその性質のままに動き反応しているように感じられる。

 確かに、その力は脅威だが……

 「基本的に、自発的に動く事はない」

 という状況は救いとも言えた。

 つまり、「膨大な情報を意識の中に送り込んでくる」という『不思議な壁』の性質による被害は、何者かが自主的に『不思議な壁』に近づいて触れさえしなければ起こらないという事になる。


 ただ、それも、『不思議な壁』と同一の存在であり、精神世界の精神領域において繋がっているティオだけは、おそらく例外なのだろう。

 ティオは、現在は、『不思議な壁』から精神に異常をきたす程の大量な情報が勝手に流れ込んでこないように、一定の距離を保っている様子だった。

 それは、ティオの、誰も知る事のない、血の滲むような努力と試行錯誤の結果に得られたものだった。

 二年前にこの精神領域にやって来て、自分と同一の存在であるところの『不思議な壁』を認識した当初のティオは、この『不思議な壁』の厄介な性質にひたすら翻弄され、苦しむ日々を送ったものと思われる。

 それから二年、この『不思議な壁』の性質を知り、付き合い方を学び、この環境に慣れた、というのもあるのだろうが……

 ティオはおそらく、それこそ必死に、石に齧りつくようにして、貪欲にありとあらゆる知識と技術を身につけ、『不思議な壁』をある程度制御するまでに至った。

 気の遠くなるような研鑽と努力、そして、何より、ティオが、「天才」と呼ぶべき優れた頭脳を持った人間だったからこそ成し得た偉業であった。


(……ううん、ティオじゃなきゃダメだったのは、それだけじゃない。……)


(……こうして、『不思議な壁』がティオの精神領域の中で大人しくしてくれているのは、何よりも、ティオがそれを望んだから。……ティオが、それを望む人間だったから。……)


 ティオは、『不思議な壁』と同一の存在ではあるが、『物質世界』では一人の人間である。

 故に、自分の意思を持ち、周囲で起こる様々な事を感じ取って、独自に考え、行動する。

 『精神世界』を知覚出来ない普通の人間は、ティオの精神領域にあるティオと同一の存在である『不思議な壁』を見たり感じたりする事は出来ず、ただお互い人間としてティオと接するのみだ。

 そう、ティオは、サラが例えたように、『不思議な壁』と同じ存在、その一部として、倒木の樹皮から生えた菌類のように、深海魚の頭の角の先にある発光体のように、人の目に触れるものであり、一見、その見えている彼が全てであるかのように錯覚させるものであった。

 また、ティオには、人間らしい喜怒哀楽の感情や自由な意思があり……

 『不思議な壁』と違って「能動的に行動する」のがごく自然だった。


(……たぶん、ティオが望めば、『不思議な壁』はもっと違った動きをしていたんだろうな。『不思議な壁』と同じ存在のティオは、『不思議な壁』を少しだけだけど自分の思ったように動かせる。……)


(……もし、ティオが、もっと悪いヤツで、自分勝手に『不思議な壁』を使っていたら、どんな酷い事が起こっていたか分からない。……)


 ティオは『不思議な壁』は「人の心を映す鏡のような性質を持っている」とも語っていた。

 そのため、欲にまみれた人間が触れると、自分の中の欲が何倍にも何十倍にも膨れ上がり、精神が破壊されて潰れてしまう。

 そのいい例が、ティオが話した過去のエピソードに出てきたどこかの組織の男達だろう。

 この『不思議な壁』の前では、欲だけではない、過度な恐れも期待も憎悪も歓喜も、異常な程に増幅され、怒涛のような情報と共に自分の身に返ってくる。

 サラが、この『不思議な壁』に触れた時、被害が軽かったのは、サラの中にそういった捻れたり歪んだりした感情がなかったせいなのだろう。

 そして、それは、この『不思議な壁』と同一の存在であり、ずっとここで『不思議な壁』と共に過ごしているティオにも言える事だった。

 確かにティオにも、宝石や本といった好きなものはあるが、邪な欲望は全くなく、他者に対する思いやりを持ち、そして、争いを好まない人間だった。


(……ティオは、優しいから。……)


(……何よりも、ティオの「優しさ」が、この『不思議な壁』をずっと抑えていた要因だったんだ。……)


 ティオは、二年前に自分のこの精神領域にやって来て『不思議な壁』の存在を知った時から、ただひたすらに、この『不思議な壁』を抑える事だけを考えて生きてきた。

 様々な方法を模索し、惜しみない研鑽を積み、一人この場所で精神的な苦しみに耐えながら『不思議な壁』と対峙し続けた。

 自分が『不思議な壁』と同一の存在である事から、他人への悪影響を恐れて、人から距離を取り、心を閉ざし、特に一年前からは、ひと所に留まる事を避けて、一人で世界各地を放浪していた。

 そんなティオが、この『不思議な壁』の力を、自分の野心や欲望のために利用しようなどと考える筈もなかった。

 ティオの、そんな真っ直ぐで優しい心根によって、今までどれ程の被害が食い止められていたものか、計り知れない。


『力を自分で制御出来ない者は、力を持っているとは言えない。』


『それは、力に操られているだけだ。』


『どんなに大きな強い力を持っていても、自分で完全にコントロール出来なければ、意味がない。』


『そんな力は、もはや、周りに害悪を撒き散らすだけの、ただの「災い」だ。』


 それは、以前ティオがサラに「異能力」について説明してくれた際に言った言葉だった。

 その時は、「身体強化」の異能力が常時発動状態にあるサラに対し、「大きな力は、その使い方によって、良い方向にも悪い方向にも周囲に多大な影響を与える事になるので、持ち主はきちんと制御すべきだ」と忠告してくれたのだと思っていた。

 しかし、今改めて思い返すと、それは自分自身への戒めだったのかもしれない、とサラは思った。


『……まあ、こんなご大層なセリフ、俺に言う資格はないんだけどな。』


 実際、その時ティオは、最後にポツリと皮肉めいたつぶやきを残している。

 それは、自分が未だ『不思議な壁』を完全に自分の意思の制御下に置けていない現状を鑑みて、自身を不甲斐なく思っての述懐だったのだろう。


(……ごめんね、ティオ。……)


 心優しいティオが、自分が思いがけず持ち合わせていた大きな力に苦しみ、人知れず精神をすり減らしながら、ひたすら一人きり辛い境遇に耐えてきたのを知って、サラは、悲しく思う一方で……

 それがティオでない人間であったなら、『不思議な壁』を抑え込む技量がなく、また、自分の欲望のために利用して、多くの人々に被害をもたらしていただろう事を想像しては……

 「ティオで良かった」と思ってしまう自分が居る事を感じていた。

 そんな自分の考えを、サラは、ティオにとても申し訳なく思っていた。


 サラの水色のつぶらな瞳から、一筋、熱い涙が流れ落ちていった。


「……サ、サラ? どうした?」


 宙に無数に張られた『宝石の鎖』の向こうで、そんなサラを見て、途端にティオが心配そうな顔になる。

 サラを案じて、思わず近づこうと手を伸ばしかけるも、ハッと我に返って腕を下ろし、距離を取っていた。


(……私は、たぶん、ティオに何もしてあげられない。……)


(……私には、難しい事は分かんないし、『不思議な壁』についても全然知らない。ティオが、どんな複雑な方法で『不思議な壁』を抑え込んでいるかなんて、いくら丁寧に説明された所で、理解出来る気がしないよ。……)


(……ティオも、私に何も出来ない事が分かってるから、「もう、ここには来るな」って言ってくるんだよね。『不思議な壁』が見えちゃった状態なのに、何も出来ないなら、危ないだけだもんね。……)


(……それに、「一人の方がやりやすい」「邪魔しないでくれ」っていうのは、本当なんだと思う。きっと、ティオが一人で『不思議な壁』に対処していた方が、効率がいいんだろうな。私みたいな、何も出来ない足手まといがここに居て、ティオが注意を割かなきゃいけないのは、ティオの苦労を増やす事になるんだと思う。それは、私だってちゃんと分かってるよ。……)


(……でも……)


 サラは、未だ紅を引いた事のないあどけない印象の薄桜色の唇をグッと噛み締めて、涙の滲んだ目を上げた。


(……ダメだよ、ティオ。……それは、ダメ。……)


(……一人きりになるのは、ダメ。……)


 そして、『宝石の鎖』の群れの向こうからこちらの様子を心配そうにうかがっているティオを、睨むような強さでキッと見返した。


(……これ以上、ティオを一人きりにはさせられない!……)


(……私は、確かに、ティオと『不思議な壁』の関係に対して、何もしてあげられない。……だけど……)


(……ティオのそばに居る事は、出来るよ!……)


(……私が、絶対に、ティオを一人にさせないから!……)


 サラは目に滲んでいた涙をグイッと腕で拭った。

 そして、その腕を、『宝石の鎖』が張り巡らされた空間の中で、10m以上は遠く離れた場所に居るように見えるティオに向かって真っ直ぐに伸ばし……

 ティオの姿に重ねるようにして拳をギュッと握りしめた。


「ティオ、もう、お喋りは終わりにしようよ。」


「ティオは、私が何を言っても考えを変える気はないんでしょう? 私をここから追い出して、私を遠くに追いやって、後は一人でなんとかしようと思ってるんでしょう? 今までやってきたみたいに、誰にも頼らないで、眠りもしないで、ずっと『不思議な壁』を監視するつもりなんでしょう? ティオは、自分の事を『番人』だと思ってるんだっけ?」

「……サラ……」


「誤解しないで欲しいのは、俺は別にサラの事が嫌いな訳じゃないんだ。ここがサラにとって安全な場所だったら、来るも来ないもサラにの好きにしたらいいと思ってるよ。……サラとしばらくここで一緒に過ごす事になって、まあ、誰かと自分の精神領域の中で、特に目的もなく交流するなんて事は今まで一度もなかったからな、俺にとって貴重な経験だったよ。正直、楽しかった、短い間だったけどな。……でも、ここは、やっぱりサラが居ていい場所じゃないんだ。サラが『これ』に触れて苦しんでるのを見て、それを思い出した。いつの間にかすっかり忘れてた。……あんな目に遭わせてしまって、本当に悪かったと思ってる。もう二度と、サラにあんな思いをさせたくないんだよ。」


「それに、俺には、まだまだここでやらなきゃならない事がある。……はっきり言って、サラが居ると迷惑なんだ、俺の目的のためには。『これ』の対処は、俺が一人でした方がいい。論理的に客観的に考えて、俺は、100回問われたら100回そう答える。『俺は一人で居る方がいい』と。」


「だから、サラは、これを最後に、俺とは距離を置くようにしてくれ。物理的に距離があれば、眠りに落ちたサラが俺の精神領域に干渉してくる事がないのは、一昨日と昨日の夜でもう実証済みだ。サラの持っている赤い石は、眠ったサラの精神を俺の精神領域に強引に連れてくるような常識外れの代物だが、その力にも限界がある。俺とサラが充分に距離をとって生活していれば、赤い石も俺の精神領域には手が出せず、眠ったサラが俺の精神領域にやって来る事はなくなる。……だから、サラは、目が覚めて俺の精神領域から出たら、もう二度とここには来ないようにしてくれ。何も難しい事じゃない。俺と離れた場所で眠ればいいだけだ。」


「大丈夫だ。さっきも言ったように、俺はもう、サラの監視がなくても、盗みを働いたりしない。約束は守る。この『精神世界』では嘘がつけないのは、サラも良く知ってるだろう? 俺は、これからもちゃんと傭兵団の作戦参謀としての仕事はする。戦場に出た時傭兵団が勝利するように、なるべくみんなの被害が少なくなるように、俺に出来る限りの事はするよ。」


「だらか、サラ、頼むから、もう、俺を一人にしておいてくれ。」

「……」


 真剣に、必死に、辛そうな表情で訴えてくるティオを、サラは片時も視線を逸らす事なくジッと見据えていた。


「……やっぱり、考えを変える気はないんだね、ティオ。」


「でも! 私も、これっぽっちも自分の考えを変える気はないから!」

「サラ!」


 ティオの悲痛な叫びも、先程の切々とした説得も、微塵もサラの決意を揺らす事はなかった。


「言ったでしょう? もうお喋りはやめにしようって。お互い、言いたい事はもう大体全部言ったんじゃない?」


「だけどー、ティオは全然折れる気ないしー、私も全然折れる気ないしー、なら、これ以上いくら話したってムダでしょうー? だから、話はおしまい!」


「って、事でー……勝負しようよ、ティオ!」


 ニカッと自信満々の笑みを浮かべるサラを見て、ティオはいぶかしげに眉をひそめた。


「勝負?……俺が? サラと?」

「そうだよ! 傭兵団なら、やっぱりこれでしょ! 意見が対立して、どっちも引かないってなったら、『決闘して勝った方の言う事を聞く』だよね!」

「サラ、お前なぁ、ここは俺の精神領域だぞ? 俺は『これ』を使う事はないにしても、自分の精神領域だから、大抵の事は出来るんだぞ? それに対して、お前はただの客人だ。俺のように自分の過去の記憶から何かを実体化させる事は出来ない。……こんな状況下で、俺と勝負だって? 勝てる訳がないだろう!」

「さあ? それは、やってみなきゃ分かんないでしょ?……って言うか、私は勝つけどね! 自分が負けると思ってる勝負を、自分から挑む訳ないじゃない!」

「俺に勝つのは絶対に無理だ!」

「ティオこそ、私に勝つのは、絶対に、絶対に、ゼーッタイに無理だよーっだ!」


 ティオは、自分の勝利を確信しているサラの自信の根拠が全く理解出来ない様子で、相変わらず苦虫を噛み潰したような顔をしていたが……

 一方でサラは、やる気満々な笑顔で、腕を大きく振りながらパチーン! と指を鳴らした。


「ティオは、私に絶対勝てると思ってるんだよねー? じゃあ、決まりね!」


「これから、『決闘』して、そして、勝った方が負けた方の言う事を聞く! それでいいよね、ティオ?」


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