夢中の決闘 #7
「……その男の人達って、いきなりここに、ティオの精神領域に入ってきて大丈夫だったの?」
「酷く混乱はしてたけど、他人の精神領域に入った事自体のダメージは軽微だったかな。」
サラの質問に、ティオは相変わらず額に深いシワを刻んだまま淡々と答えた。
「その時、俺の精神領域には俺の構築した方法が展開されてたからな。その方法には、『精神世界』における他者の精神領域への移動の精神的負荷をほぼゼロにする効果があったんだよ。本来俺が求めてた効果は全く別のものだったが、この精神的負荷をゼロにする方は、その前段階で必要となってくるものだったから、先に作った根幹部分に改良を加えてつけ足したんだよ。つまりはただの副産物だな。……でも、この時はこの副産物が功を奏した。二人組の男達は、俺の意思に反した侵入者ではあったけれど、この副次的な効果が自動的に働いたおかげで、ほぼ精神的なダメージなく俺の精神領域まであっという間に到達して、更に精神体も形成した。」
「まあ、男達には何の説明もしてなかったんで、混乱はしてたよ。ちゃんと男の子の方には、『精神世界』と個人の精神領域の話をしてから眠らせて俺の精神領域に呼んだから、何も問題はなかったんだけどな。……男達からしたら、扉を蹴破った先の部屋で俺と男の子が並んで寝てるのを見て、俺の体に触った途端、この精神領域に飛ばされたんだから、驚くのも当然だよな。……正確に言うと、俺の体に触ってきたのは、俺が熟睡してるのを見て、今なら俺を捕まえられると思って押さえ込もうとしたんだろうな。ソイツらは、どんな手を使ってでも俺を捕らえたがってたかなら。俺はそれを見越して、先にアイツらを捕まえて縛り上げておいたんだが、ムダになっちまったよ。」
サラは、二人組の男がなぜティオをそこまで必死に捕まえようとしていたのかが気になった。
ティオがあちこちで大量の宝石を盗み回っていた経緯を考えると、どこかの国や街の警備兵などが彼を追っていても何の不思議もなかったが……
その男達には、それとはまた何か全く違う理由がある気がした。
どこかの組織から派遣されていたらしい男達。
男達を送ってきたのは一体どんな組織なのか、男達を派遣した組織の目的は何だったのか?
ティオに対する謎は、一つ解けたと思った時には、更に新しい謎が二つ現れているといったように、どんどん入り組んだ迷宮の奥に入っていくかのようだった。
大きく脱線してしまいそうな予感がしたので、サラは、今は男達の所属する組織については流しておく事にした。
「いきなり俺の精神領域にやって来たその男達は、まあ、白昼夢でも見ているような感じだったろうな。ヤツらはそれまで『精神世界』を知覚した経験はなく、『精神世界』についての知識もほぼ皆無だった。だから、ここが『精神世界』だとは夢にも思わなかっただろう。寝ている俺の体に触った瞬間、辺りに見た事もない景色が広がったんで、幻覚の一種か何かだと思ってる感じだった。ちなみに、男達の『物質世界』の肉体は、俺に触った時点で、折り重なるように倒れて深い眠りに落ちる事になった。」
「ただし、ここは『精神世界』の中だ。ここが『精神世界』だと知ろうと知るまいと、この世界の性質による影響は等しく受ける。……『精神世界』は、精神や意思の世界だからな。サラも感じたと思うが、ここでは本来人間が持っている感情が『物質世界』よりもハッキリと表出する。喜怒哀楽が強調されるような状態になって、慣れていないと情緒が不安定になりがちだ。」
「それにもう一つ……サラは特に問題なかったが……人間の心の奥底に抱いている欲望が、ここ『精神世界』では顕在化しやすい。」
「例えば……普段『金が欲しい』と心の中で密かに思っていたとする。でも、『物質世界』では、そんな事は一切口にせず、態度にもチラとも出さなかった。しかし、そんな人間が『精神世界』にやって来ると、『金が欲しい!』と叫んで、辺りを這いずり回って金を探し回るようになる。……ってな感じだな。まあ、『物質世界』でいい人を演じながら心の中では貪欲に金を欲していたのも、『精神世界』で『金! 金!』と金を求めてさまよい歩くのも、本質的には同じなんだけどな。その人間が元々持っていたある側面が、『物質世界』と『精神世界』では見え方が異なるってだけの事だ。……ほら、おんなじ物体でも、光の当たり方によって、まるで別の物体であるかのように見えるだろう? あれと一緒だよ。」
ティオはそう言いながら、スッと肩の高さまで上げて水平にした手の平の上に、真っ白な立方体を出して見せ……
上方、下方、横、斜めと様々な方向から光を当てて、光を当てた事によって生まれる影により見え方がそれぞれ異なる事をサラに示したのち、フッと立方体を消し去った。
「男達は、俺の精神領域に入ってきた当初は、キョロキョロ落ち着きなく辺りを見回していた。ぐっすり眠っていた筈の俺と男の子が起きていたんで、驚いて警戒したりしてたな。俺は、男の子を背中で守りながら、どうしたものかと考えた。」
「『物質世界』と『精神世界』の間で意識を移動させるのは、両方の世界を常に感じ取ってる俺には、意識の比重を変えるだけだからそれ程大変な事じゃない。でも、そうじゃない男の子や男達には、精神的負担を伴う行為だ。だから、出来れば、別の世界に意識を移す時は、一旦元の世界で意識の活動を落としてから、別の世界を感じるようにした方が混乱も負荷も少ない。」
「さっきも言ったように、その時俺は、『精神世界』における自分の精神領域内で男の子の精神体にある処置をするために、構築したばかりの方法を使用していた。そのおかげで『物質世界』から『精神世界』へ、更に『精神世界』にある俺精神領域へは、簡単に意識を移動させる事が出来る状態だった。……そうだな、本来はある筈のない道が出来てたって感じか。……だから、男達も俺の精神領域へは、精神に負担を掛ける事なくすんなり入ってこれた訳なんだが……」
「逆の移動、つまり、『精神世界』から『物質世界』への意識の移動の補助は、俺の構築した方法には組み込まれていなかった。要するに、俺が開いた道はあくまで『物質世界』から『精神世界』への一方通行で、帰りの経路はなかったんだよ。……まあ、俺は、男の子に対しては、『精神世界』で眠らせて、意識の活動を落とし、精神体を霧散させた状態にした所で、『物質世界』で男の子の体を揺さぶるって物理的な方法で起こすつもりでいたからな。『精神世界』で精神体を形作っていない状態なら、普通に眠っている人間を起こすのと一緒だ。肩を叩いたり、名前を呼んだりすればいいだけだ。」
「だが、勝手に俺の精神領域に入って来た男達に対しては、どうしていいか対処に悩んだ。俺が『眠ってくれ』と言った所で、素直に聞くようなヤツらじゃないしな。でも、いくら嫌なヤツらであっても、『精神世界』にしっかり意識が移動していて精神体の状態を保っている人間を、『物質世界』で眠っている肉体を叩き起こして無理やり向こうに意識を移させるような荒っぽいやり方は、あまりしたくなかった。どうしても精神的に負荷が掛かるし、悪くすると後遺症のようなものが出る可能性もあるからな。」
「ところが、どうしたものかと俺が対応に困って考え込んでいる隙に、男達はもっととんでもない事をし始めた。」
「そう、『コイツ』に近づいてきたんだ。」
そう言って、ティオは親指をグイと反らし、自分の背後を示した。
そこには、今も、奇妙な模様を描く溝が走る巨大な壁のようなものが、サラの目には見えていた。
□
「男達は、特に年配の上司の方は、血走った目を見開いて『これはなんという凄い発見だ! これを手に入れれば、私は一躍有名人だぞ! 出世間違いなしだ!』とか、なんとか言ってたかな。部下の方は『そうですね、そうですね! ぜひ、私達二人で確保しましょう!』ってな感じで、上司の意見に迎合してたな。」
「え?……ちょ、ちょっと待って、ティオ! その人達、『それ』が見えてたの? 私、何度もここに来てるけど、『それ』が見えたのって、一昨日が初めてだったよー?」
驚いて尋ねてくるサラに対し、ティオは腕組みをしたまま、また眉間にいっそうシワを寄せてしばらく考え込んだのち、言葉を慎重に選んで少しずつ語った。
「俺がその時男の子に処置を施していた方法は、『これ』を動かす必要があったんだよ。……どんなふうに動かすか? とかは、教える訳にはいかないから、聞くなよ。とにかく、『これ』を使う必要があったから、姿を隠した状態にはしておけなかったんだ。『精神世界』の法則から言って、俺のこの精神領域にハッキリと顕在化させておかない事には、使用出来ないんだよ。」
「もちろん、男の子の方には、『危ないから絶対に近づいたり触ったりしないように』って厳しく言い聞かせておいた。素直で真面目な子で、俺の事も凄く信頼してくれてたからな。男の子は、俺の言う事を聞いて、この精神領域に居る時は、俺のそばから離れないようにしてた。もちろん『これ』にも触れたりしなかった。それ以前に、怖がって『これ』の方を見ようともしなかったな。」
「問題は、勝手に入ってきた男達だ。俺は、ヤツらが『これ』に近づいてくるのに気づいて慌てて止めたが、間に合わなかった。」
「『精神世界』ではその人間の持っている欲望が、膨らんだ状態で現れるってさっき言ったよな? 男達には、どうやら『これ』が凄いお宝か何かのように見えているらしかった。」
「『これ』については……あまり詳しく話したくないんだが……そうだな、その人間の心を映す鏡のような性質があるんだよ。」
「何事も明るく前向きに捉える人も居れば、逆になんでも憂鬱に悲観的に捉える人も居る。同じものを見ていても、ある人は良い所ばかりを見て、ある人は悪い所ばかりを見る、またある人は良い所も悪い所も見る。この世界は一つで、皆同じ世界に存在している筈だけれど、人それぞれにこの世界の捉え方は違う。……さっき見せたように、光の当たり方、影の出来方、それを見る方向によって、同じ立方体が全く違うもののように感じられただろう? それと同じだよ。……この世界を『辛い事ばかりの嫌な所』と思っている人、真逆に『おもしろい事だらけの楽しい所』と思っている人、二つの考えが混じっている人、中庸的な考えをする人、全くどちらでもない人……まあ、とにかく、人の数だけこの世界の捉え方や感じ方は違っていて、一人として同じじゃない。俺とサラだってそうだ。でも、多くの似通った部分があるから、話は概ね通じる。それに、想像力を働かせて相手の気持ちを推し量る事で、他人と交流する事も出来る。まあ、大前提として、相手の気持ちを尊重し、自分の事のように考えようとする心構えは必要だけどな。一般的な言い回しをすると、『思いやりを持つ』って事だな。……と、話が逸れたな。」
「そんな事情で、『これ』に触れた人間は、それぞれその人間の特性と同じ幻に溺れる事になる。良くも悪くも、な。」
「例えば、猜疑心の強い人間は……疑り深い人間って事だな、そういう人間は、良い方向に幻を見れば、『自分を騙してくる人間を全て上手くかわす事が出来て喜ぶ』となるし、反対に悪い方向に幻を見れば、『会う人間会う人間、皆自分を騙してきて誰も信じられない恐怖に怯える』となる訳だ。願望の方が強いと、何事も嘘のように上手くいくいい夢を見られるが、不安の方が強いと、全てが裏目裏目に出て泥沼にはまる悪夢を見る事になる。しかし、結局の所、心が幻に囚われて正気を失う結果になるのは変わらない。甘い蜜に酔って我を忘れるか、大きな恐怖で身動きが取れなくなるか、の違いしかない。」
「そもそも『これ』に触れると、一瞬の内に、人間の頭ではとても捌き切れないような莫大な情報が流れ込んでくるからな。そんなふうに情報を洪水のように浴び続けたら、いくらもしない内に心が壊れちまう。」
「加えて、ここ『精神世界』では、欲望があらわになり感情が強調される。そんな状況で、人の心を鏡のように映す性質のある『これ』は、その人間の急所を的確についたような幻を見せてくる訳だから、普通の人間はひとたまりもないんだよ。」
ティオの説明を聞いて、サラは「うーん」と首をひねった。
「確かにー、なんか、ドーッとたくさんの気持ちや感覚が押し寄せてきたけどー、特にそんな怖ーい悪夢とか、うっとりするようないい夢とかはなかったけどなぁ。」
「それは、サラには元々強い野心や欲望がなくて、この世界の捉え方にも偏見がなかったからだろうな。『これ』に対しての抵抗力がある人間って言うべきか。」
「まあ、でも、どの道、自分の意識の中に一瞬で凄まじい量の情報が流し込まれるのは同じだ。あれは、しんどいだろ。」
「う、うん。自分がどこの誰なのか分からなくなりそうだったよ。」
「そうだな。俺も未だに全く慣れないな。巨大な情報の嵐の中で自意識が木っ端微塵に吹き飛ぶような感覚だよな。痛みや苦しみといった知覚も、喜びや悲しみのような感情も、まるで本当に自分が感じているかのように再現されるしな。……それでも、サラは強い方だと思うぜ。サラは、自分というものをしっかり持っていて、意思も人一倍強いからな。実際回復も驚く程早かった。……『物質世界』で強靭な肉体が強い力を持つように、『精神世界』では、意思の強さは大きな武器になるんだよ。」
「……え?」
「ん? どうした、サラ?」
「ティオも? ティオも、『それ』に触ると、自分の中にガーッていろんな気持ちや感覚が入ってきて、頭がおかしくなりそうになるの?」
「そりゃまあ、そうだろ。俺だって普通の人間だし。」
ティオは、サラの問いに対し、すんなりと当たり前の事のように答えていたが……
サラは、そんなティオを、ジイッと真剣な目で見つめ続けていた。
「俺は、二年前に初めてこの場所に来たって言ったろ?『精神世界』を知覚して、自分の精神領域で精神体を持つようになった。……んで、そこにこんなもんがあったら、普通『なんだろう?』って思って調べようとするよな? ……まあ、そんな訳で、俺も一通り『コイツ』には酷い目に遭わされてんだよ。俺の場合、誰も助けてくれないから、自分自身で回復するしかないのも辛かったな。『コイツ』をどうにかしたくて何度も試行錯誤したが、その度に酷い目に遭ってたよ。おかげでって訳じゃないが、大分慣れたかもしれないな。元々俺は、他の人間よりも『これ』には耐性があるみたいだしな。って言っても、当然限度はあるが。」
サラは、アゴに手を当てて目を細め、珍しく考え込みながら、「ふうん」と相槌を打った。




