過去との決別 #144
「支払いは全て金貨で構いませんか? それとも、銀貨や銅貨も混ぜますか?」
「金ならなんでもいい! 早くしろ!」
「では、金貨でお支払いします。その方が数の確認もしやすいでしょうしね。」
ティオは、従業員服姿の小柄な老人がチップを替えた現金を持って壇上のテーブルに戻ってくると、さっそくその中から金貨の入った袋を手に取り、ドゥアルテに渡すために、必要分を空の袋に移していった。
それまでは外ウマの椅子に居たボロツも老人と一緒についてきており、当然、老人が運んできた金には、ボロツが外ウマに賭けていた分の儲けも含まれていた。
ティオの要望により、金貨だけではなく、銀貨や銅貨も混じっての交換となったため、金の入った袋の数は七個にも及び、老人は手押しのワゴンの上段と下段に袋を積んで、他の従業員の手も借りつつ持ってきていた。
ティオは一瞥しただけですぐに金貨銀貨銅貨の配分を把握した様子で……
「これはいい塩梅で交換して下さって、ありがとうございます。」
と、老人に礼を言い、老人も満足げに頭を下げて後ろに退がっていった。
しかし、ティオが新たに何かドゥアルテ側と商談をしていた内容が気になる様子で、人形のように無表情で控えながらも、こちらの方をジッと見つめていた。
ティオは、本当に数えているのか分からない程素早く適当な手つきで、ササッと空いていた袋に金貨を詰めると、キュッと口紐を締めてドゥアルテに手渡してきた。
ドゥアルテは代わりに自分のサインの入った契約書をティオに渡し、テーブルの上で二人はお互いの差し出したものを交換しあった。
「はい。確かに。これで取引は成立ですね。俺が買い上げたものは、明日中には、東区にあるドゥアルテ商会の本館まで受け取りに行きますので、ちゃんと用意しておいて下さいね。」
「ああ、分かった分かった。コイツらにやらせておく。」
ドゥアルテは、やはり面倒な作業は大番頭に丸投げし、さっそく受け取った袋の口を開いて中身をテーブルにザラザラと開けると、ギラついた目で金貨の枚数を数え始めていた。
大番頭が、ドゥアルテだけでは不安だと考えたらしく、自分も確認しようとのぞき込んだが、ドゥアルテは取られるとでも思ったのか、「お、俺の金だぞ! 触るな!」と怒鳴りつけ、背中を丸めて子供のように金貨を抱え込んでしまった。
渋々手を引っ込めた大番頭だったが、ドゥアルテが金を確認する間手持ち無沙汰になったのもあってか、テーブルの向かいでニコニコ笑っているティオの方に不審そうな目を向けた。
地獄の黒チップ勝負を経て、さすがにこういった場所には不慣れな大番頭も、この一見みすぼらしい青年の人の良さそうな笑みを素直に受け取れずにいる様子だった。
「……随分と、手際が良いのですね。いつの間に取引の契約書を作っていたのですか?」
「ああ、この書類ですか? 何枚目かの借用書を書く時に、ついでに作っておきました。そちらが手間取っている様子で時間が余っていたので。まあ、先を見越して。」
「先を見越して?」
気さくに答えたティオの言葉に、大番頭は眉間に深いシワを寄せ、事なかれ主義な彼には珍しく不快感をあらわにした。
「……あなたは、先程旦那様に、『今日この賭博場に来た目的は、はじめからドゥアルテさんだった』といったような内容の事を言っていましたね? 他の客は眼中になく、ただ一人、旦那様から出来る限り金を引き出すために、この赤チップ卓のテーブルまで上り詰め、更には、もっとレートの高い黒チップ勝負に旦那様を誘導して、一夜にしてこれ程の巨額の借金を作らせたのだと。旦那様は、あなたの罠にまんまとはまった訳ですな?」
「そうなりますね。ドゥアルテさんは、この賭博場で最も美味しいカモだと判断して、狙わせてもらいました。でも、ここは、元より弱肉強食の賭博の場。俺が見逃したとしても、いずれこの界隈に跋扈する魑魅魍魎に骨の髄まで食らい尽くされていたかもしれませんよ? それでもあなたは、俺が計画的にドゥアルテさんを黒チップ勝負に引き込んで敗北させた事を、人道に反する行為だと非難したいのですか?」
「……だ、旦那様は見事に罠にはめられました。それはあなたが、前もって入念に旦那様の事を調べ、綿密な計画を立てていたからなのでしょう。旦那様を陥れた事には怒りを覚えますが、あなたの方が旦那様よりも数段、いやそれ以上に上手だったのは確かだと思っています。今のこの状況は、勝負の結末も含め、必然だったという諦めの気持ちもあります。あなたのような人間に狙われたら、旦那様のような隙の多い人間はひとたまりもない事でしょう。……」
「しかし! あなたは、まだ言っていない事があるのじゃないですか?……ドミノ賭博で金を巻き上げるターゲットに旦那様を選んだのは、旦那様がギャンブルに湯水のように大金をはたいている実態を知っていたからだけではなく……」
「旦那様が、ドゥアルテ商会の頭取だったからではないのですか? あなたが欲しがっていたものが、ドゥアルテ商会にはあった。それを知っていたあなたは、ドミノ賭博にかこつけて旦那様に多額の借金を作らせ、普段なら簡単に手放す筈もない商会の大事な資産を売り払わせた。」
「そう、あなたの最終的な目的は、今買い取ったドゥアルテ商会の資産を手に入れる事だったんじゃないんですか?」
「……」
額に血管を浮き上がらせ顔を真っ赤にして詰問してきた大番頭を前に、ティオは、しばらくポカンと、まるで他人事のような顔をしていたが……
フッと、破顔一笑、満面の笑みに変わると、パンパンと手を叩いた。
「おお! さすがは、ドゥアルテ商会で長い間大番頭を務めている方だ!……ご明察です!」
「その通り、俺は、はじめから今取引したものが欲しかったんですよ。この賭博場に来たのは、傭兵団の資金を増やす目的もありましたが、ドゥアルテ商会が多数保持している『それ』が狙いでした。まあ、資金を増やせさえすれば、あちこちから搔き集める事で数を揃える事も可能だったんですが、何しろ手間が掛かるでしょう? 先程も言ったように、俺達傭兵団が前線に出るまであまり時間は残されていません。手間と時間は出来る限り減らしたい所です。その点、ドゥアルテさんを狙えば、借金のカタに一気に必要数の『それ』が手に入る。まあ、一石二鳥って感じですね。」
「……な、何が、一石二鳥だ! 調子に乗りおってぇ!」
「このっ、狡猾で薄汚いドブネズミが! よくも旦那様とドゥアルテ商会を陥れてくれたな! お前のような卑劣な人間は、地獄に落ちろ! この悪魔めが!」
普段は温和で大人しい大番頭が、思わずカッとなって罵詈雑言をぶつける様を目の当たりにして、チェレンチーは目を見開いた。
自分が長年心血を注いで支えてきたドゥアルテ商会を、今日会ったばかりの怪しい風体に若造に踏み荒らされた事で余程腹が立ったらしい。
子供の頃から父のそばで働く大番頭を見てきたチェレンチーも、ここまで彼が怒りをあらわにしたのを見たのは初めてで驚いていた。
「おい、テメェ! 一応コイツは、俺達傭兵団の作戦参謀なんだよっ!」
「ヒ、ヒィッ!」
「ボロツ副団長、俺は大丈夫ですから。」
呆然としていたチェレンチーとは対照的に、ティオに対して暴言を吐かれた事で、ボロツが思わずギロリと白髪の大番頭を睨みつけ、ズイッと前に踏み出そうとしたが……
ティオがスッと腕を伸ばして、ボロツの動きを制した。
「すみません、怯えさせてしまいましたね。傭兵団は荒っぽい人間が多いんです。しかし、これも、国のために戦場で命がけで戦う戦士故の血気盛んさだと思って許して下さい。」
と、肩を竦め縮こまってブルブル震えている大番頭に、ティオは物腰柔らかにボロツの非礼を詫びた。
そして、改めて居住まいを正して、大番頭にニッコリと微笑みかけた。
「『狡猾で薄汚いドブネズミ』ですか。俺の事を的確に表していると思います。褒め言葉としてありがたく受け取っておきます。」
「……う、ぐぐっ!……」
孫のような年齢のうら若い青年であるティオに、余裕のある堂々とした態度で返され、大番頭は未だ悔しそうに握りしめた拳を震わせながらも、唇を噛み締めて黙り込んでいた。
「お、おいっ! こら、テメェ!」
と、そこに、大番頭が不用意な発言でボロツに睨まれたのをまるで見ていなかったらしいドゥアルテが、テーブルに身を乗り出してティオに食ってかかってきた。
「どうしました、ドゥアルテさん?」
「どうしました、じゃねぇんだよ! 金だよ、金ぇ! 金が全然足りねぇだろうが!」
「おや? おかしいですね? 俺はちゃんと数えて渡しましたよ。もう一度確認して下さい。俺は間違っていないと思いますよ。」
ドゥアルテは、チラと、ティオのそばに立っているボロツを怯えた目で見たが、今は金の事で頭がいっぱいらしく、イライラした手つきで言われたようにもう一度金貨の数を数え始めた。
大番頭も不安に思った様子だったものの、手を出すとまたぞろドゥアルテが怒りかねないため、背後に回って彼が金貨を数える様をジッと観察していた。
チェレンチーは、ティオがドゥアルテに渡す袋に無造作に金貨をザッザッと詰め込んでいたのを見ていたので、本当に数え間違いで数が足りなかった可能性も頭をよぎったが、ティオに限ってその心配は要らなかったようだ。
ややあって、ドゥアルテは、十枚ずつに分けた金貨の山を指し示し、口の端に泡を溜めて再びティオに噛みついた。
「ほら、見ろ! 全然足りないだろうが!……10、20、30……50……100……150……全部で180枚しかないぞ!」
「私も確認しましたが、旦那様のおっしゃる通り、金貨は180枚しかありません。これは一体どういう事なのですか? 代金は銀貨3600枚、金貨なら360枚なくてはいけない所ではありませんか? 先程の契約書にも、『銀貨3600枚』と書かれていた筈です。」
目を血走らせて吠え続けるドゥアルテを、大番頭が必死に論理的に補助してティオに抗議してきた。
しかし、ティオは、一向に焦った様子を見せず、一度畳んで上着の胸ポケットにしまっていた契約書を再び取り出すと、分かりやすいように二人の方に方向を合わせて広げて見せた。
「半金ですよ。」
「確かに、俺が買い上げたものの代金は銀貨3600枚です。しかし、先に全て代金を渡したのに、「やっぱり商品は渡せない」とか「もう少し待ってくれ」とか、ごねられても困りますからね。そこで、まずは半額の銀貨1800枚だけをお支払いしました。残りの代金は、明日商品と引き換えで、という事になります。もちろん、明日俺がドゥアルテ商会にうかがった時に、買った筈の商品が揃っていない状態ならば、契約不履行という事で、今お支払いした銀貨1800枚は、耳を揃えて返してもらいます。……そういった事は、この契約書にしっかりと記載してありましたよ。サイン前に確認しなかったのですか?」
「なっ!……お、おま、お前は、また旦那様を騙したのか!」
「これは異な事を。商売において、代金の全額先払いというのは、余程信頼がなければしない事でしょう? 何度も取引をして信頼関係が築かれたのちに、売り掛け、買い掛けという話になる訳ですよね? その点、傭兵団とドゥアルテ商会の取引はこれが初めてです。先に半金だけ支払うというのは、商売において一般的に良くある話だと思いますが?……それとも、全額商品と交換にした方が良かったですか? そちらが早急に現金を必要としている様子だったので、では半額だけでもと気を利かせたつもりでしたが。」
「……ムムゥ!……」
素人のティオに商売での定石を諭されて、大番頭はまた悔しげに顔をしかめて言葉を飲み込んでいた。
実際、契約書はろくに内容を確認しない内にドゥアルテがサインをしてティオに渡してしまっており、半金の部分の記載を見落としていたのはドゥアルテ側の大番頭の失態でもあった。
大番頭は、ティオには口論では勝てないと悟ったのか、しばらく憎々しげに睨みつけた後、クルリとドゥアルテに向き直った。
一連のやり取りで、相当ティオに対して悪感情が膨らんでいるようだった。
「だ、旦那様! やはりこの取引はなしにいたしましょう! あんな不誠実な男と取引するなど、危険極まりない事です! また旦那様や商会をはめようと、何か罠を仕掛けてくるやもしれません!」
「さあ、旦那様、あの男から受け取った金を返して、一刻も早く契約を破棄するのです!」
「はあ? 馬鹿か、お前は?……金は返さないぞ! この金は、もう俺のものだ! 書類にサインをして正式に受け取ったものだからな!」
「ええ!? し、しかしですね、旦那様!」
確かに、ドゥアルテの言う事は間違っていなかった。
既に契約は成立しており、これを破棄するには、受け取った半金を返却するだけでなく、別途違約金が発生する旨が契約書には書かれていたのだった。
一度結ばれた契約を一方的に破棄するとなったら、その損益を保証するのも、商売ではごく当たり前の流れであり、これも、大番頭がティオを非難する要素にはなり得なかった。
もっとも、ろくに契約書を読んでいないドゥアルテは、違約金の事はまるで知らなかったのだが。
ドゥアルテは、血走った目を見開いて、そばに立つ大番頭を見上げた。
胸には金貨の入った袋をしっかりと抱きかかえ、歪んだ笑みを浮かべる唇の端からは、泡だった涎が垂れていた。
「ハ、ハハッ! 見ろ、金だぞ! お前もずっと金を欲しがっていただろうが! 俺の事を、商売がまるで分かっていないと、散々心の中で馬鹿にしていたんだろう? でも、この金は、俺がドゥアルテ商会のものを売って、ちゃんと商売をして、手に入れたものだ! フハッ! そ、それに比べて、お前は何をしていた? ずっと俺の後ろに突っ立って、ブツブツ文句を言っていただけじゃないか! 銅貨一枚も稼いじゃいない! この、役立たずめ!……こ、これは、俺が稼いだ金なんだよ!」
「だ、旦那様! そ、それは違います! あの男が買い取ったのは、元々商品などではなく、大事なドゥアルテ商会の資産です! あの男は、こちらが弱っている所につけこんで、普通なら手放す筈のない商会の大事な資産を騙し取ろうとしているのです!」
「う、ううう、うるさぁい!!……だ、だだ、大事なのは、金! 金金金金、金ぇ! そうだろう? それが商人ってヤツなんだろう? 違うのか? ああ? 親父は、商人にとって一番大事なのは、金を稼ぐ事だって言ってたぞ! 俺は、その大事な金を稼いだんだよ! お、俺に文句を言うなぁ! 俺はぁ、ドゥアルテ商会の頭取だぞぅ! お、俺俺、俺の決定は、絶対なんだよぉ!」
「……だ、旦那、様?……」
「……フヒッ! フハハ、ハハハハハッ!……か、金だぞ! 金が手に入ったんだ! 金さえあれば、俺は他には何も要らない!……金金かねかネカネ!! 全部ぜんぶゼンブ、俺のもんだ! 誰にも渡さないぞ! 金ぇ!……ヒヒヒッ! ウッヒヒヒヒヒヒッ!……」
「……」
大番頭は、頰を摺り寄せる勢いで金貨の入った袋を胸に抱き、うっとりと歪んだ笑みを満面に浮かべているドゥアルテの姿を見て、ようやく気がついたようだった。
これまでは「他人に自分を大きく見せたい、立派に見せたい」という意識が働いていたために、子供じみた自己中心的な言動はあっても、ドゥアルテなりの理性が働いていたのだったが……
今の彼からは、それらがゴッソリと抜けおちていた。
黒チップ勝負とその結果作った莫大な借金の衝撃で、見栄や自己顕示欲由来の知性が吹き飛び、残ったのはただ一つ、「金」への執着のみ。
あるいは、ドゥアルテの思考が子供のような単純さに戻ったために、彼の中の欲望が包み隠される事なく分かりやすく表出している状態とも言えた。
今のドゥアルテは、身につけていた豪華な服を脱ぎ去り、素っ裸の泥まみれで地面を転げまわりながらゲラゲラと笑い続ける子供のようだった。
本物の子供と違うのは、子供はそれが自然な姿だが、三十代も後半のドゥアルテには、明らかに異常な状態だという事だった。
大番頭は、あの1マッチ20戦の黒チップ勝負が、その地獄の道行きの過酷さが、元々脆弱だったドゥアルテの神経を著しく傷つけ狂わせてしまった事を知って、言葉を失い呆然と立ち尽くしていた。
そして、ポツリと、絶望の響きを帯びたつぶやきを漏らした。
「……お、終わりだ……ドゥアルテ商会は、もう……」
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☆ひとくちメモ☆
「ドゥアルテ商会」
ナザール王国で一二を争う大商会であり、多種多様な商品を扱っている。
元は地方の小さな一商店だったが、十年戦争後、今の土地に王都が作られたのを機に都に店を移し、そこからみるみると業績を伸ばしていった。
商会の飛躍的な発展には、チェレンチーの父親である先代当主が並外れた商才の持ち主だった事が大きく影響している。




