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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十章 夢中の決闘 <前編>侵入者の末路
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夢中の決闘 #5


「……やっぱり来たんだな。……」


 呆れたような諦めたようなティオの声が響いて……

 サラは、閉じていたまぶだをゆっくりと開いていった。

 それに伴って、辺りに満ちる白い光がサラの目を貫いてくる。


 そこは、『精神世界』にある、どこまでも果てなく虚無の白い光が満ちる、もはや見慣れたティオの精神領域だった。


 しかし、今では、その白い光しかなかった筈の空間に、別のものが二つ存在していた。


 一つは、色とりどりの煌びやかな宝石で編まれた鎖。

 『宝石の鎖』とティオが呼んでいるものだった。

 数え切れない程多くの宝石が、無数の鎖を形作り、白い光の満ちる空間に縦横無尽に伸びていた。

 しかし、鎖は、てんでバラバラに不規則に走っているかのように見えて、その出元は一点に集中しており、まさにその中心にティオの姿があった。


 ティオはいつものように、色あせたボロボロの紺色のマントに身をくるみ、顔には分厚いレンズの入った眼鏡を掛けていた。

 伸ばしっぱなしのボサボサの黒髪を無造作に首の後ろで結んでいるのも変わらない。

 さすがに、袈裟懸けににしている大きな布のバッグや、腰のベルトに通して持ち歩いている数々のポーチや袋などは身につけていない様子だったが。


 しかし、ここが『精神世界』であるせいか、そんなティオの外見上の奇抜な雰囲気はかなり薄れていた。

 見た目ではないティオの精神的な特徴が、心の有りようが、彼を見ているサラの意識に直接的に響いてくるような感覚を覚える。


 サラは、今のティオに、研ぎ澄まされた一振りの剣を前にしているような印象を覚えていた。

 名工の手によって幾度となく灼熱の炎にくべられ、強い力を持って延々と叩かれ、繰り返し冷たい水に沈められ、そうして一分の隙もなく鍛え抜かれた、美しいまでに鋭い刃。

 それは、真っ暗な闇の中にただ一つ浮かぶ月のごとくに、白銀色の静謐な光をたたえていた。


 しかし、普段その刃は、穏やかかつ温かな気配の中に完全に隠されていた。

 決して人を傷つける事のないよう、細心の注意を払ってしっかりと鞘に収められているかのようだった。

 それは、ティオの持つ人知を超えた様々な能力が、優しい心根を持つ彼の意識の統制下にある事を示しているのだとサラは考えていた。


 そんなティオが、今はサラに対して、自身の心の剣を抜いてまで、強い警戒態勢をとっている。


 ティオの体には、サラが前回彼の精神領域に来た時に見たのと同じく、無数の宝石の鎖が巻きついていた。

 それは、ティオを堅固に守っているようにも、強力に拘束しているようにも感じられるものだった。


(……そう言えば、最初にここに来てティオに会った時、まだ鎖に磔にされてるのがティオだって気づいてなかった私が感じたのは、「凄く警戒心が強い人だなぁ」だったっけ。……)


 サラは、ティオの体から縦横無尽に辺りに伸びている『宝石の鎖』の、煌びやかながらも鋭い色とりどりの光に目を細めた。

 ヒラヒラと顔の前で手を振って、ティオに訴える。


「ねえ、ティオ、これチカチカしてまぶしいよー。ちょっと光抑えてくれないー? ティオ、出来るんでしょー?」

「……やっぱり、見えてるんだな、サラ。この『宝石の鎖』が。」

「うん。」


 ティオは、サラがティオの精神領域にやってくる時、サラに気を使ってか、この上も下も、右も左も、前も後ろも白い光にのみ満たされた空虚な空間で、目に見えない地面のようなものの上に立っていた。

 そうした、馴染みのある『物質世界』に似せた状態にする事で、サラの認識を安定させようとしたのだろう。

 しかし、今は、完全に虚空に浮いた状態で、サラから、目測でザッと10m以上先に居た。

 しかもサラからティオまでの間には、空間を遮るように無数の『宝石の鎖』が四方八方から伸びていた。


 コクンとうなずいてサラが素直に答えると、ティオは、ふうっと一つため息をついた。

 それと同時に、ティオの体に繋がった無数の宝石の光が、スウッと弱まる。

 サラが予想した通り、ティオは自在にこの『宝石の鎖』を操る事が出来るようだった。


 ただ、この『宝石の鎖』は、ティオが自分の記憶を元に作り上げのではなく、『物質世界』に実在する宝石の、『精神世界』における精神体と呼ぶべきものを集めてくつったものである。

 つまり、個々それぞれに本物の「存在」があるために、完全に消し去る事は出来ない。

 この『宝石の鎖』の制作者であるティオ本人とは言え、可能なのは、せいぜい今やったように、光を弱めて存在感を抑える事ぐらいである。

 それでも以前のサラは、完全に『宝石の鎖』が見えなくなってしまっていた。

 そのため、ずっと「無い」と思い込んでいたのだったが……

 今は、「有る」事を知ってしまったため、ティオが宝石達の光を抑えても、まだしっかりと見えていた。


 サラは、腕組みをして改めて辺りを見回し、感心半分呆れ半分な気持ちで言った。


「凄いねー。これ全部、本物の宝石なんでしょう? ティオが『宝石怪盗ジェム』として集めたヤツなのー?」

「……そんな事も分かるんだな。サラは本当に勘がいいな。」


「俺はそんなお前の事を見くびって油断して、知らない内に随分お前に自分の手の内を暴かれてたみたいだな。」

「そっかなぁー? でも、まだまだ分かんない事もいっぱいあるよー。」


「例えばー……その、ティオの後ろに見えてるヘンテコな壁とかー。」


 サラは、『宝石の鎖』に次いで、もう一つの、ティオの精神領域で見えるようになったものに視線を投げながら言い放った。



 サラの目には、ティオの背後に巨大な壁がそそり立っているのが見えていた。

 壁、と言うべきどうかは迷う所だが、サラには他に適当な言葉が見つからなかった。


 それは、ティオの背後に見えてはいるが、実際どれ程ティオから距離があるのかが判然としない。

 背中が着く程すぐそばにあるようにも見えるし、かと思えば、遥か彼方にあるようにも感じられる。

 距離感の掴めなさは、自分が「それ」を正しく把握していない事の現れなのだろうとサラは思っていた。

 一方で、(こんなもの、完全に理解出来る人間、居るのかな?)と思う気持ちもあった。


 「それ」は、視線を上げれば、天に向かってどこまでも昇ってゆき、視線を下に落とせば、奈落の底まで延々と伸びている。

 もちろん、右にも左にも、『物質世界』において遥か遠くのものが霞むのと同じように、視界の端でぼやけて視認出来なくなるまで、切れ目も果てもないままだった。

 元々ティオの精神領域は、上下左右の区別がなく、虚無を表現していると思われる真っ白な光が満ちているだけの空間であったので、今はその全てに渡って、やはり上下左右の区別のないままに奇妙な壁が果てしなく広がっている状態だった。

 サラにはやはり、このどこまでも続く奇妙な形状の巨大な壁がなんなのか、さっぱり分からないままだった。


「……壁……そうか、サラには『これ』が壁に見えてるんだな。」


 ティオが軽く握った手を口元に当てて、考え込むようにポツリとつぶやいた。

 その言葉に、サラはピンと閃いて、ティオに言葉を投げる。


「これって、やっぱり『壁』じゃないんだ!」

「あ、しまった!」


 ティオは、うっかりしたという表情で、顔の半分を手で覆った。

 普段は……『物質世界』では、平然と嘘もつくし、自分の本当の感情を器用に隠して表情に出さないティオだったが……

 精神や意思が本質であるこの『精神世界』では、その性質上嘘がつけない上に、気持ちや心が態度に素直に出てしまう傾向があった。

 元々嘘などつかないサラにとっては、巧妙な話術ではぐらかそうとしてくるティオと話をするなら、精神世界の方がずっとやりやすかった。


(……ティオには『これ』が『壁』に見えてないんだ。つまり、『これ』は、本当は『壁』じゃない。……まあ、そんな気はしてたけど……)


 サラは、ティオの精神領域にある『それ』を、とりあえず『不思議な壁』と呼んでいたが、その一方で、その呼び名にずっと強い違和感を感じていた。

 (間違っている)とサラの感覚が告げていた。

 しかし、じゃあ、何が正解なのかという答えは、相変わらず深い霧の中をあてもなく手探りしているように見つからないままだった。


「ねえ、ティオ、これ、一体なんなのー?」

「それを俺が答える筈ないだろう。」

「えっと……あるものについて『知る』事は、そのものに対して『近づく』事になる、だっけー? 要するに、ティオは、これ以上『それ』に私を近づけたくないって事だよね?」

「その通りだ。サラにしては物分かりがいいな。」


 確かにこの『精神世界』において、ティオは『物質世界』よりも正直な言動にならざるを得ない状態だったが……

 ティオ本人が(話したくない)と思っている事に関しては、黙っている事は可能だった。

 故に、今ティオからは、自分の心を重い扉の奥に隠しているかのごとき、サラをかたくなに拒絶する雰囲気がひしひしと伝わってきていた。

 さすがのサラも、ここまで堅固に防御を固めてしまったティオの心に入っていくのは、かなり難しいと感じていた。

 元よりティオは、人一倍「警戒心の強い」性質を持つ人間である。


「うーんと、そうだなぁ、じゃあ……」


 サラは、少し考えた後、その『不思議な壁』についてティオに質問する事はやめ、逆に、自分が今どんなふうに『不思議な壁』を感じ取っているのかを一生懸命ティオに伝えようとした。


「その『不思議な壁』は、なんか、凄ーく大きい! このティオの精神領域でどこまでも続いてるように、私には見えるよ。」


「あ! 後、溝があって、ヘンテコな模様になってる。うーん、違うかなぁ。模様が溝になってる? 模様の中に溝がある? みたいな? それでそれで、その溝の中にまた模様みたいな溝があって、その溝の中にも溝があって、その中にもまたあって、その中にも、その中にも……って、延々続いていく感じー。でも、溝の中の溝の中の溝の中の溝って、どんどん入っていって小さくなっていく筈なのに、そんな感じは全然しないのが不思議だよねー。溝の中をのぞき込むたびに、次々自分まで小さくなっていってるみたいに、結局見ている溝の大きさは変わらないんだよねー。」


「あ! それからそれから、それって、岩とか石とか、そういう『生き物じゃない』感じに見えるのに、なんだか『生きてる』感じもするんだよねー。時々、その溝みたいな模様みたいなものが、動く? 回転する? のを見た気がするー。……あ! また、あっちの方で、なんか動いたようなー!……って言っても、私には良く分かんないんだけどー。ぼんやりとそんな気がするだけー。」


 サラは、身振り手振りも交え、自分の感じ取っている事をなるべく正確に、余す事なくティオに伝えようとした。

 以前『それ』に触れた時、世界のいろんな場所のいろんな風景を見たり感じたり、他の生き物の一生をまるで自分がその生き物であるかのように体験したりした事も、もう一度ティオに語った。


「で、やっぱり、ティオは、『それ』が何か、教えてくれないんだよね?」

「……」


 ティオは、無数の『宝石の鎖』がサラとの間を遮る中、宙に浮かんだ状態で腕組みをしてジッとそんなサラの話を聞いてはいたが、やはり固い表情で口を閉ざしたままで、何かを打ち明けようという雰囲気は微塵も見せなかった。

 しかし……


……ゴ、ゴゴ……ゴゴゴゴ……ゴ、ン……


 低い地鳴りのような音がティオの精神領域に満ちるのと同時に、ティオの背後にそびえる『不思議な壁』が、大きく回転した。

 無機物のような、かつ有機物でもあるかのような、そんな奇妙な印象を受ける模様のごとき溝の走り方に変化が起こったかに思えたが……

 途切れる事も崩れる事もなく、どこがどう動いたか分からないという不可思議な状況のままに、回転し、動き、移り変わっていっているようだった。

 サラには、それが、ティオの深層心理の動揺や変化と連動しているように思われた。


(……ティオがなんにも話してくれないから、こっちから勝手にペラペラ打ち明けてみたけれどー……多少は影響があった、のかな?……)


 サラは、ティオの反応を得るために、自分から手の内を余さずさらしていったのだった。

 駆け引きが嫌いなサラ故に思いついた戦法であり、その裏表のなさこそが、何事も熟慮する慎重で警戒心の強いティオの心に響く結果となったようだった。


「分かった。」


「『これ』が何かは話せないが、以前ここで起こった事を代わりに話す。」


「その話を聞いて、ここに来るのがいかに危険な事か分かったら、もう引いてくれ。ここには、もう二度と来ないでくれ。」


 ティオは、そう言って、サラに向かって、静かに言葉を紡ぎ始めた。


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