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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第十節>長き旅路(後編)
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過去との決別 #147


「それでは、俺はこれで失礼します。」


 ティオは、黒い宝石をあしらったブローチを手に涙を落とし続けるドゥアルテに、もう自分の声が聞こえていないのを知ると、一礼してきびすを返した。


「ティオ君。」


 と、そこには、チェレンチーの姿があった。

 出入口付近で「ここで待っていて下さい」と言われたものの、ティオが一人引き返したのを気にして、後を追ってきていたようだった。


「待たせてすみません。用事は済みました。帰りましょう。」

「うん。」


「……あ、あの、ティオ君。本当に良かったの? せっかく買い上げた宝飾品を、一つだけとはいえ、兄さんに返してしまって。」

「ああ、あれは、ドゥアルテさんのためと言うか、俺のポリシーなので。まあ、俺のエゴですよ。」

「ティオ君のポリシー?」

「ええ。」


 ティオは、黒い上着の上から、腰に下げている袋にそっと触れた。

 そこには、ドゥアルテに赤チップ卓での勝負を続けさせるため、と称して買い上げた彼の母親の宝飾品の数々が入っていた。

 一旦はチェレンチーに預けていたものを、上着を返してもらう際に一緒に受け取って身につけていたのだった。

 ティオは、視線を落として、慈しむような優しい目で、しばしその袋のありかを見つめていた。


「宝石には人の思いがこもる、なんて話があるでしょう?」

「あ、うん、そうだね。贈り物の宝石とかは、特に大切にされたり、特別な意味合いがあったりするよね。恋人や夫婦が愛を伝えたり、子供の成長を願って贈ったりもするね。」

「俺は、そういう誰かの『特別な思い』のこもった宝石は、自分の手元に置かないようにしているんですよ。」

「へえ。」

「そもそも、宝石は、一般的には金銭で売ったり買ったりしていますが、宝石の立場から考えると、そんな簡単な形式的作業で持ち主が変わる訳ではないと思うんです。宝石は、我々人間よりずっと長い年月この世界で存在し続けている。宝石、まあ、鉱石の中で特に美しく価値の高いものがそう呼ばれている訳ですが、鉱石は、生成されるまで、短くても十万年、長いものでは一億年以上かかるものもあります。そういった、人間の感覚では果てしなく長い時間を存在している宝石にとって、とある人物の持ち物となっている時間など、ほんの瞬きの間のようなものでしょう。」


「宝石にとってごく短い時間そばに居ただけの人間が、本当にその宝石の持ち主と言えるのでしょうか? 人間社会においては金銭でやり取りされていても、そんなもの宝石にとっては預かり知らぬ事。……例えば、裕福な人達の中には、ペットを飼う者が居ますよね。犬が一般的ですが、猫や、鳥、その他小動物、中には大きな蛇などを可愛がっている人も見かけます。それらは、金を払って誰かから買う事が多いのでしょう。でも、いくら高い金を払ったからと言って、動物達が懐くとは限らない。言葉の通じない彼らの気持ちを考え、寄り添って共に暮らしている内に、自然と向こうがこちらを好いてくれるようになったりもする、そんな感じでしょう。意思疎通のしやすさや懐きやすさも、種類や個体によって千差万別ですよね。」


「俺は、宝石も、そういった動物達と同じような所があるのではないかと思っているんです。人間とは違う存在であるが故に、言葉が通じない。だから、もし石に心のようなものがあったとしても、それを知る事は、人間にはとても難しい。」


「けれど、もし、その石を持っている人間の『思い』のようなものが石こもる事があるとしたら、それはある種『特別』なものとなる事でしょう。そして、そんな誰かの『思い』のこもった石は、その『思い』に準じた人間が持つべきなのではないかと、俺は思っているんです。」


「そういう俺のポリシーにのっとって考えると、あの黒い宝石は、俺ではなく『ドゥアルテさんが持つべきもの』だと思ったんです。あれは、『ドゥアルテさんのもの』だった。だから、彼に返した。金銭の授受は関係ありません。……ただ、それだけの事ですよ。」


 チェレンチーは、スラスラと立て板に水で返答してきたティオの話を、軽い驚きを持って聞いていたが……

 「宝石に心があるなんて、ティオ君はロマンチックな事を考えるんだね。」と、少し苦笑してそんな感想を返した。

 理知的な思考をする事の多いティオにはあまり似つかわしくない考えだとは思ったものの……

 ティオの常識の枠から大きく外れた高い知能は、時に、自分のような平凡な人間には理解し得ない特殊な考えを生む事もあるのだろうと片づける事にした。


「ところで、チェレンチーさんはいいんですか? ドゥアルテさんに何か話しておきたい事があれば、今言っておいた方がいいと思いますが。」

「ううん。僕はいいよ。兄さんとは、ティオ君達がチップのやり取りの簡略化の話をしている時に、二人で話をしたんだ。もう、兄さんに言いたい事は全部言ったよ。お別れもね。だから、何も心残りはないよ。」

「そうですか。じゃあ、行きましょうか。」

「うん。」


 チェレンチーが晴れやかな笑顔で答えると、ティオの顔に浮かんでいた心配の影も音もなく消えていった。

 ティオは、明るい表情で歩き出し、チェレンチーもそれについて歩いていった。


 一度だけそっと振り返って、赤チップ卓の壇を降りた所で大番頭につき添われて立ち尽くしている兄の姿を見遣った。

 ティオから返されたペンダントを握りしめて肩を落としうなだれて啜り泣いている兄は、今まで見た中で最も弱々しく小さく見えた。

 しかし、チェレンチーは、特に感傷的な表情を見せる事もなく、やがてスッと視線を逸らした。

 そして、背筋を伸ばし、力強い足取りで、ティオと共に『黄金の穴蔵』の出口に向かって歩いていった。


 チェレンチーが腹違いの兄、ドゥアルテの姿を見たのは、これが最後となった。



「お待たせしてすみませんでした。」


 チェレンチーと共に出入口付近に戻ったティオは、『黄金の穴蔵』の従業員から、預けていた自分のマントと持ち物を受け取ると、手際良く身につけていった。

 ポーチやら小袋やらがズラッと下がったベルトを、裾の長い黒い上着の上から止めると、丈夫な布で出来た大きなバッグを頭から袈裟懸けにすっぽりと被る。

 そして、最後にバサッと、185cmを超える長身のティオが身につけても地面を引きずる程の長さの色褪せた紺色のマントを羽織った。

 長い間そうして地面を擦ってきたのだろう、裾の方はもうボロボロにくたびれてほつれだしている。

 ティオはいつも、ぐるりと自分の体全体を覆うようにマントを身につけるので、そうして長い紺のマントを纏うと、中につけている数々のポーチやバッグどころか、黒い上着も何もかもほとんど見えなくなっていた。


「ハァー、やっぱりこの格好は落ち着くなぁー。」


 ボロ布のような色褪せた紺色のマントを身につけ、ボサボサの黒髪をワシャワシャ掻きながら、瓶底を思わせる分厚い丸レンズの入った眼鏡の奥で目を細めてニコニコ笑っているティオの姿は……

 すっかり、見慣れたいつものティオに戻っていた。


 そんなティオの様子に、腕組みをして待っていたボロツと背中で手を組んで見ていたチェレンチーは、同時になんとも言えない大きなため息をついていた。


「あ、コイツ、ティオだ。」

「アハハ。ボロツ副団長、ティオ君は、どんな格好をしていてもティオ君である事に変わりはないですよ。でも……」

「これが、さっきまであの赤チップ卓の壇上で、目ん玉の飛び出るような高額レートの勝負をしていた男には、全く見えねぇよなぁ。あの時は、まあ、見た目はアレだが、なんつーか、こう、もっとシュッとして、強そうな男に思えたんだけどよぅ。」

「正直もったいないですよね。ティオ君、顔立ちも体型も整っているのに、この格好だとパッと見全然分からないですものね。もうちょっと身だしなみを整えれば、ガラッと印象が変わるんだろうけどなぁ。」

「まあな。でも、コイツが女にキャーキャー言われんのはなんかムカつくから、このまんまでいいや。……それに、コイツがこれでいいってんなら、これでいいんだろうぜ。コイツらしいのが一番だろ。俺は、まあ、今となっては、こういうのも嫌いじゃないぜ。」

「これはこれで、ティオ君らしいのかもしれないですよね。」


「二人とも、何ムダ話してるんですか。もうここでの用事は終わったので、さっさと出ましょうよ。」

 と、どうやら二人の声が聞こえていたらしいティオが、少し不機嫌そうに急き立てた。

 その頰がうっすらと赤くなっているのを見るにつけ、ティオが自分の事を他人にあれこれ話題にされるのが恥ずかしくて苦手なのが良く分かって、ボロツはあからさまにニヤニヤし、チェレンチーは微笑ましげに笑った。


「ほら! ボロツ副団長は俺とチェレンチーさんの『護衛』なんですから、貨幣の入った袋をちゃんと持って下さいよ!……はい、チェレンチーさんも。一つなら持てますよね? 一番軽いのにしておきますから。」

「あ、おい、こら、なんで俺だけ三つ? って、重っ! ティオ、テメェ、俺に重いのばっかり持たせようとしてんな?」

「そのムダにムキムキな筋肉はハリボテですか? こんな時こそ傭兵団副団長としての威厳を見せて下さいよ。文句ばかり言ってると、俺とチェレンチーさんの分も後一つずつ持ってもらいますよ?」

「鬼か! ああ、お前は鬼だったわ! 知ってたぜ、このクソ鬼畜作戦参謀がぁ!」


 ティオは、今夜のドミノ賭博で元手にした金額の十倍以上に増えた貨幣の入った袋を、ボロツに三つ押しつけ、自分で二つ持ち、チェレンチーに一つ預け、『黄金の穴蔵』の出口に向かった。

 そして、従業員が鍵を外して重い扉を開くと、少し背をかがめてその出口を潜り抜け、その先の地上に続く階段を、なんのためらいもなく歩き出していた。


「さあ、帰りましょう。俺達の場所に。」



 こうして、十分な戦果を収め、無事『黄金の穴蔵』を後にした三人だったが……

 建物の敷地を出た所で、ボロツは返却されたトレードマークの大剣を背中に背負いながら、思案顔で言った。


「つってもよ、ハンスの旦那の許可証があっても、さすがに深夜は城に入れてくれねぇんじゃねぇのか?」

「た、確かにそうですよね。夜は、正門だけじゃなくって通用門も施錠せれてしまって、簡単に開けてくれないんですよね。僕も城下町から帰る時は、日が沈まない内にって、時間には気をつけてます。」

「警備が厳しくなったよなぁ。ここ半月ぐらいか。昼間も城を出入りするのにうるさくなったし、俺達みたいのがちょっとでも城の奥に行こうとすると、すぐに警備の兵士が槍持ってすっ飛んできて、おっかねぇのなんのって!」

「やっぱり、城の王宮に泥棒が入ったのが原因でしょうかね? でも、盗まれた宝石は、翌朝には帰ってきたって事でしたよね?」

「そうそう! 俺が聞いた話じゃ、いつの間にかドーンと正門前に置かれてたんだとさ。」

「まあ、とにかく、無事王宮のお宝が全部帰ってきて良かったですよね。それどころか、なぜか少し増えていたって話も聞きましたよ。」

「いやぁ、全然良かねぇよ! 結局犯人は捕まってねぇどころか、未だになんの手がかりもなし。王国兵のメンツが丸潰れってんで、やっこさん達二度とさせるかって躍起になって警備強化してんだよ。」

「本当に噂の『宝石怪盗ジェム』なんでしょうかね? 警備の厳しい王宮の奥の宝物庫に人知れず盗みに入ったり、かと思ったら、盗んだ財宝を丸ごと返してきたり。何を考えているのか良く分からない人物ですよね。」


 ボロツとチェレンチーが盛り上がっているのを、一人興味なさそうに明後日の方向を見て黙っていたティオは、頃合いを見計らって「コホン!」と咳をし注意を引くと、ニッコリ笑って二人を誘導した。


「ボロツ副団長、チェレンチーさん、こんな所で立ち話もなんですから、どこか開いている店に入って、早朝まで時間を潰しましょう。何か食べて、少し眠った方がいいでしょう。明日も朝から会議も訓練もあるんですから。」

「ブワァーカ、ティオ! 何が、食べて眠るだよ! 今夜は、このまま一晩中飲み明かすに決まってんだろうが! フハハハハッ! 祝杯だぜぇ! 勝利の酒だぁ! フフン、今日は勝ちまくって機嫌がいいからな、俺様の奢りにしてやるぜ! お前ら、ジャンジャン飲めよ!」

「うげっ! 俺は飲みませんからね! って言うか、勝ったのも金が増えたのも全部俺のおかげじゃないですか。奢るって言われても、全然ありがたみがないですよ。……こんな時間だから酒場ぐらいしか開いていないにしても、何か料理らしいものが食べられる店だといいんですが。」

「おうおう、ティオ! 覚えてるよなぁ? ドミノ中は、集中力がどうたらこうたら言って、俺まで一滴も酒を飲ませなかったよなぁ、お前ぇ! そんかわし、終わったら好きなだけ飲んでいいっつったよなぁ! なあなあ!」

「あー、うるさい! はいはい、もう飲んでいいですよ。好きなだけ飲んで下さいよ。でも、俺とチェレンチーさんを巻き込むのはやめて下さいね。」


 こうして三人は、繁華街の外れで開いていた小さな酒場に腰を落ち着ける事にした。

 ボロツはもっと豪華で大きな店が良かったようだが、「眠れるように」とティオがなるべく静かな店をみつくろった。

 それでも、安酒ながらも、ドミノ賭博の法外な儲けの興奮も手伝ってか、最初からつまみもつつかず浴びるようにビールを飲んでいたボロツは、一人真っ先に酔いつぶれてしまった。


「もしもーし、ボロツ副団長ー。一晩中飲むんじゃなかったんですかー。」


 ティオが、テーブルに突っ伏してガーゴーいびきをかいているボロツの筋骨隆々たる肩をちょいちょいっとつついて声を掛けたが、起きる気配は一向になく、ティオとチェレンチーは顔を見合わせ苦笑した。


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「ティオの苦手なもの」

チェレンチーに「恐ろしい程頭が切れる」と評されるティオであるが、苦手なものも当然あり、その最たるものが「極度の刃物恐怖症」である。

剣をはじめとした武器のほとんどを扱えないどころか、食事は両手にスプーンで取り、髪が伸ばしっぱなしなのもハサミが怖いため。

また、酷い下戸でもあり、芸術的な感性も著しく欠けている。

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