過去との決別 #152
「……さすがに俺も、自分が疫病神かなんかじゃないかって思いましたね。師匠が言ったように、俺は本当に周りに災いを撒き散らしているのかもしれないって。……」
ティオは、ややうつむき、片手で半顔を覆い、珍しく暗い表情と重い口調で語った。
「……俺の周りの人間は、次々不幸になっていく。俺の周りで、たくさんの人が死んでいった。もう、見たくない。……俺も、村が滅んだあの時に、一緒に死んでしまえば良かったのに。どうして、いつも俺一人だけ生き残るんだろう? こんな俺が、どうして?……」
「……俺は、何も出来なかった……俺は、無力だ……」
あまりに辛そうな様子に、「ティオ君!」と、チェレンチーは、思わずティオの肩に手を置き、ティオはハッと我に返って顔を上げた。
まだぎこちなかったものの、ティオはそれでも、チェレンチーを心配させぬよう笑顔を返した。
「やんなっちゃいますよね。師匠の言った事があんなに見事に当たるなんて。……俺が、森の中の小村で暮らしていたのは、ほんの半年程だったんですよ。それなのに、あんな事が起こって。」
「師匠が別れ際に俺に言った言葉が、今でも忘れられません。……『お前は普通の人間じゃないんだから、普通に生きようとしても絶対に上手くいかないぞ』って。でも、だからって、師匠が言うように『お前は混沌の中で生きろ。それがお前の宿命だ。』なんて、とても思えませんよ。争いも戦いも、俺はまっぴらごめんだって言うのに。」
「『どうしても、普通の人間のように静かに平和に生きたいのなら、覚悟しておけ』とも、言われましたね。『運命が、いつかお前をさらいに来る。運命からは、誰も逃げられない。』って。なんだよ、運命って。俺はそんなの信じないし、これっぽっちも望んでない。」
「……でも、結局、師匠の言った通りになっちまった。……」
おそらく、ティオに剣技を教えた盗賊団のリーダーは、それまでの仲間も実績も全て捨て去るように足を洗って去っていこうとしているティオを恨んで呪いの言葉を吐いたのではない、とチェレンチーは推察した。
ティオと盗賊団のリーダーは師弟関係にあり、同時に強い信頼関係も築かれていた筈だ。
これは、チェレンチーの推測だが、かつては名の知れた戦士だったという盗賊団のリーダーは、自分が今まで鍛え上げた武術の全てをティオに叩き込もうとする程に、ティオの才能に入れ込んでいたのではないだろうか。
そう、彼もまた、ティオという、燦然と輝く突出した才気に魅入られた人間の一人だった。
そして、自覚のないティオ以上に、ティオの本質を見抜いていた。
故に、彼の去り際、決闘で敗れた悔しさももちろんあったのだろうが、弟子のこの先の人生を案じて、警告したのだろう。
天才であるティオが、自分の非凡さを自覚しないままで、普通の人間として平々凡々と生きていく事の難しさを教えたかったのだと思われる。
しかし、不幸にも、弟子を思った彼の厳しい言葉は、最悪な皮肉となってティオに突き刺さる結果となってしまった。
「ティ、ティオ君は何も悪くないよ!」
「た、例えば、昔本で読んだ事があるんだけどね。たくさんの人が乗っていた船が、嵐に遭って難破するんだ。その時、たった一人の若者が生き残る。生き残ったけれど、その若者は、自分以外の人間が波に飲まれて次々死んでいく悲惨な光景を目の当たりにしてしまうんだ。そして、思うんだ。『どうして自分はあの人達を助けられなかったんだろう?』ってね。彼は、罪の意識にとても苦し事になるんだよ。でも、たった一人生き残ったその若者は、何も悪い事なんかしてないよね? 嵐に遭ったのは、たまたま運が悪かったからで、その若者にも、誰にも、どうにも出来ないものだった。人間の力で変えられる範疇を超えた、巨大な天災だった。」
「だから……だから、たくさんの人が亡くなったのは、たった一人生き残った若者のせいじゃないんだ。何も、他の人達が亡くなったのを自分の罪のように思って苦しむ必要はないんだよ。自分が生き残った幸運を喜んで、これからの人生を堂々と生きていけばいいんだよ。」
「ティオ君も同じだよ。君が村の人達を助けられなかったのは、何も悪くない。地震や洪水、火山の噴火、干ばつや飢饉……人間一人にはどうにも出来ない大きな不幸って、絶対あるものだろう? それを前にして何も出来なかったからって、誰も君を責めたりしない。だから、ティオ君も、自分を責めちゃダメだよ!」
「そ、そんな事より、自分を大事にしてほしいよ! 他の人達は残念ながら亡くなってしまったけれど、ティオ君は生き残れたんだ。だったら、その命を大切にしなきゃ! 過去を振り返って自分を責めたりせず、未来を見つめて、希望を信じて、強く明るく生きていってほしいよ! ティオ君、きみは、胸を張って生きていっていいんだよ!」
小さな丸い目に涙を滲ませてジッとティオを見つめ、切々と訴えてくるチェレンチーの様子に、エルファナの凍土のように固く凍てついていたティオの心も、わずかに溶けたように感じられた。
大量の微細な傷で白濁して見える眼鏡の分厚いレンズの向こうで、美しい緑色の瞳がひととき揺らめいたのをチェレンチーは見た。
けれど、またすぐに、ティオの心はスウッと波を抑え込み、目に見えない大きな扉が音もなく目の前で閉まっていくような感覚を覚えた。
ティオは、ボサボサの黒髪をガシガシと掻きながら、おどけたような自虐的な笑みを浮かべた。
「ですよね。せっかく拾った命なんだから、大切にしなきゃですよねー、アハハ。すみません。普段は忘れてるんですけど、時々思い出すと気分が沈んで自暴自棄になっちゃうんですー。いやぁ、チェレンチーさんに、恥ずかしい所を見せちゃったなぁ。」
「じ、自覚があるなら良かったよ。辛いなら思い出さないようにする事も一つの手だと思うよ。別に逃げる訳じゃない。心を守るためだから、忘れる事も大事だよ。」
「……忘れる……のは、難しいと思いますけど、まあ、気をつけます。……ありがとうございます、チェレンチーさん。心配かけてすみません。」
「い、いや、いいよいいよ。気にしないで。」
チェレンチーは知らない事だったが、ティオはサラの前でも一度弱さを見せた事があった。
王宮の宝物庫に盗みに入った事がサラにバレて問い詰められた際、「じゃあ、俺を兵士に突き出してくれ。」とティオはあっさり言った。
国宝を盗み出した泥棒として王国兵に捕まったのなら、死罪は免れないと知っていて、「覚悟はしていた。死んでもいい。」そう言った。
それは、まぎれもないティオの本心だった。
しかし一方で、「お願い、見逃して!」とサラに必死に命乞いもしていた。
それもまた、嘘偽りないティオの本心だった。
壮絶な惨劇の中で奇跡的に拾い、ここまで繋いできた己の命を、大切にしなければ、生き続けなければ、という呪いのような使命感がティオの中にはあった。
しかし一方で、(自分はいつ死んでも構わない)という気持ちが、ティオの中に巣食っているのも事実だった。
サラは、論理的にティオの心理を分析するようなタイプの人間ではなかったが……
一方で、人の本心の見抜く勘のようなものが非常に鋭く、ティオが嘘を言っていない事に気づいた。
誰にも何ものにも囚われず、気まぐれに吹きゆく風のように飄々として見えるティオの内に潜む危うさを知り、正義感の強いサラは、強く反応した。
欲や執着が極めて薄いティオの心は、自分自身や自分の命さえ、どこか粗雑に扱っている節がある。
ティオは確かに、様々な修羅場をくぐり抜けてきたせいで、肝が座っており達観もしていたが……
どんな状況でも人ごとのような顔で平然としているティオの、その心理の根幹にあるものは、(いつ死んでもいい)という、薄い自殺願望のような自暴自棄であった。
サラは、そんな、一見誰よりもしたたかでたくましく見えるティオの奥底に秘められたもろさを知り、酷くティオを心配していた。
元々正義感や責任感の強いサラが、そんなティオを見捨てられる筈もなく、渋々ティオの要求を飲んで、王宮の宝物庫に盗みに入った一件を見逃し、自分のそばに置いて監視する事を決めたのだった。
(……きて……生きて……)
しかし、そんなサラも、ティオを案じるチェレンチーも、知らなかった。
ティオの耳の奥で時折、いや、常に、永久凍土を渡る細かな雪の結晶混じりの寒風のように、か細く震える声が聞こえている事を。
(……に……げて……逃げて……)
(……生きて……あなたは、生きて……)
(……お願い……ティオ……)
ティオは、ジョッキを持って一口口に含みゆっくりと飲み下した後、フウと静かに息をついた。
その息は、無色透明だったが、ティオの目には凍てついた白い霧に見えていた。
□
(……ティオ君がずっと一人で旅を続けてきたのって、その事件が原因なのかな?……)
チェレンチーの知る限り、ティオはこのナザール王国王都にやって来てサラと共に傭兵団に入るまで、一人であちこち旅を続けていたようだった。
人と深く関わりを持たず、ひと所に長く留まる事をせず……そんなふうにティオがフラフラとあてもなく各地を転々としていた理由を考えた時、ティオの住んでいた村が滅んでしまった事件を考えると、腑に落ちる所があった。
また、ティオをから感じる、一見人懐こく気さくな雰囲気に反した、誰も自分の心の奥に触れさせまいという強い警戒心と、どこかで一線を引いて頑なに扉を閉ざしているかのような感覚も、納得がいく気がした。
チェレンチーは、ティオを案じて、そっと尋ねてみた。
「……その、ティオ君は、まだ盗賊団のリーダーの人が言った言葉を気に掛けているの? ほら、あの、ティオ君が災厄を引き寄せている、とかいうの。それで、ずっと一人で旅をしてるのかな、なんて思ったんだ。誰かと長く一緒に居たり、特定の場所にずっと住んでいると、えっと、その……また、あんな事件が起こるんじゃないかって心配してるのかなって。」
「ぼ、僕は、そんな事全然思ってないよ! ティオ君は、確かに飛び抜けて優秀な人で、そのせいで君の周りでは、普通は起きないような事が、良い事も悪い事もいろいろ起こるっているけれど、でも、ティオ君が災いを呼び寄せてるなんて、そんな事はないよ!」
「ティオ君が居たから救われた人も、きっとたくさん居る。ほら、ティオ君が荷運びの仕事をしていた時に、取ってきた食べ物を分けた少年達とか。そう! 荷運びの一団から逃げ出す時だって、事故で足を潰してしまった子は、ティオ君が居なければ逃げられずにその場に残らなきゃならなくって、手当てもされないまま最悪死んでしまっていたと思うよ。」
「ぼ、僕だって、君に救われた一人だよ。ティオ君は、僕を救おうとか特に思っていなかったと思うけど、君が兄さんとドミノ賭博で勝負をしなければ、きっと僕はまだ、ドゥアルテ家や亡くなった父さんの思いに縛られたままだったと思うんだ。」
「ティオ君、きみは、たぶん、自分も気づかない所で、そうやっていろんな人を助けてきたんじゃないかって、僕は思ってるよ。……そ、その、エルファナ大陸の村での事件は、僕は詳しくは分からないけれど……でも! ティオ君のせいで村が滅んだなんて事は、絶対ないよ! それは本当に、偶然の大きな不幸だったんだと思うよ! ティオ君は、たまたまその場に居合わせてしまっただけで、君が、悪い事ばかり引き寄せる災厄みたいな人間だなんて事は、決してないよ!」
「……」
ティオはチェレンチーの話を黙って聞いていたが、やがて少し皮肉めいた笑みを浮かべて、冗談めかして言った。
「本当にいろいろ心配させてしまってすみません、チェレンチーさん。」
「俺が、師匠の言葉を信じているかと言えば、信じてはいません。信じたくないと言うか、思いっきり否定してやろうってぐらいの気持ちで生きてきました。……まあ、でも、あの事件以降、ほんの少しですが、自分は本当に疫病神なんじゃないかって思っている所はありますけど。アハハ。」
「と言うか……」
ティオは置いていたジョッキを手に取ると、グイッと中に入ったヤギのミルクを飲み、平皿に盛られていた瓜の酢漬けをひょいと摘んだ。
瓜を噛むカリカリという小気味いい音が、ティオの頰の内から響いてくる。
「あのエルファナ大陸の森の中の小村で起こった事件の前までならともかくも……」
「今の俺は、本当に『生ける災厄』みたいな状態なんですよねぇ。って、周りが滅ぶ前に、まず真っ先に自分が壊れるんですけど。いやぁ、参ったなぁ、もう。アハハハハー。」
「え? え?」
と困惑するチェレンチーに構わず、ティオは、いつの間にかすっかりいつもの飄々として掴み所のない表情に戻った顔で、いたずらっぽくニカッと笑った。
こうなると、もはや、ティオの発する言葉が嘘か誠か、チェレンチーにはさっぱり判別がつかなくなってしまっていた。
「俺が一人で旅を続けている理由が、『俺が関わった人や場所に災いをもたらさないため』というのは、半部当たっています。師匠が言っていたのとはまた全く別の意味で、今の俺はかなりヤバイ状態なので、こう見えて一生懸命自制してるんですよ。」
「でも、俺だって、運命ってものがあるとしたら、それに翻弄されるだけの人生なんて、まっぴらごめんです。だから、自分のこの厄介な状況をなんとかする方法を、必死に探しているんですよ。その方法を探して、世界のあちこちを旅しているって訳です。いろいろなものや情報を集めてみたり、本を読むのもその一つです。まあ、元々いろいろなものを集めるのも、本を読むのも好きだったので、趣味の延長線上みたいになっているのは、不幸中の幸いですかねぇ、ハハハ。」
チェレンチーはかろうじて、ティオが古代語らしきものが書かれた酷く古い本を好んで読んでいるのは知っていたが……
ティオが言葉を濁したため、各地を回って集めている「いろいろなもの」が、正確には「いろいろな宝石」である事は知る由もなかった。
「まあ、でも、こうして旅を始めてもう一年、未だ明確な解決策は見つからないままなんですよねぇ。応急処置というか、一時凌ぎのような状態で、なんとか日々をやり過ごしているのが現状ですね。」
「え? 旅を始めて一年?……ええと、ティオ君が盗賊団を抜けたのは、十五歳の時だったよね? それから半年間、森の中の小さな村で暮らして……今、ティオ君は十八歳な訳だから、旅を始めたのは、十七歳の時だよね? と言う事は、森の中の小さな村に住んでいた後、一年から一年半の間は、まだ旅をしていなかった事になる訳だけど……その間は、一体どこで何をしていたんだい、ティオ君? そう言えば、そもそも『氷の監獄』との異名のあるあのエルファナ大陸から、どうやってこの中央大陸に渡ってきたんだい?」
「うわぁ、さすがチェレンチーさん、鋭いなぁ。」
などと、ティオは、おどけてみせた後……
スッと人差し指を一本、唇の前に立てて、潜めた声で言った。
「それは……」
「まだ秘密です。」
読んで下さってありがとうございます。
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☆ひとくちメモ☆
「宝石怪盗ジェム」
ティオは一人で各地を転々と旅しながら、ゆく先々で質の良い宝石を貪欲に収集していた。
その宝石だけを狙った盗みの数々は、正体不明の凄腕の泥棒「宝石怪盗ジェム」の仕業として、人々に広く知れ渡る事となった。
「宝石怪盗ジェム」の正体がティオである事を知っているのは、現在サラのみである。




