過去との決別 #145
「大丈夫ですよ。ドゥルテさんは、今はちょっとショック状態で我を忘れているだけで、しばらくすれば落ち着くと思いますよ。」
「自宅に戻ったら、ゆっくり休養を取った方がいいでしょう。……あ! さっき吐いていましたよね。たぶん相当胃が荒れていると思いますので、食べ物は、消化のいい胃に優しいものが良いですよ。」
正気を失って子供返りしているかのようなドゥアルテを前に、白髪頭の大番頭がショックを受けているのを見て、ティオが助言した。
ティオとしては、悪意は全くなく、二人を心配して親切心からの発言だったのだが、残念ながら、茫然自失の大番頭の耳には届いていない様子で、ティオは軽くため息をついて、静かに口を閉じた。
「それでは、俺達はそろそろ失礼します。……俺が買い上げた例のものですが、そうですね、翌日の午後には商会の方にうかがえると思いますので、それまでには揃えておいて下さい。その時に、商品と交換で残りの代金をお支払いします。よろしくお願いします。」
「おい! 聞いたか? ちゃんと用意しておけよ! 金が貰えなくなるからな! それから、金を受け取ったら、俺に全部渡すんだぞ!」
「……だ、旦那様。……は、はい。承りました、お客様。ドゥアルテ商会の名に恥じぬよう、一度取引が成立したものは、きちんとご用意しておきます。……」
「ありがとうございます。良い取引が出来て嬉しいです。」
とにかく金を手に入れたいドゥアルテにドスドスと肘で脇腹を小突かれ、大番頭は渋い表情ながらも、最後にドゥアルテ商会の番頭らしい対応で締めた。
ティオは、ニッコリと満足げに笑って、スッと椅子を引き、立ち上がる。
立った後は、引いていた椅子を整然とテーブルに戻し、まだ椅子にかけたままのドゥアルテと、そのわきに立つ大番頭に深々と一礼した。
もうドゥアルテは、ティオに視線を向ける事なく、胸に抱えた皮の袋から金貨を一枚一枚取り出しては、頭上に翳してみたり顔を近づけて見入ってみたりと、子供のように夢中になっていた。
大番頭は、一応軽く会釈はしたものの、ティオの事を憎々しく思っているのを隠しもしない不機嫌な表情で、すぐにサッと視線を逸らしていた。
「オーナーさんにも、『黄金の穴蔵』のみなさんにも、大変お世話になりました。」
ドゥアルテ達に挨拶を終えたティオは、続いて後ろを振り返り、今も豪華な専用の椅子に座ってタバコをくゆらしているオーナーだけでなく……
赤チップ卓のテーブル周りの雑用を担当していた従業員服姿の小柄な老人をはじめ、そばに居た従業員や用心棒達にもに、一人一人頭を下げていった。
「いやぁ、お客様には驚かされましたぞ。何しろ『1点につき黒チップ1枚』などという高額な勝負は、我が『黄金の穴蔵』始まって以来の事でしたからな。」
「広い心で勝負を了承していただけて感謝しています。おかげで……たっぷり儲けられました! アハハ!」
ティオから黒チップ勝負を提案されて、敢行するべきかどうか頭を抱えた経緯のあるオーナーは、苦笑いを浮かべてチクリと皮肉を言ったが……
ティオは、重ね重ね丁寧に礼を述べた後、フフッといたずら好きの少年のような笑顔で返していた。
これにはオーナーも、無言で苦笑する他なかった。
「お爺さん。本当にありがとうございました。まさに痒い所に手の届く気配りの行き届いたサービスで、とても快適にプレーする事が出来ました。さすが『黄金の穴蔵』ですね。感服しました。」
「これは嬉しいお言葉を。こちらは当たり前の事をしたまでです。お客様に安心してストレスなく楽しんでいただくのが我々のモットーですので。それに……」
「素晴らしいお手並みでした。これ程の名勝負を間近で見られた事は、わたくしの生涯の記念となりましょう。」
「どうかまた、何かございましたら、我が『黄金の穴蔵』をご利用下さい。」
「ええ? いやいや、俺はもう本当に、今晩限りでドミノは引退させてもらいますよ。博徒だなんて、俺の性分に合いません。」
「それは残念です。」
ティオがブンブンと顔の前で手を横に振って当惑する前で、老人は体の前に手を重ねて揃え、深々とこうべを垂れた。
「では、またどこかでお会い出来る事を楽しみにしております。」
「ああ、えーっと、そうですねぇ。そんな機会があったら、その時はよろしくお願いしますー。」
ティオは、えびす顔で微笑んでいる小柄な老人に対して、気まずげに明後日の方へと視線を逸らし、ポリポリと頰を掻いていた。
□
(……フウ、無事終わった。さすがティオ君、計画していた目的は全て果たして、それ以上の成果を得る事が出来た。傭兵団の資金も随分増やせたし、これで当分資金難に苦しむ事はなさそうだなぁ。……)
チェレンチーは、ティオとボロツと共に、赤チップ卓のテーブルのある壇上を去る際、最後にもう一度、チラとドゥアルテ達の方に視線を向けた。
丸い小さな目を僅かに細め、「目利き」のやり方で、ドゥアルテと大番頭の姿を観察する。
(……あっ!……)
その時、スウッと音もなく目の前の景色が変わり、見た事もない場面が頭の中に溢れ出した。
それは、赤チップ卓で大敗した地方の地主を見た時の感覚と同じだった。
実際はほんの数秒しか時間が経っていないのだが、酷くゆっくりと感じられ、その不思議な感覚の中で、チェレンチーは、この先起こるであろう未来を予兆するかのような光景を見た。
王都の裏通り、日がまだ登らない暗い時刻に、人目を忍ぶように馬車が一台止まっていた。
そこは、ドゥアルテ家の屋敷の裏手にあたる場所だった。
石造りの堅固な塀の一部に作られた小さな木戸から、三人の人物が慌ただしく出てきて、止まっていた馬車に乗り込む。
一人は、先代の夫人だった。
手にしているカバンには、留め金がはち切れそうな程いっぱいに何かを詰め込んであったが、ブツブツと「わたくしのドレスが……」とか「あのネックレスも持っていきたかった……」などと口惜しそうに言っている事から、とにかく詰められるだけの荷物を詰めて、慌てて屋敷を出てきた事が分かった。
おそらく、持っていけないものですぐに換金出来るものは極力売り払い金に替えたのだと思われる。
もう一人は、腹違いの兄のドゥアルテだった。
こちらは大きなトランクを持っていたが、おそらくそれは当面必要となる最低限の彼の着替えを除いて、ドレスなど夫人のお気に入りの私物が詰め込まれているのだろう。
嫌そうに顔しかめ、何度となく落胆した溜息を吐いていた。
途中、一度立ち止まって、まだ陽の差さない薄明の空を背景に黒い影となってそびえる自分の生まれ育った屋敷を見遣ったが、夫人に急かされてクルリときびすを返し、馬車に乗り込んでいった。
最後の一人は、白髪頭の大番頭だった。
しかし、苦労のためか、今の姿よりも随分と髪が薄くなり頰もこけて一気に老け込んだように見えた。
二つの大きなトランクを手にしていたが、おそらくほとんど夫人の私物が入っており、僅かにドゥアルテの物も入っているといった所か。
自分の荷物は、肩に袈裟懸けにした布の袋にまとめてあるようだった。
推察するに、その袋には、少しの着替えや生活必需品、ごく僅かな金銭しか入っていないのだろう。
大番頭は、手伝いもせずさっさと馬車に乗り込んでいる二人に、「のろいぞ」「早くなさい」などと文句を言われながらも、小さな馬車に大きなトランク二つを必死に押し込んで、最後に自分も乗り込んだ。
程なく、ドアが閉められ……
馬車は、まだ眠りから目覚めぬ王都中央区の街並みの中を、誰にも気づかれぬように音を抑えて、どこかへと走り去っていった。
(……行き先は、夫人の故郷かな。王都に居られなくなったのなら、頼れる場所は、そこぐらいだろう。……)
夫人は地方の豪族の出だ。
まだドゥアルテ商会が都の一商会に過ぎなかった頃、資金援助と地方での販売経路の後ろ盾を得るために、父が夫人の父親であるとある豪族の長と親しくなった際、信頼と友好の証として娘を嫁にと勧められた。
それまで、その地方で一族に囲まれ父親に可愛がられて蝶よ花よと育てられてきた夫人は、ぶ男ではないもののさほど背も高くなく童顔な父を嫌っていたが、王都での華やかな生活には憧れていた。
結果的に、チェレンチーの父は、浪費癖のある我儘な嫁を貰う事にはなったが、彼女の父親が後見となったおかげで、惜しみなく商売に辣腕を振るい、これを契機にドゥアルテ商会は大きく発展していった。
夫人を可愛がっていた父親はとうの昔に亡くなり、その後段々と一族の力も衰退したと聞いている。
しかし、かつての隆盛には遠く及ばないまでも、かの地には未だ夫人の親族がたくさんおり、助けを求めれば、血の繋がりを尊ぶ一族の事、とりあえず寝食は保証されるものと思われた。
チェレンチーが見た光景から推察するに……
おそらく、遠くない未来に、夫人と兄は、都に居られなくなり、夫人の故郷に落ちていく事になるのだろう。
理由としては、ドゥアルテ商会の経営が成り行かなくなり、借金のカタに、商会の建物や物資だけでなく、ドゥアルテ家の家屋敷を含む資産のほとんどを手放す羽目になったと思われる。
兄がドゥアルテ商会の頭取として経営を指揮し、兄と夫人の二人でドゥアルテ家の財産を食い潰していれば、いずれそうなるとは予想していたが……
今夜『黄金の穴蔵』でティオとの勝負において作った膨大な借金が、その凋落を早めた事は間違いないだろう。
チェレンチーは、その時、更に先の未来の光景も垣間見た。
夫人と兄と大番頭の三人は、夫人の故郷に辿り着き、そこで夫人の一族の者達から町の外れに小さな家を与えられる。
夫人は納得のいかない様子だったが、いくら一族を繁栄させた人物の娘とはいえ、都でしていたような豪勢な暮らしが提供される筈もなかった。
と言うよりも、今は一族も裕福な暮らしをしている訳ではない状況で、血の繋がりを重んじる彼らとしては最大限の融通を利かせた結果だった。
夫人達は、小さな家と、質素にしていれば充分暮らしていける分の生活費を定期的に一族から貰い受ける事となった。
兄は仕事も紹介されたが、肉体労働がきつかった事と、誰かに命令されるのに耐えられず、すぐに辞めてしまった。
その後は、町の安酒場に入り浸ってくだを巻く日々を送っている。
夫人は、また贅沢な暮らしを夢見て、必死に着飾っては自分に貢いでくれる新しい男を探すも、すぐに「浅ましい女だ」との噂が広まった。
それでも懲りずに、人々の集まりに出掛けていっては、身なりのいい男に熱心に声を掛けているようだった。
二人とも、一族の人間にとっては厄介者以外の何者でもなかったが、他に身よりも食い扶持もない彼らを追い出す事も出来ず、仕方なく養っているといった様子だった。
最後までドゥアルテ家に残り、二人についていったらしい大番頭は、数十年以上前に、商会の仕事で忙殺されている内に妻を病で亡くしていた。
その事がきっかけとなって子供達との関係がこじれ、子供達が大人になって自立してからは、縁が切れたような状態が続いていた。
そんな彼にとって、夫人と兄は、失った家族の代わりだったのかもしれない。
町外れの小さな家で、二人の身の回りの世話をしながら、ほそぼそと家の周りの土地を耕し野菜を自作して、日々の食事を少しでも良くする事に努めているようだった。
大商会の大番頭にまで上り詰めた者の晩年としては寂しいものだったが、本人は、静かで質素な生活の中に小さな喜びを見つけている様子であり、ある意味幸せな老後と言えるのかもしれない。
少なくとも、夫人や兄よりは、満足して日々をおくっている様子だった。
(……もう、兄さん達の未来を見る事はないだろうな。……)
チェレンチーは、「目利き」の能力で見た光景から、やはり、もう二度と自分の人生と彼らの人生が交わる事はないのだと確信し……
スイッと視線を切ると、前をゆくティオとボロツの背を追って歩いていった。
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☆ひとくちメモ☆
「ナザール王都の中央区」
ナザール王国の王都は、中心に盛り土をして作った人口の丘があり、その上に王城が立っていた。
その王城を取り囲むように、王都中央の区画には貴族の邸宅が軒を連ねている。
ドゥアルテ家は貴族の家柄ではなく、商売で財を築いた富豪であったが、そんな貴族の邸宅の並ぶ中央区に金にあかせて豪邸を構えていた。




