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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第十節>長き旅路(後編)
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過去との決別 #146


「もう行ってしまうのですかな? まだまだ宴はこれからですぞ?」

「ちょっと触らせてくれよ! アンタの『運』にあやかりたいんだ!」

「美味い酒と飯をありがとよ! いやぁ、今日の事は、俺は一生忘れねぇよ! 最高の勝負だったぜ!」


 未だ賭博場『黄金の穴蔵』には、黒チップ勝負においてティオが20戦全勝して勝利した興奮が満ちていた。

 ティオが儲けた金の一部を観客達に飲食を奢るという形で振る舞った事で、地下賭博場全体が宴会場と化していた。

 その中央を、ティオは、ボロツとチェレンチーと共に、スタスタと真っ直ぐに歩いて出口に向かった。

 人々は、道を開けながらも、手を叩き、声を上げて、今夜の英雄を口々に褒め称えた。

 近くの者はティオの肩や背中に触ろうとする事もあったが、そこは「警護」を頼まれているボロツが「触んな!」と払いのけていた。

 ティオ自身はと言うと、「いやいや、どーもどーも」「俺達は先に失礼させてもらいますが、皆さんは楽しんでいって下さい」「こちらこそ、ありがとうございましたー」などと、相変わらず緊張感の欠けらもない笑顔で愛想良くヒラヒラと手を振っていた。



「おっと! うっかり忘れる所でした!」


 ティオがそう言って、何かを思い出し、クルリときびすを返したのはもう出口近くの場所で、この賭博場に入ったばかりの頃従業員に預けていたボロボロの紺のマントや鞄類を受け取ろうとしていた時の事だった。


「すみません、ちょっと待っていて下さい。……あ、ボロツ副団長とチェレンチーさんは、ここに居て下さい。」


 そう言って、ティオは、彼のマントや持ち物をカウンターの奥の棚から持ち出してきた従業員の男性と、ボロツとチェレンチーに断りを入れ、今歩いてきた店の真ん中を、赤チップ卓の置かれているテーブルの方向へと引き返していった。


 毛足の長い真紅の絨毯の敷かれた壇上には、ドゥアルテと大番頭の姿があった。

 彼らの懐は見事に空であり、今夜この賭博場で出来る事は何もなく、もう屋敷に戻ろうという所だった。

 ノロノロしていたのは、消耗し切ったドゥアルテが「歩けない」「動けない」と子供のように駄々をこねていたためで、結局、大番頭がその老いた肩にドゥアルテの腕を担いで支え、慎重に壇から降りてきていた。


 最後の勝負の途中からのドゥアルテの半狂乱の騒ぎや、逆にぐったりとテーブルに伏せてゼイゼイと息を切らす程疲労困憊した様子は、観客達の目にもしっかりと捉えられていた。

 (非常識な高額レートの黒チップ勝負であれだけ負けが込めば、まあ、ああなるか……)といった気持ちで、皆見ていたようだ。

 (自分もあまりのめり込みすぎて、あんな風にならないようにしないとな。)と自戒する者も居れば、(ドゥアルテのヤツはいつもいばり散らしていて大嫌いだったんだよな。いい気味だ。)と内心あざ笑う者もあった。


 この『黄金の穴蔵』で多大な借金を作り悲惨な状態で去っていった者を数多く目にしている常連客であっても、この賭博場の王者を気取っていたドゥアルテの落ちぶれ振りは、さすがに衝撃的だったようだ。

 しかし、今までのドゥアルテの言動から、あまり彼を良く思っている者はおらず、いつも一緒に居たキザな貴族の三男も彼の元をとうに去った後だったため、心配して声を掛けるような人間は誰も居なかった。

 だが、逆に、からかったり罵ったりといったといった行動に出る者も、一人も居なかった。

 皆、一晩で人相が変わったかのようにやつれ、淀んだ空気を纏っているドゥアルテのそばから、無言でササーッと遠ざかっていっていた。

 何か、言葉にならない不吉なものを忌み嫌い、避けるような行動だった。

 あるいは、(あんなヤツに近づいたら、こっちの運気まで落ちちまう)と思っている者もあったかもしれない。


 そんな、ドゥアルテの周りの空白地帯に、ティオは平然とした顔でスタスタ入り込んでいった。


「ドゥアルテさん。」

「ヒッ!……な、なんだ、お前! まだ居たのか!……あ、あっちに行け! お前の顔なんて、も、もう、見たくない!」

「それはすみません。用事が済めば、すぐに退散しますよ。」

「……よ、用事?」

「これを。あなたに返し忘れていました。」


 そう言ってティオは、バサッとスリットの入った黒い上着の裾を翻し、ズボンのベルトに紐をくくりつけて提げていた袋の中から、柔らかな布に包んだ何かを取り出した。

 そして、それをドゥアルテの、大番頭に担がれていない方の手を取ると、その上にそっと置いた。

 ドゥアルテは、ティオに触れられた瞬間こそビクッとしたものの、中身が気になって、一旦大番頭の肩に渡していた腕を引っ込め、手の平の上でそれを包んでいた布を開いた。


「……こ、れは……」

「俺が、あなたから買い取った宝飾品の中に混じっていたものです。」


 そこには、黒い宝石をあしらったブローチが入っていた。

 間違いなく、ドゥアルテが今夜の勝負の途中で『黄金の穴蔵』へのツケを返すために、ティオへと売り払った彼の母親のコレクションの一つだった。

 宝飾品や美術品といったものにほとんど興味のないドゥアルテだったが、最近良く母親がこのブローチをつけていたため、うっすらと見覚えがあった。

 静謐な印象の唐草模様を象った銀細工の中央には、親指の頭程の大きさの宝石がはめ込まれていたが、母の好みにとはかけ離れた、地味な印象の黒いものだった。


「ジェット。黒玉とも呼ばれる宝石です。……宝石、と言っても、元は樹木で、水中で長い年月を経る内に化石化したものなんですよ。このブローチに使われているのは、漆黒の色合いに独特の柔らかい光沢が美しい、とても品質の良いジェットですね。」


「ドゥアルテさんのお父さんは、ほんの一ヶ月半程前に亡くなられたばかりと聞きました。まだ喪に服する期間でしょう。……このジェットは、黒い衣服しか身につける事の出来ない喪中にも身だしなみに気を使いたいという高貴なご婦人方が好んで身につける宝石だという事です。ドゥアルテさんのお母さん、先代当主の夫人も、夫の死を悼んでこのペンダントを身につけていたではないですか?」


 確かに、父の葬儀やその後、母が黒いドレスの胸元にそのペンダントをつけていた記憶がドゥアルテにはあった。

 しかし、最近では、「黒ばかりでつまらないわ!」と喪に服するのに飽き飽きしたようで、派手なドレスを着て色とりどりの宝飾品を身に纏い、ありこちの夜会や茶会に出掛けていっているようだったが。


 そして、ドゥアルテは知らない事だったが、このペンダントは、彼と母親が、長く病に伏していた父に甘い香りのする花の毒を盛った際、父のそばにつていたチェレンチーを追い払うために、注文していた街の宝飾店まで取りに行かせたものでもあった。

 夫人は、父が死んだ後に注文しては葬儀に間に合わないと考え、殺害を実行に移す前にオーダーしていたのだ。

 チェレンチーが、殺害が計画的だった事を確信したのも、受け取ってきたこの宝石が喪中に使うものだと知っていたせいだった。


「あなたのお父さんの死を悼むための宝石。」


「これは、俺は受け取れません。あなたにお返しします。あなたから、先代夫人に渡しておいて下さい。」



 ティオは「ああ、いえいえ、このペンダント分の代金を返せなどとケチな事は言いませんから、安心して受け取って下さい。」とつけ足したが、ドゥアルテの耳には、その声はもうはっきりと聞こえていなかった。

 遠くで吹き荒れる風の音のように、意味のない音の羅列が流れてゆく。

 その後もティオは「あ、そうそう! その宝石ですが、宝石とは言っても元々樹木だったものなので、火に当てると燃えてしまうんですよ。気をつけて下さいね。それから、酸にも弱いので、身につけた後は柔らかい布で汗などの汚れを綺麗に拭き取って下さい。また、硬度も低くて、ガラスでも傷がつく程ですから、保管する時は、他の宝石とは離し、布に包むなどして……」と、宝石好きな性格から、ついペラペラと早口にうんちくを垂れていたが……

 それも、ドゥアルテの耳には全く届いていなかった。


「……とう、さん……父さん……」


 深くうなだれたドゥアルテは、黒い宝石をあしらったペンダントを見つめながら、小さく呟くと……

 ポツリと、涙を落とした。


「……父さん、父さん父さん!……」


「……ごめん……ごめん、なさい……ごめんなさい……」


 しばらく、ドゥアルテは、ペンダントを包んでいた布ごとギュッと握り締めると、幼い子供のように、ボロボロ涙を落としていた。

 呆然と立ち尽くし泣き続ける様は、三十代も後半の大人の男とは思えない程弱々しく、頼りなく……

 まさしく、親を亡くした子供が路頭に迷っているかのような哀れさに満ちていた。


 ドゥアルテの中にも、亡くなった父への愛情はあったのだろう。

 少なくとも、この時、ドゥアルテは、今はもうこの世界から消えてしまった自分の父親を思って、涙を落とした。



 父の事を、他者を押さえつけるかのごときその強烈な気配を、ずっと苦手に思っていた。

 父が自分を可愛がっているのは分かっていたが、その気持ちは混じり気のない純粋なものではなく、己の偉業を永遠に後世に伝えていきたいという欲望を果たすための、後継者としての期待があった事も知っていた。

 子供であるドゥアルテを自己満足に可愛がり、身勝手に期待と願望を押しつけてきた父だった。

 それは、自分はどうあがいても、ナザール王国の歴史に名を残す程の大商人に上り詰めた才能溢れる父の足元にも及ばない、凡庸以下の人間だと内心自覚していたドゥアルテにとって……

 子供の頃から閉じ込められてきた、重く苦しい檻だった。

 自分の人生を支配し、押さえつけ、縛りつける父が嫌いだった。

 小遣いを渡して機嫌を取ろうとしてくる事さえ、金は喜んで受け取りつつも、いつも煩わしく感じていた。


 特に、父が病に倒れてからは、体に麻痺が残って顔が歪み、言葉もたどたどしくなって……

 その様子を見るのが、小心者のドゥアルテには恐怖でしかなかった。

 二度目の発作の後、更に病状が進行し、一日中ベッドで横になった状態で半分死んでいるかのように過ごすようになってからは、ますます嫌悪感が増していき、(早く死んでほしい)と思うようになっていた。


(……早く、死んでくれ、親父。それで俺に、このドゥアルテ家の財産を全部寄越せ。……)


(……早く、早く……死んでくれ、死んでくれ……死ねよぅ! この死に損ない! いつまで生きてんだよ、さっさと死ねぇ!……)


 寝たきりになって、自分で食事をとる事も排泄する事も出来なくなった父親を、もう死んだも同然だと思っていたが、腹違いの弟のチェレンチーが、ムダに甲斐甲斐しく身の回りの世話をするせいか、なかなか父親は死ななかった。

 そんな時、自分と同じように、早く父に死んでもらって自由にドゥアルテ家の金を使いたいと苛立っていた母親から、隙を見て毒の入ったお茶を飲ませようという話を持ち掛けられた。

 さすがに殺人に手を染める事は、小心なドゥアルテを恐怖で震え上がらせたが……

 母は「肝心な事はわたくしが全部やるから、あなたはただ人が来ないように見張っていればいいのよ」と甘い声で言って、怯えるドゥアルテを抱きしめては、幼子にするように頭を優しく撫でてきた。

「これはいい事なのよ。あの人をそろそろ苦しみから解放してあげましょうよ。」

「……あ、ああ、そ、そうだな、母さん。」

 結局、ドゥアルテは、母の提案を承諾し、二人で共謀して父に毒を盛り、殺害した。


「……な、なんだよぅ! は、話が全然違うじゃないかよ、母さん! お茶を飲んだら、すぐに眠るように亡くなるって言ってだろう?」

「黙りなさい! うるさいわね、もう! そんなに騒ぐと人が来るじゃないの!」


 ところが、蓋を開けてみると母の計画は穴だらけで、甘い香りのする花弁で淹れたお茶を飲ませても、父親はなかなか死ななかった。

 もう体を動かす力もろくに残っていない筈なのに、まるで必死にこの世にしがみつくかのように暴れて、酷くもがき苦しんだ。

 そんな父を、母は、世にも恐ろしい顔つきでベッドに押さえつけていた。


「ああ、本当に嫌になるわ! さっさと死になさいよね、この、くたばり損ないの汚らしい老いぼれが!……ちょっと! なに、ボーッと突っ立ってるのよ! こっちに来て、アンタも手伝いなさいよ!」

「……ヒッ!……む、無理だよ、母さん!」

「子供のくせに、母親の言う事が聞けないの? 早くしなさいって言ってるでしょう!」

「う、ううっ!」


 鬼のように目を釣り上げて命令する母にせかされ、ドゥアルテはフラフラと父のベッドに歩み寄ると、思い切って、羽布団の上から暴れる父の体を押さえつけた。

 痩せこけてもう骨と皮だけになった父の体の不気味な感触が、布団越しにも手に伝わってくる。

 必死に目を逸らしていたが、チラと様子をうかがおうとして、うっかり父と目が合ってしまった。

 いや、もうその虚ろな瞳は、ドゥアルテの姿を映してはいなかった事だろう。

 けれど、毒を盛られた苦しみの中で命が果てつつある父の目が真っ直ぐにこちらを見ていたその光景は、ドゥアルテの脳裏に罪人の烙印のごとく焼きついた。

 淀んだ瞳に反射して映り込む、必死に父を押さえ込んでいる姿は、自分でありながら自分でないかのような、酷く醜く恐ろしい顔をしていた。

 実際は、十五分程だったのだろうが、父が息絶えるまでのその時間は、永遠に続く地獄の責め苦のようだった。


(……ハハ……ハハハッ! やった、やったぞ! ついにやったんだ!……)


(……俺は……俺は自由だ!……)


 父の死後、母と二人で父に毒を盛って殺害した罪悪感と、あの時の地獄絵図の衝撃の反動から、ドゥアルテは、ようやく思い通り使えるようになったドゥアルテ家の資産を、湯水のように浪費していった。

 酒に溺れ、女達と戯れ、ギャンブルに没頭し……嫌な事は全部忘れてしまいたかった。


(……もう、父さんは居ない! 俺の人生を縛りつけていた、あのクソ親父は、もうどこにも居ないんだ! ハハハハハッ!……)


 生まれた時からずっと受け続けてきた父の重圧から解放された事に、ドゥアルテは歓喜した。

 そして、やがて気づくのだった。

 自分が囚われていたと思っていた、父親という頑丈で重苦しい檻が……

 この弱肉強食の猛獣が跋扈する厳しい世界から、弱々しく無知な自分を守っていたものであった事に。


「……父さ、ん……父さん、お、俺……俺は、これからどうしたらいいんだよぅ……」


「……父さん……」


 ドゥアルテは、寄る辺なき子供のように、黒い宝石のあしらわれたブローチを握りしめ、啜り泣き続けた。



 結局、そのブローチをドゥアルテが母親に返す事はなかった。

 母の手に渡ったら、すぐに金に変えてしまうと考えたからだ。

 ドゥアルテは、それから、そのブローチを布に包んで肌身離さずずっと持っており、どんなに金に困っても、それだけは決して売る事はなかった。


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「ティオの宝石好き」

ティオの異能力は「鉱石との親和性が高い」というもので、鉱石に残った周囲の記憶を読み取る事が出来るのだが、そんな能力のせいもあり、ティオは宝石を非常に好んでいる。

しかし、興味関心があるのは宝石だけであり、見事な細工を施した装飾品に加工されていても、宝石だけ抜き取って後は「邪魔だから」という理由でさっさと売り払ってしまう。

サラには、「一番好きなものは宝石!」と明言してはばからないティオである。

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