内戦と傭兵 #16
(……な、なんだ? さっきまで両手で持っていた剣を、なぜ片手だけで持ったんだ?……)
ボロツは、サラが、長剣を左手だけで持つスタイルに変えたのを見て、意図が分からず困惑した。
サラは、それまでボロツに向かって真っ直ぐに正面を向く格好で、体の前、中段に、両手で剣を構えていたが……
今は左手だけで剣を持っているため、左肩を前に出し、右肩を後ろに引いて、斜めに構えていた。
まるで細身の片手剣、レイピアを扱う時のような体勢だった。
(……左で持ったって事は、左利きだったのか? そんな風には特に見えなかったが……い、いやいや! 惑わされるな!……)
ボロツはブルルと短く顔を振るって、再びキッとサラを見据えた。
(……要は、アイツの剣を折っちまえば終わりなんだ! 今までと何も変わらねぇ! 俺のこの「牛おろし」を思いっきり叩きつけてやるだけの事よ!……)
刻一刻と近づく決着の時を感じて、サラとボロツだけでなく、周囲で二人の戦いを見守っている者達にもピリリと緊張が走る。
それまで騒いでいた傭兵達は、皆ピタリと口を閉じ、息を飲んで見つめていた。
ハンスと若い兵士も、同様に、緊張した面持ちで立ち尽くしていた。
□
そんなひりついた空気を物ともせず、サラは「フッ!」と軽く息を吐くと、タッと地を蹴った。
ボロツが、すぐに反応して、サラの剣戟を止めにくる。
ガキン! キーン! キンキン!
サラはロングソードを片手持ちのレイピアのように扱う戦闘スタイルに変えたものの、今までに比べて全く劣る事のない鋭い攻撃を繰り出してきた。
ボロツはボロツで、その攻撃を全て的確に受け止め、弾き、逸らし、かわし続ける。
(……ハッ! 奇抜なのは、やっぱり見せかけだけか!……)
(……いや、元々コイツの剣筋は大概メチャクチャなんだよ。ど素人が才能だけでごり押ししてくる感じだぜ。……その才能ってヤツが非常識過ぎて困ったもんなんだがな。……しかし……)
(……そんな強引な攻撃も、これで終わりだ!……)
(……今ここで、お前の剣を叩き折る!……)
少しサラの様子を見て、基本的には攻め方が変わっていない事に気づいたボロツは、サラがひときわ深く踏み込んできたタイミングに合わせて……
大きく剣を振りかぶり、そして……
思い切り振り下ろした。
ガキイィィーーンン!!
二つの鋼の刃が真っ向からぶつかり合う強烈な金属音が辺りに響き渡る。
(……な、何ぃ!?……)
サラは、片手に持った長剣で、再びボロツの剣を受け止めていた。
わずかに左に飛んでかわすのと同時に、体の右脇、胸の高さで剣を水平に構えては、ボロツが渾身の力で振り下ろしてきた大剣をビタリと止めた。
……ギリ……ギチギチギチ……
せめぎ合う二つの力の間で、二振りの剣は引きつった悲鳴のような音をあげた。
(……バ、バカな! 片手だけで止めただと!? どれだけバカ力なんだ!?……)
サラは両手が片手に変わったというのに、先程と同じく体の真横で受け止めるという不利な態勢に関わらず……
ボロツの剛腕から繰り出された一撃を、しっかりと捉え、空中で微動だにさせなかった。
ボロツは、戦いを始めてから、サラが見かけによらず腕力がある事に驚かされたが……
その驚きの先を行く、まるで底の見えない怪力ぶりを目の当たりにして、少しゾワッと背筋が寒くなる感覚を覚えた。
(……ま、まさか、この俺様に力比べで勝つ人間がこの世に居るとは! しかも、こんな、まだガキのような小娘が!……)
(……い、いや! 落ち着け、俺! 冷静に考えるんだ!……)
(……そうだ! 剣を持つ手が両手から片手になったとはいえ、さっきと状況は変わってねぇ!……いや……)
ボロツが上から下へと、体重を乗せて全力で振り下ろした大剣を、サラが水平に構えた長剣で受け止める。
確かに、状況は先程と酷似していた。
ただ、違っていたのは、今回は、サラが思い切って踏み込んできた所に剣を振り下ろしたため、サラは、ちょうど大剣の長さの、ボロツから見て三分の一の場所に立っていた。
先程は、せいぜい三分の二ぐらいで、もっと二人の距離は離れていた。
そのわずかな違いがもたらすものに、ボロツはやがて気づいた。
先程は剣の先端近くでサラの剣を捉えていたので、力が伝わりにくかったが、今回はもっと大剣の根元にサラの長剣が位置している。
つまり、今ならば、もっとサラの剣に直接的な打撃を与えられる。
(……こっちの方がお前の剣を折りやすくなったぜ!……)
(……いくら俺様よりコイツの方が腕力があろうと関係ねぇ! 肝心の武器が壊れちまえば、もうコイツは戦えねぇ!……)
サラは、前回と同じく長剣の根元近くでボロツの剣を受け止めていたが……
その剣身は、ミシミシと軋み、今にも限界に達しようとしていた。
「折れろおぉぉーー!! うっらあぁぁあぁーー!!」
それを見て、ここぞとばかりに、ボロツは握りしめている自分の大剣に力を込めた。
(……!?……)
その時だった。
ボロツの目の前で、春の日差しを浴びて、サラのコートのオレンジ色が鮮やかに舞った。
□
(……し……しまった!……)
ボロツは、その瞬間、重要な事を思い出していた。
そう、初めて会った時、サラは訓練場の端に置いてあった自分の剣を取りに行き、身につけて戻ってきた。
普段は、膝がすっぽりと隠れる長さのオレンジ色のコートに包まれて隠されてしまっているが、サラは、その華奢な腰に、専用の皮のベルトで自分の剣をくくりつけて持ち歩いていた。
そして……
サラが、あの時コートに下に身につけたのは……
ごく一般的な長剣と……
もう一つ……
丈の短い、刃の反り返った、片刃の剣だった。
(……コイツは、もう一本剣を持ってやがったんだった!……)
思わず息を飲むボロツの目の前で、翻ったサラのオレンジ色のコートの下から、ギラリと鋼色の刃が閃く。
サラは、左手に握った長剣でボロツの剣を受け止めたまま、空いた右手で、腰に履いていたもう一振りの剣……
片刃の曲刀を、シュラッと抜き払っていた。
グッと一瞬、綺麗な山を描くサラの金の眉が眉間に寄り、サラがある一点に視力を集中させたのが感じられた。
「せいっ! やぁっ!」
シュッ、シュッと、サラの右手に握られた曲刀の刃先が、ムダのない軌道を描いて繰り出される。
「ギ、ギヤアァァッ!!」
その瞬間、ボロツは大剣を握る自分の指先に、強烈な痛みが走ったのを感じた。
ある程度の痛みならば、経験と覚悟のあるボルツは絶える事が出来た。
しかし、その痛みは、ボロツの慣れと予想をはるかに超えた、脳天までつけ抜けるような激烈さだった。
思わず、反射的に、大剣を握りしめていた手が緩む。
いや、緩んだといっても、ボロツの腕力と根性によって、それは「ほんのわずか」なものだった。
だが、サラは、その「ほんのわずか」な隙を見逃さなかった。
スウッと深く息を吸うと……
「はあっ!!」
瞬間的に息を吐くと同時に、腕の力を全開放する。
爆発を思わせる巨大な力が、曲刀の柄を握りしめるサラの右の拳に宿っていた。
その拳をもって、サラは、長剣で受け止めた状態で宙に止まっていたボロツの剣を……
思い切り殴りつけていた。
ガイイィィーーン!!
曲刀の切っ先とは逆、頑丈な柄の後ろで叩きつけられた幅広の大剣の刀身は、緩んでいたボロツの手の中でグラリと揺れ……
数メートル程吹き飛ばされた後、ガラン、ガン、ガン、と地面に転がった。
とっさに取り落とした剣を拾おうと動き出すボロツの喉元に、サラの長剣がビュッとかざされる。
「……グッ!……」
ビクッと体をこわばらせるボロツを、サラは、彼の喉に剣を突きつけたまま、「動くな!」と命じるかのような鋭い眼差しでしばらく睨みつけていたが……
「……クソッ……」
そう小さく呟いて、ボロツがその巨体に込めていた力をゆっくりと抜き、ダラリと両手を垂らすのを見ると……
サラは、ニコッと嬉しそうに笑った。
それはまるで、小さな子供が全力で遊んだ後のような、純真無垢で満足げな笑顔だった。
「いやったぁー! 私の勝ちだねー!」
□
「……え?……」
「……ボ、ボロツさんが、負けた?……」
そんなバカなといった様子で、見守っていた傭兵達の間に動揺が走るが、皆まだ、目の前で起こった事実を受け入れられないらしく、ただただ呆然と突っ立っていた。
「……フウ。終わったか。」
「彼女、やりましたね! 凄いですね!」
傭兵達に混じって見守っていたハンスは、サラの勝利を見てホッと胸をなでおろし、隣の若い兵士も興奮して拳を握りしめていた。
「誰かー。ケガの手当てをしてあげてくれないー?……私、手当ての仕方って良く分かんないんだよねー。」
サラは、オレンジ色のコートを翻して、カチン、カチン、と二振りの剣を腰の鞘に戻しながら、観衆に呼びかける。
「あ! はいはいはーい! 傷の手当てなら、この俺におまかせあれー!」
未だひりつくような決戦の余韻が残る訓練場に、まるで緊張感のない声が響いたかと思うと、人ごみを割ってひょっこり顔をのぞかせたのは、ティオだった。
どうやら、皆の興味関心が完全に逸れて忘れ去られている内に、こっそり回復したらしい。
サラは、そんなティオの相変わらずヘラヘラした締まりのない顔を見て、ハアッとため息が出たが、「じゃあ、お願い。」と彼に頼む事にした。
(……なんか、既にアイツのあの調子に慣れてきてる自分が嫌だなぁー。……)
と、チラと思いつつも。
「……ケガ? 団長、ケガなんかしたのか?」
「ああ! それで、剣を落としたんだ!」
「ええ!? 全然見えなかったぞ?」
傭兵達は、ザワザワと訝しがり、ボロツがその場にドッカと腰をおろしたのを見て、恐る恐る近寄ってきた。
「はーい、じゃあ、手当てしますので、左手を出して下さいねー。」
トコトコと近寄っていったティオに言われて、ボロツは反射的にギロッと三白眼で睨みあげたものの……
ティオがあまりに能天気な表情を浮かべているのを見て、思わず気が抜けたらしく、フウッと呆れたように息を吐いたのち、ズイッと左手を差し出してきた。
ティオは、そのゴツゴツとした無骨な大きな手を、怯える様子もなくスッと捉えた。
「あー、これは痛そうだなぁ! サラちゃんもエグイ事をするー。……爪の間を突き刺すなんてー。……あれだけメチャクチャに剣振ってるのに、こういうとこは器用だなー。天才かなー?」
「ティオ、ゴチャゴチャうるさいー! まあ、私は天才だけどねー!……早くその人手当てしてあげてよー!」
「あー、はいはいー。」
ティオがボロツの手を検分する様子を、そろそろと周りに寄ってきていた傭兵達も押し合いへし合い見つめていた。
確かに、ティオの言う通り、ボロツの左手の中指と薬指の爪先には、ジワリと小さく血が滲んでいた。
あの時、サラは左手に握りしめた長剣でボロツの剣を受け止めつつ、右手で曲刀を抜き払い、素早くその切っ先で、大剣を支えるボロツの左手の指先を狙ったのだ。
しかも、爪と肉の間を剣先で的確に刺していた。
ボロツのずんぐりむっくりとした大きな手に似合わない、どこか可愛らしい印象の小さめの爪が、見事に二枚、半分程血で赤く染まっていた。
その状況を知って、集まってきた傭兵達は……
「コイツは痛てぇ!」
「だから、あの時剣を叩き飛ばされたのかぁ!」
と納得したようだった。
いくら痛みに慣れていて、屈強な精神を持つボロツとはいえ、爪の間を刺されたのでは、その強烈な痛みに一瞬ひるむのも無理はなかった。
「……これを、あの小娘が?……」
「……マジか! おいおい、あの女、本気でボロツさんより強いのかよ?……」
「……いや、でも、確かに互角に切り結んでたし、団長の剣を叩き飛ばしたし。……」
サラがボロツに手傷を負わせていたのを知った傭兵達は、ジワジワと、ボロツがサラに負けた事を実感し始めた様子だった。
しかし、未だ、信じられないといった顔で、オレンジ色のコートを春風に揺らしながら佇んでるサラと、地面にあぐらをかいて真一文字に口を結んで黙り込んでいるボロツを、交互に見遣っていた。




