仲間の面影 #1
「僕が、ティオ君に頼んだんです。ドミノで、兄を倒してほしいって。」
「確かに、ティオ君は、ドミノ賭博で傭兵団の資金を稼ぐつもりでした。でも、あそこまでの大金を奪うつもりはなかったんだと思います。ティオ君には、お金に対する執着がほとんどありません。それに、大金を必要以上に手に入れる事で、賭博場を経営している集団や繁華街を根城にしている裏社会に生きる者達に目をつけらたり揉めたりするのを、ティオ君は嫌がっていました。ティオ君は、自分でも言っているように、争い事が大嫌いなんです。だから、本当は、必要な分だけ資金を増やしたら、早々に退散するつもりだったんだと思います。だけど、僕が、兄やドゥアルテ家やドゥアルテ商会を潰してほしいと頼んだから、ティオ君は、非常識な程大勝して徹底的に兄から金を巻き上げたんです。」
「決して、楽しんでいた訳じゃないんです。ティオ君は、ギャンブル自体は『好きじゃない』って、何度も言っていました。実際、全然楽しそうじゃなかったです。今回のドミノ賭博は、傭兵団と、そして、僕のためにやってくれてた事で、ティオ君が自分の遊興として楽しんだものではないんです。」
ナザール王城の城壁内の一角にある傭兵団の宿舎。
古びた木造建造物の一室を丁寧に清掃して使っている会議室の窓からは、昼休みに沸く傭兵達の明るい声が風と共に入り込んできていた。
最近は低く雲の垂れ込めた曇りや雨がちな天気が続いていたが、この日の午後は春らしいうららかな陽気となり、窓から見える兵舎の屋根の上には、柔らかな水色の空がのぞいていた。
その空の色は、チェレンチーの目の前に居る少女の瞳の色に良く似ていた。
本人は十七歳だと主張しているが、見た目にはどう見ても十三、四歳にしか見えない彼女は、平均的な成人男性の体格よりやや痩せ気味なチェレンチーと比べて、一回りも小柄で華奢だった。
新雪を思わせる無垢な白い肌に、腰に届く程の長さもある光の河のような金色の髪を持つ、まだ子供のようなあどけなさが残る愛くるしい美少女だった。
もっとも、その貴族の子女もかくやというべき端正な外見に似つかわしくなく、動きやすい簡素な衣服を身につけて、自慢の髪は首の後ろで三つ編みに結び、そして、こんな粗末な建物の一室でテーブルに着いていた。
更には、そのいつも身につけているオレンジ色のコートの下には、腰の部分にベルトに通して、無骨な長剣と片刃の曲剣が提げられていた。
チェレンチーがお茶をそそいだ木の器を両手で持ってゆっくりと口に運び、くつろいでいる様子だったが、その大粒の澄んだ水色の瞳は、ずっと真っ直ぐにチェレンチーにそそがれ、真剣に彼の話に耳を傾けていた。
「お願いします、サラ団長。ティオ君の事を、どうか許して下さい。」
「うーん」と、サラは、即断即決な彼女には珍しく曖昧な返事を返して、何か考え込むような表情で唇を尖らせた。
□
現在、サラはティオと喧嘩中である。
サラは傭兵団の団長であり、ティオは、副団長のボロツと並んでサラの片腕であるべき作戦参謀である。
そうでなくても、何かと目立つ二人が酷く揉めている状況は、あっという間に傭兵団全体に知れ渡り、午前中昨夜の深酒が原因で体調を崩し一人ベッドで横になっていたチェレンチーでさえ、起きてきてすぐにその事実を知った程だった。
二人の喧嘩の主な原因は、今回のドミノ賭博の一件である。
他にも何かこまごまとサラはティオに思う所があるようだったが、それはチェレンチーには察し得なかった。
サラもティオも異口同音に「たまたま同じ日に傭兵団の試験を受けに来ただけ。」と言ってはいたが、元々不思議な程気安く接しており、更に現在は、上官用の広めの一人部屋であるサラの部屋で、ティオが共に寝起きしているという状況だった。
二人の間には、他の人間に対するものとは違う、独特の親密な雰囲気があった。
そのため、サラに惚れているボロツは何かとティオを睨んでいたが、チェレンチーの目には、サラとティオの二人は、ボロツや他の団員達が勘ぐっているような恋人の関係にはないように見えた。
そもそもティオは、一貫してあまり女性そのものに関心がなさそうな態度だった。
ティオにおいては、魅惑的な妙齢な女性より、骨董屋の隅で埃を被っているボロボロの古書への興味の方がよほどまさっているように思える。
そんなふうに、世間一般的な恋愛関係ではないものの、確かにサラとティオは妙に仲が良かった。
故に、何か二人にしか分かり得ない感情的な問題もあるのだろうとチェレンチーは推察し、そちらの方は自分がたやすく踏み入る部分ではないと判断していた。
ただ、二人の不仲の明らかに大きな原因となっているドミノ賭博の一件に関しては、自分も関わっている事なので、何とか弁解して二人の仲を改善する方向に働きかけたかった。
と言うより、チェレンチーとしては、賭博の件でティオがサラの怒りを買ってしまっているのが、心配であり申し訳なくもあり、ティオのために何かしたかったのだった。
そこでチェレンチーは、昼食後の昼休みにサラに話しかけ、会議室で二人きり話をする事にした。
サラも、ティオとの喧嘩が長引くのを良く思っていない所があったらしく、すんなりとチェレンチーの頼みを受け入れ、会議室についてきて、話を聞いてくれた。
チェレンチーは、まず、サラに黙って、ティオとボロツと三人で昨夜繁華街の賭博場に行った事を謝った。
もう既に何度も謝っていたが、サラが機嫌を直すまでは、ひたすら低姿勢で謝る必要性を感じていた。
「ティオ君がサラ団長に事前に何も告げなかったのは、止められると思ったからだと思います。」
「えー、だってー、普通止めるよねー? 傭兵団のお金を、ギャンブルにつぎ込んだんでしょう?」
「それは……そう、なんですけど……他に資金を短期間で大幅に増やす方法がなかったんです。」
「ギャンブルって、良く知らないけど、勝ったり負けたりするものだよねー? だったら、逆に傭兵団のお金が減っちゃう事だってあるかもしれなかったんだよねー?」
「はい。その可能性は、確かにありました。でも、ティオ君には、これまでもギャンブルで勝ってきた経験があって、今回のドミノでも勝てる確信があったんです。」
「ア、イ、ツー! 今までロクな事してきてないだろうなぁとは思ってたけどー、やっぱりー!」
「ま、まあまあ、旅を続けるための路銀を稼ぐために、仕方なく手を出していただけで、ギャンブルで一発当ててお金持ちになろうとか、そういう気持ちは全然なかったんですよ。ギャンブルは特に面白くないし、好きじゃないと言ってましたし。」
「チャッピーはなんで止めないのよー! ボロツはともかく、チャッピーはもっと真面目な人間だと思ってたのにー!」
「は、はい、僕もギャンブルは嫌いです。と言うか、一瞬で大金を失う可能性があるような事をするのは、怖いと感じてしまって、とても楽しむ気分にはなれないんです。たまたま運良く勝てて大金が転がり込んできたとしても、それは自分がコツコツ頑張ってきた結果ではないので、嬉しいとは感じられないと思うんです。……でも、今回は……」
「僕は、ティオ君を信じました。必ず勝って、傭兵団の資金を増やすという彼の言葉を。」
「それに、今回ドミノ賭博につぎ込んだ傭兵団の資金は、元々は無かったものです。ティオ君が、この傭兵団の作戦参謀となって、王国兵団の予算を管理している官吏に一生懸命交渉してくれたおかげで支給されたものでした。ティオ君の努力と交渉能力がなければ、一銭も貰う事は出来なかったでしょう。」
「だから、傭兵団のものではありますが、支給された資金をどう運用するかは、ティオ君にその権利があると僕は思ったんです。それに、ティオ君は作戦参謀として、元々傭兵団の資金の使用方法を決定する権限を持っています。」
「サラ団長も知っていると思いますが、ティオ君は有言実行の人です。そして恐ろしく頭がいい。ティオ君の考えている事は、僕には及びもつかない所があります。だから、僕には、ドミノ賭博がどんなふうに展開するか全く分からなかったですけれど、でも、結果的にティオ君は、予定通り、たった一晩で資金を何十倍にも増やしました。はじめから、ティオ君にはその結果が見えていたんだと思います。ティオ君は論理的に物事を考える人です。一か八かの不確定な勝負に、大事な傭兵団の資金をつぎ込んだりは決してしません。」
「常識的に見れば、ギャンブルに傭兵団の資金をつぎ込むという、ティオ君のやった事はメチャクチャです。でも、ティオ君には、必ずお金を増やせるという確信があってした事だったんです。ティオ君としては、最も短期間で確実に資金を増やせる方法をとっただけだったんです。」
「でも、そんなティオ君の考え方は、僕の理解を超えています。サラ団長も、きっとそうだと思います。だから、事前にサラ団長に『ドミノ賭博に傭兵団の資金をつぎ込んで増やす』という話をすれば、止められると予想して、言えずにいたんだと思います。」
サラは、チェレンチーの丁寧かつ熱のこもった説明を聞いて、少し納得したのか、それ以上チェレンチーを責めてはこなかった。
ただ、まだ不満そうにぷうっと頰を膨らませてつぶやいた。
「チャッピーってば、ほんとティオの事、すっごい信頼してるよねー。」 2/16 3790文字
□
チェレンチーは、ティオのイメージを回復するために、サラの前で必死に弁舌を振るった。
(……サラ団長が、昨晩のドミノ賭博の一件で気に入らないと感じている点は、大きく二つ。……)
(……まず一つ目は……正義感の強いサラ団長には、「ギャンブルで傭兵団の資金を増やす」という、およそ正攻法ではない法律スレスレのやり方が気に食わなかったという事。……)
(……で、でも、ドミノ賭博は、裏社会の人間が仕切っているとは言え、この国では一応公に認められている合法な遊興だから! そこはしっかりと強調しておこう!……)
チェレンチーは、まず、ティオがサラに「犯罪行為は絶対ダメ!」と言われていた事を守って、ギリギリ合法な手段であるドミノ賭博で傭兵団の資金を増やそうとしたのだと語った。
傭兵団を強化するティオの構想では、どうしても資金が必要であり、しかも残り数日でその資金を調達しなければならなかった。
そのためには、ギャンブルに手を出す他なく、それはティオにとっても苦渋の選択だったのだと主張した。
そして、ティオがドミノ賭博で金を巻き上げるターゲットとしていた人物が、実は自分の腹違いの兄であった事も、チェレンチーはサラに打ち明けた。
自分が、ほんのひと月半程前までは、この国を代表するような大商人の家で働いていた人間であった事、そして、ドゥアルテ家との因縁を。
母と二人貧民街で食うや食わずの生活をしていた子供時代に、大商人の父によってドゥアルテ家に引き取られ、それから商人としての教育を受けてきたという経緯や、その後の母の死。
父の正妻と腹違いの兄に嫌われており、父の死後、「兄を支えてドゥアウルテ家を守っていく」という父の遺言を果たせないままに屋敷から追い出されて、この傭兵団に入った事などを。
ただし、チェレンチーは、病に弱っていた父に毒を盛ってとどめを刺したのは夫人と兄だったという事実と、父の葬儀の後、兄に脅されて自分で自分の首にナイフを当て自殺を図った一件は、サラには語らずにおいた。
自称十七歳とは言え、どうにもまだ幼い所が見られるサラが知るには、あまり良くない話だと判断したためだった。
また、自分がティオと接する内に、元々商品に見えていた光や影のようなものが、もっとはっきりと見えるようになった、という部分も、今回の話の本筋ではないので省いた。
実際は、現在、その「目利き」の能力は更に進化し、人間をも対象に出来るようになっていた。
しかも、時折、「将来の価値」の意味を拡大解釈したかのように、その人物について予測される未来を映像で見る事もあった。
しかし、ティオが、ドミノ賭博において腹違いの兄と顔を合わせる事になるチェレンチーに、あまり多くの情報をいっぺんに与えるのは混乱するだろうと考えて、そのチェレンチーの「目利き」の能力が、いわゆる「異能力」と呼ばれる知る人ぞ知るものである事をまだ説明していなかった。
そのため、チェレンチーは、未だ、自分の能力が異能力である自覚が全くなかったのだった。
「ティオ君は、僕の事があったから兄をターゲットに選んだのではないと言っていました。兄は、もうすっかりドミノ賭博に溺れていて、格好の獲物だったんです。」
「だけど、僕は、今回のドミノ賭博の一件で、再び兄に会う機会を得て、そして、ようやく自分の気持ちに決着をつける事が出来ました。それに、さっきも言いましたが、僕から頼んで、ティオ君に兄をドミノで徹底的に叩いてもらったんです。ドゥアルテ家との関係を完全に清算したかったから。」
「ティオ君がドミノ賭博で傭兵団の資金を増やす計画を立てたのは、僕のためではなかった。そして、ギャンブルは、決して褒められた行為じゃない。正義感の強いサラ団長が嫌がるのは分かっています。……でも……」
「僕は、ティオ君がドミノ賭博で僕の兄と勝負をしてくれたおかげで、救われたんです。ティオ君には、本当に感謝しています。」
チェレンチーは、自分の過去やドゥアルテ家における境遇を語る事で、サラの情に訴えた。
ティオが昨晩ドミノ賭博で成した事は、傭兵団の資金を増やしただけでなく、ずっとドゥアルテ家の呪縛に囚われていた自分の心をも救ってくれたのだと。
ティオが、今回の一件を計画しなかったなら、自分の運命は未だ暗い霧に閉ざされたままであっただろうと。
ティオの行動が、結果として、傭兵団にも自分自身にもとても良い影響をもたらしてくれた事を、チェレンチーは熱心に語った。
「……そっかー。」
サラは、フウッと大きく息を切るように吐くと、クルッとチェレンチーの方に向き直り、そのつぶらな水色の瞳でジイッと見つめてきた。
「それで、チャッピーは、今はもう、本当に大丈夫なの? お母さんの事とか、お父さんの事とか、えっと、お兄さんと、義理のお母さん? お店の人達とかも?」
「はい。もう、すっかり心の整理がつきました。これからは、ドゥアルテ家とは全く関係のない人間として、新しい人生を歩んでいこうと思っています。」
一皮剥けたように、姿勢をピシリと正ししっかりとした口調と表情でそう語るチェレンチーに……
サラは、ニコッと、無邪気な愛くるしい笑顔を見せて言った。
「良かったね、チャッピー!」
「なーんだ。ティオのヤツも、たまにはいい事するじゃん!」




