内戦と傭兵 #17
「はい、ちょーっと、染みますよー。」
ティオは、座り込んでいるボロツのそばに立膝をついてかがむと、自分の色あせた長いマントの下から、なめし皮の水筒を取り出した。
サラは、ティオが、あの長身をすっぽりと覆い隠すようなマントの下に何を持っているのかちょっと気になって、チラチラ見ていたが……
どうやらティオは、マントの下に黒色の、こちらも丈の長い上着を着ており、その腰の部分に、皮のベルトで様々なものをくくりつけているようだった。
その一つに、なめした皮で作られた小ぶりの水筒があった。
その口をポンと外し、ボロツの傷を負った指先に流し掛けて清める。
続いて、加工した二枚貝に収めた軟膏を取り出して、患部に塗布する準備を始める。
こちらも、ベルトにゾロゾロと下がっているポーツの中から迷わず取り出していた。
ティオはこういった作業に余程慣れているのか、その動作は流れるようにスムーズだった。
「……そ、そんなもの、塗らなくてもいいだろう?」
薬や治療に慣れていないのか、ボロツが少し頰を強張らせるのを見て、ティオはニコニコと、相変わらず緊張感のない笑顔で説明した。
「大丈夫ですよー。これは、俺が油に薬草を混ぜて作った薬なので、変なものじゃないですからー。炎症を抑えて、傷の治りを早くするんですー。」
「そ、そんなものつけなくても勝手に治る! もう、治療は要らない!」
「ダメですってー!」
丁寧に処置を進めているティオから、ボロツはあずけていた手を引っ込めようとしたが、それを先んじて、ティオがグイッと手首を掴んで引き戻した。
「これは『団長命令』なんですから、大人しく従わないといけませんよ。俺も、あなたもね。」
「だ、団長命令?」
「そうです。」
ティオは、顔を上げて、少し離れた場所で腕組みをして立っているサラを見た。
それにつられて、ボロツもサラに視線を動かす。
サラは、二人から見つめられて、少し驚いた様子で、その水色の瞳を縁取る長い金のまつげを、パチパチと瞬いていた。
「ボロツさん。あなたは、さっきの決闘でサラに負けましたよね。……あれは、どちらが強いかを決める勝負だった筈。そして、サラが勝った。つまり、サラはあなたより強い事が証明された訳です。」
「傭兵団の団長は、団員の中で最も強い人間がなる決まりなんでしょう?……だったら……」
「今、この傭兵団の団長はサラだ。」
ティオはニコッと笑うと、ボロツの指先に軟膏を丁寧に塗りこんでいった。
「そのサラが、あなたのケガの手当てをしろと言った。だから、傭兵団の団員として、あなたは治療を受けなければならないし、俺はあなたを治療しなければならない。……何しろ、団長命令ですからね。逆らったらダメですよ。」
ティオは、軟膏を塗り終えると二枚貝の容器を元のポーチにしまい、また別のポーチから清潔な包帯を取り出しては、手際良くボロツの二本の指にクルクルと巻いていった。
「それに、あなたは、傭兵団の一員で仲間なんですから。早くケガは治してもらわないと困ります。ただでさえ人数が全然足りていないのに、あなたのような強い戦士に戦線を離脱されたら、傭兵団の戦力が大幅に下がるじゃないですか。これからくる反乱軍との戦で傭兵団が大敗したら、どうするんですか?」
「と、いった訳で、早く良くなって下さいね。ここに居る同じ傭兵団の仲間のためにも。……さて、終わりましたよ。お疲れ様です。」
ティオは、キュッと包帯を縛るとパンパンと地面に引きずったマントの裾を叩きながら立ち上がった。
「ケガをした部位は、しばらく、あまり触ったり力を加えたりしないようにして下さい。たぶん、明日には痛みが消えて、三日程で良くなりますよ。」
「それにしても……」
ティオは、うーんと伸びをした後、呆れたような表情でボロツに言った。
「だから俺が最初に言ったじゃないですかー。真剣で決闘なんてしたら、ケガをするってー。あんなに一生懸命止めたのになー。」
「なっ! ティオ、アンタ!」
それを少し離れた所で聞いていたサラが、ハッと気がついた様子で、ズカズカ寄ってくると、ガッとティオの胸ぐらを掴んだ。
「ちょっ、サラちゃん、何するんだよ? く、苦しい苦しい!」
「アンタ、私の心配してたんじゃなかったのー? 私がケガするんじゃないかって心配して、それで止めに入ったのかと思ってたのにー!」
「いやいや、あの状況で戦ったら、勝つのはサラだって決まってるだろー?……そりゃまあ、心配はしてだぜ。サラが調子に乗って、ボロツさんをズバズバ切り刻んだりしないかってさー。」
「わ、私が、人を切り刻んだりする訳ないでしょー!」
「でも、結局ケガさせたじゃんかよ。」
「うぐっ!……あ、あれは仕方なかったのー! 出来るだけちっちゃいケガにしたんだからねー!」
「あー、ハイハイ。サラが努力してたのは感じたよ。頭空っぽの戦闘狂のサラにしては、良く頑張ったと思うぜ。ウンウン、偉い偉い。」
「う、うるっさい! もう、バカ! ティオのバカ! バカー!!」
「……ぐ、ぐえぇ……」
怪力のサラに両手で胸ぐらを掴まれグイグイ締められて、ティオは真っ青な顔になっていた。
そんな二人の様子を、ボロツも、傭兵達も、ハンスと若い兵士も、あっけにとられて見つめていた。
□
サラは、ティオによるボロツの手当てが済むと、ふと気がついて、自分が叩き飛ばしたボロツの剣を拾いにいった。
サラがタッタカと小走りに近づくと、剣の周りに居た傭兵達が、サッと逃げるように遠ざかる。
誰もボロツの愛剣「牛おろし」を拾い上げようとしていなかった。
(……何よー。誰か拾ってあげればいいのにー。……)
サラは、そんな状況を見て、みんな冷たいなぁと思っていたが……
実際は、ボロツの巨大な大剣を持ち上げられる者が居なかっただけである。
「よいっしょ。」
「……あ、おい!」
サラが地面に倒れていた大剣の柄に手を掛けようとしているのに気づいて、慌ててボロツが止めようと声を上げたが……
「ん? 何ー?」
「……い、いや、なんでもない。」
次の瞬間には、サラはまるで落ちていたハンカチでも拾うかのように軽々と、ボロツの大剣をひょいと持ち上げ、ガッシとその細い肩に担いでいた。
145cmに満たないサラの身長のせいで、大剣の先は地面にぶち当たってガリガリと土を削っていたが、サラは全く気にしていなかった。
「ゲエッ! あの女、ボロツさんの『牛おろし』をあんなに簡単に持ち上げやがった!」
「ヒイッ! どんなバカ力だ!」
「そう言えば、さっきの戦いでも団長の剣を受け止めてたが、あれは……団長が手を抜いてた訳じゃなかったのか!?」
傭兵の中には、サラがおもちゃの木の剣でも持つようにボロツの剣を手にする様を見て、初めて彼女の異常な怪力に気づき青ざめる者も多かった。
「あ!……ねえ、アンタ、えっと、ボロツだっけ? この剣、ちょっとだけ借りていい?」
「は? か、借りる?」
「軽く振ってみるだけだからさー。ねえ、いいでしょー? 私も一度、こういうおっきな剣を持ってみたかったんだよねー!」
そうして、サラは、ボロツがまだ「うん」という前に、ブウンと風を切る重い音を立てて、肩に担いでいた剣を両手で前に構えた。
「うわあぁ! カッコいいー! なんか、こういうおっきな剣を持つと、すごーく強くなった感じがするー!」
その瞬間、サラの中で何かのスイッチが入っていた。
□
「えい! やあ! とうー!」
サラが大剣を振ると、ブウン、ブン、ブオン、と巨大な剣身は空気を切り裂きながら、驚く程軽やかに宙を舞った。
が、同時に、やはりサラの身長の問題で、そのたびに、ガズッ、ドガッ、ガガッと、地を擦る羽目になり……
サラの周囲の地面はみるみる削れていった。
バッ、バッと辺りに散らばる土と、ブンブンと高速で好き勝手に振り回される巨大な剣に怯えて、傭兵達が「ヒェッ!」と言いながら慌てて逃げる。
「アハハハハ! アハハハハ! 何これ、すっごい楽しいー!……あっ!」
テンションが上がり、グルグル剣を振り回して喜んでいたサラだったが、あまりに勢いをつけて振ったせいで、スポーンと剣がすっぽ抜けてしまった。
「ギャー!」「ヒィー!」傭兵達が真っ青になって悲鳴をあげつつ走り逃げていた。
サラの手を離れた大剣は、ブオンブオンブオンと宙で回転した後、ドガアッ! と木造の兵舎の壁に突き刺さって止まった。
もちろん、剣がぶつかった兵舎の壁は破壊され、ポッカリと大きな穴が開く事になった。
「エ、エヘヘヘー。ちょっと失敗しちゃったぁー。今のなしねー。」
サラは、ペロッと舌を出して苦笑してみせた。
それから、慌ててパタパタと走って剣を取りに行き、ピョンと跳ねて、壁に突き刺さっていた大剣の柄に飛びついた。
「よっと。」と言いながら剣を抜く時、また壁がガガガガッと大きく裂けたが、大雑把な性格のサラは、やはり全く気にしていなかった。
「えい! やあ! とうー!……アハハハハハ!」
そして、また元の位置に戻ってくると、何事もなかったように剣を振り回し始めるサラだった。
その頃には、小柄で華奢な愛くるしい美少女であるサラの事を、その場に居る傭兵達は皆、恐ろしい化け物を見るかのような怯えきった目で見つめていた。
□
「……あー、ゴホンゴホン! サラちゃーん。」
笑い声をあげながら巨大な剣をブンブン振り回すサラ、みるみる削れて土埃が舞う周囲の地面、怯える傭兵達……
そんな状況を見かねて、ティオが空咳をしては、サラに話しかけた。
「えー? 何ー、ティオー?」
「もう、その辺でやめようぜ。人様の大事な剣をあんまり長い間借りてちゃ悪いだろ? それに、そのまま続けると、ただでさえボロい訓練場の地面が、穴だらけになっちまうってー。」
「穴ー?……わっ! 本当だ! 全然気がつかなかったー!」
サラは、ティオに言われてはじめて、大剣を振り回すたび自分の周りの地面が削れていた事に気づいたようだった。
「なんか手応えが変だなぁとは感じてたんだけどー、剣がおっきいからかだと思ってたー。……うーん、剣がおっきいと細かい事に気づきにくくなるなぁ。」
「細かい事かなぁ。……まあ、とにかく、サラちゃんはさ、そんなおっきな剣を使わなくても充分、いや、『世界一』強いからー。さぁ、その剣は、早くボロツさんに返そうね。」
「あ、うん。そうだね。……やっぱり、可愛い私には、こういう剣は大き過ぎて似合わないよねー。」
ティオが上手い事褒めたので、サラはニコニコ上機嫌で、素直にうなずいた。
自分の身長の1.5倍もありそうな巨大な剣を、サラは片手で軽々とかざし持って、トタタタッとボロツの所に持って行き……
ザクッと、ボロツがあぐらをかいて座っている真ん前の地面に突き立てた。
サラに特に悪気はなく、持ってきた剣を転がしておくのも悪い思っただけだったが、見ていた周りの傭兵達からは、ヒイッといくつもの悲鳴が上がっていた。
「これ、使わせてくれてありがとう! 返すね!」
「……お、おう。」
「えーと、その……ケガ、大丈夫? 痛くない?」
サラは、先程ティオに手当てをしてもらっていたボロツの白い包帯が巻かれた指を、心配そうにジッと見つめた。
腰の後ろで手を組んで、上半身を少し傾けながら覗き込むと、サラの長い金色の三つ編みが、その細い肩からユラリと垂れた。
顔を上げたボロツとパチリと目が合った時、、サラは、しゅんと申し訳なさそうな表情になった。
「……あの、ゴメンね。本当は、ケガとかさせたくなかったんだけどー、あのままじゃ決着つかなそうだったからー。」
「……」
「えっと……早くケガを治して、元気になってね!」
「……お前、いや、アンタ……」
「うん?」
サラを食い入るようにジーッと、蛇を思わせる小さな三白眼で見つめていたボロツが、ゆらりと巨体を揺らして立ち上がった。
「サラって、言ったよな?」
「うん。私の名前はサラだよー。」
「そうか、サラか。……いい名前だぜ。……ところで、サラ。一つ頼みがあるんだが、聞いてもらえるか?」
「頼み? 何ー?」
「サラ、俺と……」
ボロツは、勢い良くズザーッと地面に膝をつき、その筋骨隆々たる大きな体を小さく丸めて、サラに頭を下げていた。
「俺と結婚してくれー!!」
ボロツの魂の雄叫びが、春空の青く輝く訓練場に響き渡った。




