夢中の決闘 #3
「サラ、今日は俺は別の部屋で寝ようと思う。」
「え? 別の部屋って、どこの部屋?」
「まあ、どこでも。俺は寝ようと思えばどこでも寝られるからな。確か、第六部隊が使ってる部屋に空いてるベッドがあったと思うけど、もう消灯時間も過ぎてるし、今行ったら混乱させるだろうから、会議室でもいいかと思ってるよ。毛布だけ持っていくよ。俺は自分の持ち物は大体身につけて持ち歩いてるし、この部屋に置いてる私物は特にないからな。」
「……」
消灯時間の見回りは、副団長のボロツや隊長達と共に、特に問題もなく済ませたのだったが、サラの部屋に戻ってきた途端、ティオがさっそく切り出してきた。
サラは引き結んだ薄紅色の唇をムッと突き出して、ドアを入った所で立ち止まり部屋の中央に入ってこないティオを見つめた。
(……やっぱりかー。……)
(……さっきも、ドアの所から動こうとしなかったもんね。はじめっからこの部屋から出ていく気満々だったって事だよねー。……)
先程は、お互い気にかかっていた事を謝りあって、一旦打ち解けた雰囲気になった二人だったが……
サラが一昨日の晩の、精神世界のティオの精神領域での出来事を話し出すと、途端にスウッとティオの感情が凍りつくのを、サラは敏感に感じ取っていた。
サラは、手にしていた燭台を窓際に置かれている備えつけの小さな机の上に置いた。
見回りのために寝間着の上に羽織っていたオレンジ色のコートを脱いで壁の杭に掛けると、ぴょんとベッドに乗り足を振るってブーツを脱ぎ、ドアの所で立ち尽くしているティオに視線を向けた。
「今日って言うか、これからはサラとは別の部屋で寝起きするようにしたいんだ。」
「ほら、元々サラが俺にこの部屋で一緒に生活するように言ったのは、俺がこの城の宝物庫に盗みに入ったからで、また変な事をしないか監視するためだっただろう? でも、今の俺は、もうそんな事はしない。この傭兵団の作戦参謀として、毎日ちゃんと自分の仕事をしてる。サラも、それは日々の俺の態度を見て分かってる筈だ。」
「つまり、サラは、今はもう俺を監視する必要はないって訳だ。それなら、俺もこの部屋で暮らさなくてもいいって事だよな?……本当に、これは真剣に誓うよ。俺は決して盗みはしない。サラが心配するような事は何もしない。賭博場の件は悪かったと思ってるから、これからは何かする時は、必ず事前にサラに話すようにするよ。」
「だから、この部屋から出て行かせてくれ。……サラだって、俺と二人で同じ部屋で寝起きして、団員達にあれこれあらぬ噂を立てられるのは嫌だって言ってただろう?」
ティオは一旦言葉を切り、カシカシカシッとボサボサの黒髪を慌ただしく掻いた後、更に早口になって喋った。
視線はサラから逸らし、いつも以上にペラペラと口が回るのは、この部屋から出ていく話をするのを後ろめたく感じているせいなのだろう。
それでも、ティオの話は、触りから本題へと進んでいった。
「俺も、この二日ずっと、一昨日の晩の事を考えてたんだ。」
「サラが半狂乱になって精神が崩壊する危険に陥ったのは、さっきも言ったように俺の認識が甘かったせいだ。これからは、もう二度とあんな事がないようにしたい。」
「それで、いろいろ解決法を考えたんだ。結論としては、一番確実なのは、俺とサラが物理的に距離を置く事だと思う。」
「『精神世界』での出来事だから、もちろん、精神的な意味でも距離を置く事は大事だ。今現在、サラと俺は、傭兵団の団長と作戦参謀という関係にある。お互い重要な役職に就いている訳だ。だから、傭兵団の円滑な運営のためにも、意思疎通をはかる必要はある。が、なるべく立場上の情報伝達にとどめて、個人的な交流は控えた方がいいだろう。……いや、俺もサラの事は信頼しているし、仲間だと思ってるよ。でも、それ以上お互い踏み込むのはよそうって話なんだ。サラだって、俺に知られたくない事があるって以前言ってただろう? 俺だってそういう類のものはあるさ。だから、これからは、適度な距離を置いてやっていこうぜ。」
「そして、『物質世界』でも、なるべく余計な接触や接近は避けた方がいい。さっき言った物理的に距離を置くって事だな。……顔を合わせる機会が減れば、それだけ、気持ちの上でもお互いを意識する事はなくなって、精神的に距離が置ける。」
ティオは、身振り手振りを交えて熱心にサラに語りかけてきた。
そういったティオの話術や大仰な仕草は、本質にしか興味関心のないサラを惑わせる事は出来ず、効果は極めて薄かったが、それは話しているティオ自身も良く分かっている筈だった。
分かっていてもなお、サラを説き伏せようと熱弁を振るってくるティオの様子に、サラはティオの真剣さを感じ取っていた。
「それに、一昨日の晩、団員に流行り病の症状が出たって報告があって出ていってから、俺はそれにかかりきりになって、この部屋に戻ってこなかったよな? あの時、サラは一人で眠った。そして、眠っても、俺の精神領域に来る事はなかった。」
「昨日もそうだ。俺は、サラも知っての通り、ボロツ副団長とチェレンチーさんと一緒に城下町に行っていて、王城に帰ってきたのは明け方だった。その間、サラは、いつも通り自分の部屋で一人で眠ってたんだよな? そして、眠りについても、やっぱり俺の精神領域にやって来る事はなかった。」
「一昨日も昨日も、わざとじゃなく、たまたま用事があったんだが、この機会に検証出来るんじゃないかと思ったんだ。そして、俺の仮説は当たっていた。」
「つまり、眠ったサラが、『精神世界』において俺の精神領域にやって来るには、『物質世界』においても俺との距離が近くないとダメって事だ。」
「サラが初めて俺の精神領域にやって来たのは、俺が王宮に盗みに入ったのがサラにバレて、この部屋で寝泊まりする事になった夜だった。それから毎晩、俺はこの部屋で眠っていて、サラは夜眠りに落ちるたびに必ず俺の精神領域にやって来ていた。 」
「サラが俺の精神領域に来るのは、サラが持ってる赤い石の影響だって話は前にしたよな? まあ、石の目的は、サラ本人を俺に会わせる事じゃなくて、俺の持っているサラの石に良く似た赤い石に会いに来る事なんだけどな。」
「その赤い石は眠ったサラの精神に働きかけて、サラの意識を俺の精神領域まで連れて来る事が出来る。……ただし、それは、サラが俺のそばに居る時に限られるらしい。でなきゃ、サラと俺に無意識下で影響を与えて、このナザール王国の王都に呼び寄せるなんて事はしなかった筈だ。」
サラは、ジイッとティオを見つめながら黙って話を聞いていたが、一つ大きく息を吐くと、はじめて口を開いた。
「……それって、ティオが言ってた『物質世界と精神世界は表裏一体』って事だよね?」
「そう! それだよ、サラ!」
「だから、サラが夜眠っても俺の精神領域に来ないようにするには、赤い石の力ではどうにもならないように、物理的に距離を置くのが一番確実なんだよ。要するに、夜眠る時は、サラと俺は離れて眠った方がいい。って事で、ここはサラの部屋だからな、俺が出ていくのが順当だろう? サラが状況を理解して納得してくれたんなら、すぐに出ていくよ。」
サラは、口元に軽く握りしめた拳を当て、目を伏せて、珍しくしばらく考え込んでいた。
そして、スイッと顔を上げると、つぶらな瞳で真っ直ぐにティオを見て、コクコクとうなずいた。
「うんうん、ティオの説明のおかげで、私にも今の状況は良く分かったよ。……そっか、赤い石は、私とティオが離れてると、私が眠ってもティオの精神領域に私を運んでいけないんだね。私も、一昨日と昨日、眠ってもティオのとこに行かなかったから、なんとなくそんな気はしてたんだ。……ふうん、これが『物質世界』と『精神世界』の繋がりってヤツなんだー。」
「り、理解してくれたんだな、サラ! 良かった!……じゃあ、俺はさっそくこの部屋から出て……」
「ダメ。それは認めないよ、ティオ。」
「え?……は? 理解して納得したんじゃないのかよ、サラ?」
「私は『理解』はしたけど、『納得』はしてないもん。ティオがこの部屋から出ていってこれからは別の場所で眠るっていう話については、全然納得してない。私はティオが出ていくのを認めてないからね。」
「サラ!」
思わずティオは非難の声を上げたが、ベッドの上にあぐらをかき腕組みをして座ったサラは、ギロリとティオを睨んだ。
「そもそも、どうして私がティオの精神領域に行っちゃいけないのよ?」
「はあ?……そんな事、いちいち言わなくたってサラにも分かるだろう?」
「一昨日あんな目に遭ったんだぞ? もうサラは今後一切俺の精神領域に立ち入らない方がいい。……と言うか、元々自分の精神領域と他人の精神領域を行ったり来たりしたり、他人の精神領域に入り込むなんてのは、普通やらない事なんだよ。言っただろ『精神世界』における人間の精神領域は、個々別々に浮かんでいる状態で、接触する事はないんだって。それが正常な状態なんだよ。」
「そうかな?……確か、古代文明の人達って、全員魔法が使えて『精神世界』の事も感じとる事が出来たんだよね? だったら、古代文明の人達がこの世界にたくさん居た頃は、今の私とティオみたいに、『精神世界』でもいろんな人の精神領域を行ったり来たりしてたかもしれないじゃない? それで、仲のいい人と自分の精神領域の中でお喋りしたり遊んだりしてたかもしれないよね?」
「そ、れは……」
ティオは、分厚い眼鏡のレンズの奥で独特な深い緑色の瞳をさまよわせて、素早く思索を巡らせている様子だった。
「その可能性は、確かになくはない。世界大崩壊前の旧世界は、もっと『精神世界』寄りの性質を持っていたからな。その世界で生きていた人々もまた、今の俺のように、『物質世界』と『精神世界』の両方を常に同時に感じ取りながら生きていた事を考えると、『精神世界』における他者との交流もあったのかもしれない。」
「広大な海に点々と無数の泡が浮いているように、現代人の精神領域が他人の精神領域から隔絶した状態で個々別々にある今の『精神世界』の状態は、世界大崩壊以後、世界の性質が極端に『物質世界』寄りになったために新たに現れた現象だという仮説は筋が通っていると俺も思う。いや、おそらくそうなんだろう。……古代人達は、『精神世界』においても、各々の精神体で身近な人間の精神領域を行き来して交流をしていたに違いない。でも……」
「今はもう、『物質世界』が主流の新世界になったんだ。人間は、『物質世界』由来の肉体の力で日々の生活を全て問題なく行えて、『精神世界』を感じ取る事はなくなった。そして……俺もサラも、新世界に生きる新人類だ。古代人じゃない。この世界だって、旧世界じゃない、新世界だ。」
「『精神世界』でお互いの精神領域を行き来して交流するなんて事は、するべきじゃない。今の、新世界の性質に反する行為だし、危険を伴う行動だ。」
「実際、サラは、俺の精神領域に渡ってくる時に、精神が崩壊しかける危険な目に遭ってる。それに、俺の精神領域でも、一昨日俺に近づき過ぎたせいで、酷い目に遭っただろう?……だから、もう、これ以上は……」
「どうでもいい。」
「え?」
サラがポツリと漏らした言葉に、ティオはビクッと体を竦めた。
信じられないといった顔をしているティオを、サラは落ち着き払った様子で、相変わらず真っ直ぐにジッと見据えていた。
「ゴメン、ティオ。……古代人はお互いの精神領域を普通に行き来してたんじゃないのーとか言ったけど、本当は、そんなのどうでもいいんだよねー。私にとっては、世界の常識なんて、どうでもいい。常識的に考えてこうすべきとかああすべきとかは、私には全く関係ないの。」
「私は、自分の生きたいように生きる。ただ、それだけ。」
「行きたいと思った所に行くし、やりたいと思った事をやる。誰に止められても、それをやめる気はない。」
「私は、またティオの精神領域に行きたいって思ってるよ。赤い石の力を借りてでもそれが出来るなら、私は迷わずに行くよ。」
「だから……『物質世界』で私とティオの距離が離れたら、ティオの精神領域に行けなくなるって話なら、私は、ティオがこの部屋を出ていくのを認めない。絶対にね。」
「……サラ……」
ティオは、ため息の中にかすれた音が混じるような声で、思わずサラの名前をつぶやいていた。
いつになく険しい表情を浮かべるティオを、それでもサラは、強い意思と信念を秘めた瞳で、ジッと射抜くように見つめ続けていた。




