仲間の面影 #11
「まあ、長々と語ってしまったが、私が言いたい事はだな……」
ハンスは、ボロツやジラールをはじめとした隊長達が感心しきりで自分の話に耳を傾けていたのが余程嬉しかったらしく、うっすらと頰を赤くしながら、コホンと空咳をし仕切り直した。
(……ええ、本当に話が長かったです。……と言うか、この感じだと、ハンスさん、家では奥さんや義理の娘さんにあまり話を聞いてもらってないんじゃないのか? まあ、女性に限らず、この手の話は苦手な人が多いからな。正直、こんな感じで毎日長々とありがたいお説教を聞かされてたら、たまったもんじゃない。……)
と、内心思うティオだったが、一ミリも顔には出さずしおらしくしていた。
「ティオよ、一にも二にも、サラには謝った方がいい。」
「そして、いいか、謝る時には、真剣に謝る事だ。たとえ、論理的に考えて向こうの主張がおかしかったり間違っていたりしても、喧嘩をしてしまった事で、女性の心が『傷ついた』というのは絶対的な事実なのだ。男である君は、その『女性の心を傷つけた事実』に対して、まずは謝るべきなのだ。」
「こちらが、きちんと相手を尊重している、心の底から申し訳なかったと思っている、という姿勢を見せれば、女性もやがて冷静になって、こちらの言葉に耳を傾けてくれるようになるだろう。……まあ、個人差はあるが。……そうして、女性が落ち着いてきてから、喧嘩の原因となった問題について改めて議論するといい。和解する前にいくら議論したところでお互い感情的になっていて、落とし所など見つかりはしない。まずは両者落ち着いてじっくり話の出来る空気を作る事が大事なのだ。それから、女性はナイーブだからな。特に向こうが苛立っている時のこちらの発言や態度は、細心の注意を払った方がいいだろう。」
と言うハンスの、おそらく彼の経験による生々しいご意見を頂戴したティオの感想は、(ハンスさん、家では思いっきり奥さんの尻に敷かれてそうだなぁ)だった。
そんな、ジラールに続きハンスにまで説教をくらい、精神が疲弊して大人しくなったティオの様子を見て、ボロツが顔をのぞき込んできた。
「どうだ、ティオ? ちっとは素直にサラと話し合う気持ちになったかよ?」
「あ、は、はい! それはもう! 皆さんのありがたい忠告を心に刻み、これからは二度と同じ過ちを起こさぬよう、誠心誠意はげみたい所存です! 本当に、たくさん心配していただき、感謝感激です! 皆さんには、今後、決してご迷惑はおかけしません! もう、一人で大丈夫です! 安心して下さい!……ですから、そのー……そろそろ解放していただけると嬉しいなぁー、なんてー。」
もう年長者による演説はこりごりだったティオは、ここぞとばかりに改心をアピールしたのだったが……
ボロツは、盛り上がった眉骨の上の薄い眉をグニャリと歪めた。
「あ、ダメだこりゃ。コイツ全然反省してねぇ。」
「え? な、なんで? 俺、何も皆さんの気に触るような事言ってないですよねー?」
「チッ、仕方ねぇな。こっちも最終兵器を出すか。……おい、例の作戦を決行するぞ!」
「さ、最終兵器? 作戦?……なんですか、それ? ちょ、ちょっと待って下さいよー!」
ボロツの指示を受け、隊長の一人がコクリとうなずいて会議室を飛び出していった。
ティオは相変わらず他の隊長達にガッチリ拘束されたままジタバタもがいていたが、しばらくして、先程出ていった隊長が、誰か新たな人物を連れて戻ってきたのを見て、ヒュッと息を飲んだ。
「……ティ、ティオ君? なんか大変な事になっちゃってるみたいだね。」
「チェ、チェレンチーさん!?」
なんと、ボロツが取り巻きの隊長に命じて連れてこさせたのは、他ならぬチェレンチーだった。
会議の議事録をまとめ終えて自分の部屋のベッドで消灯時間までくつろいでいたと思われるチェレンチーは、何か隊長達がバタバタ騒いでいる事には気づいてはいたのだろうが、まさか自分がその騒動の渦中に引っ張り出されるとは思っていなかったらしく、当惑した表情を浮かべていた。
しかし、会議室にボロツ以下勢ぞろいした隊長達や、ハンスやジラールまで居る状況を見て、大体事情を察したようだった。
「よう、チャッピー。ゆっくりしてたとこ悪いな。ティオが、このバカがよ、いつまで経ってもサラとろくに話もしないで逃げ回ってやがるから、みんなで説教してたとこなんだわ。チャッピー、お前からも、このバカになんか一言言ってやってくれよな。よろしく頼むわ。」
「ああ、なるほど、それでみなさんお揃いだったんですね。」
「ちょ、ちょっと、卑怯じゃないですか! チェレンチーさんを呼んでくるのはズルイですよ、ボロツ副団長!……クソッ! 汚い手を使いやがって、この横暴ロリコン筋肉ダルマ!」
さすがのティオも、チェレンチーの登場に動揺し、うっかり言葉が荒れていた。
□
「ティオ君。少し僕の話を聞いてくれるかな?」
「……はい、チェレンチーさん。」
チェレンチーの小さな丸い目にジッと見つめられ、ティオは気まずくて思わず視線を逸らしながらもコクリとうなずいた。
ちなみに、チェレンチーが説得する段になった時、「ティオ君を放してあげて下さい」とチェレンチーがボロツに訴え、ティオも「絶対逃げません」と約束したので、ティオはようやく隊長達の拘束から解放されていた。
(……ううっ! チェレンチーさんはダメだ! ボロツ副団長やジラールさんやハンスさんも、一応俺の事を心配してくれてあれこれ言ってくれてるんだろうけど、チェレンチーさんの場合は、本当に100%善意だからなぁ。心の底から俺の事を心配して、純粋な気持ちで話をしようとしているのが分かる。俺みたいな、人生の大半を裏社会で生きてきた汚れた人間にとって、こういう良心の塊みたいな人は、苦手中の苦手なんだよ! もっとエゴとか欲が混じった人間なら、適当に口先であしらえるのに! チェレンチーさんに対して嘘をついたり素っ気ない態度をとるのは、罪悪感が凄い! ぐぅ!……)
ジラールやハンスが、ティオに語りかけつつも、自分の話を誰かに聞かせたいという欲求に突き動かされていたり、ティオの様子をあまりうかがう事なく演説のような調子で話を進めたのに対して……
チェレンチーは、どこか子犬を思わせる澄んだ瞳でジイッとティオの顔を見つめて話しかけてきた。
「僕には、ティオ君とサラ団長の間にある感情のもつれは、当事者じゃないから完全には理解出来ない。だから、第三者としての意見になってしまうんだけれど、それでも少しでもティオ君の役に立てたらと思って話をするよ。」
「僕は、逃げるのは悪い事じゃないと思う。本当にどうにもならなくなってしまった時は、逃げるしかないからね。危ないものから逃げて自分の身や心を守ったり、一旦引いて時間を置いて、自分の状態が整った所でまた問題と対峙するっていうのも一つの対処法だと思う。……なんて、実際僕自身、いろいろ辛い事から逃げ続けてきた人間だから、偉そうに言える立場じゃないんだけどね。」
「でも、それでも敢えて言うけれど、今回の事は、これ以上逃げてはダメだと思うんだ。」
チェレンチーは、自分の胸の前で両手の指を組み合わせ、まるで祈るような雰囲気で続けた。
「昼間に、お昼休みにね、サラ団長と少し話をしたんだけれどね……サラ団長、凄くティオ君の事を心配しているみたいだったよ。」
「……サ、サラと話をしたんですか、チェレンチーさん。」
「うん。昨晩の事を、話しても問題のない範囲で簡単に説明しておいたよ。まあ、サラ団長の信念としてはああいう資金の増やし方は好ましくないんだろうけれど、事情があって仕方なくした事だっていうのは納得してもらえたと思う。」
「サラ団長は、確かに幼い所や感情的になりがちな所がある。凄く頭のいいティオ君から見たら、世間知らずで頼りなく見えるかもしれない。でも、サラ団長は、ちゃんと人の話に耳を傾けてくれる人だよ。こちらが嘘偽りなく真摯に打ち明ければ、サラ団長もそれに応えて真剣に話を聞いてくれる。誠意には誠意で向き合う人だ。そして、他人の気持ちを理解しようと一生懸命考えてくれる人だよ。……まあ、サラ団長のそういう所は、ティオ君の方が良く知っていると思うけれどね。」
「だから、ティオ君がサラ団長とちゃんと向き合って話し合いさえすれば、きっとサラ団長はティオ君の言いたい事を分かってくれると思うんだ。君が、サラ団長にはどうせ理解出来ないと思って何もしない内に諦めているのなら、それは間違いだと思うよ。少なくとも、サラ団長が、ティオ君、君の事を理解したいと心から思っているのは確かだよ。」
「……それは、俺も分かっています。」
ティオは、そう答えた後、中途半端に言葉を飲み込んだ。
(……サラが、俺の事をいろいろ知ろうとしているのは、知っている。サラは、一生懸命俺を理解しようとしている。……)
(……なぜか? という理由は、「サラはそういう人間だから」と言う他ない。……)
(……サラにとって、それは特別な事じゃない。息を吸って吐くように、ごく当たり前の事なんだろう。……)
(……困っている人間が居たら、辛そうな思いをしている人間が居たら、積極的に歩み寄って助けようとする。なんとか力になろうとする。……そう、俺がサラと初めて会った時、ゴロツキに囲まれていた俺を見て、反射的に止めに入ったのと同じように。……)
(……要するに、今の俺は、サラから見て、よっぽど「ヤバイ」状態に見えるって事なんだろうな。……それで、サラは俺を心配して、俺の事をもっと良く知ろうとしている。今より深く理解しようとしている。……俺を、放って置けなくて。俺をなんとか助けようとして。……)
(……ったく、参るよなぁ。周りの人間に気づかれないように、必死に平気な振りをしてたってのに。……誰も巻き込まないように、ずっと一人で居たってのに。……何勝手にガンガン近づいてきてんだよ。困るんだよ、そういうのは、本当に。……)
(……なんで、サラには分かっちまうんだろうな。……そう、今の俺は、未だ相当「ヤバイ」状況にある。……)
(……だから、サラを俺にこれ以上近づけたくない。俺の事を知られたくない、理解させたくない。……)
(……なぜなら、『精神世』において「知る」事は、「理解する」事は、その存在に自分の存在が近づく事だからだ。……)
(……これ以上サラが俺に近づけば、サラの身にも危険が及ぶ。実際、一昨日の晩、サラは俺に近づき過ぎて、自我が崩壊しかけた。まあ、『あれ』に触れたのはほんの一瞬だったし、サラは精神的に強い人間だったから、被害は軽くて済んだんだが。これからも俺がサラのそばに居たら、またあんな事が起こらないとも限らない。いや、サラはもっと酷い目に遭うかもしれない。……)
(……だから、なんとかサラから距離を置こうって、そう思ってるのに。……)
(……なんだよ。なんなんだよ、もう。こんな時に、みんなで寄ってたかって俺に話しかけてきて。どうして放っといてくれないんだよ。こんな俺の心配なんて、しなくていいってのに。……)
ティオは、グッと唇を真一文字に引き結んで沈黙するのみで、内心の葛藤を極力表に出さないように努めていた。
心を落ち着けるために、ため息を吐くかのように、静かに深く息を吸って、そしてゆっくりと吐き出した。
そんなティオに向かって、チェレンチーは静かに語りかけ続けた。
「僕は、ティオ君がサラ団長と真剣に話す事を避けているのは、何か深い訳があるんだと思っているよ。……君は、変なプライドで意固地になったりするような人じゃないからね。僕には、ティオ君は、良くも悪くも自分の感情を抑えて生きているように見えるよ。……そんな君の事だから、理由がなければ、こんな事はしないと考えているよ。」
「君に、どうしても言いたくない事や言えない事があるのなら、それを無理にサラ団長に話してほしいとは思わない。秘密にしておきたい事や隠しておきたい事は、誰にもあるものだし、それを打ち明けるかどうかは、結局の所、ティオ君とサラ団長、当人同士の問題であって、僕達第三者が口出すものではないんだと思う。」
「でも、本当に僕の個人的な意見で申し訳ないけれど……このままサラ団長に対して何も行動を起こさずに宙ぶらりんのままでいるのは……ティオ君は精神的に成熟しているから平気かもしれないけれど、純粋なサラ団長は、とても辛いと思うんだ。訳も分からず君から避けられ続ける事で、きっと深く傷つく事になる。それを、サラ団長は『怒り』という形で君にぶつけてくるだろうけれど、本心では悲しんでいるんだよ。そんなサラ団長を見ているのは、正直、僕は辛いな。」
「だから、言えない事は言えないままでも、やっぱりサラ団長と話をして、『言えない理由がある』という事だけは、ちゃんと伝えておいた方がいいと思うんだ。決してサラ団長の事をないがしろにしている訳でもなく、傷つけようと思って意地悪をしている訳でもない事を、なるべく早く話しておいた方がいいよ。ティオ君が話せない問題の内容を知る事が出来なくても、『事情があって話せない』んだという事実が分かれば、サラ団長もきっと安心すると思うよ。」
「それにね……」
そう言って、チェレンチーはニコッと、まさにお手本のような善良な笑顔を浮かべて、ティオに言った。
「女の子には、優しくしないとね。」
「サラ団長は、心も体も剣の腕も、とても強い人だけれど、でも、女の子である事に変わりはないからね。普通に、女の子らしく、傷ついたり喜んだりする人だからね。」
ティオは、そんなチェレンチーの言葉に、思わず何か口にしようとして半分程唇を開いたが、すぐにまたきつく閉ざした。
そして、うな垂れるようにコクリとうなずいた。
「……分かりました。ちゃんとサラと話をします。……心配かけて本当にすみませんでした、チェレンチーさん。皆さん。……」
「そっか、良かった! 安心したよ、ティオ君!」
ようやく折れたティオを前にして、ホッと胸を撫で下しているチェレンチーをグイと押しのけて、ボロツが前に出ると、バンバンとティオの肩を叩きながらゲラゲラ笑った。
「ダーッハッハッハッ! お前、本当にチャッピーには弱ぇなぁ、ティオ! 俺様の作戦大成功じゃねぇか! オラ、さっさと俺様を褒めたたえろや、野郎ども!」
ボロツの要求に応えて、すぐに隊長達から「さすがはボロツさんです!」「カッコいいぜ! 傭兵団一の男ですぜ!」「よ! アンタが大将!」と口々に称賛の声や拍手があがり、腰に手を当てて仁王立ちしたボロツは、胸を反らしてますます得意げな顔になっていた。
(……こんの、クソ副団長! チェレンチーさんの作ったしんみりしたいい雰囲気が秒で吹っ飛んだじゃねぇかよ!……)
心優しいチェレンチーの真摯な言葉に胸を打たれていたティオも、思わず呆れて、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。




